力の訳
「やれやれ、やっと帰ってくれましたか。っと、再度かけ直さないと『聖域』」
ライトの目前にまできていた魔物たちが光の壁に阻まれ、橋の隅にまで押し戻されているようだ。
「すまないね、魔物君たち。格好つけたのはいいのですが、流石にこの数を相手取るのは面倒ですので」
橋の中央付近に歩み寄ると、そこで背負っていた小さな袋からクッションを取り出した。それを橋の上に置き、クッションに腰を下ろした。
「いやー久々に生身の人と長話をしてしまいました。二週間ぶりでしょうか。若さあふれる元気いっぱいの人たちでしたね」
脇に置いた袋から、弁当箱と水筒を取り出し手を合わせる。
「昼食もまだですし、ここでいただくことにしましょう」
のんきに昼食をとりだしたライトの周囲には、未だに魔物が無数集まっているのだが全く気にする素振りも見せず、弁当を平らげていた。
「ごちそうさまでした。さてと、どうしましょうかね。そろそろ効果も切れる頃でしょうから、『聖域』かけ直して。前には十体以上のヘッドハンドの群れですか。最近生者と触れ合うことが少ないせいか、独り言が多くなってますね。会うものは魔物ばかりですし」
ライトが嫌そうな視線を向けた先には、大型の犬から手足を失くし、人間の腕を八本蜘蛛のように生やした魔物がいた。それだけではなく、ゴブリンと呼ばれる魔物の体から同じように手足を失くし、人間の腕を生やした個体もいる。
「お久しぶり。暗黒のひきこもりこと、ライトアンロック君。ヘッドハンドってキモいよな。なんていうのか、魔物としてのセンスがない」
先程まで誰もいなかったはずの、結界内部に突如何者かが現れた。
黒の法衣を着たライトとは対照的に、真っ白な燕尾服を身にまとい微笑む者がいる。容姿端麗という言葉はこの者の為にあるのではないかと思わせるほど、不自然なほどに整った顔をしている。
ただ、肩下まで伸びた髪に、中性的な容姿をしているので性別のほどは確かではない。
ライトはそれを一瞥すると、驚いた様子もなく弁当箱を掴み差し出した。
当たり前のように弁当のオカズを一つ摘み、口に放り込んでお茶を飲む。
「んー、闇の魔素がたっぷりで美味しい。クレリアおばさんの手作りかな」
「ええ、そうですよ、ロッディゲルス。死者の街で採れた食材をふんだんに使っていますから。今日は千客万来ですね」
相槌を打ちつつ、自分の口にもオカズを運んでいく。
「しかし、前々から疑問だったのだけど、人間であるキミがなんで闇の魔素を取り込んでも平気なんだい? そもそもこの魔境は闇と不死属性の魔素が強すぎて常人なら、体調を崩すものなんだが」
「まあ、普通と違いますからね自分は」
そう言って、地面に置いていた巨大なメイスを軽々と持ち上げ、片手で軽く素振りをする。ひと振りごとに、ごうごうと風のなる音がする。
「感心するやら呆れるやら、相変わらずの馬鹿力。それ確か成人男性二人分ぐらいの重さだったか。魔族も驚愕するレベルだ」
肩をすぼめて、顔を軽く左右に振っている。
「生まれついての馬鹿力なので、このメイスも特注品ですし。重さは考慮しなくていいから出来るだけ頑丈にして欲しいという、無茶な願いをきいて造られた物らしいですよ。普通の武器だとすぐに壊れてしまうので、私としてはありがたかったのですが」
「それだけの力があるなら司祭の道を進まずに、神官戦士になったほうが良かったんじゃないか」
「キミもそう言いますか。その台詞、今までの人生で何度聞いてきたことか」
神官戦士とは、基本的な神聖魔法を行使することができる戦士のことである。
聖職者を育てる学校は大きな街なら必ずと言っていいほど存在するのだが、そこで神聖魔法の適性や個々の能力に応じた授業が組まれ、将来を決める職が選ばれる。
そこでライトは教師に何度「君は司祭を目指すより、神官戦士に進む方が向いている」と説得されたことか。
「確かにこの筋力は神官戦士向きなのですし、魔法の才能もあまりないですからね」
実際、生徒期間に助祭として覚えられる二十の魔法のうち覚えられたのは、五つしかなかった。それでも、功績を認められ司祭になったのはいいが、そこで新たに解禁された十ある魔法のうち、ライトが覚えられたのは、三つしかなかった。
そして学校で覚えられた魔法の全てが、他の生徒と比べて威力が格段に低かった。
「魔法の才能がない? そんなことはないだろ。この聖域だってこんなに強度があって持続力があるじゃないか」
「ああ、それですか。それは魔法を使い続けることによって得られた熟練度の賜物です」
この世界の魔法は使えば使い続けるほど、その威力が上がると教えられている。
ただ、無闇やたらに数をこなせばいいというわけではない。毎日意味もなく治癒魔法を何十回唱えてみても効果は殆どないが、大怪我を負ったものに毎日治癒魔法をかけ続ければ、その魔法の回復力は格段に上がる。
戦争に従軍し重傷患者を毎日担当した助祭が治癒魔法の威力だけが格段に上がったというのは、よく聞く話だ。
「自分の命に関わることでしたので、昔から使える『治癒』だけは自信有りますけどね」
「……昔から使えた?」
ロッディゲルスの小首を傾げる姿が少し可愛く見えた。
「話していませんでしたか。生まれつきの怪力であったために、自分の筋力に殺されかけていたのですよ。っと長話のしすぎでまた時間切れになりそうです『聖域』」
(あの頃は本当に酷かった。毎日が命懸けでした)
二十数年前、ライトアンロックは人口百名ほどの小さな村で産声を上げた。
父は農業を営む平凡な男。
母は雑貨店の手伝いをしながら、家事をこなす主婦だった。
特に変わったところもない平凡な家庭に生まれた赤子は――異様だった。
顔はまさに赤子といった感じだったのだが、首から下が筋骨隆々だったのだ。赤子らしい柔らかくハリのある体はどこにもなかった。腹筋は八つに割れ、体中の筋肉が皮膚を引き裂くのではないかと周囲の人々に心配させるほど、盛り上がっていた。
両親と共に出産に立ち会っていた、産婆と司祭は驚きのあまり息をするのも忘れていたぐらいだ。そして、その後の出来事により更に驚かされることになる。
「なんにせよ、無事に産まれてきてなによりだぁ。ほれ、旦那も抱いてやらんね――ぎゃああああああああっ!」
産婆の口から絶叫が響く。
産婆は綺麗な布で赤子を包み、父親に渡そうとしていただけのはず。なのに、産婆は赤子を布団に落とし、両膝を地面につき右手を抱えてうずくまっている。
「どうなさいました!」
司祭の声に、ゆっくりと顔を向けた産婆の表情は、痛みと恐怖をこらえているように見えた。
「その赤子がわしの指を……わしの指を握って折りおった!」
産婆が震えながら差し出した手は、小指と薬指が本来曲がってはいけない方向に折り曲げられていた。
司祭は生唾を飲むと、赤子へと視線を移した。
赤子はただ産声を上げ続けているだけだった。
「まあ、そんな感じで生まれつき怪力だったのですが、問題が山ほどありまして。赤子に力の制御なんて出来る訳もなく、毎日家のものを壊し、近づく相手に怪我を負わしていたようです」
「人の骨を折るような怪力なら当たり前なのか。大体どれぐらいの力があったんだい?」
ロッディゲルスもライトが取り出したもう一つのクッションに腰を下ろし、お菓子を食べている。長話を聞く態勢に入ったようだ。
ちなみに現在も死の峡谷にかかっている橋の上である。聖域も既にかけ直している。
「当時で成人男性の三倍という話でしたよ」
「それは凄まじいな。その怪力は時折与えられる『贈り物』神からの特別な能力というやつだったよな?」
「らしいですよ。どうせなら魔力増強とかが良かったのですが。この筋力一番厄介なのが、赤子の体が筋力に耐えられる体ではなかったことです」
異様なまでに発達した筋肉に囲まれ押し付けられた内臓や骨。制御できない力が繰り出される日々に、ライトの骨は軋み、内臓は圧迫され、毎日血を吐き骨にヒビが入るなんてことは日常茶飯事だった。
少しでも目を離したら、自分の筋肉に殺されてしまうライトを見るに見かねて、司祭は自分の下で育てることにした。
怪我をするたびに治癒魔法をかけ、それだけでは改善の見込みがないとあらゆる手を尽くしライトを救おうとしていた。薬師でもあった司祭は骨や内臓を強くする食材や、治癒力を高める薬草を飲ますことにより、少しずつ頑丈な体をつくる努力を惜しまなかった。
そのおかげで、今は内臓や骨も人より頑丈な作りになっている。
「見上げた司祭様だ。自分の子でもないのにそこまでするとは」
「本当に、感謝という言葉では足りないほどの愛情をいただきましたからね」
五歳まで何とか生き延びることができたライトは、司祭から治癒魔法を教えられた。
魔力は少なかったが、幸いなことに神聖魔法を扱える才能があったらしい。
自分がいない時やこれからの生活を考えて、治癒魔法だけでも覚えておかなければ命に関わると司祭は懸命になって魔法を教えた。
ライト自身も自分の命に関わることなので、それこそ死に物狂いで学んだ。
思ったより早く習得したライトは、その年から治癒魔法を毎日使うことになる。
「そんなわけで、自分は昔から治癒魔法が使えるのですよ。生きているだけで大怪我のオンパレード。毎日が重傷でしたから治癒魔法の上達も早かったですよ。まあ、それともう一つ自分の体には問題がありまして。それが、幸か不幸かは未だに判断がつきませんが」
「ライトアンロック君に他におかしな点……。別にないと思うんだが」
頭の先からつま先まで注視しているが、見てわかるような特徴はないようだ。
「外見の問題ではなく……痛覚がないのです。生まれ落ちた時からなかったので、余計に力の加減を覚えるのに苦労しました。ですが、それが良かったとも言えます。もし痛覚があったら、毎日の激痛で気が狂っていたかもしれませんからね」
物心つく前から、毎日当たり前のように骨が折れる痛み、内蔵が壊される苦しさを知らずに入れたのは幸せなのかもしれない。これもまた『贈り物』なのかもとライトは思う。
「中々面白い話も聞かせてもらったが、そろそろ現状を進展させた方がいいのではないかい。邪魔をしている我が言う事ではないが」
「あー、彼らのことですか」
結界にへばりつく無数の魔物に目を向ける。更に数が増えているようだ。
「じゃあ、前方のブラッドマウス三体は倒しますので、後方の敵はお願いしますね」
「ことも無さげに言ってくれるね。そもそも聖職者であるキミが、魔族である我に頼むというのはどうなんだい」
「まあ、良いではないですか。人と組まない私が誰かを頼るなんて滅多にないですよ。それに、あなたは魔族以前に友人なのですから」
微笑みながら放たれた言葉に、ロッディゲルスの頬が赤く染まった。
「ま、全く。しょうがない。今回だけは力を貸してやらんでもないぞ」
「ありがとう。相変わらず優しいですね」
「ま、魔族に優しいなんて言うな。こ、これは貸しだ!」
照れながら顔を背けているロッディゲルスを見て、ライトの微笑みが深くなった。
「じゃあ、やりますか。聖域解除するから気をつけて」
「我に油断という言葉はない」
その返しに軽く頷くと、結界を解除した。
そのままブラッドマウスに走り寄る。後方から爆発音や雄叫びのような声が響くが、いつものことなので気にしないことにした。
「さて、三体とも四十~五十本ぐらいの刃物付きですか。となるとBランク上位になりますね。少々厄介ですが何とかなるでしょう!」
鋭く息を吐くと一体にギリギリ届く範囲で、牽制も兼ねて軽くメイスを横に振る。
先頭にいたブラッドマウスは体に突き刺さっている大剣に手をかけた。おそらく、その大剣を体から引き抜いて受け止めようと考えていたのだろう。
だが、それは致命的な誤りであった。ライトの軽く放たれた一撃は、風を切り裂き唸りを上げ既に眼前まで迫っていたのだから。
「まず一体」
上半身を粉砕され、下半身がきりもみ状態で谷底に落ちていくのを視界の隅で捉えた。
残りの二体が慌てた様子で、体に突き刺さっている刃物を引き抜いている。
片方は右手に両刃のノコギリ。左手に斧を持っている。
「大工にでも殺されたのでしょうか」
もう一体は、刺のついた鞭と、赤錆のついたペンチのようなものを持っていた。
「こちらは拷問吏といったところですか」
ブラッドマウスは体に突き刺さった物の種類により、どういった前世であったか知ることができる。その者が殺した時に使った道具や、殺された相手が所持していた武器が体に刺さった状態で魔物となる。
このブラッドマウスの元になる魂は大量殺人者であり、その者に殺された無数の浮かばれない魂が融合し、この魔物の形を成す。
「先程より大きな個体ですか。どれほどの人々を手にかけてきたのやら。安心してください。死してなお、魂を束縛され永遠に続く苦しみを、私が解き放ってあげますよ」
『聖属性付与』
手にしたメイスが白い光に包まれる。文字通り、武器に聖属性を付与し闇属性や不死者に絶大な威力を発揮する、ライトが使える数少ない神聖魔法の一つである。
その光に危機感を覚えた二体は、左右から同時に踊りかかってきた。
頭部を打ち砕こうと振り下ろされたノコギリと斧を軽く後ろに飛ぶことにより、難なく躱す。
少し遅れて踏み込んできたもう一体が、腰あたりを狙った鞭を横に払う。
鞭はリーチがあるため、下がることにより避けることができない。メイスを持ち上げ鞭の一撃を防ぐが、鞭がメイスに絡みつく。
狙い通りとばかりに、ブラッドマウスの赤黒い口が歪む。
「これで武器は封じた! とか思ってませんか」
鞭の絡みついたメイスを意に介することもなく後ろへ引く。
鞭を持ったブラッドマウスがライトの方へと引き寄せられていく。両足を懸命に踏ん張り耐えているらしく、地面に引きずられている足跡が伸びている。
「大物が釣れそうですねっ」
もう片方の手で鞭を掴み、更にたぐり寄せる。
仲間の危機を悟った、もう一体が脇を走り抜けライトへと近づく。
「やれやれ、一対一の戦いを邪魔してはいけませんよ」
ライトはメイスごと鞭から両手を離した。踏ん張り耐えていた、一体が勢い余って後方へと倒れ転がっている。
武器を手放した絶好のチャンスに、両腕に全身の力を込め最高の一撃を放とうとしたブラッドマウスの眼前には――拳があった。
巨大なものがぶつかったような衝撃音が響き、後方へと吹き飛ばされ仰向けに転がっていたブラッドマウスの上に墜落する。
何が起こったのか理解できないブラッドマウスが顔を上げ最後に見たのは、振り下ろされる白く輝く巨大な鉄塊だった。