きょうだいのおはなし
森にはAランクの魔物が我が物顔で徘徊し、更に奥にはSランクの魔物が当たり前の様に存在する、最難関魔境の一つ、愚者の森。そこにライトは来ていた。
「ここら辺の木なら良い材料になりそうです。死者の街を復興するには木材がいくらあっても足りませんからね」
ライトは見上げても、そのてっぺんが見えない程、背の高い木々に『神声』を使用して話し掛ける。
『静寂を破ることをお許しください。私は街の復興に必要な木材を探しています。長い年月を生き抜いた人生――もとい木生に飽きてしまい、生への執着がない方がいらっしゃいましたら、お声を掛けていただけませんか?』
第三者から見れば間抜けな光景だが、ライトは真剣である。『神聴』を発動させ耳を澄ます。
――我はここで眠り続ける――
――勝手に持っていくが良い――
静かで、それでいて腹の芯に響いてくる木々の声。
ライトは伐採の許可を得た巨木に頭を下げ、収納袋から尋常ではない大きさの斧を取り出す。キャサリンに頼んで作ってもらった特注品である。
『失礼します』
その言葉と同時に横薙ぎの斬撃を放ち、一振りで巨木を切り倒した。
返事のなかった巨木には幹に手を触れ7『神触』を発動させて、その気の状態を探る。意識もなく体は生きているが、精神が死んでいる巨木は迷わず切り倒し、弱っているだけでまだ精神も生きている木には『治癒』を施す。
そうやって、何本かの木を確保し収納袋が限界に達したところで、ライトは帰ることにした。
『あのすみません……貴方の声が聞こえたのですが……私の声、聞こえていますか……』
ライトの耳にか細い声が届いた。今にも消え去りそうな小さく弱々しい声。
辺りを見回すが、何者の気配もなければ姿もない。
『はい、聞こえていますよ』
『よかった……その格好は、聖職者様ですか』
声の主がわからないまま、ライトは口を開く。
『残念ながら元ですが』
『そうですか……なら、懺悔を聞いては貰えませんね』
ため息交じりで呟く声に、ライトは後悔の色を感じる。その声をライトは拒絶する気にはなれなかった。
『いえ、神の救いを与えることはできませんが、お話を聞くことなら可能ですよ。誰かに話す、それだけでも心は軽くなり、その重荷を少しは降ろすことができるやもしれません』
ゆっくりと子供に語り掛けるように話すライトの言葉を聞き、声の主は意を決したようだ。
『よかった……なら、私の話を聞いてもらえませんか』
静かに語り始めた声にライトは耳を傾けた。
昔、仲の良い兄弟がいました。
兄弟はいつも地べたを這いずり、枯葉ばかりを食べていました。
ある日、弟がいつものように枯葉を食べていると、兄にこう切り出しました。
「兄ちゃん、いつも枯葉しか食べてないけど、たまには違うものを食べてみないか?」
「うちは代々、枯葉しか食べたらダメだって言われてるじゃないか。他の物を食べたらお腹を壊すかもしれないよ?」
「えーでもさ、同じ葉っぱなら、あの綺麗な緑の葉っぱの方が美味しそうに見えない?」
弟が言うことにも一理あるなと兄は思いました。
あの青々とした葉っぱは、とても美味しそうで、兄弟は親の言いつけを守らずに新鮮な葉っぱを口にしたのです。
枯葉とは比べ物にならないぐらいの歯ごたえと、みずみずしさに兄弟は病みつきになりました。
その日から兄弟は枯葉を二度と口にすることが無くなり、毎日、新鮮な葉っぱを食べていました。
毎日、毎日、毎日、新鮮な葉っぱを食べ続けていると、弟がまた言ったのです。
「兄ちゃん、葉っぱはもう飽きたよ。違う物食べてみない?」
「違う物かー。でも変な物食べたら危ないしな。何かな、毒ってものがあるらしくて、知らない食べ物には毒ってのが入っている場合もあるらしいぞ。その毒を食べちゃったら、死んじゃうって言ってたぞ」
「それは怖いな……あ、だったら、他の生き物が食べている物なら大丈夫じゃないかな!」
兄は感心しました。弟は頭がいいのかもしれないと。
「うん、いいと思う。だったら、何がいいかな」
兄弟が次に何を食べるかで悩んでいると、どさっという何かが落ちた音がしました。
音がした方を見てみると、そこには食べかけの木の実があったのです。
どうやら、あの高い木の上で鳥が食事中に誤って落としてしまったものらしく、嘴で突いた跡が幾つもありました。
「お兄ちゃん! 美味しそうな木の実だよ! 橙色で甘い匂いがする」
「本当だな。鳥が食べていたのなら、きっと大丈夫だよな。よっし、じゃあ僕が先に食べてみるよ」
万が一の事を考えて兄が先に木の実をかじりました。
するとどうでしょう、体に広がる甘みと少しの酸味。それは今までに感じたことのない、新鮮な体験で、兄は木の実にむしゃぶりつきました。
「兄ちゃんばっかりずるいよ! 僕も僕も!」
弟も全部食べられたら困ると木の実に飛び付き、兄と一緒に食べきると満足そうに大地へ寝ころんだのです。
「うわぁー本当に美味しかったなー。兄ちゃんまた食べようね」
「ああ、必ずだ!」
それからというもの、兄弟は新鮮な葉っぱには見向きもせず、地面に落ちた木の実ばかりを探し食べるようになりました。
色んな種類の果実を食べ、一番美味しかったのは何だったのかと兄弟は熱い議論を交わすようになりました。
もう立派な食通気取りです。
そんなある日。
いつものように食べ物について兄弟は語りあっていました。
「兄ちゃん、色々食べてきたけど、結局どれが一番だった?」
「そうだな、青い葉っぱも初めは美味しかったけど、今じゃ食べる気もしない。初めて木の実を食べた時本当に美味しかった。あれから、幾つも木の実を食べたけど、あれが一番だったと思う」
兄はあの印象的な味が今も口内に残っているらしく、思い出すだけで口から滴がこぼれそうになる。
「やっぱ、兄ちゃんもそうだよな! 僕もそうなんだよ! あの鳥、美味しい物を知っているのかもしれないね。あ、そうだ! だったら、あの鳥が他にも食べている物を食べたらいいんじゃないかな!」
弟は天才だ。兄は確信しました。
「でも、あの鳥は危ないから近づけないぞ」
「だよなぁ。あんなに美味しい木の実食べているのに、何であの鳥、僕たちの仲間を襲って食べるんだろう」
兄はあることに気づいてしまいました。
「そう……だよな」
「どうしたの兄ちゃん。何か顔が怖いよ」
「あの鳥は何で、いつもいつも僕たちの仲間を食べるんだろう……」
「そんなのわかんないよ……兄ちゃん、何でこっちに近づいてくるの?」
「なあ……弟。あの鳥ってさ……木の実より美味しい物、いつも食べているんじゃないかな……」
「に、兄ちゃん、大きな口を開けてどうしたの……兄ちゃ」
くちゃくちゃくちゃくちゃ。
兄は独りきりでご馳走を食べています。
くちゃくちゃくちゃくちゃ。
「ああ、やっぱりそうだ、本当に美味しい」
くちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃくちゃ……
静かな森にいつまでも兄の食べる音が響いていました。
『それが貴方なのですね』
『……はい。私はずっと枯葉だけを食べ続け、味や触感というものを考えずに生きてきました。それがある日、味を知り美味しい物を貪欲に求めるようになってしまったのです。その行き着いた先が、弟、両親、仲間の肉でした。私は家族を、仲間を、知り合いを食べきり、それでも食に対する欲は消えなかったのです』
ライトはその場に片膝を突き、首を垂れる。
『そして、私が行きついた先は、己の肉を食うことでした。私は何でここまで狂ってしまったのでしょうか』
今も自分の体を咀嚼し続けている声の主を見て、ライトは静かに頷いた。
『そうでしたか。貴方は罪を認め後悔し、それでも食への追求は止まらなかったのですね』
ライトの声に反応はない。視線の先には自分の体を噛みしめたまま円形に固まった兄の姿があった。
最早、手遅れな兄の姿を見て、ライトは指を組み合わせ、このモノに安らかなる死が訪れるようにと、祈りを捧げる。
ライトの視線の先には普通の個体より二回りは大きい――ミミズの死骸があった。
夏っぽいお話を。