聖属性の魔法
虚無の大穴から無事帰還したライト一行は、各自の日常に戻っていた。
冒険者一行は今回の収入で武器防具の新調をし、まだまだ足りぬところがある自らを鍛え直すために、次の日から討伐系の依頼を重点的に受けているようだ。
サンクロスは教師として過ごす日々の合間に、鍛錬に励んでいる。その隣には、いつもシェイコムがいるらしい。
ファイリは教皇としてやるべき仕事を大量に残している為、大神殿から一歩も出ることができない。
残りの二人はというと――冒険者ギルドの地下にある、防音耐久性に優れた一室を借り切り、約束を果たしていた。
「うひょひょひょひょおおおお! ああ、体の全てが今、金に触れているわ……か、い、か、ん。はうわぁ~」
透明で巨大な箱の中に詰め込まれた金貨の中で、イリアンヌは奇声を上げ、顔の筋肉が緩みきった表情をしている。体はもちろん、素っ裸である。とてもじゃないが、人に見せられる姿ではない。
「金貨が微妙に痛いけど、これも慣れたら快感に変わってきたわ~。ふあぁぁ、幸せ~。ふんふふん~ふっふっふ~」
金貨の海から顔を出し、満ち足りた表情で鼻歌を気持ちよさそうに歌っている。
「そろそろ満足しましたか」
心底うんざりしているライトが、ご機嫌なイリアンヌに声をかける。
「嫌よ! まだまだ物足りない。あと、振り返ったら殺すからね!」
扉の正面に立ち、金貨の詰まった箱に背を向けているライトは、大きくため息をつく。
このやりとりを何度やったのか、回数を思い出そうとしたが不毛なのでやめた。
「この張りのある乙女の柔肌を見たら、罰として、この金貨全部私の物にするから! あ、そうなると、少しだけ我慢して見られたほうがいいのか……」
「はぁー。その柔肌が金貨で傷モノになっている気がしますけど。それに、罰を受ける事を承諾していないのですが」
「何よ、タダで私の体を見ようっていうの! そもそも、何であんたがここにいるのよ。乙女が肌を晒しているのよ。常識のある人間なら、扉の向こうで待っているものでしょ」
ライトが疲れたように大きく息を吐いた。今日何度目のため息なのか、これも考えるだけ無駄なようだ。
「貴方が常識を語りますか。私が目を離したら、この金貨どうにかして物にしようとするでしょう。ちなみに忠告しておきますが、金貨の枚数は把握していますから。二三枚くすねても大丈夫とか思っていませんか」
「お、思ってないわよ。女の体内を調べたら犯罪なんだからねっ!」
「どこに隠すつもりだったのですか……」
結局、イリアンヌが満足し金貨の中から出てきたのは三時間後だった。
「朝早くから貴方に付き合って、気がついたらもうお昼ですよ」
ライトは首都の定食屋で昼食をとっている。対面の席には、顔や脚に赤い跡が付いたイリアンヌが座り、焼き魚をつついている。
「はあ、至福の時間だったわ。ほらほら、ぐちゃぐちゃ言ってないで、食べなさいよ。私のおごりだからね」
お金には厳しいイリアンヌが奢るなんてことは滅多にないのだが、大量の金を目にして金銭感覚がずれたのだろうと、ライトは気にしないことにした。
「では、いただきます。イリアンヌは、それだけでいいのですか? てっきり肉好きかと思っていたのですが」
ライトの前には、脂の乗った分厚いステーキが置かれているが、イリアンヌの前には焼き魚が一匹しかいない。
「んー、何か最近、肉よりも魚が美味しく感じちゃって。前までは完全な肉食だったのに、好みが変わったみたいね。冷たい飲み物より温かい飲み物が好きになったりしてるし」
カップに両手を添え、注がれた渋めのお茶をすすっているイリアンヌを見て、ライトはふと嫌な考えが脳裏をよぎる。
周囲を見回し、近くに誰もいないことを確認する。
口に出すのもはばかられたが、思い切ってライトはある質問を投げかけた。
「今までの人生で神速をどれぐらいの時間、発動したか覚えていますか?」
「妙なこと聞くわね、あんた。総時間かー。強敵と戦う時とか、予定の時間に間に合わない時とかにも結構使っているかな。予定の無い日は一切使わなかったりするけど。あっ……まあ、あんたなら大丈夫か。あれって、発動すると自分で解除しない限り、五分で切れるのよ。で、発動していた時間と同じだけ休息時間が必要となるから。一日中発動とか無理だしね。平均したら一日二時間ぐらいじゃない」
ライトはざっと計算をする。一ヶ月は三十日。一年は十二ヶ月。ということは、一年で七百二十時間も神速を使った計算になる。それを一日が二十四時間なので、割ると。神速の発動時間は一年で約三十日程度となる。
「どのぐらいの年齢から使っているのです」
「五歳だったかな、この力に気づいたのは。それから、ほぼ毎日使っていた気がする。あの頃は自分以外がゆっくり動くのが楽しくて、意味もわからず何度も使ってたっけ。あ、そうそう、私あの頃は同年代の子より成長が早くて、男子たちはガキにしか見えなかったな」
それを聞いたライトのこめかみを、汗が伝っていく。
「イリアンヌは確か二十二歳でしたよね」
「永遠の十八歳よ!」
即座に言い返したイリアンヌに、ライトの冷たい視線が注がれ続けている。
「……と四歳よ」
五歳から十七年間に渡り、神速を二時間使い続けたと仮定した場合、五百十日分もの時間が神速中に経過したということになる。
問題はここからだ。ライトは唾を飲み込むとイリアンヌに重要な部分の問いかけをした。
「神速中って体感でどれぐらいの遅さに感じているのですか」
「やっぱ、そこ気になる? 企業秘密なんだけどどうしようかなー。ターゲットに教えるのもなー」
勿体つけた口調にイラッとするが、そんな感情は押し殺し、ライトは真剣な眼差しで正面からイリアンヌを見つめた。
「教えてくれませんか、貴方の秘密を」
「そ、そんなに知りたいのなら、教えてあげなくてもないわよ。ええとね、約半分の速さになっているはず。自分の能力を把握する為に計ったことがあるから、間違ってないと思う」
ライトの感覚でも、神速を使った時の身のこなしは約倍の速さに感じていたので、おそらく間違ってはいないだろうと冷静に判断する。
単純計算ではあるが、イリアンヌは実年齢より一年半程歳をとっていると考えてよさそうだなと、ライトは結論づけた。
「イリアンヌ。神速ってデメリットないのでしょうか」
「ん? ないわよ。発動後、体が痛むこともないし。体力や魔力が異様に消費されたりもしないからね。あんたの、神力みたいに使い勝手悪くないしぃ」
蔑んだような目で見るイリアンヌにライトは笑顔で対応している。
「ええ、そうですね。神速は凄いですね。神力なんて足元にも及びませんよ」
「何か気持ち悪いわね、素直に褒められると裏があるんじゃないかって疑うわよ」
「変に勘ぐらないでくださいよ。私は純粋に貴方の能力を称えているので……うっ」
不意にライトは目を逸らすと、胸元から出したハンカチで目元を拭う仕草をする。
「何で、急に泣いたふりしているのよ! その哀れんだ目は何!? ちょっと、何企んでいるのよ! ねえってば!」
襟首を掴まれ、大声で迫られても笑顔を絶やさず、慈愛さえ感じさせる優しい態度で頷いているライトだった。
店内で騒ぎ過ぎてしまい、店を追い出された二人は互いに違う予定があったので、そこで別れることになる。
ライトはイリアンヌの後ろ姿が視界から完全に消えたのを確認すると、来た道を戻り、ギルド地下の一室へと舞い戻っていた。
この部屋は多目的室と呼ばれる部屋で、使用料さえ払えば冒険者ギルド加入者なら誰でも利用することができる。
主な使用目的は、チームで借り、倒した魔物の素材や魔石、依頼料の分配。内密な相談事。頑丈な作りになっているので、ちょっとした訓練に使われる場合もあるようだ。
ライトはこの部屋を今日一日借りている。この事をイリアンヌに知られていたら、本気で丸一日、金貨に埋もれていそうなので、昼までしか借りていないと嘘をついて何とか追い出した。
「さて、おさらいをしておきましょう」
ライトが再びここにやってきた理由は、魔法の再確認の為である。
魔法を覚える才能がなく特定の魔法しか使えないライトは、定期的に使用可能な魔法のチェックをすることに決めている。
「使い慣れている魔法からいきましょうか『治癒』」
自分へ手を向け魔法を唱えると、ライトを中心とした半径二メートルが光り輝き、天井へと光の柱が突き刺さっている。
「あ、回復力がどの程度まで強化されたかわかりかねますね。腕一本折っておくべきでしたか」
威力を確かめる為とはいえ、物騒なことを口走っている。
「まあ、次にいきましょう。『上半身強化』『下半身強化』」
放出する魔力を抑え、ごく一般的に知られている程度の強化を体に発生させる。
「では、徐々に上げていきましょうか」
魔力放出量を意識的に増やしていく。初めは何も変わらなかったのだが、少しずつ体から光が溢れ出し、今では全身から金色の炎が立ち上っている。
ちなみにこの部屋には、魔力を外に洩らさない為の結界が施されているのだが、結界の許容量を超えた魔力が漏れ、それを感じ取った上の階の冒険者たちがざわついている。
「やはり、魔力消費量が激しいですね。全力で解放すると一気に消費量が上がるのが難点なのは変わらず。日頃は二倍ぐらいを目安に考えていたほうが、良さそうです。さて、次は……操作系の確認だけにしていきますか『聖光弾』」
ライトは強化を解除すると、手のひらから少し離れた位置に拳大の光の球を発生させる。その珠が直径二メートル程度まで膨らむと、今度は五センチ以下にまで縮んでいく。再び拳大に戻すと、手元からふわふわと風に流される風船のように飛んでいく。
壁際まで進むと、今度は天井スレスレまで移動する。部屋の壁を沿うようにして光の玉は進み続け、徒歩よりも遅い速度だった光の球は、今は大人が本気で走る程度の速さになっている。
「意識的に動かすとなると、これが限界ですね。速度を求めるのなら、やはり掴んで投げたほうが手っ取り早い」
光の球を解除し、深呼吸をする。
地下なので新鮮とは呼べない空気だが、大量の空気を取り込んだことにより、集中していた脳細胞が少し冷却された気がする。
「後は『聖属性付与』」
収納袋から巨大なメイスを取り出す。右手で軽々と上げると、先端の鉄塊を肩より少し低い位置で固定する。手にしているメイスが白く輝き始め、見慣れた聖属性の光がメイスを覆っている。
「これは威力の確認のしようがないのが困りますね」
メイスをひと振りし、聖属性付与を消す。
「これで助祭時代に覚えた魔法は終了ですか……いつもながら虚しくなってきますよ」
聖イナドナミカイ学園では助祭と神官戦士のどちらかに進むか選べ、助祭になると決めたものは卒業までに二十ある聖属性魔法を教え込まれる。
途中で学校を辞めない限り、得手不得手はあるにしても、殆どの生徒が二十ある魔法を全て使えるようになる。魔法が苦手な者であったとしても、発動が難しいとされている五つの魔法を除いた十五は習得するのが、もはや常識となっていた。
その中でライトの存在は異質だった。卒業までにライトが覚えられた魔法は、たった五つ。『治癒』『上半身強化』『下半身強化』『聖属性付与』『聖光弾』だけである。
この五つは、聖属性魔法において初歩中の初歩と言われている魔法で、入学して一ヶ月後には生徒全員が使えるようになっている魔法である。
「学生時代に何度も他の魔法を練習したのですが、結局一度も発動できませんでしたね……深く考えるのはやめておきましょう」
ライトは意識を切り替え、次の魔法に移る。ここからは、司祭以上でなければ学ぶことも使用することも許されていない魔法である。
「では、気を引き締め直して……『聖域』」
ライトは青白く輝く光の壁に囲まれる。この光の壁は六面体になっており、その中心部にライトがいる。意識を集中すると、その壁の大きさを操れるらしく、拡大縮小を何度か繰り返すと解除した。
「あれは、ここでは使用しづらいので今度にするとして、あ、そうなると次が最後になるのですね」
ライトが司祭になって覚えられた魔法の数は三。解禁された魔法の数は十である。司祭になれる程の実力であれば、一つを除いた、九つは覚えられて当たり前なのだが、ここでもライトの魔法への才能の無さが顕著に現れた。
「一応これもやっておきましょうか『精霊召喚』」
ライトの横に細長い光の何かが浮かび上がる。その大きさはライトの腕の長さとほぼ同等で、ふわふわと空中を漂っている――ただ、それだけである。
この精霊召喚。名前から想像すると強力そうな魔法のイメージがあるが、そんなことは全くない。最も使えない聖属性魔法として、有名な魔法である。
特徴としては、光る何かを呼び出すことができる。
光の精霊だと言われているのだが、別に聖属性を帯びているわけでもない。
魔法の持続時間も決まってなく、数秒で消えることもあれば半日浮いている場合もある。
触れようとして手を出すと、体を素通りする。光っているのだから明るいのかと思えば、周囲を照らすわけでもなく本体がただ光っているだけ。明かりにもならない。
大きさは様々で、小指大のもいれば、人間とほぼ変わらない大きさもいるらしい。だが、それは確認が取れていない。そもそも、この光の精霊は呼び出した本人にしか見えず「召喚に成功した」と言っても、他の人が見えないので判断ができないのだ。
「ほんと、何なのでしょうねキミは」
浮かんでいるだけの光の精霊をつつこうとしたのだが、指先には何の感触もない。
精霊召喚は未だに価値が全く見いだせない魔法で、研究をしている者もいるのだが、そもそも、使える聖職者が少ない。全体の三割程度が使えると言われているが、何度も言うようだが他の人には見えないので、そのうちの過半数は嘘をついているのではないかと疑われている。
ライトがこの魔法を習得したと周囲に伝えたときは、何故か皆が優しく接してくれた記憶がある。
「理想は、回復、支援系に秀でたチームの要だったのですが、蓋を開けてみればこれですか。今でこそ独りが気楽でいいのですが、昔の自分が今の自分を見たら何て思うのやら」
自虐的な発言が口から漏れたライトを励ますかのように、光の精霊がライトの周りをふわふわと舞うように浮かんでいる。
暫く、光の精霊はライトの周辺を彷徨っていたのだが、ライトが気を取り直して部屋から出ようとすると、慌てて追いかけるような動きで飛んでくる。光の精霊は存在が希薄な為、ライトであっても背後からくる光の精霊に気づかず、肩に担いだメイスに光の精霊が触れてしまう。
その瞬間、まるでメイスに吸い込まれるかのように、光の精霊は姿を消してしまう。
「あれ、光の精霊は」
制御できない光の精霊なので、また何処か適当にぶらついているのだろうと、ライトはあまり気にしなかった。