ありふれた一日
おそらく春。陰の日。天気はいつもと変わらず、紫色の雲が覆う空。
毎日、同じ時間に起床。ライトは生まれつき体内時計が正確なので、思った通りの時間に起きることができる。寝起きも悪くないので、起きてから直ぐに動くことに何の問題もない。
ライトは瞼を開ける前に風を切る音が聞こえたので、額の前に人差し指と中指を移動させ閉じた。
「ちっ、おはようございます」
長い黒髪で涼しげな目元の美しい女性が、ライトに覆いかぶさり挨拶をしている。
「イリアンヌ、おはようございます」
指の間に挟まった冷たい鉄の感触が、良い眠気冷ましになったようだ。
ベッドから降りたイリアンヌは、宿屋の従業員としての営業スマイルを浮かべているが、かなり無理をしているようで口元が引きつっている。
「はい、ナイフお返しておきますね」
柄の方をイリアンヌに向け、差し出した。
「ったく、毎回毎回傷つくわぁ……」
傷をつけられそうになったのはライトなのだが、それを口にはしなかった。
宿屋の一階に降り、朝食をとる。
女将クレリアの料理は、見た目は素朴でありながら絶品で、ライトは毎日食べているというのにあきることがない。
お代わり一回と、イリアンヌが注いだ毒入りコーンスープを食べ終え、キャサリンことカーマインの店へ向かう。
永遠の迷宮で採れた鉱石が想像以上に上質だったようで、キャサリンの武器防具職人魂に火がついてしまい、あれから二週間ずっと鍛冶場にこもりきり誰とも顔を合わせていない。
昨日、宿屋にメイスのメンテナンスもしたいので来てくれと、ライトに言伝があった。
宿屋から東に徒歩二十分ぐらい進むと、見慣れた一軒の武器防具屋がライトの視界に入ってきた。
その外観は店の大きさは民家を一回り大きくした程度なのだが、配色がかなり独創的で異彩を放っている。壁のベースはピンクで、所々に金や銀で縁どりされた建具。
扉の脇には『キャサリンのお み せ』と書かれた看板が立てかけてある。
初見の冒険者は武器防具の店だとは気づかずに、怪しげな店と勘違いして遠巻きに眺めているだけで終わることが多い。
店内には幾つかの武器防具が並べられているが、カウンターには誰もいない。キャサリンは席を外しているらしく、ひと声かけて反応がなければ、しばらく待たせてもらおうと、ライトは考えた。
「キャサリンさーん、いますか?」
「はいはーい。ちょっとまってねー」
カウンター奥の扉から姿を現したキャサリンは、その大きな体には似合わない、ピンク色のフリルが付いたエプロンをかけている。
「ライトちゃん来てくれたのね。嬉しいわぁ。そうそう、メンテの前にこれ受け取ってくれる。あのメタルゴーレムから採れた鉱石で作ったのよ」
大きな鉄の板に載せて運ばれてきたのは、一対の手甲と脚甲だった。
「あの戦いで手甲潰れちゃったでしょ。結構自信のある作品だったのに、あっさりと凹まされて逆に闘志に火が付いちゃった。今度のは強度が桁外れなんだから。ゴーレム産の鉱石が良かったのもあるけど、それを更に圧縮し鍛え上げた一品よ!」
ライトには前回渡された手甲よりも、黒が濃くなっているように思えた。正確には前回のも黒一色だったが、今回は深い闇のような漆黒。
「うふふ。いいでしょ、その色艶。男の大事なアイテムといえば、黒光りしてないとね!」
親指を突き出し、満面の笑顔を向けられた。ライトは、あまり触れないのが賢い選択だと素早く判断する。
「試しに装着させてもらいますね」
手に取るとズッシリとした重みが伝わってくる。だが、ライトの筋力であれば全く問題がない重さのようだ。
「あ、その脚甲もつけてね。っと遠慮とかは無しよ。武器防具は相応しい人に装備してもらって、初めて意味をなすのだから」
ライトが何かを言おうとしたのを察したようで、キャサリンが先手を打つ。
口から出かけていた言葉を呑み込むと、素直にお礼を口にした。
「ありがとうございます」
手甲、脚甲共に何の違和感もなく体に馴染む。流石、凄腕の鍛冶屋として死後も名を馳せたキャサリンである。
噂によると、キャサリンを招き入れようと画策した某国が、戦争を引き起こしたこともあるそうだ。鍛冶だけに没頭したくても周囲がそれを許さず、波乱な人生を送ることになった。
以前、酒の席でキャサリンが、そのような愚痴をライトにこぼしていた。
「やっぱり、ライトちゃんは黒が似合うわね」
カウンターに両肘をついて微笑むキャサリンは、とても幸せそうだった。
このまま、キャサリンさんが望む日々が続けば良いのですが。ライトは心からそう願っている。
メイスのメンテナンスを終え、他の防具も見ないかと勧められたが、ライトは法衣があるからと丁寧に断り、店を後にした。
メタルゴーレムとの戦いでボロボロになった黒の法衣だが、収納袋の中には予備が何着も収められているので問題はない。
街での用事を全て終え、通い慣れた死の峡谷へと向かう。
今日は陰の日なので活性化している魔物たちが相手となるため、ライトは大きく息を吐き、気を引き締めた。
門を抜け、しばらく進むとお馴染みの魔物たちが迎えに来ていた。
ゴブリンと狼の頭をつけた、ヘッドハンドが合わせて二体。
両手に細い剣を構える、ハードスケルトンが一体。
体に二十近くの武器が突き刺さった、ブラッドマウスが一体。
人肉を好み下級悪魔の一種である、グールが一体。
「ランクだとCCCBCでしょうか。もっとも、陰の日なのでプラスがつきそうですが」
ライトは収納袋から巨大メイスは出さずに、手甲脚甲の具合を確かめる目的もあり、この状態で挑むことにした。
決して甘く見ているわけではなく、前回の戦いで力に頼りすぎていたことを思い知らされ、全体的な能力向上を目指すために、あえて徒手空拳で迎え撃つ。
まずはヘッドハンド二体が突進してくる。ヘッドハンドは基本的には知能が低く、本能のみで動いているようなので対処がしやすい。
軸足に力を込め、大きく跳ぶように一歩前に出る。瞬時に間合いを詰めた動きにヘッドハンドは反応が遅れる。
その隙を見逃す義理もないので狼頭へ左手の突きを繰り出す。腕へ何かが触れた軽い抵抗は感じたが、そのまま腕を伸ばしきる。
頭を粉砕され脳髄を撒き散らすヘッドハンドを視界の隅で確認すると、今度は右足を蹴り上げた。上半身と下半身に分断された肉片が、くるくると回転しながら地面へと落下した。
攻撃を与えた手甲脚甲を確認するが、傷一つない。
これで力の差を感じ取り逃げてくれるなら楽なのだが、闇や不死属性にはそれが通用しない。
そもそも、不死属性の魔物には感情がない。闇属性にとって恐怖という感情は相手に与えるものであり、己が感じるものではない。
それを証明するかのように、三体がまとめてこちらへと向かってくる。先頭がハードスケルトン。それに少し遅れてグール。最後尾がブラッドマウス。
剣の届く間合いに入ったハードスケルトンが、右手に握られた錆びた剣を、ライトの頭上へ振り下ろす。
後方に一歩下がり身をかわすが、左手のもう一本が突き出される。問題なく避けられる剣速だったが、あえて右腕で弾く。
さほど力は入れてなかったというのに、手甲に触れた部分の刃が簡単に砕け散った。
「これは頼りになる」
手甲の出来に思わず口元が緩んでしまう。
攻撃がこのような防ぎ方をされるとは思いもしなかったのだろう、ハードスケルトンが一瞬動きを止めてしまう。それはライトにとって、頭蓋骨を叩き潰すには十分すぎる時間だった。
崩れ落ちるハードスケルトンの背後から姿を現したグールは、上半身を仰け反らした体勢で立ち止まっている。
その予備動作に、ライトは見覚えがあった。次に来る攻撃を予測し、膝を曲げ両足に力を溜める。
グールは仰け反らしていた体を戻すと同時に、大きく口を開け濃い緑色の液体を吐き出した。
液体を大きく跳躍して躱すが、空中で身動きの取れない今を敵は狙いすましていた。グールのすぐ後ろに待機していたブラッドマウスが、右手に構えた槍をライトの喉元へ目がけ投げつける。
「これぐらいならっ」
空中で穂先のすぐ後ろを右手で掴むと、左手に槍を持ち替え、足元にいるグールの脳天に突き刺す。
グールが突き刺さった槍を空中に居る状態のままで、ブラッドマウスへ振り上げた。
肉と肉がぶつかり合う感触が手のひらに伝わってきたが、それは直ぐに消え失せた。衝撃に耐えられず槍が半ばから折れてしまったためだ。
その衝撃に怯んだブラッドマウスの正面に着地する。
『聖属性付与』
光り輝く右腕がブラッドマウスの無防備な胴体を貫いた。
「いい感じですね。この調子で頑張りますか」
この日、死の峡谷にいる魔物たちは運がなかった。彼らはライトの手により、いつも以上のハイペースで駆逐されていくことになる。
夕方近くになり、手甲と脚甲の出来具合にも納得したライトはいつものように、死者の街へと帰還する。
冒険者ギルドに立ち寄り、幾つかの素材と魔石の売却を済ませ、クレリアが経営する宿屋へと帰り着いた。
「ちっ、無事だったの。おかえりなさいませー」
イリアンヌが口元は笑顔で目が笑っていないという、器用な表情で対応してくる。
「はい、ただいま」
早朝とは打って変わって繁盛している店内を進み、壁際のいつもの席に腰を掛ける。
「あーら、ライトちゃんじゃないのぉ。私の可愛い作品たちはどうだったのぉ」
「本当だー。ライトさーん、同席していい?」
「お疲れ様です、ライトさん。け、怪我とかないですかっ」
キャサリン、ミリオン、リースが三人で食事を取っていたようで、ライトを見つけると飲み物と料理を持って、ライトのテーブルへ移動してきた。
「手甲脚甲素晴らしい出来でした。はい、構いませんよ。ええ、怪我も完治していますので大丈夫です」
ライトは全員へ律儀に返事をする。
「じゃあ、ライトちゃんが無事に戻ってきたことを祝って乾杯しましょうか」
ちょうどライトにも飲み物が運ばれてきたので、全員がカップを手にする。
「なんでー、イリアンヌもカップ持ってるの。仕事中じゃないの?」
「いいじゃないミリオン。私だけのけ者にする気」
「そうですね、こういうのはみんなでした方が楽しいですし!」
リースが全身で同意を示すように、激しく上半身を揺らして頷いている。
「じゃあ、みんなカップ持ったわね。では、ライトちゃん音頭とって」
「えっ、私ですか」
まさか自分にふられるとは思っていなかったらしく、ライトは一度咳払いをした。
「ごほんっ。では、今日も一日良い日でした。乾杯!」
「「「「かんぱーい!」」」」
大量の料理に弾む会話。
ライトにとって、いつものありふれた一日が終わろうとしている。