契約
ライトの目の前には正座をした仮面の魔族がいて、その隣に大人しくキマイラが座っている。キマイラは主に寄り添い、心配そうに見つめている。
少し距離を置いて、他のメンバーがライトたちを興味深そうに眺めている。初めは心配していたのだが、ファイリがうまく説明したようで全員の警戒は解かれているようだ。
「落ち着いたようなので、質問しますが。貴方はこんなところで何をしているのですか」
「な、なんのことだ。私の名はダークロック。深淵からの使者なり……」
ライトから目を逸らし、地面に向かってぼそぼそと呟く。
「その設定はいいですから。一緒に酒を飲んだ日を境に、死者の街で見かけないと思ったら、こんな場所で何やっているのですか」
「それは言えぬのだ。そういう契約になっている」
「契約? それは召喚時における契約のことですか?」
契約という言葉に反応した眼鏡青年がライトの近くまでやってくる。
眼鏡青年の質問にロッディゲルスは沈黙を守る。
「それって召喚魔法のことですよね。詳しくは知りませんが、確か闇属性魔法の一つだとか」
眼鏡青年がライトの問い掛けに答えるべく、眼鏡をクイッと上げると、レンズの縁がキラリと光った。
「ええそうです。闇属性でもかなり上位の魔法で、闇属性や不死属性の魔物を召喚し、意のままに操る魔法だと聞いています。ただし、それは術者の魔力で支配できる範囲の話なので、基本召喚される魔物は下位のスケルトンやゾンビといったものが多いですね」
「ということは、召喚者はロッディゲルス以上の実力の持ち主ということになるのですか」
ライトの見立てでは現在のロッディゲルスの実力はSランク下位。召喚者の力量を考えるだけでライトは頭が痛くなる。
「ですが、召喚魔法には抜け道がありまして。一人ではなく集団での召喚が可能なのです。むしろ、強力な魔物を呼び出すには、複数の闇魔法の使い手を用いるのが常識になっているようですよ」
「そうですか。それを聞いて、ひと安心しました。あと契約というのは何なのですか?」
「契約は召喚魔法とセットになっていまして、召喚が成功すると同時に、召喚された相手に契約が結ばれるのです。相手が弱い存在であれば、召喚者からの一方的な契約が成立し手足のように動かすことが可能ですが、相手が強者であれば契約を拒むことが可能なので、相手が承諾するような簡単な内容の契約になることが多いですね。契約を成立させるために相手の望むものを与えたり、逆に弱点を用意したりするそうですよ。そして、一度交わされた契約は絶対です」
その説明でライトはロッディゲルスの置かれている状況が把握できたようだ。
「つまりあなたは、おそらく虚無の大穴の底で召喚され、契約を結ばされた。契約内容はこの扉から先に誰も行かせないこと。あとは、ここの情報を一切漏らさないこと、といったところでしょうか」
「……しらぬな。何のことかさっぱりだ」
相変わらずしらばっくれているが、忙しなく頭を動かし無理に平静を装っているロッディゲルスを見る限り、かなり痛いところを突かれたようだ。
『主様、どうしよう、どうしよう! 殆ど正解ですよぉ!』
「こ、こら! それを言ったらダメだと説明しただろ」
『すみません、主様! じゃあ、酒に酔っていてよくわからないうちに契約をしていたことや、正体がバレないように衣装を見繕っていたら、人間時代に劇団に入っていた頃の血が騒いで、はしゃぎすぎたとかは秘密なのですね!』
「ば、馬鹿!」
取り乱し言ってはならない事を口走っているキマイラを、ロッディゲルスは黙らそうとしているが既に遅すぎる。
「……こういうのは契約違反にならないのでしょうか」
「ええと、従魔が話すのは契約に含まれていなかったと思われます。契約の意外な落とし穴ですね」
呆れてため息をつくライトとは正反対の反応を眼鏡青年はしていた。何度も頷き、どうやら魔法の奥深さに感心しているようだ。
「契約を解除する方法はわかりますか?」
「召喚者を倒すか、召喚されたものを倒すか、あとは聖職者の魔法に『解呪』ってありますよね。あれが効くらしいと聞いたことが。まあ、それはライトさんの方が詳しいと思いますが」
そう言われるまで、ライトはその魔法の存在を完全に忘れていた。確か司祭以上のみが使える魔法だったことを辛うじて思い出す。本来はその名の通り呪いを解除する為の魔法なのだが、状態異常を引き起こす魔法を解除する為に使われることの方が多い。
言うまでもないことだが、ライトは『解呪』を使えない。
「お二人こちらに来てくれませんか」
離れた位置で様子を窺っていた、聖職者二人を手招きする。
小柄な女性聖職者はライトに呼ばれたことが嬉しいらしく、スキップを踏み満面の笑みでやってくる。その後ろから謎仮面が憮然とした態度で歩み寄る。
「話が聞こえていたとは思いますが、お二方、解呪は使えますか」
「すみません、あの魔法かなり難しくて……絶賛、勉強中なのですぅ」
「ふっ、俺を誰だと思ってんだ。使えるに決まってんだろ」
身を縮こませ恐縮している隣で、自慢げに大きく胸を反らしている両極端な二人。
「では、謎仮面さん。ロッディ……仮面魔族さんに解呪かけてもらえませんか」
「構わねえが、成功するとは限らねえぞ。まあ、やってみるが『解呪』」
ロッディゲルスの体が青白く発光するが、その光は直ぐに消えてしまう。そこから何の変化もない。
「効いたのかどうかもわかりませんね。とりあえず、幾つか質問して試しますか。答えられたら契約が破棄されたと判断できますから。よろしいでしょうか?」
「ああ、わかった」
「貴方を召喚したのは何者ですか?」
「……」
ロッディゲルスは口を開け懸命に何かを話そうとはしているのだが、声にならないようだ。
「んー、解呪は効かなかったようですが、どこまでが大丈夫なラインなのか確認のために続けますね。魔物が湧き出ている理由は知っていますか?」
「……」
何とか伝えようとしているのだが、同様に声に出すことはできないようだ。
「頭で考えてしまうから、契約魔法に邪魔されるのかもしれませんね。次の質問は、深く考えず口にしてみてはどうでしょうか」
ライトの提案にロッディゲルスは大きく頷き、無駄なことを考えないように瞼を閉じ俯いた。その様子を確認するとライトは次の質問を口にしようとするが、背後に忍び寄っていたファイリが低い声で代わりに質問をする。
「実は男性経験がない?」
「ああ、恥ずかしい話なのだが研究ばかりで機会がな……おおおっ、質問に答えられ……!?」
何を答えさせられたのか理解したロッディゲルスは上気した顔でライトを睨みつけると、両手を突き出した。
「死ねっ、ライトアンロック!『黒鎖』」
指から飛び出してきた鎖がライトに襲いかかるが、咄嗟に両手で弾いていく。
「いやいや、私じゃないですよ今の。ほら背後にいるのが見えますよね。あれが真犯人ですって」
急所を躊躇いなく狙ってくる鎖を防御しながら説得しているのだが、頭に血が上りすぎて全く話を聞いていない。ちょっと怒ってじゃれているだけかと思い、周囲も止めなかったのだが、容赦のない激しい攻撃に段々周囲の空気が変わってくる。
「なんか変よ。殺気が一気に膨れ上がった。目が真っ赤に充血して、声も届いてないみたい……」
気配を読む能力に長けたイリアンヌが、目を凝らしロッディゲルスを観察している。
『主様? ねえねえ、主様! どうしたの。声が全く聞こえないよっ』
キマイラは豹変した主に大声で呼びかけているが反応が全くないようだ。
「イタズラが過ぎたか。おい、お前らもうやめろ。俺が悪かったから」
原因が自分にあるので二人を止めようと割って入ろうとしたファイリに、無数の鎖が唸りを上げ迫りくる。
まさか本気で殺しにかかってくるとは思ってもいなかったファイリは咄嗟に手を挙げ、顔を庇うのが精一杯だった。
黒い鎖が衝突し大きく跳ねる。ファイリは大きな音がしたというのに体に痛みがないことを不審に思い、そっと目を開けると目の前には大きな盾を構えた、頼もしい男の背中が二つあった。
「大丈夫ですか、教皇さ――いえ、失礼しました。謎仮面殿」
「お怪我はありませんか!」
防御力に特化した聖騎士と神官戦士の二人は格上の相手だというのに、その攻撃を全て防いでいる。意思を持った蛇のように襲いかかる鎖を盾で受け止め、防ぎきれない威力の一撃は盾を傾けることにより、後方へ受け流している。
「すまない、助かった。しかし、容赦なく殺しに来るとは尋常ではないな」
この数年で手に入れた、教皇として威厳のある自分に意識を切り替える。
『神眼』
金色に染まった瞳がロッディゲルスの全てを見通す。
「血液の流れが激しすぎる。体温も上昇中。体内から溢れている本来の闇属性とは別のどす黒い闇が絡みついている。その闇が体を無理やり動かしているのか……首筋辺りが一番濃いな。あそこから伸びている黒い糸が契約の証か」
首筋から伸びている細く黒い糸は、虚無の大穴深部へと続いているようだ。
今も攻撃の手は休まることなく、ライトは防戦一方でなんとか凌いでいる。冒険者チームは手を出していいものかと判断に苦しんでいるようだ。
現状を打破する策はないかと、教皇の地位を利用し収集した、魔法に関する知識を掘り起こす。
「闇属性。召喚魔法。契約。契約に相手を暴走させる能力はなかったはず。少なくともそんなことは知られていない。だが、そもそも、かなりの実力者であるロッディゲルスを召喚することは可能なのか? 魔王や魔神を召喚した話は過去確かにあった。それは国や街一つを犠牲にして魂から魔力を集めなければ、到底叶うものではない」
首都の禁書と呼ばれる魔法書を読んだファイリだからこそ知り得た情報なのだが、魂は良質な魔力の塊であるという事実。生贄という儀式が効果的なのは、魂は感情が揺さぶられたとき、魔力を強める効果があるためだ。
ここでは八年前、街一つ分の住民が死んだ。その犠牲者の魂から魔力を吸収し力を取り戻したのが、フォールになる。
「Aランクの闇属性魔法の使い手が集まったところで、使役できるものなのか。そもそも召喚魔法に長けた人物を集められるとなると、かなり巨大な組織ということになる。可能性のある組織の動向は常に目を光らせているはずだ。となると、少数精鋭でこの契約は行われた……発想を元に戻して考えてみたらどうだ。複数ではなく、一人の才能あふれる闇属性魔法の使い手により引き起こされたと」
思考の海に頭まで潜っていたファイリは、脳まで揺さぶられるような爆音に現実へ引き上げられる。
「いい加減、本気にならないとこっちがやばいです『上半身強化』『下半身強化』」
体から黄色のオーラを立ち上らせている姿に、ファイリは神力を解放させたのかと焦るが、神眼を通してみるその魔力には神気が含まれているようには見えなかった。
「ライトはあの使えない強化魔法の熟練度を更に上げて、あそこまでの魔力を放てるようになったのか……熟練度?」
ファイリは何かを閃き、そこから考えをまとめ、ある答えを導き出した。
「召喚魔法を使い続け、ライトと同様に熟練度を上げた者がいてもおかしくはないはずだ。そして、その召喚魔法や契約に新たな効果が生まれた」
導き出した憶測が、実は的を射ているのだが、ファイリはここでもっと重要な事実に気づいてしまう。
「しまった。そんなことがわかったところで、この状況に何の影響も与えない!」
反撃の糸口は掴めないようだ。
ファイリが謎の真相に近づいている間に、戦いは激しさを増していた。
「これは感情が高ぶり過ぎて我を失っていると判断して良いのでしょうかっ!」
巨大な鉄球をライトは交差した腕で防御し、勢いの止まった鉄球をロッディゲルスへ蹴り飛ばす。
手元で鎖を操作し、しならせると鎖が繋がった鉄球の速度が弱まる。ロッディゲルスの目の前に届いた時にはもう止まる寸前で、軽く手を添えるだけで停止した。
「こういうのが一番厄介ですね。殴ったら元に戻りませんか」
「あんたの場合、治る前に再起不能になるわよ」
ライトのすぐ近くで呆れた声を出すイリアンヌがいる。彼女もロッディゲルスに近づき攻撃を避けているのだが、その動きはライトより余裕があるように見える。
攻撃力ではライトの足元にも及ばないイリアンヌだが、意外にも身のこなしはライトより優れており、回避能力だけなら今この場にいる誰にも負けないだろう。
イリアンヌが参戦したおかげで、ライトの負担はかなり減っている。
「となると、本気で気絶でもさせないとダメなのでしょうか。ファ面さん、何かわかりましたかー!」
名前を呼びかけて慌てて訂正した為、妙な呼び名になってしまったファイリがしかめっ面になっている。
「そんな珍妙な名前ではねえよっ。まあいい。恐らくだが、そいつは無理に契約を解除しようとすると、理性を失い暴走するように仕込まれていた可能性がある。どのような仕組みかはわからんが、そいつの首の後ろ辺りから、どす黒い闇が濃くなっている。そこに契約の印が刻み込まれている可能性が高い」
ライトが次々と降り注ぐ鎖の攻撃を手甲の硬い部分で逸らし、ロッディゲルスを中心に半円を描くような動きで右後方に回り込んだ。首筋に視線を集中すると、うなじから血のように赤い光を漏らしている、円形の魔法陣の上に更に文字を上書きしたような図形が見えた。
「あそこですか。となると、どうにか契約を解除できれば元に戻りそうなのですが、それができないから困っているわけで。闇属性ならば手はあるにはあるのですが……」
ロッディゲルスを元に戻す手段にライトは心当たりがある。実行すれば成功する可能性が高いのは間違いないのだが、副作用が厄介なので気軽に使うことができない。それに、調整を間違えればロッディゲルスもろとも消滅しかねない。
「とはいえ、迷っている時間もなさそうですね」
肉体の限界を無視して体を酷使しているのだろう、ロッディゲルスの白い肌が内部から裂け、数箇所から鮮血が吹き出している。
「イリアンヌさん、できるだけロッディゲルスの注意を惹きつけてもらえませんか」
「えー。今でさえめっちゃ怖いのに、これ以上増えたら私泣いちゃうっ」
自分の肩を抱き、嫌だ嫌だと駄々っ子のように体を左右に振りながら、鎖の猛攻を苦もなく避けている。
「あーもう。わかりました条件を出しましょう。もしお願いをきいてくれるのなら、そうですね……大量に金貨を入れた三メートル四方の箱の中に入っていいですよ。前に言っていましたよね、死ぬまでに金貨の中で泳いだり埋もれて寝てみたいって」
イリアンヌのふざけていた顔が一瞬にして真剣な表情になる。
「マジで! え、そんなこと本当にできるの!? 裸で入ってもいい?」
予想以上の食い付きに、ライトの方が戸惑ってしまうが何とか笑みを顔に貼り付け、対応する。
「神の名に誓って本当です。でも金貨はあげませんからね。あと、裸でもいいですが、身体ちゃんと洗ってからにしてくださいよ」
「うっひょー! やるやる、任せなさい! 全部の攻撃避けきってやるわ!『神速』」
聞き捨てならない単語を最後に口にしたイリアンヌは――目の前から消えた。
風を切る音と気配を頼りに姿を目で追うのだが、イリアンヌらしき残像だけが微かに残っているだけだ。ライトの目をもってしても、イリアンヌの姿を全く捉えられない。
「まさかの特別な贈り物所有者でしたか。動機はともかく、本気でやってくれているのですから、それに私も応えなければ」
薄く色のついた風が周囲に吹き荒れているような状況が気に障ったようで、ロッディゲルスは鎖をむやみやたらに振り回している。
完全にライトから意識が逸れているロッディゲルスの後方へ回り込むと、ライトは精神を集中し腰を落とす。
「少しだけ『神力開放』」
全身に薄らと神気をまとうと、イリアンヌに勝るとも劣らない速度で瞬時に背後に立ち、首筋にそっと触れた。
ロッディゲルスの体が大きく痙攣し、全身を仰け反らすと糸が切れた操り人形のように、その場に膝から崩れ落ちる。
ライトは神力を即座に消すと、ロッディゲルスの背に手を回し受け止める。
腕の中で疲れきった表情で気を失っている顔を見て、ライトは安堵のため息をついた。