過去編 決戦
朝早く彼らは全員起床する。そして、装備の点検と最後の戦いへ向けての作戦を立てた。全員が勝率の悪い戦いなのは承知しているので、全ての能力を包み隠さず明らかにし、その上で全員一丸となって一番勝率の高そうな策を何とか導き出す。
そして駆け足気味に、虚無の大穴側面に沿って作られた道を下っていく。七十三、七十四番目と順調に扉を解放していく。どうやら魔王フォールの言ったことは本当らしく、一切魔物が現れることがなかった。
そのまま何もなく、七十九番目の扉の前についた頃には、天高く日が昇っていた。
最後の扉はかなり異質な形状をしていた。今までの扉は全て同じ形をしていたのだが、この扉は異様に大きく、銀色に輝いていた。
「この扉だけは闇に対して効果がある銀製で作られている。それだけでは強度に問題があるので、何十にも強化魔法はかけられているがな」
ロッディゲルスの説明を聞き、ライトが扉に触れる。確かに銀とは思えない硬度があるように感じる。試しに全力で殴ってみたのだがびくともしない。
「さて、泣いても笑っても最後の戦いだ。お前ら準備は万全か」
エクスの号令に合わせ、全員が持っている武器を高く掲げる。彼らの表情には迷いがなく、この戦いに全てを注ぎ込む覚悟は既に完了しているようだ。
「作戦は覚えているな」
「もちろん。頼んだよ、エクス」
「私たちも出来るだけフォローします」
Sランク三人組は顔を見合わすと、額を合わせ小声で話し合っている。
他の面々も準備万端のようで、武器の最終チェックや柔軟をして最後の戦いへ備えているようだ。
「ライト、ロッディゲルス。お前たちはどうだ、一番危険なポジションを担当してもらうが、もし不満があるなら俺と代わっても」
「いえ、相手を牽制し挑発するのは我々が一番向いていますよ。人の神経を逆なですることに関しては定評のあるこの私と、魔王フォールの身内であるロッディゲルスが適任なのは考えるまでもないです」
自信満々に言い切るライトの背後でファイリが大きく頷いている。
「この男、慇懃無礼が服を着て歩いているようなものです。ああいった、力を得て調子乗っている輩には有効ですよ」
ファイリから太鼓判を貰い、ライトは複雑な表情をしている。
「なら、俺から言うことは何もない。よっし、皆で絶対に帰るぞ!」
「「「「「おうっ!」」」」」
エクスは皆の掛け声に背を押されるように、扉をゆっくりと押し開けていく。
銀色に輝く扉は音も立てず滑るように動き、大きく開け放たれた扉から冒険者が一気になだれ込む。各自武器を構え、周囲を鋭い目つきで見回している。
そこは今までの階層とはまるで違った。幅が一キロはある道は同様に穴の奥まで続いているのだが、その道の全てが大理石で出来ている。ここまでの道は土が剥き出しで、地表が平に整備されているぐらいだった。
大穴の壁面は分厚い鉄板を並べ、隙間がないように溶接されている。
彼らは少し傾斜のきつくなった道を、ひたすらに下へ下へと進んでいく。それから十分ほど進むと穴の底が見えてきた。ちょうど穴の中心部に何かがいるのが見えるのだが、距離が遠すぎるため内側に限界まで近づいても、相手の姿をはっきりと捉えることは出来なかった。
そこから遠距離攻撃をするという案も出たのだが、圧倒的な力の差がある相手を怒らすだけだという結論に達し、彼らは視線だけは逸らさぬよう意識を集中して、穴の最深部へ降り立った。
虚無の大穴の底は静寂に包まれていた。上空から射す日光が砂埃に反射し、キラキラと輝いている。地面はほんのりとだが白い光を発していて、その光が気になったライトはしゃがみ込み、地面に手を付いた。
鉱石のような手触りに、光に触れているだけで心が温かくなるような感覚。
「これは、床一面に聖属性が付与されていませんか」
「その通りだ。この床はヤツの力を少しでも和らげるために、聖属性が付与されている」
「やはりそうですか。大神殿のお偉いさんが知ったら、この床を剥がして持って行きそうですよ。おや、聖属性ということは、ロッディゲルス貴方は大丈夫なので?」
「心配は無用だ。私の衣服は特殊な繊維を編み込んでいて、これしきの魔力ならば問題はない」
ライトはロッディゲルスの言葉に安心し、床から手を離すと前を見据える。まだ、かなり距離が空いているので詳細はわからないが、椅子に座っている魔王フォールは目をつぶっているように見える。
全員が顔を合わせて頷くと、駆け足で最終目的地へ向かっていく。徐々に明らかになる相手の姿にライトは訝しげに眉をひそめた。
魔王フォールと思われる男は、頑丈さだけを極めた無骨な鉄製の椅子に腰掛けていた。その両手両足は鎖で椅子に固定され、身動きの取れる状態ではない。
服装は汚れ一つ無い白衣を身にまとい、千年もの時を一切感じさせない。
顔は少し頬が痩け、いかにも肉体労働が苦手な研究者というイメージに合う、ひ弱な感じがする。どことなくロッディゲルスに似ているなとライトは思った。
瞼が閉じられ相手が身動き一つしないので、人形のような雰囲気をまとっている。威圧感どころか存在感も希薄な男に彼らは戸惑いを隠せなかった。
それでも油断することなく、距離を詰めていく。先頭集団が相手まで十メートルの距離まで近づくと、そこで初めて相手が動きを見せる。
腕を固定していた鎖など初めからなかったかのように、いとも容易く引きちぎると、椅子に座った状態のまま、両手を挙げ大きく上半身を伸ばした。
『やあ、よく来てくれたね。私がこの施設の代表者をやっていた者だ。名前は既に知られていると思うが、改めて紹介させてもらおうかな。そうだね、ここは魔王らしくしないといけないな。んっ、我の名はフォー』
「別に聞きたくないです『聖光弾』」
最後まで言わせることなく、問答無用とばかりに聖光弾をライトは投げつける。直径二メートルはある巨大な聖光弾が目の前に迫るが、フォールが軽く手を振ると聖光弾は掻き消えた。
『やれやれ、魔王の名乗りは最後まで聞くのが礼儀だと思っていたのだが』
「最近はそういうの流行らないらしいぞ『黒鎖』」
フォールの左後方に回り込んでいたロッディゲルスがお得意の黒鎖を発動させ、十本の鎖が四方八方から襲いかかる。だがその鎖はフォールに届くこともなく、見えない何かに弾かれる。弾かれる一瞬、黒く薄い何かがフォールの周囲に張り巡らされているのを、何名かはその目で捉えていた。
瞼は閉じたまま、フォールは顔をロッディゲルスに向け口元に笑みを浮かべる。
『千歳にもなって反抗期かい? お兄ちゃんは悲しいなぁ』
「その歳になって魔王なんて名乗るよりマシでしょう! 『聖属性付与』」
黒鎖が当たった時に見えた、黒い障壁があった場所をライトは巨大メイスで全身の力を込め叩く。
メイスをぶつけられた障壁が火花を上げ、全体図を浮かび上がらせた。黒く薄い膜のようなものが、フォールから半径五メートルの距離を置き球状に囲っている。
ライトの怪力をもってしても障壁は破れず、数歩下がり距離をとる。
『恐るべき怪力だね。障壁が破られたのではないかとヒヤヒヤしたよ』
口ではそう言っているが、その声に危機感はまるでなく、小さな子供と遊んでいるような声色だった。
『うんうん、いいね、いいねぇ。流石一人でこの穴を進んできただけのことはあるよぉ。楽しいよねぇ』
余裕の態度を崩すことないフォールに、今度は無数の魔法の光が突き刺さった。
巨大な電撃の槍に炎の竜巻。降り注ぐ無数の氷の刃や鋭く尖った岩の刺が、フォールの元に殺到する。その全てが黒の障壁に阻まれ、何一つフォールへ届くことはない。
『いいよ、いいよ! もっとだ! もっと足掻いてくれっ! 僕を、俺を、私を楽しませてくれえっ!』
魔法の炸裂音をものともしない大声で、魔法の光が渦巻く中心で狂ったように叫び続けている。
「ドMですか『上半身強化』『下半身強化』」
魔法が止んだタイミングを見計らって、ライトが再び障壁へ接近する。今度は強化魔法もプラスして、正真正銘、本気の一撃を放った。
右後方から障壁へ巨大メイスが激突する。メイスが触れた部分が赤く焼けただれたような色に変化し、そこから赤い亀裂が障壁の右半分に広がっていく。
「まさか、我の黒障壁にここまでの損傷を与えるとは! だが、もうひと押し足りなかったようだなぁ」
『聖光流滅』
ミミカのかざした手から溢れ出した二条の光の粒子が、螺旋の軌道を描き、黒障壁の右半分へ追い打ちをかける。聖職者が使える最大級の攻撃呪文の一つが直撃した黒障壁は、ガラスを割ったような音を響かせ、弾け飛ぶ。
その際に生じた衝撃波により、ライトが後方へ吹き飛ばされたのだが、空中で体勢を整え膝のクッションを活かし地面へと着地する。
「そのひと押しはこれでよろしいでしょうか」
ミミカは大量の魔力消費による余波により顔を火照らせ、色気を感じる妖艶な笑みを浮かべている。
その障壁に生じた穴に躊躇いもなく、エクスは飛び込んでいく。
「上出来だ! オラッ、死に晒せ! 『斬!』」
剣に全てを捧げ、剣聖とまで呼ばれた男が最終的にたどり着いたのは、全てを断つ為だけに研磨された、派手さもない振り下ろしによる――斬撃だった。
鉄壁の防御を破壊され、飛び込んできたエクスを見てフォールは驚愕の表情を浮かべる。と同時に初めてその両瞼を開いた。
本来眼球がある場所には、黒い闇が蠢いている。黒く濁ったナニかが渦を巻き、瞳から溢れ出す。
その闇を直視したエクスは全身が硬直し、体の奥底から様々な負の感情が溢れ出し、震えが止まらなくなるが、それを意志の力で無理やりねじ伏せ両手剣を振り切った。
溢れ出した闇を剣の刃が両断していくが、闇の勢いは強く、エクスの剣は後一歩のところで留まりフォールへは届いていない。空に浮いた状態でエクスは剣を振り下ろした体勢のまま、闇の勢いに押され停滞している。
『はははははははははははははははははははははははははははははははは』
狂った笑い声を上げ続けている口からも闇は溢れ出し、その闇はまるで意志を持つ生き物のように蠢き、二つに分かれると、エクスを挟み込むように突き進んでいく。
『黒鎖壁』
ロッディゲルスが地面へ両手を着くと、エクスのすぐ両脇の地面から無数の鎖が飛び出す。全ての鎖が絡み合い二枚の横へ細長い壁を作った。その壁に闇の濁流がぶつかり塞き止められる。
事態は一進一退の攻防と言いたいところだが、明らかにフォールが有利に事を運んでいる。目から溢れ出した闇はエクスの剣とせめぎ合い空中から降りることも叶わず、口から湧き出た闇はロッディゲルスの防御壁で防がれてはいるものの、いつ決壊してもおかしくはない状況だった。
他のメンバーも黙って見ていたわけではない、遠距離攻撃が可能な者は自分が持ちうる最大威力の魔法や技を放ち、至近距離でしか戦えない者はフォールを取り囲むように隊列を組み、一斉に襲いかかっている。
だが、その全てがフォールの体から湧き出てきた闇の細長い触手のようなものに、軽くあしらわれている。
この絶体絶命の状況下において、一人の聖職者は攻撃に加わってはいなかった。彼は今、全力で駆けている。ロッディゲルスが放った黒い鎖による二枚の壁により闇から隔たれ、その隙間にできた道を、魔王フォールへ向かって全速力で駆け抜けている。
彼へ襲い掛かってくる横からの攻撃は全て二枚の黒鎖壁が防ぎ、上空からの攻撃はエクスに手一杯という現状。今、フォールの至近距離にいて自由に動けるのはライトだけであった。
『上半身強化』『下半身強化』
強化魔法に自分の出せる最大級の魔力を注ぎかけ直す。ライトは更に加速し、宙にいるエクスの真下を黒い力の塊が、風を切り裂き通り過ぎていく。
その姿を視界の隅に収めたエクスは口元を笑みの形へ変える。
「ったく、作戦と違うだろ。あいつら初めからこれを狙ってやがったな」
ライトは闇の放出が止まらないフォールの目の前にたどり着くと、メイスを上段に振りかぶり、上半身も大きく後方へ逸らす。
本来なら目の前で悠長に攻撃の構えを取っている相手がいれば、警戒をするものなのだが今のフォールは完全に正気を失っており、体から溢れる闇が受動的に相手の攻撃に反応して防いでいる状態だった。
それ故に、ライトが振り下ろし攻撃が触れる瞬間からしか、闇は防御に回らない。
「これでどうですかっ!」
渾身の一撃は守りに入った闇を容易く打ち抜き、フォールの体を捉える。メイスに付与された聖属性が反発しあう属性である闇に触れ、お互いが干渉しあい、更にライトの圧倒的な破壊力がそこに交わることで、驚くべき爆発力を生んだ。
目が眩むような光の奔流に辺りが呑み込まれ、中心部から吹き寄せてくる荒れ狂う風と轟音に皆がその場に伏せ、吹き飛ばされぬよう必死で耐えている。
光と音が消えると、彼らは身を起こす。そして恐る恐る、爆心地を見た。
中心部には二人の姿があった。
一人は巨大なメイスを振り下ろした格好のライト。
もう一人は、座っていた椅子が跡形もなく吹き飛び、全身から吹き出ていた闇も完全に消え去ったフォールがいる。
フォールが着ていたはずの白衣も衝撃で吹き飛んだらしく、上半身が剥き出しになっていた。その体には両肩、肘、手の甲に大きな円形の宝石が埋め込まれていて、その宝石も目と同様に黒い闇が渦巻いている。
外傷の見当たらないフォールではあったが、微動だにしない姿に一同は息を呑む。
「倒したの……か?」
爆心地に一番近かったエクスはかなり吹き飛ばされていたが、何とか身を起こすと、そう呟いた。
「ライトの攻撃が入ったように僕は見えたけど……」
風に煽られズレてしまった眼鏡を正しい位置へ戻すと、フォールの姿をじっくり観察している。
「姉さまはどうみます……か……」
隣に立つ姉の顔を覗き見たファイリは、姉の表情を見て言葉に詰まる。
薄く金色に輝く瞳でフォールを睨みつけているミミカの顔は蒼白で、こめかみを一粒の大きな汗が流れ落ちる。
「闇が……強くなっている。ライト君、そこから離れて早く!」
ミミカの叫び声に応えるように、ライトは体を動かした――つもりだったのだが、力なくその場に崩れ落ちる。
枯渇寸前までの魔力消費に加え、左脇腹から流れ落ちる大量の血がライトの力を奪っている。一連の攻防でライトは相手の闇を散らすことには成功したのだが、全力を以てしてもそこが限界だった。
闇を蹴散らす寸前に喰らった脇腹への一撃は、致命傷は避けているが、安心できるほど軽い傷ではない。
「ライトっ!『黒鎖』」
ロッディゲルスが伸ばした鎖がライトに巻き付き、ミミカの足元へ運び寄せる。大魔法で魔力を消費したミミカに変わり、ファイリがライトに手を当て『再生』治癒の上位魔法を発動させた。
見る見るうちに傷は塞がり、ライトの顔色も少し良くなったように見える。
横目でその様子を窺いながら、ロッディゲルスは安堵の息を吐いた。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
沈黙を守っていたフォールは体を大きく仰け反らすと、天に向かい大きく奇声をあげる。
『グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
ライトの一撃で飛び散った闇が黒い粒子となり、フォールの元に再び集まり始めている。上半身に埋め込まれた宝石に、大気中に漂っていた闇の魔素が吸い込まれ、取り込まれていく。
異様な雰囲気に呑まれ、ただ見つめていただけのロジックは、はっと我に返った。素早く詠唱を終え、杖の先端を対象であるフォールへ向ける。
「敵が強化するのを黙って見ているわけには! 『紅魔爆炎陣』」
「待って、ロジック!」
ミミカの静止は間に合わず、魔法が発動してしまう。
フォールの周囲から発生した爆炎が風をまとい、巨大な炎の竜巻となりフォールを呑み込む。天高く伸びる赤い柱と化した炎の渦内部は、鋼鉄も一瞬で溶解させるほどの熱量で満たされている。
人間がこの魔法に捉えられたら生き残る術はない。ロジックの行使できる禁呪の中で二番目の威力を誇る大魔法だった。
離れている彼らもその熱風に顔をしかめ、後退りするような火力が収まるとフォールが居た付近に大きな黒焦げの塊があった。
「死体か……だがやけにデカ過ぎないかあれは」
誰かが漏らしたその言葉に反応するかのように、着膨れした人の形をしたような焦げた塊が大きく揺れる。体を大きく左右に揺らしたかと思うと、両手を左右に大きく広げる。
体を覆っていた黒い何かがはじけ飛ぶと、中から火傷一つ無い灰色の身体をした、全長五メートルはある巨大な体躯の何かが現れた。




