再び虚無の大穴へ
前途多難。ライトの頭に浮かんだその言葉が頭から離れない。
実際、全員が集まり出発してからの旅路は、客観的に見れば順調なのだろう。
二頭立ての馬車を引く巨大な馬は、ライトが後から聞いた話によるとワイルドホースという魔物だそうだ。特殊な施設で育てられ、人間の言うことを聞くように飼育されたおかげで、性格も温厚らしい。
とはいえ、いくら人に懐いているとはいえ、Dランク相当の魔物。その迫力はかなりなものでEやFランクの魔物はワイルドホースの姿を見ただけで、逃げ去っていく。
DランクやCランクの魔物も何度か遭遇したのだが、ライトが出る幕もなく冒険者チームやシェイコムたちの手により葬られていく。
首都を旅立ってから三日目の夜を迎え、死者無し。負傷者は軽傷を負ったのみ。それも、専門の回復役が三人――そこにライトを含めていいのか問題だが。怪我への対応も万全なので現時点で魔物との戦闘において、問題は発生していない。
ただ一人を除いて、順調な旅路だ。
「ライト様ぁ~晩ご飯できましたぁ~。私が愛情たーっぷり込めて作った料理ですよぉ~」
ハート柄のエプロンをつけた小柄な聖職者が、甘ったるい声を出しライトの名を呼ぶ。
「様~だって。ちやほやされて調子のってんじゃないの。やだやだ」
ライトの近くにいたイリアンヌが蔑んだ目でライトを睨んでいる。
「ったくだ。貧弱すぎんじゃねえか。ああいうなよなよした女に鼻の下伸ばしているカスが、俺に近づくんじゃねえぞ」
左隣に自ら近づいてきていた仮面の聖職者が罵倒してくる。
ここ数日ライトを悩ませている事態がこれだ。
何かにつけて、ライトに構ってくる冒険者チームの女性の立ち居振る舞いに、イリアンヌと謎の仮面聖職者が嫌味を言う、という流れが出来上がっている。
冒険者チームの男性メンバーは、空気を読んで女性メンバーを止めているのだが、恋する乙女の力は凄まじいらしく、制御しきれないようだ。
案内役のカムイルは、諦めたようなため息をついて見て見ぬふりを続け、サンクロスは何故か感心したように何度も頷いている。
シェイコムに至っては、
「流石、ライトアンロックさんです! 憧れます!」
と目を輝かせている始末だ。
「ああ、独りになりたい……死者の街に帰りたい……」
ライトは夜になると虚ろな目で夜空を見上げ、郷愁にかられているようだ。
このまま、闇に包まれて静かに過ごしたいところだが、腹の音に急かされ渋々ながら、皆が待つ焚き火の前へと移動する。
「ライトさんも来たようですし。皆さんいただきましょうか。食事をしながらで結構ですので、話を聞いてください」
カムイルはその場に立ち上がると、小さな収納袋から数枚の紙を取り出す。
「このままのペースでいけば、あと二日で虚無の大穴にたどり着きます。大穴に着いたら、まずは現場にいる兵士から情報収集をし、後に全員で大穴の底を目指します。ここまでで何か質問はありますか」
手にした書類から目を離し、食事中の一同へ顔を向ける。
「虚無の大穴で現在起きている現象の詳しい説明をお願いできますか。一応あらましは聞いたのですが」
ライトが手を挙げて、意見を口にする。
カムイルは大きく頷くと、手持ちの三枚目の資料を抜き出し説明を始める。
「ご存知の通り、虚無の大穴は五年前の戦いで魔王が討伐されてから、魔物が一切いなくなりました。今では、観光スポットとして有名で、連日かなりの人がやってきています。二階層までは一般にも開放されていますので、穴の壁をくり抜いて作られた宿屋やお土産を売っている露店が並んでいます」
「完全に名所と化していますね」
自分が落ちた時からは想像できない展開に、ライトは人間の逞しさを知り思わず感心してしまう。
「それが一年ほど前から、時折、穴の底から魔物が現れるようになり始めたのです。初めはFランクのスケルトンやゾンビといった低レベルの魔物でしたので、警備を担当していた兵士で充分対応できたのですが、最近はBランクも現れるようになったとの情報もあり、国の兵士だけでは苦しくなり、冒険者を警備に雇っているそうです」
「その魔物というのは闇と不死属性だけなのでしょうか」
「はい、資料によるとそうなっています。ただ、時折、黒いフード付きのマントを羽織った人間らしき姿が目撃されているという情報もあるようです」
黒いフードを被った人間。あからさまに怪しすぎる格好をする人物の目撃談にライトは苦笑する。
「いかにもって感じよね」
「同感だ。胡散臭すぎるじゃねえか。俺たちを舐めてんじゃね?」
さり気なくライトの両脇に陣取っている、イリアンヌと謎仮面も同意見のようだ。
「この怪しい人物はミスリードの可能性もあるので、憶測は避けておきます。そして、一番の問題点が虚無の大穴を調査中の兵士が何度も倒されている、魔族の存在です。現在七十一階層までは調べられているのですが、そこから先へ進む扉の前にその魔族はいるのです」
「何度もすみませんが、扉は解放されているのですか?」
自分たちが全て開放していたはずの扉がまた閉まっているとなると、かなり面倒なことになるなとライトは思う。
「それは大丈夫です。七十一階層までの話ですが、全て開いたままだったそうです。それに、七十一階層へ直通の道を作りましたので、問題なく進めるかと」
「ねえねえ、直通の道ってなんですかぁ?」
ライトの皿に甲斐甲斐しく料理を盛っていた小柄な少女が、お玉ごと手を挙げている。
「それは着いてからのお楽しみということで。魔族に話を戻しますが、その魔族は金色の服……舞台衣装と呼んだほうがいいぐらいの派手な格好をしているそうです。顔には白い仮面を付け」
「しまった、俺とキャラが被っている」
隣で何かを呟いた謎仮面は無視する。
「見た目に反し、かなりの実力者のようです。ですが、不思議なことに死者は一切出ず、適度に痛めつけて逃げ帰るのを待っているようですね。扉を通ろうとしない限り、攻撃もしてこないようです」
「魔族は理解不能な行動をとるというが、まさにそれだな」
サンクロスが渋い表情で唸っている。
「情報としてはこんなところでしょうか。食事の邪魔をして申し訳ありませんでした」
カムイルも焚き火の前に腰を下ろし、食事を始める。
冒険者チームは一人を除外し、命の危険がないことに安堵しているように見える。
サンクロスとシェイコムは説明前と特に変わりがない。
残りの女性三名はライトの周辺で互を牽制し、いがみ合っているのでいつもの調子だ。
ライトは肩を落とし、全身で疲れを表現している。女性に取り囲まれている状況も疲れの原因なのだが、それ以上に、さっきの説明で引っかかる部分があり、それが異様なまでに気になっている。
「比較的、楽な依頼だと思っていたのですが、そうもいかないようですね……」
ライトは脱力した状態でため息をつき、緩慢な動作で口に食事を運んでいった。
それから二日、特に何事もなく過ぎ、虚無の大穴に無事到着する。
魔物は頻繁に現れたのだが、何故かイラついているイリアンヌと謎仮面のストレス発散の的となっただけだった。
大穴の入口には王国の兵士が警備をしており、カムイルが国からの通行証を見せると、何の問題もなく許可が下りる。馬車ごと大穴の側面に沿って造られた道を降りていく。
ライトは馬車の窓から顔を出し物珍しそうに辺りを見回し、時折感心したように声を漏らしていた。
「あんたにとっては、見慣れた景色じゃないの?」
虚無の大穴での活躍を簡潔にだが事前に教えられていたイリアンヌは、ライトの興味津々な態度が腑に落ちないようだ。
「いえ、私は途中からしか、この穴を知りませんから。一階層はこんな感じだったのですね」
「ここはまだ手をつけられていないので、当時と変わりがないはずですが、もう少し進むと驚かれると思いますよ」
カムイルが含みのある言い方をする。
「それは楽しみにしておきます」
窓から顔を出しているライトの表情は何処か寂しげでありながら、何かを懐かしむ顔をしていた。
十分程進むと、剥き出しの土や岩しかない風景がガラリと変わった。
行き交う人々が何人もいて、壁面には幾つもの店が並んでいる。事前に聞いていた、宿屋やお土産屋だけではなく、飲食店や、雑貨屋、武器防具の店も存在している。
どの店も活気があり、道を歩く人々も普通の街にいそうな軽装の一般人だけではなく、武器防具を身につけた冒険者らしき者も多く見受けられる。
「冒険者の方が多いのは、最近現れた魔物退治を目当てにしている方もいるのですが、多くの冒険者が散った虚無の大穴に仲間の弔いで来るものや、三英雄の功績を自分の目で確かめる為に、わざわざやって来る方も多いそうです」
三英雄の想像以上の人気と知名度にライトは思うところがあるのだが、彼らの最期を思い出し納得しかけるが、今の彼らを思い出し眉根を寄せる。
「何、変顔しているのよ」
イリアンヌが雰囲気のおかしいライトの様子が気になり、顔を覗き込んでいる。
「色々思うところがあるのですよ。ねえ、謎仮面さん」
「そうだな……うん、そうだな」
仮面で表情がよくわからないが、ライトと同様にこの光景に何か感じるものがあるようだ。
「そろそろ着きますので。降りる準備してください」
ライトは窓から顔を戻し席に腰掛ける。荷物は全て収納袋に入れているので準備は全く必要がない。他のメンバーは手荷物や武器の確認をしているようだ。
ワイルドホースの嘶きが聞こえ、馬車が大きく揺れる。どうやら、目的地へと到達し馬車が止まったようだ。
「皆様、長旅お疲れ様でした」
カムイルが御者席から扉に回り込み、外から客席の扉を開ける。
外へ出たライトは大きく伸びをすると、飽きるほど見てきた虚無の大穴内部を覗き込む。
深淵が大きな口を開け、自分を引きずり込もうとしている錯覚を起こしそうになる。
「これが噂の大穴かっ」
「この最深部にロジックさんは眠っているのか」
「真っ暗で下が見えなくて怖ぃ~」
「誰かさんの腹の中みたいやな」
初めて見る大穴を覗き、冒険者チームが感想を口にする。
「サンクロス教官! ここからが本番なのですね!」
「そうだが、もう少し肩の力を抜いたらどうだ」
若干の恐怖は抱いているようだが、血気盛んな青年には大きな影響は与えないらしい。
「ねえねえ、あんたもうちょっと穴に近づきなさいよ。押さないから、絶対に押さないから!」
両手を肩口まで上げ、五指を蠢かしているイリアンヌの言うことは当然無視。
「懐かしいって言うべきなのかな。姉さま」
謎仮面が素に戻っているのだが、誰も聞いてないようなのでライトは気づかぬふりをする。
「では皆様、ついてきてもらえますか」
カムイルの指示に従い後を付いていく。穴の内側を沿うように進むと、鋼鉄製の小さな小屋のようなものが見えてきた。
躊躇いもなく、その小屋にカムイルが入っていくので偵察隊もその後に続く。
小屋内部には壁際に小さな椅子が二つあり、あとは穴付近にレバーが三本あるぐらいで、殺風景な部屋だ。
入口から正面方向には壁がなく、大穴が大口を開けている。
「連絡がいっているとは思いますが、偵察隊のメンバーです」
「はっ、お待ちしておりました」
カムイルに声を掛けられ、レバーの近くに立っていた兵士が敬礼をする。
その兵士が三本のレバーを操作すると、足元から振動と硬いものが擦れあう音が響いてくる。
それは徐々に大きくなり、耳を塞ぎたくなるような騒音が止むと、彼らの前に大きな鉄の籠がせり上がってきた。鉄の籠はかなりの大きさで、偵察隊全員が乗ったとしても、まだ少し余裕がありそうだ。
「この音はまだまだ改良の余地がありますが、安全性と頑丈さはお墨付きだそうです。皆さんには、これに乗ってもらい一気に七十一階層まで降りてもらいます。残念ながら私が案内できるのもここまでとなります」
ライトが鉄の籠が登ってきた暗闇に目を凝らすと、穴の側壁に沿って鉄のレールが下まで伸びているのが見える。
「なるほど、これで一気に降下するわけですか。道をひたすら降りていくには時間がいくらあっても足りませんからね」
馬車で一階層降りるのに丸一日は必要になる。それが七十階層あるので、普通に降りて行ったら早くても二ヶ月は覚悟しないといけないだろう。
「てっきり、転移装置か何かで移動するものだと思っていましたよ」
ライトの言葉に偵察隊の数名が頷いている。
「それがですね、転移系や移動系の魔法が虚無の大穴では上手く働かないのです」
自分がいた頃と同じように魔法が阻害されている事実に、ライトは嫌な胸騒ぎがする。
「この施設の装置は生きているということか……嫌な予感がするな」
謎仮面はライトと顔を見合わせ、二人は小さく頷いた。
「ごうああああああああああああああああああああっ!」
「いやああああああっ! ライト様こわいいいいいいいぃ」
「…………」
「あかん、あかん、これはあかんでええええええええ!」
冒険者チームの絶叫が虚無の大穴内部に響き渡る。一名は完全に気を失っているが。
「これはかなりの速度ですねっ」
耳元を風が唸りを上げ通り過ぎていく。ライト達を乗せた鉄の籠は垂直に下る、というより落下していた。
「妻よ死ぬ前にもう一度会いたかった……」
「サンクロス教官、結婚されていたのですか?」
顔面蒼白で遠くを見つめ、サンクロスが何か言っているが、風の音とレールが軋む音でライトの耳には届いていない。サンクロスの隣に立つシェイコムは平然としている。
「なにこれ、めっちゃ楽しいじゃない! いやっほー!」
「ふはははは、俺は風。一陣の風になる!」
イリアンヌは拳を振り上げ、見るからに楽しそうだ。謎仮面に至っては手すりから身を乗り出し、速度に酔っている。
かなりの降下速度なのだが、ライトは一度ここを生身一つで落ちているので、それに比べればどうってことはない。
ライトの体感的にはあっという間だったのだが、落下速度が徐々に遅くなり、完全に停止すると籠の内部でへたり込む者が続出している。
「あれだけ苦労して下ったのが嘘みたいですよ」
ライトは籠から降りて、足元の地面を踏みしめ懐かしそうに周囲を見回している。
目を瞑ればあの時の光景が蘇ってくる。七十一階層といえばエクスを吹き飛ばした場所なのをライトは、ふと思い出す。
「ここを三英雄も通ったのか。ここでも激しい戦いが繰り広げられ、剣聖エクスも一騎当千の大活躍したことだろう。ばったばったと敵をなぎ倒す姿が目に浮かぶようだ」
瞼を閉じ、その光景を思い描いている全身鎧男には悪いのだが、実際はここでエクスはライトの一撃をくらい悶絶していた。
「あの人達は今の状況を知ったら、どう思うのでしょうか」
死者の街で飲みつぶれている三英雄の姿がライトの頭に浮かぶ。
「あんた、凄く楽しそうな顔しているわよ」
イリアンヌに指摘されるまで、ライトは自分が笑っていることに気づいていなかった。