折る人
ライトが旅立ったこの日を境に、腐食の大地に妙な魔物がいるとの噂話が、冒険者の間で急速に広まっていった。
ある者は言う。
「お、おらは見ただ。全身真っ黒で魔物を蹂躙していく化物の姿を!」
また別の者は、こう語る。
「幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた俺だから見抜けるが……断言できる、あれは魔族だ。そうでなければ、武器も持たずに全ての敵を一撃で粉砕するなど不可能に決まっている。人間を襲わずに魔物を襲っていたのは、おそらく腕試しを兼ねた暇つぶしなのだろう」
様々な憶測が飛び交い、数ヵ月後には腐食の大地にはレアな魔物がいるという話で落ち着いた。
まとめられた話によると、
そのモノは全身黒づくめの人型の魔族である。
一陣の黒い風と共に現れ、風とともに去る。
こちら側から敵対行動を示さない限り襲ってこない。
倒す方法としては、相手の走りの邪魔をすればいい。ヤツは走りを止めると死ぬらしい。
とのことだ。その魔物の呼び名は――疾風の黒影――で決定したそうだ。
そんな魔物と勘違いされていることなど本人はつゆ知らず、ライトは腐食の大地を最後まで足を止めずに走り抜けた。
腐食の大地を抜け、人がいない場所まで来ると、ようやくライトは立ち止まった。
そこは五年過ごしてきた場所とは別世界で、緑濃く木々が生い茂り、微かに小鳥のさえずりが聞こえてくる。足元には草花が咲き乱れ、自然の香りが鼻腔をくすぐる。
ライトは見上げた天空から降り注ぐ、本物の太陽の日差しに目を細める。
「ああ、春だったのですね」
ある程度の日数は理解していたのだが、完全に季節感が失われていた。
「やはり、空気は地上の方が美味しいですね。このまま大地へ体を投げ出して、昼寝でもしたい気分ですが、まずは宿場町へと行ってみますか」
ライトは久しぶりの自然を満喫しながら、のんびりと宿場町へと向かうことにした。
「誰か助けてぇぇっ!」
林を分断するように作られた街道を歩くライトの耳に、女性の甲高い叫び声が届く。
「……はぁー。何でしょう。私の人生には安寧というものが存在しないのでしょうか」
愚痴をこぼしてはいるが、体は既に走り出していた。
「ここから、北西の方角ですかね。こういう場面での迷いは無用な死者を増やすだけですから『上半身強化』『下半身強化』」
魔力の放出量を抑えた魔法を発動する。それでも通常の強化魔法より格段に効果は上なのだが。
視界を遮っていた林を抜けると、敵と攻防中の一団がいた。意外と近かったようで、ライトがいる位置は両者の姿をはっきりと目指しうる距離だった。
林を抜けた先は大きな岩が点在している草原で、馬車を大きな岩場の側面に止め、取り囲まれないように対応している。
「馬車が一台に護衛の傭兵が五人。腕が立つようですね。完全に敵を圧倒しています。それに敵はゴブリンですし……ゴブリン!?」
ゴブリンとは耳が大きく頭髪がなく醜い顔をしている。身長は子供程度しかなく、邪悪で凶悪な種族である。
知性があるので、粗末でありながらも武器防具を身に付け、集団で行動をする。一体の強さは大したことないので、初級冒険者たちが序盤に討伐することが多い魔物の一つである。
ライトは驚いた声を発しているが、決して珍しい種族ではない。冒険者をやっていれば嫌でも何度はお目にかかる機会があるはずの魔物だ。
「ゴ、ゴブリンの体から、まともに手足が生えていますよ……」
死の峡谷でヘッドハンドと成り果てたゴブリンの姿ばかりを見てきたライトにしてみれば、新鮮に映る普通のゴブリン達であった。
感動のあまり目頭を押さえて天を仰いだ。世界広しといえども、ゴブリンを見てここまで感動できるのはライトぐらいだろう。
ライトがそんなことをしている間に、戦場は変化を見せていた。
小さな怪我はしているようだが、危なげなくゴブリンを返り討ちにしていた冒険者たちの一人が乱入してきた何ものかに吹き飛ばされ、街道脇の木に叩きつけられる。
勝利を確信していた冒険者に冷水を浴びせかけたモノは――大きな豚鼻が目立つ醜悪な容姿に巨大な体躯。軽い傷なら瞬時に治す異様な回復力と怪力を兼ね備えた、トロールという名の魔物だった。
「あれは三メートル近くありますね。Bランク上位といったところでしょうか」
我に返った護衛たちは瞬時に態勢を整え陣形を組み、逃げることなくトロールを迎え撃つようだ。
「我々ならやれるはずだ! 全員訓練を思い出せ!」
意気込みは立派なのだが、一同の顔には隠しきれない不安と緊張感が見え隠れしている。
このトロールという魔物は相手を選ぶ魔物である。イリアンヌのようなスピード生かした攻撃を得意とする相手にはめっぽう強い。浅い傷などものともせず、攻撃を繰り出してくるため、圧倒的な破壊力を持たない相手には異様な強さを誇る。
「一体なら、彼らでも何とかなりそうなのですが」
トロールの背後には無数の大岩があり、その中で一際大きな大岩の背後にいる敵の存在をライトは感じ取っていた。
「更に、トロールが三体。これは片付けておきましょう」
かなりの強敵だというのに、ライトが事も無げに呟いたのには理由がある。
破壊力が足りない者にとっての強敵であるトロール。では、そのトロールに圧倒的な破壊力を有する聖職者をぶつけてみたらどうなるのか。
答えは――
「ま、ざっとこんなものですか」
見るも無残に粉砕され、ただの肉塊と化した元トロールの死体が雄弁に語っていた。
ライトの攻撃は一撃必殺を信条としている。怪力を最大限に生かし、相手にこちらの実力を悟られないうちに一気に倒す。それが有効なのは経験上、確かである。それ以外にも、個対複数での戦いが多いライトにとって、手数を増やして戦う余裕など微塵もなかったという理由もある。
与えられた力を更に研磨し得られた力は、トロールですら一撃で葬ることが可能となっている。己の防御に自信があるトロールは無謀にも、ライトの攻撃を正面から受け止めてしまった。
トロールは自分の身に何が起こったのかも理解できずに、ライトという名の死を受け入れ屍を大地に晒すしかなかった。
「気づかれないうちに立ち去りますか」
大岩の裏でライトが最後の一匹へメイスを振り下ろしたのと、ほぼ同時に、あちらの戦いも終わったようだ。
相手は自分たちの戦いで手一杯だった為、誰もライトの戦いに気がついていない。
面倒事はごめんとばかりに、ライトは声をかけることもなく、静かにその場を去る。
ちなみに、この馬車の一行はお忍びで各地を巡回していた、この国の姫と冒険者のフリをしていた騎士たちである。
姫の名はフェリオンという。あまりの美しさに、各国から縁談話が絶えないと噂されるほどの容姿である。性格も穏やかでありながら気品に溢れ、身分を気にせず分け隔てなく接する姿に住民からの支持もある。
ついでに言うなら、その場にはもう一人目を引く女性がいた。気高く男のような言葉遣いだが乙女趣味もあるギャップが評判の女騎士。
彼女は姫とは対照的な美しさで、中性的な顔つきに強い意志が垣間見える瞳。男女共に人気がある女性だ。
このとき、もしライトがもう少し対処を遅らせて、トロールに囲まれた一行を助けていれば、彼女二人と親密な関係になるという、お決まりのパターンが待っていたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
いや、意図的にライトがそうしなかった。
ライトには苦手なものがある。権力や地位を振りかざす者と、それに群がる連中だ。
だから権力を持つものとの接触は極力避けようとする。経験上、そういう者と関わるとロクなことにならないと知っているからだ。
「どうも、あの御一行からは危険なオーラを感じますね。厄介事の気配がビンビンにします」
ライトは独り身生活で鍛え上げた、厄介事探知レーダーの出力を最大にして、幾つかある選択肢の中で、深く関わらないで済む道を選んでいく。
それから宿場町へと着くまでに半日かかったのだが、その間にライトは三度戦闘を行った。その全てが人助けである。
初めの遭遇は、冒険者ギルドから依頼を受け、目的地に向かっている最中の女性のみで構成された珍しい四人組の冒険者たちだった。ワーボアに囲まれているのを見るに見かねて、小さな民家ぐらいの大きさがある岩を投げつけて加勢した。
女冒険者たちは、崖も山もない平原で突如降ってきた大岩に度肝を抜かれ、暫く放心状態だった。ワーボアの集団は運悪く岩に潰された仲間を見て、恐慌状態に陥りその場から走り去った。
次は、近くの村娘が重病の弟を救うため、無理は承知で危険な道のりを進み、希少な薬草を手に入れようとしてワイルドウルフの群れと遭遇していたのを見つけ、近くにあった木を引っこ抜き群れへと投げつけた。
群れのリーダーである巨大なワイルドウルフの頭が吹き飛び、ライトからボスへの直線上にいたワイルドウルフは、全て吹き飛ばされ群れは壊滅状態となる。
そこでダメ押しとばかりに、ライトが『上半身下半身強化』で膨大な魔力を解放すると、ワイルドウルフは一目散に逃げていった。
あまりに突然な状況に理解が追いつかず、放心状態の村娘の隣にライトは貴重な魔法薬を置いて身を隠す。暫くして、村娘が我に返り魔法薬の存在に気づき、慌てて周囲を見回し天に祈りを捧げ、大きく頭を下げるのを確認すると静かに微笑んだ。
最後は大きな馬車が盗賊に襲われている場面に遭遇し、護衛の冒険者や持ち主であろう人物が既に事切れているのを見て、ライトは躊躇いもなく盗賊を全て殺した。
「聖職者が人を殺すのか!」
というお決まりの罵倒も飛んできたが、意にも介さずメイスを振り下ろす。
死体が転がる現場で、ライトは積荷を確認するとそこには首輪を繋がれた一匹の白いドラゴンがいた。まだ幼いドラゴンのようで意識を失いぐったりとその場で丸まっている。
この国では魔物の売買は禁止されている。その中でもドラゴンは強大な力を持ちながらも、知性もある魔物として、人間に害を与えることがない限り手を出すことが禁止されている魔物である。
それもホワイトドラゴンは、神聖魔法をも操ることができ性格も大人しいので、人々から神聖化されている。魔力の強いホワイトドラゴンは人間の姿になることも可能だという噂もあるようだ。
ライトは目を覚まさないホワイトドラゴンの首輪に手をかけ、強化魔法をかけた上で首輪を引きちぎった。
目が覚める気配がないホワイトドラゴンの子供に『治癒』をかける。捕獲の際についたであろう無数の傷は消えたが、まだ目覚めない。ならばと収納袋の中から魔力回復薬を取り出し、ホワイトドラゴンの体へ直接かけた。
体が青白い光を放ち、ホワイトドラゴンの体が身震いしたのを確認すると、荷台から飛び降りる。近くの木陰に身を隠し気配を遮断した。
しばらく待つと、荷台の中からホワイトドラゴンが出てきた。辺りを見回し警戒しているようだが、誰もいないのを確認すると白く美しい翼を大きく広げる。
「クルオォォォォォッ」
天に向け大きく吠えると、翼を羽ばたかせ大空へと飛び立っていった。
飛び去る後ろ姿が見えなくなるまで見守ると、ライトは再び宿場町へと向けて歩き始める。
ライトアンロックは基本お人好しである。
人助けは教義として信者に知られているが、ライトは自分が所属しているイナドナミカイ教を重要視していない。
神の存在は知っているが、だからといって熱心な信者ではない。
神を信じる心が奇跡を起こし、神聖魔法となりて我々に力を与えてくれる。というのが、イナドナミカイ教の神聖魔法に関する定義である。
ライトはそれに異を唱えている。神聖魔法は水や火属性と同じく、ただの聖属性魔法だと。信心や心の清さなんてものは神聖魔法と何の関連もないと、大神殿で言い放ったときは、危うく破門されるところだった。
だが、ライトはろくに信じていないイナドナミカイ教の聖職者という立場を、人助けの際に理由にしている。お節介や偽善的な行為も神の名を語れば、それだけで相手が納得するので対応が楽なのだ。
本心は教義など関係なく、手の届く範囲の助けたいと思える相手は助ける。シンプルでありながら、確固とした信念がある。ライトは大切な人が窮地に陥っている場面で、力が及ばず見殺しにした過去があり、二度と同じ過ちを犯さぬよう、戦いの場に身を置き己を鍛え続けている。
その信念に従い、困った相手を見れば無条件で助けに入るのだが、人付き合いが苦手という欠点も抱えているので、基本バレないように人助けをする。
特に同年代の異性には良い思い出がないため、女性が絡むと極力接触を避けてしまう。
今回もその生き方が災いして、数多くの出会いを見逃しているのだが、独りでいるのが嫌いではないライトにとって、それは幸せなことなのかもしれない。