羞恥
ライトはロッディゲルスを抱き上げたまま、キマイラへと歩み寄る。
『な、なんだよぉ。怖くなんてないんだぞ! あ、主様から手を離せっ』
口では強がっているが、その場に寝転び腹をライトに向けている状態では説得力が皆無だ。
「ちょうどいいです。そのまま寝ていてください」
キマイラの腹が枕になるように、ロッディゲルスをそっと下ろす。一度体が少し揺れたので目が覚めたのかと顔を覗き込んだが、瞼は閉じられたままだった。
収納袋から取り出した回復薬をロッディゲルスの口に含ませ、飲み込んだのを確認すると軽く頭を撫でて立ち上がる。
「これで大丈夫だとは思いますが、何か異変があったら教えてください」
『うん、わかった』
キマイラは獅子と山羊の目に涙を浮かべ、大きく一度頷いた。
ライトは満足げに微笑むと、その場から少し離れ――仰向けに倒れる。かなり無理をして動いていたらしく、天井を仰ぎ見ながら荒い呼吸を繰り返している。
「やっぱ無理していたのか。神力を完全に使いこなしたのかと思ってびびったぞ」
ファイリは仮面を少しずらし、露になった瞳がライトを覗き込んでいる。
「あの力はそう簡単に制御できるものではありませんよ。今回は威力を抑えて短時間の運用だったので、この程度の疲労ですんでいますが」
五年前、その力に耐え切れず全身を粉々に破壊した特別な贈り物をあれからライトは何度も使用している。
それは、危機に陥った状態で仕方なく発動したわけではなく、この力を自分のものにする為に自ら何度もその体で実験を繰り返した。
ただ問題として、使用後に動けなくなる為、独りで戦いを続けていたライトは死の峡谷で試すことはできなかった。しかし、幸運にもライトが神力を開放しても問題のない、うってつけの場所が死者の街にはある。神が創りし巨大な魔境――永遠の迷宮。
永遠の迷宮内で死亡しても入口に戻されるという安全設計であるため、ライトは心置きなく神力を使うことができた。まるで、この力を修練させる為の施設のようだと思わずにはいられなかったが。
「とはいえ、一時間は休憩させて欲しいところです」
「いいんじゃねえか。ロッディゲルスが目覚めるまで待たないといけないみたいだしな。それに口は動くんだろ?」
「ええ、それは問題ないです」
「じゃあ、一時間なんてあっという間だ。まあ、せいぜい頑張れや」
そう言い捨てるとファイリは仮面を元に戻し立ち去る。
ライトは言葉の意味がわからず、質問を口にしようとしたのだが、それより早く周囲から一斉に質問が飛んできた。
「一体何をしたんだ今! パーっと光って、ガッとなったらその金ピカが倒れていたぞ!」
「うんうん、僕の眼鏡が何か見たこともない力を感知したのですが、これは何なのでしょうか!」
「ライト様は私の王子様から、私の神に進化されたのですかぁ!? じゃあ、私も貴方の天使になるしかないですぅ」
「あんさんら、落ち着けっちゅうに! ほんますんません。何や深い事情があるっちゅうのはわかってるんやけど、やっぱ気になるみたいで」
興奮状態の冒険者チーム三名がライトに掴みかかる勢いで迫ってくるのを、エルフの青年は体を張って抑えている。
「ライトアンロックさん、あの神々しい光は一体何なのでしょうか!」
「シェイコム控えるのだ。ライトアンロック殿も困っているではないか。ですが、私も同様に心が震えるような気持ちになりました」
聖属性魔法の使い手は一瞬とはいえ神気を感じ取れたようだ。
この状況は予想の範疇なのだが、厄介なことになったなと、ライトは動けない状態のまま頭を悩ませる。ここで適当に話を逸らしたところで、誰も納得しないのは火を見るより明らかだ。かと言って神力に関わる事がどれほど厄介なことが理解しているだけに、迂闊に口にすることもできない。
興奮と期待に満ち溢れた視線に晒され続け、観念したライトが口を開こうとしたのだが、それを遮ったのは、イリアンヌだった。
「ねえねえ! ほら、早く早く! 約束守ったんだから金貨の詰まった箱出しなさいよ! 今更無理だとか言わないでしょうね。脱衣の準備もバッチリなんだからねっ!」
舌を出して片目を閉じ、頬に両手を当て、頭と全身を激しく振っている。
「そこ可愛い声出すべきところじゃないですよね。それにみんなの前で露出するつもりですか。せめてこの虚無の大穴から出るまで待ってください」
左手の平に右こぶしを上から軽く打ち付け「あっ」と声に出した。どうやら目先の欲に目が眩み今の状況を考慮していなかったようだ。
「はぁー。そうですね、皆さんには話しても大丈夫だと思いますので、さっきのことについてお話します。ここから先の話は他言無用ですので。万が一、口が滑ってしまい誰かに話し身に危険が降りかかった場合は、自己責任でお願いします。自信のない方はここから離れて耳を塞いでおいてください」
ライトの口調から事の重大性を理解した一同は、神妙な顔で頷いた。誰もこの場を去る気はないようだ。
「この力は贈り物よりも更に上の能力、特別な贈り物です。ご存知の方もいるとは思いますが」
そこでチラッとファイリとイリアンヌに視線を向ける。
ファイリは仮面に隠れて表情がわからないが、イリアンヌは露骨に態度を変え、唇を尖らせ鳴らない口笛を吹く真似をしている。
「贈り物は皆さんご存知の通り、神から与えられた生まれつき持っている能力と言われています。そして、公には知られていないのですが、極稀に贈り物より更に上位にあたる特別な贈り物を所有する者がいるのです。その力には神の名がつき、私の場合は神力ですが、他にも幾つかあるそうですよ」
所有者の二人を除いた他のメンバーは、黙ったまま静かに話を聞いている。どう反応していいか判断がつかないといった感じだ。
「まあ、深く考えずにそういう能力があるのか、ぐらいの認識で構いませんよ。ただ、神力は強力故の副作用がありまして、使用後は暫く動けなくなります。他の特別な贈り物については私も詳しく知りません」
実際は無理をしたらライトは直ぐにでも動けるのだが、疲労が蓄積されているので本来の半分も実力を出せないだろう。
伝えても支障がないと判断した内容のみの説明を終え、何か質問がくると思っていたのだが、誰も口を開かなかった。
「皆さんどうしたのです。てっきり、もっと詳しい説明を求められるのかと思っていたのですが」
ライトを取り囲んでいた面々が顔を見合わせると、全員同時に大きく息を吐いた。
そして、躊躇いながらもエルフの青年が言葉を発した。
「あ、いえね。何か、ライトはんの異様な力に合点がいきまして。驚いたっちゅうよりは、納得したっちゅうのが本音ですわ」
どうやら全員が同じ意見のようで、激しく何度も頭を上下に揺らしている。
「他にも話していないことがあるのですが、それは勘弁願いたいです」
誰もそれ以上は追求してこず、ライトの休憩を邪魔しないようにその場から離れていく。小柄な聖職者は看病をしたかったようだが、両腕を全身鎧男とエルフの青年に抱えられ、運ばれていった。
ライトは目を閉じ、大きく深呼吸を繰り返すと意識を手放す。敵地のど真ん中で無用心過ぎる行為だが、ライトは仲間を信頼することに決めていた。
ライトが覚醒して上半身を起こし辺りを見回すと、状況に変化はなかった。体の疲労感は抜け切ったようで、全身に違和感は全くない。
「となると、一時間近く眠っていましたか。さて、ロッディゲルスの様子は……」
キマイラと一緒に寝ているであろう場所に顔を向ける。キマイラは熟睡しているようで、頭の獅子と山羊、尻尾の蛇までもが気持ちよさそうに眠っている。
『主様ぁ~。野菜も食べないとダメですよぉ』
獅子の頭の寝言は聞かなかったことにする。
キマイラの腹を枕にしていたロッディゲルスは目覚めたばかりのようで、ぼーっとした様子で虚空を眺めている。
「あれ、何をしていたのだったか。ああ、何か酷い夢を見ていたようだが。あんな姿をライトアンロックに見られたわけがない。それも全力で襲いかかったなど有り得んことだ。そもそも、ここにいる理由がないのだからな」
得心がいったようで、眠気が取れていない顔を、だらしなく崩れさせる。
「残念。これが現実です」
いつの間にか近くにまで忍び寄っていたライトが、横手からロッディゲルスの眼前に滑り込み真顔で言い放った。
眉根を寄せ、目を擦り、何度も目を瞬かせてライトの顔を至近距離から凝視している。
そっと手を伸ばし、ライトの頬や頭を撫で回す。その感触が現実のものであることが徐々に理解できたようで、その両目が大きく見開かれていく。
「おはようございます、ロッディゲルス。良く眠れましたか?」
目覚めの挨拶にロッディゲルスは返事ができなかった。口は開いているのだが「ぁぁぁぁ」という呻き声のようなものが漏れているだけだ。
「おや、まだ寝ぼけているようですね。ああ、呼び名を間違えました。やり直しますね……おはようございます、ダークロック様」
「きゃああああああああああああああああああああああああああっ!」
羞恥心の限界を超えたロッディゲルスの絶叫が虚無の大穴に響き渡る。
両手で顔面を覆い、体を丸めた状態で左右にゴロゴロと転がるロッディゲルス。
先程の叫び声で目を覚ましたキマイラが、主の壊れた様子にどう対応をしていいのか迷っているようだ。心配そうに主を目で追うことしかできなかったキマイラだったのだが、目の前で左右に転がり続けている主を見ていると、猫科の本能が疼きだしたようで、左に転がる主を左手の肉球で止めた。そして、そのまま主を右側に転がす。今度は右に転がってきた主を右手で受け止め、左に転がす。
楽しそうに繰り返すキマイラと回され続けるロッディゲルス。玉遊びをする猫のような光景に和んでしまったライトだったが、呻き声すら聞こえなくなったロッディゲルスの身を案じ止めることにした。
「キマイラさん、それぐらいにしてください。主様が砂まみれになっていますよ」
『あ、ごめんなさい主様! すぐ綺麗にします!』
回転しているロッディゲルスを両手で掴むとその場に立たせ、大きな舌で全身を舐める。茫然自失したようなロッディゲルスはされるがままに、舐められ続けている。キマイラが満足して止めた後には、唾液まみれの魔族がいた。
「まさに、踏んだり蹴ったりですね。まだ意識がはっきりしないようですし、ベトベトでは気持ち悪いでしょう。失礼しますよ」
収納袋から水の詰まった樽を取り出すと、蓋を開け抱え上げると頭からぶっかけた。
大量の水を浴びたロッディゲルスは正気を取り戻したらしく、濡れた髪を後ろへ撫で付け表情を取り繕った。
「やあ、ライトアンロックではないか。何故こんなところに? おや、体が濡れているようだが一体何が。はっ、何故かわからないが数日の記憶を全く思い出せない! 思い出そうとしたら頭が割れるようだっ」
頭を両手で抱え、芝居がかった仕草で苦悩しているような動きを演出している。
「いや、まあ、貴方がそれでいいならそれでもいいのですが。質問には答えてもらいますからね」
少し離れた距離から触れたらいけないものを見るような目で観察していた仲間を呼び、改めてここで何があったのか聞き出すことにした。
言い訳が所々に入るのでわかりにくかったのだが、要点を抜き出すとこうなる。
死者の街でライトと酒を飲んだ翌日、酔いが抜けていないロッディゲルスは唐突に虚無の大穴に召喚される。慣れない酒と寝起きの悪さが重なり、頭が働いていない状態でフードを被った怪しい男に契約を迫られた。契約内容が扉から先に誰も進ませないこと、この条件にはロッディゲルスも含まれていたそうだ。あとは、ここに関わる全ての情報を秘匿するという条件だったので、昔の自分と意識が混同し思わず契約を受理してしまう。
それからは、ご存知の通り兵士たちを妨害し追い返す日々を過ごしていたそうだ。
「本当に何をやっているのですか。それで、召喚した相手については何かわかりますか」
「顔は全く見せていないな。歳は声から察するに初老だと思われる。この場所という繋がりの深い場所を利用し油断していたとはいえ、我を単独で呼び出したのだ。かなりの闇属性魔法の使い手と見て間違いないだろう」
召喚魔法を成立させるために必要な条件の一つに、対象相手と深く関わりのある物、もしくは場所が重要視されている。スケルトンやゾンビを呼び出すのに墓場が使われるのもその為だ。
「あやつはフォールを呼び出すつもりだったようだが失敗し、我を呼び出すのが精一杯だったようだったな。我に扉を守るように指示を出した後は一切見ておらぬ。扉より先には我も進めぬ為、この先で何が行われているのか全く分からぬ。すまない」
深淵の底にいるであろう黒幕のおおよその目的と実力がわかっただけでも、ライトは良しとすることにした。
「さてと、皆さんそういうことらしいです。ああ、そうだ。ロッディゲルスの紹介がまだでしたね。魔族であり、ここの元職員であり、五年前、一緒に魔王を倒した生き残りの一人です」
わざと簡潔にライトは紹介をした。ファイリ以外から驚きの声が上がり、冷静さを取り戻した順から次々と質問攻めにあっている。
ライトは皆の意識がロッディゲルスに注目しているのを確認すると、イリアンヌの腕を掴み人の輪から抜き出した。
少し離れた場所まで引っ張っていき手を離す。
「貴方に聞きたいことが幾つかあるのですが、よろしいですか?」
「ん、何よ。まさか人気のない場所に連れて行って……私の体を蹂躙した挙句に口封じをするつもりね!」
ハッとした表情で自分の体を両腕で隠そうとしている。
「そういうのはいいですから。まず、何で貴方がここにいるのですか。死者の街にいるのではなかったのですか」
「ほんっと、つまらない男よね。あんたが死者の街から出てすぐに私も後をつけていたのよ。まあ、途中で敵に絡まれて対処しているうちに見失ったけど!」
「なるほど、では、もう一つ。貴方も特別な贈り物を所有していたのですね。かなり驚かされましたよ」
イリアンヌの目つきが鋭くなり、日頃の能天気ぶりは鳴りを潜め、暗殺者の空気を纏う。
「それはこっちの台詞よ。ただの贈り物だと思っていたのに、まさか同類とはね」
これ以上、このことに触れるのはお互いに危険だと判断したライトは、それ以上の追求は避ける。イリアンヌも同じ考えのようで、それ以上話す気はないようだ。
「これは老婆心からなのですが、貴方のその力――使用中のデメリットはないのですか。あれ程の動きとなると、全身の筋肉が耐えられないと思うのですが」
「別にないわよ。だって、あれって私が早くなっているんじゃなくて、周りの時がゆっくりと流れているだけだもの。私は遅くなった時間の中で普通に動いているだけだし」
「それってずるくないですか……」
神力の扱いづらさに比べて、神速の使いやすさに思わず嫉妬してしまうライトだった。