争奪戦13 第四試合 婦人と石
「しっかし、まさか武の神が参加しているとは。神が地上に簡単に下りて来たらダメでしょ。全く、神としての自覚が足りないわね」
腕を組み司会席の椅子にもたれ、鼻を鳴らしながら偉そうな口調の死を司る神。
自分の事は棚に上げた発言なのだが、本気で言っているのか理解して惚けているのか、判断が難しいところである。
「武の神の参戦は何か裏がありそうだけど、それは後で問いただすとして、そろそろ次の試合を始めないとね」
一番の問題だと思っていたレフトの正体が、予期していた者ではなく意表はつかれたが、それも既に解決された。頭を悩ませていた事態が取り払われた事により、死を司る神は安堵の息を吐き脱力している。
資料にざっと目を通し、四戦目の選手たちの情報を確認する。
「イリアンヌの母、マリアンヌとギルドマスターは何度も顔合わせしているからいいのだけれど、ファイニーって魔族なのね。ええと、ロジックくんの育った孤児院で働いていると。ライトも何度か顔を合わせているから、素性は問題なしかな?」
一応、敵対する勢力に所属している危険人物が潜んでいないか調べさせているのだが、ファイニーに怪しいところは無いと判断したようだ。
「で、最後の問題児……魔法生命体がこの子ね。ゴウレイム。製作者は不明。古代人が創ったと思われるゴーレム。人工知能搭載、完全自立型。今大会の参加目的は、自分が眠っていた古代遺跡に悪魔が潜り込んできて、それを排除できる人材としてライトを求めている」
音読した内容が記載されている資料を、死を司る神は指でこんこんと一定のリズムで叩いている。
「確かに、古代人が滅びる前の時代は、普通に自意識がある人工生命体が存在していたから、この子も最近まで眠っていたっていうのも、納得はできるのだけど。って、あ! そろそろ、時間やばいわね!」
悩んでいる時間も惜しいと、資料を全て机の端に寄せ拡声器の音声をオンにした。
観客席は今までで一番盛り上がっているように見える。
皆が第三試合について、熱い口調で語りあっていた。心理戦もなく、見ている観客にわかりやすい試合内容だったのが好評だったようだ。
「あー、あー、ごほん。皆様、ご歓談ところ申し訳ありません。では、本日の最終戦。第四試合を開始致します! 皆さん、赤の扉にご注目願います!」
話し込んでいた観客たちは一斉に姿勢を正して、口をつぐむと、司会の声に従い赤の扉へと視線を向ける。
赤い扉がゆっくりと内側に向かって開いていく。
「イリアンヌの母であり、凄腕の暗殺者でもある最恐の母親、マリアンヌ!」
目を伏せたまま入場してきた一人の女性。暗殺者らしく漆黒で体に密着した服を着こんでいる。
女性にしては高身長でありながら、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルに、観客の一部が熱心な視線を飛ばしている。
イリアンヌの母ということは最低でも四十代付近の筈なのだが、スタイルもさることながら顔も二十代後半と言われても納得してしまう程、若々しい。
切れ長の目が開き、その顔には何の表情も浮かんでいない――のだが、心中は穏やかではない。
昨日、パートナーが発表され、何とか相手とコンタクトを取ってみたのだが、話が殆ど通じず、この日を迎えてしまった。
「あの子が負けた今。私が勝つしかなくなったのよね。責任重大だわ」
無表情なまま頬に手を当て、肺の空気を全て絞り出すように息を吐いた。
地響きと共に腹の底へ沁みてくるような重低音が、一定の感覚で会場に響いてくる。
ズシン、ズシンと大地を踏みしめる音が響くと同時に、マリアンヌの体がその振動で宙に浮いている。
「そのパートナーは! 今大会最重量、鉱石の肌を持つ異形の戦士! 古代の魔法生命体、ゴウレイム!」
赤の扉はかなり大きな造りをしているのだが、それでも全長四メートルのゴーレムが通り抜けるには少し小さいらしく、腰を落した状態でゴウレイムは扉を潜った。
改めて見るゴウレイムの巨大さに、会場から感嘆の声が漏れる。
巨大であるというだけで人々は圧迫感が体を貫き、恐怖に似た好奇心を刺激されるようで皆がその姿に見入っている。
『ゴウレイム、ガンバル』
口らしきものは見当たらないのだが、ゴウレイムから男性とも女性とも取れる無機質な声が会場に広がる。
「私、やっていけるかしら……」
言葉は通じているが話がかみ合わず、意思の疎通を半ば諦めたマリアンヌが顔をしかめる。
「続きまして、青の扉をご覧ください! 冒険者ならば誰もが知り、お世話になった有名人! 冒険者ギルドの元トップであり、伝説の格闘家! 本名は伏せられているので、今大会はこの名で通させていただきます。天下無双の女傑、ギルドマスター!」
青く染めた肉体労働者が好むズボンに、深緑一色の無地のシャツ。剥き出しの腕は筋肉が浮かび上がり、素人目にも鍛え上げられているのがわかる。
口元、目じりに小じわが見えるが、それも魅力的と思える整った顔に浮かぶのは、自信が溢れ出している笑み。
「武闘会はやっぱいいな。この活気と、空気感。興奮しすぎて血が沸騰しそうだっ」
口角が吊り上がり、唇から鋭く尖った犬歯が覗いている。左手のひらに拳を打ち付け、戦いの始まりが待ち遠しいようだ。
「さて、次の方が本選最後の出場者になります。見た目はどう見ても十代。しかし、その実年齢は秘密! 孤児院の肝っ玉母さん、ファイニー!」
最後に青の扉から現れたのは、この会場には場違いな一人の少女だった。
予選と同じく割烹着を身に着け、今ちょっと買い物してきたついでに寄りましたと言われても違和感のない小柄な少女が、片手に買い物用の籠をぶら下げて進み出てくる。何が楽しいのか会場を見回して、ニコニコと擬音が聞こえてきそうな満面の笑みを浮かべている。
「余裕だな、ファイニー」
「それは貴方もでしょ、アイ――っとごめんなさい。本名は伏せていたのね」
口が滑りそうになり、慌てて手で口を塞いだファイニーが笑みは絶やさず、ギルドマスターを見上げている。
「その名は、嫌いだと言ったろ」
「ふふふ、可愛らしく良い名前なのに」
二人は顔見知りらしく、打ち解けた雰囲気で会話を交わしている。
お互いの実力を把握しているので、この戦いへの懸念も全く感じられない二人だった。
「では、本日最後の試合を開催いたします! 両者、存分に技を競い合い、その手に勝利を! 試合開始!」
その声を皮切に両者が一斉に動く。
素早さを生かし飛び出したマリアンヌの眼前に――ギルドマスターの獲物を定めた野獣の笑みがあった。
「なっ」
一瞬にして間合いを詰められたマリアンヌが直角に曲がり、何とかギルドマスターを振り切ろうとするが、進路方向には回り込んだギルドマスターが腕を組んだ状態で突っ立っている。
「良い速さだ。流石、紅蓮流のトップといったところだな」
「はぁ……やはり、この戦いは私には荷が重いようですね」
マリアンヌはAランク上位の実力はあるのだが、本選出場者の大半が軽くSランクを超えている猛者ばかりである。ギルドマスターに至っては、時には荒くれ者もいるSランクの冒険者たちをその実力で大人しくさせてきた。
そんな相手に叶うわけが端から無かったのである。
「ですが、母として――いえ、一人の暗殺者として引くわけにはいきません」
「いいねぇ。常に死を覚悟している暗殺者だけのことはある。実力差を理解した上で、精神を乱すことなく立ち向かうか」
両手に短剣を構えるマリアンヌへギルドマスターは頭から突っ込んでいく。
フェイントを織り交ぜることもなく、一直線に向かってくるギルドマスター目掛けマリアンヌは手にした短剣を投げつけた。
「ふっ」
鋭く呼気を飛ばすと、その短剣の柄を二本とも掴み取り、速度を落とすことなく手にした短剣を投げ捨てる。
「このぬめり、毒か」
浅黒く光る短剣の刃を一瞥し、ギルドマスターはそう断言した。
「刃を掴んでくれたら、面白かったのですがっ」
目前まで迫ったギルドマスターの顎を蹴り上げるように右足を伸ばす。その爪先からは靴底に仕込んでいた両刃の黒い刃が飛び出ている。
「暗器かい」
その刃にもご丁寧に毒が塗られていることを瞬時に判断し、刃を避けるのではなく顎先に触れる寸前に、足の裏へ拳を叩きつける。
蹴り上げた足の裏を狙われるとは思いもしなかったマリアンヌはその一撃で、靴底に鉄板を仕込んでいたというのに足裏の骨を粉砕され、大きく仰け反る。
片足で踏ん張りの利かない体勢で受けた破壊力抜群の拳。ゆっくりと後方へ倒れていくマリアンヌは最後に「お疲れさん」という言葉を耳にし、腹部で大量の火薬が爆発したかのような衝撃が全身へと広がり、意識が闇へと落ちた。
呆気なく勝負が付いた二人の戦いだったが、もう片方のゴウレイム対ファイニーがどうなっているかというと――まだ始まってもいなかった。
戦場は異空間だというのに、ゴウレイムが重い足取りで一歩踏み出すごとに、振動が観客席まで届いている。
一歩一歩着実な足取りで、ファイニーへと向かっているようなのだが、歩幅が大きいとはいえ動作が鈍く、未だに戦場の中心部にすら達していない。
「ファイニー何やっているんだ」
「あら、もう終わったのね。いえ、私のようにひ弱な小娘では、ゴウレイムさんに傷を負わすことは不可能なので、貴方を待っていたのよ」
「小娘……ひ弱……か」
何か引っ掛かる言葉があったようで、何かを言いたそうに半眼でファイニーを見下ろしている。意味ありげな視線を向けられても、ファイニーは平然と笑顔を崩さずに見つめ返している。
「何か言いたそうね。我慢は体に毒よ」
「まあ、それはいい。さて、無駄話はここまでにするか。あいつ結構やばい相手だろ」
「そうね。古代人の技術としては疑似生命体もゴーレムも珍しい物じゃないけど、普通は動力源の魔力を感じ取れる筈なのに……一切感じないのよね。これだけ大きければ動力源の魔力は膨大な容量を必要とするから、嫌でも魔力が漏れ出るものよね」
「そうだな。ゴーレムは魔石に魔力を注ぎ込み、その魔力を消耗して戦う魔法生命体だ。簡単な命令に従うことしかできない――のだが、稀に自意識を持つ個体も存在する。まあ、そういった個体は古代人が作り出したものが多く、強力な存在と言うのが定番だな」
ファイニーは魔族となる前は古代人であったため、そういった知識に詳しい。ギルドマスターは職務上、魔物への対策を練ることが多く、自然に情報を刷り込まれている。
二人は戦闘中だというのに緊張感は微塵もなく、呑気に談笑しているように見えるが、その瞳は鋭く輝き、視線はゴウレイムから逸れることは無い。
ゴウレイムは黙って二人の会話を聞いていたわけではない。今も進行形で歩み続けているのだが、動きが鈍すぎて未だに二人の元へたどり着けないでいる。
このまま二人が動かなければ、ゴウレイムが攻撃範囲内に二人を捉えるには、まだ数秒の時間を必要とするのだが先に二人が動いた。
「じゃあ、先手は任せてもらおう」
腕を組んだまま前屈体勢で、ゴウレイムの元へとギルドマスターが駆け込んでいく。
「もう、相変わらずせっかちね。じゃあ、一応お手伝いしておこうかしら」
ファイニーの足元から黒いシミが広がっていき、シミは瞬く間に大地へ広がっていき戦場の地面大半を黒く染め上げる。
黒一面と化した大地の所々から、黒い気泡が浮かび上がり弾け飛ぶ。
『ナンダコレ』
ゴウレイムの足元にも黒いシミは忍び寄る。ゴウレイムは一瞥し呟いたが、気にすることなく踏み込んだ。
大地を強く踏みしめるように振り下ろした足が黒い大地へ触れると、そのままずぶりと地面へと沈んでいく。
『ナニ』
足を引き抜こうと逆の足を踏ん張るが、そちらの足元にも黒いシミは浸透しており、軸足も徐々に地面へ沈んでいく。
「そこまでしなくてもいいんだがなっ」
黒い大地の上を走っているというのに、ギルドマスターの足が沈み込むことは無く、発動しているファイニーが影響を与えないように操作をしているようだ。
底なし沼と化した大地から逃れようとゴウレイムがもがけばもがくほど、その足は大地へと沈んでいき今は腰から下が完全に埋没している。
「おらっ! 砕け散れっ!」
動けない相手の正面から突っ込むような愚かな真似はせず、後方へ回り込んだギルドマスターは頭頂部目掛け跳び上がると、空中で前転をした勢いのまま踵を叩き込む。
威力速度共に最高の一撃がゴウレイムを襲う。今まで見せていた愚鈍な動きでは、到底防御が間に合わない踵落としが、頭部へ吸い込まれていく。
その動きを見取ることができた者たちは、その攻撃が決まったと確信していた。だが、ゴウレイムはその左腕を素早く掲げると、受け止めるのではなく、腕の表面を滑らす様に角度を調整して踵を受け流す。
「なっ、この動きは!」
予想外の動きに驚嘆の声が漏れたギルドマスターの体勢は、攻撃の勢いで大きく崩れ無防備な姿を空中で晒してしまう。
背を向けた状態だったゴウレイムの上半身が百八十度回転し、人間ではあり得ない動きを見せ、振り返った勢いのまま、巨大な拳で殴りつけてきた。
足場のない宙では避けることも叶わず、身を縮め少しでも防御を固めるしか手段はない――と思われたのだが、ギルドマスターは何もない空間を蹴りつけると、そこに見えない壁でもあるかのように後方へと跳び退り、拳から逃れることに成功する。
「あっぶねえ。咄嗟に気を放たなければ死んでたぞ」
「もう少し、慎重にお願いします。貴方は死因を忘れたのですか」
「おぅ……」
ギルドマスターの着地地点に忍び寄っていたファイニーは釘をさす。
相手の実力を見極めることなく戦いを挑み、隠していた能力で殺された身としては、痛いところを突かれ、ぐうの音も出ないギルドマスターだった。
「さて、これ以上は沈められないのですが、どうしましょうか」
相手が普通の人間なら、完全に闇の底へと消えている深さなのだが、四メートルはあるゴウレイムを完全に沈めるには深さが足りていない。
「機動性を奪ったが、そう簡単にやられる相手ではないか。だがまあ、手はあるな。遠距離から削るってのが妥当か」
「そうですね。動けない的ですからね。貴方としては面白みがないかもしれませんが、これもまた戦いですよ」
「わかっているさ。相手には見たところ飛び道具もないようだからな。あんまり得意じゃないんだが、やるか」
ファイニーは地面の黒いシミを維持したまま、地面から浮かび上がった無数の黒い球を操り、全方向から弾丸の雨を降らし続ける。
ギルドマスターは腰を落し、両手を胸の前で打ち付けるとゆっくりと手を放していく。手と手の間に金色に輝く光の粒子が収束し、徐々に大きく、激しく輝き始める。
「久々のー……技名忘れたっ!」
両腕を左右に広げるが、光の弾は胸の前で停滞し続けている。後方宙返りで下がったギルドマスターは、着地と同時に全身のバネを生かし光の弾へ跳び込むと、目にも留まらぬ蹴りの嵐を光の弾へ放つ。
球体であった光の弾の後方が蹴りの形に凹み、歪な形へと変形した光の弾が凄まじい勢いで発射される。
下半身が固定されているゴウレイムに避ける術はなく、正面からその一撃を受け止めるしかなかった。
光の弾が直撃し、着弾地点から爆風が吹き荒れ、強烈な光が会場を満たす。
「よっし、やっただろう」
「そういうのは口にしない方がいいのだけど」
会心の一撃に自信ありげに微笑むギルドマスターへ、ツッコミを入れるファイニー。
目も眩む閃光が納まった後には、体中にひびの入った満身創痍に見えるゴウレイムがいた。