回復職
神聖イナドナミカイ王国の首都には冒険者ギルドの本部がある。そこは、冒険者の憧れであるSランクの冒険者から、まだまだ駆け出しのひよっこまでが利用していた。
一階は冒険者ギルドの受付カウンターと巨大なホール。そのホールには酒と食事を提供する店が入っている。
ギルド内の酒場には常時、誰かしら冒険者が居座っており、今日の稼ぎを自慢する者や、真面目に反省点を語りあうチーム、独りで酒や食事を楽しむ者。様々な冒険者の顔を見ることができる。
そんな酒場の片隅で、三人の新米冒険者たちが愚痴をこぼしていた。
「どうすんだよ、こんな依頼受けて。俺たちには荷が重すぎるって言っただろ」
ギルド員から渡された依頼書の写しに視線を移し、大剣を背負った青年がため息を吐く。
「だってさ、これをこなせたらEランクに上がれるんだよ? ようやく、駆け出しじゃなくなるチャンスを逃したくないじゃないないか」
フード付きのコートを目深に被った、見るからにひ弱そうな青年が、手にした杖の先端に指を這わせながら反論する。
「そんなこと言っても、対象はオーガなのよ。私たちじゃ力不足だし、最低限、回復職がいないとどうしようもないって……」
赤のブーツに赤のハーフコートという目立つ格好をした女が、短剣で目の前のリンゴを器用に削り、鳥の形に彫っていた。
彼ら三人は小さな村から冒険者を夢見旅立った幼馴染である。
冒険者稼業を始めてからまだ一年にも満たない彼らは少し焦っていた。
冒険者ギルドに登録した者は例外を除き、Fランクから始まることになる。
Fランクの仕事というのは町民からの雑用や、簡単な動植物の採取。一番ランクの低い魔物退治等があげられる。
ランクが低いとはいえ、敵は魔物であり命の危険がある仕事ではあるのだが、余程運が悪いか無謀な者以外はFランクの依頼で命を落とすことは無い。
だが、冒険者ギルドには昇格試験というものがあり、ワンランク上がる為にはギルドが提示する依頼をこなさなければ認められない。
冒険者はここで諦めるか、命懸けの勝負を挑むかの二択を迫られることになる。彼らは今まさにその事で悩んでいるようだ。
「回復職かー。となると、聖職者か水の魔法か精霊魔法だよな。お前、魔法使いなんだろ。何とかならないのかよ」
「なるわけないよ。水の魔法には確かに傷を癒す魔法が存在するけど、それはかなり高位の魔法だよ。僕がその魔法を覚えられるのはAランク冒険者になる頃だろうね」
魔法使いの青年が肩をすくめ、お手上げとばかりに首を左右に振る。
「つっかえねえな。じゃあ、精霊魔法を操れるやつを探そうぜ」
「あんた本当にモノを知らないわね。精霊魔法はエルフの専売特許。人間で使える人は稀なのよ。冒険者やっているエルフなんて基本実力者だし、おまけに傷を癒せる精霊は女性にしか扱えないって話だし。私たちの仲間になってくれる可能性なんて皆無よ」
今にも飛び立ちそうな鳥を彫り上げた女は短剣を一閃し、出来上がったばかりの鳥の首を刎ねた。
「んだよ、だったらやっぱ聖職者仲間に入れようぜ。ここはイナドナミカイ教の総本山なんだろ。いっぱい居る筈じゃねえか聖職者」
頭の弱そうな青年の言い分は間違いではない。確かに、首都には多くの聖職者が存在する。聖職者を育成する学園からは毎年多くの卒業生を排出しているので、彼らと同じように駆け出しの聖職者がいてもおかしくはない。
「あのね、聖職者の大半は冒険者にならないんだよ。神聖魔法も使える戦士――神官戦士は、卒業後そのままイナドナミカイ教団に在住するものが殆どだし、助祭は村や町の教会に勤める人が多いんだってさ。もちろん、冒険者を目指す者もいるさ。でも、そういう人は学生時代から目を付けられていて、卒業後には入るチームが決まっているのが当たり前だそうだよ」
「コネも力もない私たちが、聖職者の仲間を手に入れるなんてことは無理な話ってやつよ」
「んだよ、じゃあ、回復職を仲間になんて、できねえじゃねえか!」
「だから……そう言ってるじゃないか」
憤る戦士を眺めながら魔法使いの青年は、再びため息交じりに言葉を返す。もう何度繰り返したかわからない、意味のない話し合いを続けながら、赤い格好の女は何となしに酒場の席を見回した。
景気のいい話をしているチーム。
男女ペアの熟練冒険者。
私たちよりは少しだけベテランの四人組チーム。
特に変わった面子はいない。何度か見かけたことのある顔ぶればかりだ。そのまま、酒場の隅に視線を向けると――窓際の席に一人の妙な格好をした男を見つけた。
「ちょっと、あれ見てみなよ」
口論から武力行使へ進みかけていた二人は女に促されるまま、その方向へ目をやる。
「聖職者……か?」
「多分、そうだと思うけど」
彼らが自信を持って断言できないのには訳があった。あの服装は聖職者のみが着ることを許される法衣で間違いない。だが、問題はその色だった。今まで彼らは白の法衣しか見たことがなかったのだが、男が着ている法衣は闇のように暗い漆黒であった。
「聖職者だとは思うけど、だとしたら独りで何をしているのかしら。ここの酒場のルールを知っているとしたら、あれはソロってことよね」
冒険者のみが知る独自の決まり事というものが存在する。ここの酒場を独りで利用する客は仲間を求めている者に限るという、いつ始まったのかもわからない暗黙のルールが存在していた。
「どうする? 声掛けてみる?」
「そう、だな」
もし彼が何処のチームにも所属していないフリーの聖職者だとしたら、彼らにとって何としても仲間にしたい人材である。見た感じかなり若く見え、同年代か年下だろうと見当をつけていた。
「年も近そうだし、ダメで元々行ってみるか」
大剣を背負った青年が立ち上がり、仲間の二人は表情を曇らせながらも後に続いた。
彼らが躊躇したのには理由がある。回復職がソロでいる確率は異様なほどに低い。
冒険者チームにおいて回復職の存在は守りの要。人気職である回復役が独りでいるということ。それは何かしらの問題があると言っているようなものだ。
しかし、彼らには迷っている時間はない。彼らが悩んでいる間に他のチームに手を出された日には、後悔してもしきれない。
「なあ、あんた一人か?」
「ええ、まあ、見ての通りですが」
思ったよりまともな切り返しに、三人は内心で安堵の息を吐く。口調も柔らかく、笑みを浮かべた表情も人当たりが良さそうだと判断したようだ。
「ちょっと話があるんだが、今大丈夫か?」
「はい、構いませんよ」
「んじゃ、失礼するぜ。あ、ここにお勧めの料理とそれにあう酒持ってきてくれ! 四人分頼む! あんたも遠慮なくやってくれ」
三人は聖職者の男がいるテーブルの空いている席に腰を下ろす。三人組は誰が切り出すのか視線で言葉を交わしている。一番落ち着きと貫録がある赤い服の女が代表して口を開いた。
「いきなりだけどさ、あんたはチームに入ってないんだよね?」
「はい、そうですよ。ソロでの活動がメインです」
男の言葉に三人は複雑な表情を浮かべる。
「ええと、キミは聖職者で間違いないよね?」
フードを被った魔法使いは、男から目を逸らしながら気まずそうに質問する。
「イナドナミカイ教の助祭です。今年学園を卒業したばかりの新米ですが」
その返事に三人組は一瞬だけ顔を輝かすが、前の言葉を思い出し益々不可解な表情になる。
回復職がソロ活動。彼らの認識では回復職、それも聖職者をやっている者は後衛で支援魔法と回復を担当し、前に出て戦うことは皆無である。それが、冒険者内での一般常識。
「あー、そのなんだ。何で回復職であるあんたが、独りで活動しているのか聞いてもいいか?」
相手は失礼な事を聞いているのは重々承知の上で口にしているのだが、尋ねられた男は気にもしていないようで平然としている。
「それは、私が未熟だからです。聖職者として学園を無事卒業は出来たのですが、情けないことに私は魔法が苦手でして扱える魔法が『治癒』『聖属性付与』『聖光弾』『上半身強化』『下半身強化』だけなのですよ」
それを聞いて少し残念に思いはしたが、同時に納得がいったようで、三人は全身の緊張がほぐれたようだ。
「なんだ、そういうことか! あんたも苦労してんだな。なら、もしよかったら、俺たちとチーム組まないか!」
男はその言葉に目を大きく見開き少し驚いた表情を浮かべる。そのまま三人組の顔を見回すと、全員が好意的な雰囲気で男を見つめている。
「とてもありがたい申し出です。ですが、お互いの力もわかりませんし、失礼だとは思いますが、取り敢えずは仮に一度組むというので宜しいでしょうか」
「ああ、勿論構わないぜ! よろしくな!」
彼らにとってありがたい提案を向こうからしてきてくれた。取り敢えずは昇格試験さえ受かればいい。その為に回復職を必要としていたのだ。今回の戦いで思ったより使えないとわかれば、切り捨てることも視野に入れなければならない。
酷いようだが冒険者としては当たり前の考えだ。命を賭ける職業で甘い考えは即、死に繋がる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。まだ、名乗っていませんでしたね。ライトアンロックと申します。以後お見知りおきを」
青年と熱い握手を交わすライトの姿を横目で確認していたギルド内の連中は、三人組へそっと視線を向ける。そして大剣を背負った青年をじっと見つめ、可哀想な人を見るような眼差しを注いでいた。
「そろそろ、本命だぜ。ライトもよろしく頼む!」
「お任せください」
彼らのここまでの道のりは順調そのものだった。
ゴブリンやワイルドウルフ等の低ランク魔物と何回か遭遇したが、三人の連携とかなりの深手でも一発で完治させるライトの『治癒』があるおかげで、ここまで苦戦の一つもせずに進んでいる。
「ライトの治癒は凄いな。かなりの怪我でもすぐ治ったぜ」
「うんうん、僕もびっくりしたよ。以前、大怪我で神殿に運ばれて治癒してもらった時は、もっと時間かかったよね」
「使える魔法が少ないので、その分、治癒が得意になったようです」
威張ることもなく後ろに控え『治癒』と要所で牽制も兼ねた『聖光弾』を放つライトの活躍は、三人組にとって充分すぎる程、満足のいくものだった。
「それよりも、戦闘に加わらないで良いのでしょうか。私も少しは戦闘術を嗜んでいるのですが」
「ライトさんは今のままでいいから。回復担当が前衛に出て怪我したら、チームの存亡にかかわることだからね。今でも充分すぎるぐらい助かっているわ」
そう言って肩を叩かれたライトは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「っと、雑談はここまでだ。あれがターゲットのオーガだぜ。油断するな」
オーガ。Cランク指定の魔物である。
身長は二メートル以上あり、人間と似たような体形をしているが、その体は筋肉の塊である。その怪力から繰り出される一撃は、人間の骨など易々と砕いてしまう。
最も特徴的な部位は頭から生えた角だろう。その角の大きさと数が個体の強さを現していると言われている。
本来ならEランクの彼らが挑んで勝てる相手ではないのだが、今回のターゲットはオーガの子供である。これなら彼らでも問題なく倒せる筈だった。
「嘘でしょ……こんなの聞いてないわよぉ」
そんな彼らの前に現れたのは、ライトよりも頭一つ低い小さな個体と――三メートル近い頭に三本の立派な角の生えた親らしき個体だった。
「はぐれた子供相手じゃねえのかよっ!」
「……その子供が、親と無事合流できたみたいだね……」
彼らの顔に浮かぶ感情は絶望の二文字だった。子供は事前の情報通り四人で戦えば問題なく倒せただろう。
だが、あの親らしきオーガは無理だ。戦うまでもなく、圧倒的な力の差を感じていた。
巨大なオーガは手にした棍棒を振り上げ三人に歩み寄る。
逃げなければと気は焦るのだが、惨めなほどに震え続ける脚が全くいうことを利かない。
迫りくるオーガを前に何もできず、その巨大な棍棒が頭上に振り下ろされるのを待つ三人の前に、ライトはすっと歩み出た。
「な、何してんだ。ライトだけでも……逃げてくれっ!」
「無謀な戦いに巻き込んでごめん! 僕たちは見捨てていいからっ」
「は、早く逃げ――」
三人が震える声を何とか振り絞り、ライトへ逃げるように促すが、その言葉を言い切るよりも早く、ライトの頭へ粗雑な作りの棍棒が叩きつけられた。
目の前に広がるであろう凄惨な光景を見ないように三人は同時に目を閉じたのだが、聞こえてくる筈の、破壊音は一切耳に届かず、不審に思いながらそっと目を開ける。
そこには、振り下ろされた棍棒を片手で掴んでいるライトの姿があった。
「「「えっ?」」」
三人は目の前の光景が理解できなかった。
聖職者であるライトが平然と棍棒を受け止めている。
それどころか攻撃を仕掛けているオーガの方が全身の筋肉を膨張させ荒い息を吐き、その棍棒を一度手元に引き寄せようとしているにもかかわらず、薄い笑みを貼り付けたライトは、その棍棒に五指をめり込ませ微動だにしない。
どう見ても、オーガが力負けをしている。
「「「…………」」」
無言の三人に凝視された状態で、ライトは対面のオーガへ声を掛けた。
「子供と再会されたのであれば、ここは引いてもらえませんか? 人に危害を加えず森の奥へ戻るというのであれば見逃しても」
ライトの話の途中でオーガは棍棒を手放すと、フリーになった両拳を握りしめ殴りかかってきた。
「しょうがないですね。強制的にお帰り願いましょうか」
ライトは棍棒を無造作に後ろへ放り投げると、唸りを上げて突き出された拳を難なく躱し、懐に潜り込みオーガの脇を抜けるついでに、相手の腹へ手を当てた。
『上半身強化』『下半身強化』
そして、大地を踏み砕く勢いで左足を地面に叩きつけ、渾身の力を込めてオーガの巨体を投げ捨てる。
くの字に折れ曲がった格好のままオーガの巨体が宙を舞い、木々を薙ぎ倒しながら遥か後方へと吹き飛ばされる。
その光景を唖然と見つめていた子供オーガが、慌てて投げ飛ばされた親の元へ走り去り、その姿が完全に見えなくなったところで、ライトは三人組へ振り返った。
「皆さん大丈夫ですか?」
その言葉で硬直が解けた三人だったが、言葉を発することなく怯えた表情でライトを見つめているだけだった。
これはライトアンロックがまだ冒険者として駆け出しだった頃の話である。
ちなみに、彼らとこれ以降チームを組むことは無かった。前衛の大剣を背負った青年は、後衛職である聖職者の足元にも及ばなかった事実に心を折られ、暫くの間、無気力状態に陥っていたらしい。
そんな彼の姿を見て冒険者ギルドの面々はこう呟いた。
「またやりやがったよ『前衛潰し』が」
『前衛潰し』とは、何故かライトと組んだチームの前衛がことごとく自信を無くす為、当時ライトにつけられた異名である。