死の峡谷に居るもの
「もう少しで、死者の街へたどり着ける。気合いを入れ直していくぞ!」
野太い声を上げたのは、全身に鋼の鎧をまとった大柄の男だった。その背には身長より頭一つ分だけ短い、両刃の大剣が備え付けられていた。
「うるさいですよ。ただでさえ危険な領域なのですから、もう少し慎重に行動してください」
細身で生真面目そうな面構えの青年が、眼鏡をクイッと人差し指で上に少しずらした。もう片方の手は青く輝く大きな石がはめ込まれた、長い木の杖のようなものを握り締めている。
「そうですよ~。死者の街に着いたら、私たちは~な、なんとぉ、Bランク冒険者として認められるちゃうのですよぉ。憧れのBランク冒険者ですよぉ。Bランクともなれば、一流として認められたようなものですぅ。依頼もガンガン増えて、お金も、がっぽがっぽですねぇ~。うへぇへぇ、贅沢し放題ですぅ~」
白をベースとしたコートのようなものを着込んだ、小柄な女性が目を輝かせ遠くへ視線を泳がせていた。きっとその視線の先には栄光を掴んだ理想の自分がいるのだろう。
「聖職者ともあろうものが、物欲むき出しなのはどうなんや? 商売人生まれのワイでもドン引きやわ」
両手を上にあげ肩をすくめている青年は、よく見ると他の三名と違い耳の先端が長く尖っている。
彼の右手には三本の矢。左手には美しい女神が彫り込まれた木製の弓がある。
「まあ、なんだ。ようやくだな。実力は上級者パーティーにも負けないと自負しているが、いかんせん運がなかった。だが、これでようやく日の目を見ることができる。冒険者ランクの最大の壁と言われている、CランクからBランクへの昇格条件である死者の街への到達。成し遂げられそうだっ!」
鎧男は厳つい顔に涙を浮かべ、天を仰いだ。その視線の先には真っ暗な空――と呼べるのだろうか。紫色の薄い靄がかかった暗い闇が広がっている。
「今更なのですが……数ある昇格条件のうち、これだけは何かを持ち帰るわけでもなく討伐目標があるわけでもなく、死者の街へたどり着きさえすればいいという好条件でしたよね。裏はないのでしょうか?」
眼鏡青年が顎に手を当て考え込むような動作をしている。
「ないとおもいますよぉ~。だってぇ、聖職者の間では死者の街への到達は最大級の誉れとかぁ、聖職者として闇の者共へ屈しなかった証ぃ? とかなんとか、先生がいってましたぁ。ここまでくるまでに、不死者や悪魔や魔物やら全部闇属性か不死関係なのはぁ、聖職者が更なる高みを目指す為の試練らしいですよぉ~」
白服の女性は、こめかみに指を付け、頭をひねり記憶を引き出しているようだ。
「実際ここまでの道のりは、ホンマ厳しかったわ。回復系で助祭のおチビちゃんがおらんかったら、絶対に無理やったな。ええこ、ええこ、あめちゃんやろか?」
耳の長い男が目の前の女性に緑の丸いアメを差し出した。
「子供扱いしないでくださぃ~。それにここからが本番なんですからねぇ~。先生曰く、『人が並んで三名ほどしか通れない無数の細道が入り組んでいる峡谷へ入ったら、そこからが一番の難所だ。死者の街はそこさえ越えれば着けるのだが問題はそこだ。そこからは敵の強さが段違いなものとなる。私はそこで本物の地獄を見た』とか言ってましたよぉ。たぶんここだよねぇ~。あとこの場所、死の峡谷とか呼ばれてるらしいよぉ。安易だよねぇ~」
胸を張ってその言葉を発した女性を残りのメンバーが凝視している。
そして一斉に口を開いた。
「「「その話をなんで先にしなかった!」」」
「え~、だって聞かれてないしぃ」
「いや、大事なとこだろそこ! 前もって話すのが常識だろっ!」
「常識に縛られない女だも~ん」
「こいつキャラ作っているだけの狡猾女かと思っていたら、こういう天然な間抜け部分は素だったのか!」
「なに、この眼鏡。私をそんな風に思っていたのぉ。むっちゃムカつくぅ~」
「わいらの方がムカついてるっちゅうねん! 命に関わる事やねんぞ! ここまでも苦戦してたのに更に強くなるなんて自殺しにいくようなもんやろっ!」
「んじゃ、ここまで苦労して帰るのぉ~? 別に~私は~いいんだけどぉ」
肩下まである髪を指に巻きつけ、悪びれる様子もなく周囲の決断を待っている。
「正直俺は惜しいと思っている。この状況。名誉も地位もあと少しの位置にある。ここは無理をすべき場面じゃないか」
鎧男の唸るような声に一同は顔を見合わせる。
「そう、だな。ここは無理を押し通さなければ、ここまでの努力がすべて無に帰してしまう」
眼鏡も渋々ながら同意見のようだ。
「うんうん、いざとなったら帰還魔法で帰ればいいんだしぃ~。もうちょっとお気楽にいこうよぉ」
「あんさんは、もうちっと危機感抱いてくれへんかな。帰還魔法も発動までに時間が必要やろ。はぁ、でもまあ、あれだ、いくしかあらへんか。ただしや、出来るだけ戦闘は避けること。あと、戦闘になって実力の差があり過ぎる場合は、勝つことではなく逃げること優先でいくで。これでええな?」
耳の尖った青年の確認に全員が大きく頷いた。
それから数分のうちに、冒険者たちが自分たちの決断を後悔したのは何度目になるのだろう。
次々と湧き出てくる敵、帰還魔法を唱える隙など微塵もなく首の皮一枚でなんとか迎撃している状態が続いていた。
「なんやここ! おんなじ敵でも強さダンチやんけ! その敵倒したらそこの一本道駆け抜けるで。谷底に落んなやっ!」
叫び声と共に放たれた一本の矢が、灰色の犬らしき体から人間の腕が、蜘蛛の足のように八本生えている化物の額を貫いた。
「底が全く見えませんよこれ! 落ちたらどうなるんですかっ」
「眼鏡が割れるんじゃないのぉ~」
「お前ら余裕がないときに、じゃれあってるんじゃねえ!」
怒鳴り合いながらも、底の見えない谷にかけられた一本の石橋の上を全速力で駆け抜けている。この状況下でもありながら足並みが乱れないのは、彼らの実力が低くない証明でもあった。
「じゃれてなんかないですぅ~。私の理想はホワイトドラゴンに乗った王子様ですぅ~。っていったーーい! なんで急に止まってるのよぉ。危ないじゃない」
先行していた尖った耳の青年の背に全力で鼻をぶつけ、文句を言った彼女だったがまだ言い足りないらしく、再び口を開こうとしたが青年の表情を見て口をつぐんだ。
青年の日頃のおちゃらけた雰囲気は消え去り、鋭く、そして何処か諦めたかのような表情で前を睨みつけていた。
「おい、どうした! 後ろからまだ敵が追いかけてくるぞ。早く進め!」
「あかん、つんだわ……前見てみ」
後方を警戒しながらも、一瞬だけ様子を窺おうと視線を動かした鎧男の目はそこで停止した。
橋の先には体長三メートル近くの大男が立っていた。
その大きさからいって、人間ではありえないのだが、異様な点は身長だけではなかった。外見もまた常軌を逸したものであった。
下半身は所々が破れ、赤黒い血の乾いた跡が染み付いた薄汚い布をまとい、上半身はむき出しで一切の衣類を身につけていない。無駄な贅肉など一切感じられない筋肉の塊には防具など必要ないと言わんばかりの肉体を晒している。
そして顔なのだが、そこには闇があるだけだった。顔の輪郭はわかるのだがそれだけだ。全てが黒なのだ。いや違う、彼には名前の源にもなった特徴的な部位があった。真っ赤な大きな口だけがその闇の中で妖艶な光を放っていた。
「おいおい、ブラッドマウスかよ……Bランク冒険者パーティー推奨だろ、こいつのランクは」
「それにだ、よく見てみろ体に突き刺さった刃物の数を」
ブラッドマウスと呼ばれた化物の体には無数の武器が突き刺さっていた。槍、剣、斧、小型のナイフ等、在り来りな武器から、鎌や針や鋏、どうみても日常品としか思えない刃物類まで体に深く突き刺さっている。
「こいつは、確か刃物で殺された者たちの怨みが具現化して形を得たもの。故に個体差があり恨みの強さや数によって、その力は増減すると聞いたことがある。やつの体に突き刺さった得物の数はざっと見ても三十はあるな」
「う、うそぉ。私、二十以上の武器が刺さったブラッドマウスと出会ったら、躊躇いもみせずに走って逃げろって教えられたわよ! ねえ、どうするの! ねえ! 早く逃げないとっ!」
足の止まった眼鏡の腕を引っ張り逃げようとしているが、彼は微動だにしなかった。
「どこに逃げると言うのだい。両脇は深淵。前はブラッドマウス。後方の敵は増えつつある。もう、どこにも無いんだよ。逃げる場所なんて……」
「そ、そうよ、帰還魔法! 私が魔法を唱えるからみんな時間だけ稼いで! 五分!いや、何とか三分でやってみせるからっ!」
彼女は返事も待たず魔法の準備を始める。足元に懐から取り出した青く輝く石を置き、その周囲に小瓶に入った液体を注ぎ、絵とも字とも取れる何かを描き始めた。
「三分……三分か。長い三分になりそうだな」
「不安しかありませんが、そんな不安はそこの谷底にでも捨ててしまいますか」
「そやな。生きて帰ったら、あの子に告白するんや」
「「「やめろ」」」
逆境においてもツッコミに乱れがないのは、良い冒険者パーティーなのだろう。
「よっし、いくぞっ! 俺は後ろから来るのをひたすら耐えてみせる! 前は頼む!」
「頼まれたくないけど、仕方ないよな。魔法使いの僕と、射手の君じゃ攻撃を耐えるなんて不可能だ。倒さなくていい、ひたすら足止めと牽制だけ考えてやろう」
「了解。おらあー! 死者ども。本物の死に物狂いってやつ見せたらあっ!」
彼ら自身わかっていただろう。生存の確率がどれほど低いものか。この先にあるのは希望ではなく絶望だということを。
だが、彼らは知らない。この死の峡谷には一つの伝説があることを。一部の者たちの間で囁かれている――ある者の存在を。
「えっ?」
それはなんの前触れもなく突如起こった。
魔法使いと射手の両名の目の前でブラッドマウスが押し潰された。それは比喩でもなく物理的に上から潰されたのだ。
その圧縮された死体の背後には一人の男が立っていた。その手には小さな子供一人分はある大きな鉄の塊が先端についた鉄の棒が握られている。おそらくメイスだと彼らは思った。メイスという武器は戦士で愛用する者もおり、それほど珍しい武器ではない。
だがメイスと聞いて真っ先に思い浮かぶ職は聖職者だろう。聖職者はなにものであろうと刃物で敵を殺めるのを禁じられている為、殆どが武器にメイスを選ぶ。
だがあれほど大きな鉄塊のついたメイスを扱うものを見たことがない。
冒険者として活躍している聖職者は回復を主とする為、戦闘においての火力としては見られていない。今日この日まで彼らは、聖職者のもつメイスや盾は身を守るためのもので、最低限の防衛術しか心得ていないと思っていた。実際、自分たちのパーティーにいる僧侶がそうだった。
しかし、目の前にいる男はどうだ。軽々と巨大なメイスを持ち上げ、全員でかかっても、倒せる自信のない強敵を一撃で葬ったのだ。
その男は、状況に場違いな涼しげな笑みを浮かべている。
あまりのことに体が硬直している二人の横を男は、まるで気にもせず通り過ぎる。
「盛り上がっているところ申し訳ないです。お手伝いしても宜しいでしょうか?」
必死で帰還魔法を唱えようとしていた彼女の隣に、突如現れた男が歩み寄ってきた。
その者は黒をベースにしたコートのようなものを着ていた。ところどころ赤で縁どられたその衣装を彼女はよく知っていた。
聖職者の頂点に立つ教皇を除外し、司教クラス以上の実力を持つ者のみが許されると言われている法衣にそれは酷似していたのだ。色は別物だがデザインは全く同じなはず。教会に飾られていた法衣を穴が空くほど何度も見ていた彼女だからこそ断言できた。
「あなたは……」
焦点の定かでない瞳で見上げる彼女の頭に優しく手を置き、微笑むとこう答えた。
「私ですか。私はライトアンロック。ライトとでもお呼び下さい」
「ライト……様」
男は照れたように指で頬をかく。
「様なんて大層なものではありませんよ。帰還魔法続けなくていいのですか? 無駄に詠唱長いですからねこれ」
「っておい! 手伝ってくれるのはありがたいが、のんきに話している場合じゃねえんだよ! この際あんたが何者でもかまやしねえが、戦いの渦中だぞここは!」
後方に集中していた為、前方で何が行われていたか全く知らない鎧男の怒鳴り声に、彼女は惚けていた表情が崩れ、慌てて魔法の詠唱を続ける。
「それは失礼しました。ですが彼らは寄ってこないようですよ」
「そんなことがあるかっ。あー、うん? なんだこいつら本当によってこないぞ。何だ、この青い光のようなもんは。橋全体を囲っているようだが。おい、お前ら何かやったのか?とっておきの魔法かなんかか! すげえじゃねえかっ」
前方で惚けていた二人の肩を掴み、鎧男が激しく揺さぶる。
「あ、いや、僕は何も……たぶん、そこの人がやってくれたんだ……と、思う。でもこれは、助祭の上位職である司祭が使える結界魔法『聖域』のはず。しかし、聖域の効果は――」
「うん、聖域は継続時間が短すぎて、敵の攻撃を一瞬だけ防ぐために使われる魔法よ。こんなに長時間存在し続ける聖域なんて聞いたこともない……」
「こ、この人は一体何者なのですか」
眼鏡が指さす先には、黒の法衣を着た男がいる。その指が、腕が小刻みに揺れていたのを興奮状態の鎧男は全く気づいていなかった。
「なんかわからんが、助かった恩に着る。あんた黒い法衣のようなもん着てるから、聖職者か?」
「そのようなものですよ。あ、そろそろ帰還魔法が完成するようですから、集まったほうがよろしいのでは?」
その間も飛び散りそうになる意識を何とか集中させ、彼女は帰還用魔法を発動までこぎつけたようだ。足元には青白い光の魔法陣が描かれている。その魔法陣に乗り彼女が発動呪文を唱えると一同は予め印をつけていた場所へと帰還することができる。
「おお、やるじゃねえか。これで無事帰れそうだ。おいお前ら集まれ。何してんだあんた、あんたも魔法陣に乗れよ。これだけ集まった敵がいちゃ逃げることもできんだろ」
言葉通り光の壁に拒まれてはいるが、その先には無数の魔物が蠢いている。先ほど倒されたブラッドマウスも更に二体ほど現れていた。
「お気になさらず。ここは通い慣れた公園のようなものですから、まだ運動も足りませんし。あと、この結界魔法内部ではどんな魔法も発動しないのですよ。故に結界を解かねばなりません。この結界、手を触れて解除しなければなりませんので、どちらにしろ魔法陣に乗ることはできません」
慌てる様子もなく光る壁まで歩いていくと、そっと手を添えた。
「そんな、見捨てて行けというのか命の恩人を!」
「ですから、ここは庭のようなものなんですって。確かに少々危険ではありますが、かれこれ五年近く通い続けていますからね。心配は無用ですよ。では、解除しますからタイミングを合わせて発動してください。躊躇したら、周りの彼らにタコ殴りされますよ」
その言葉に彼らは魔法陣中心に黙って集まり、助祭の彼女へ目を向けた。小さく頷き同意を示したのを確認すると、黒い法衣の男は一言、
「解除」
と唱えた。
それとほぼ同時に発せられた呪文により四人組のパーティーは九死に一生を得た。
そして彼らは後に知ることになる、死の峡谷に一人で常駐している風変わりな聖職者の話を。