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カクテル1


 カランカラン・・・・・・


 店のベルが鳴る音のあとに、

「いらっしゃいませ」

 数メートル先のカウンターを隔てて立っていた女性に、明るい挨拶をされる。

背が高くて線の細い目鼻立ちがしっかりと整った長い黒髪を一つに束ねたきれいな人だった。

なんとなくオーラのようなものを感じた。

私なんかとは正反対の、いわゆる世間一般に言う「いい女」というたぐいの人間だ。

ゆっくり歩を進ませながらぐるりと店内を見回す。

お客は3,4人しかおらずそれほど混んでいるようではなかった。

 整然と並べられた丸テーブルと、その向かいにどんと構えているカウンター。

それを囲む壁際には、お洒落なインテリアと見たこともない、

見るからに高そうなボトル達が出番をじっと静かに待っている。

どこかで聞いたことのあるjazzBGMがまるで空気の一部のように私の中へ染みてくる気がした。

 どこに座ろうか迷っていると、バーテンダーが「よろしかったらこちらへどうぞ」

カウンターの隅に手を伸ばしてにっこりしながら促す。

 明らかにこういうところが初めてだと見透かされたようで恥ずかしかった。

 私は無言でそこに腰掛けると、友人に聞いて唯一知っていた

カクテル『マティーニ』を頼んだ。


 今日は人生で初めての失恋をした夜。

 婚約もしていたが、解消した。

短大の頃から彼と付き合って約十年。

 まもなく三十を迎える女が

こんなことをいうのは笑われるだろうか?

遠距離恋愛でこれまで、五回も浮気されたが私の人生から彼が消えて

しまうことが家族を失うことと同等に思えていたから、何度も踏みとどまった。

 それでもついに終わってしまったのは一言で言えば疲れたからだと思う。

多くのことが積み重なって、私の心の許容量を超えてしまったのだ。

だからけっして嫌いになったわけではない。

いまでも彼のことは好きだし、掘り下げれば掘り下げるほど涙が溢れる。

好きだけではどうにもならないこともあると思う私は『負け犬』なのだろうか・・・

マティーニを一気に飲み干して、オリーブを人差し指で前後に弄びながら

物思いにふける私の後ろ姿はなんて惨めなのだろう。

私は、壁に『お勧めカクテル』という張り紙を見つけると

適当にその中から『ジンフィズ』を頼んだ。

とその時隣に座っていた男が話しかけてきた。



「あの、すみません大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」

 内心虚をつかれて動揺していたが平静を装って笑顔で返す。

歳は私より少し上の、落ち着いた雰囲気のある男だった。

「驚かせてしまったようですね申し訳ありません。なんだかほっとけなくて」

「・・・・・・」

 これがナンパというものだろうか。

生まれてこの方こういうものには縁がなかったのでどう

対処すればいいのかわからなかった。

正直いまはほっといて欲しい。

 不自然な沈黙。

男は居心地悪げにグラスの液体を一気に飲み干した。

 一呼吸置いてから、男は呟いた。

「実は今日、私は一人の女性に告白して見事に撃墜されてきました。

 もしよかったら貴女の意見を聞かせてもらえませんか?」

「・・・・・・」

 言葉が見つからないとき、ジンフィズが運ばれてきた。

 それをぱっと見た感じではかき氷にストローが二本突き刺さっていてその下に

お酒が漂っているような風景だった。

ストローが二人分刺さっているのはバーテンダーのお節介かと訝しげに

彼女を見やると、すかさず彼女は氷がストローに詰まる場合が

ございますので予備ですよと答える。

なるほどと思いながら、ストローに口を付ける。

とてもおいしかったが、飲むにつれて頭が痛くなりそうだ。

と、強い視線を感じて男を見るとつい男の顔面に向けて吹き出してしまった。

いまにも泣き出しそうな、切ない表情を浮かべていたため思わずしてしまったのだ。

かぁーっと頭が熱くなる。最悪だ人生で最低の夜だと自分を呪う。

何度も頭を下げて謝罪の言葉を祈りのように呟く。

バーテンダーがすかさず渡したおしぼりで顔を拭いながら、男は苦笑する。

「いえ大丈夫、大丈夫ですお気になさらず。ただもしよかったら、話だけでも

 聞いていただければ嬉しいんですけど・・・」

「・・・わかりました。私でよろしければ」

 静かに息を吐いて気を静める。

なんとか、これ以上男を刺激しないように終わらせよう。

と、思い愛想笑いを浮かべる。

「ありがとうございます」

 男はお勧めのコニャックを、とバーテンダーに頼んでからゆっくりと話し始める。

 職場の同期で、入社から十年以上一緒に頑張ってきた女性だったらしい。

聡明で誰にでも優しく接してくれる社内のアイドル的存在だったそうだ。

男は良き友人としてまた仕事のパートナーとして彼女を良く助けた。

そして隣町に今度新しくできる支店を任せられることがこの間決まったので、

離れる前に告白したというわけだった。

しかしその彼女は、

「そんな冗談はこれっきりにしてよね」

 と、笑いながら去っていったという。

ここまで話して、男ははぁとため息をつく。

「どう思います?酷くないですか?」

「どう?ってそういう対象には見られないってことじゃないんですか?

 良いお友達でいられるんだしいいんじゃないですか?」

「はあ、そうですね。貴女は好きな人がいますか?」

「ええ、いますよ」

 男は私の婚約指輪の痕がまだ新しい左薬指をじろっと見て呟く。

 私はその視線が気持ち悪く薬指を隠した。

「おつきあい長いんですか?」

私は男のその動作が酷く、異性を品定めする人間の汚い部分を

見た気がして気分が悪くなった。

「十年以上でした。しかもついさっき婚約解消しましたよ! 

 貴方は私にこれ以上何を求めているんですか!?」

 その時、彼に対して取った行動に対してしばらくの間責めることになる。

汚い物でも見るように、さらに自分も似た状況にありながら見ず知らずの人に当たっている。

酔いのせいにするほど私はまだ神経が図太くはなかった。

「え・・・あ、すみません。余計なこと言ってしまって」

 先に謝られ、私はなかばやけぎみにストローで思いっきりカクテルを飲み込む。

キーン、とかき氷の痛みが頭に走り、顔をしかめる。

手の甲に涙がしたたり落ちている。酔ったようだ。

喉が震え、胸が詰まりそうなくらい熱くなる。

嗚咽を押し殺すように、私は深く静かに深呼吸した。

とその時、先ほど聞いた澄んだ明るい声色が静かに耳に入ってきた。

「お客様。あまり女の子を困らせないでくださいよ」

「え、あ・・・ほんとす、すいません」

 狼狽えたように、男は答える。動揺でグラスを持つ手が震えているのか、

氷の震える音が聞こえて想像できた。

「それにまだふられたとは決まってないかもしれませんよ? 気づいてないだけかも」

「はあ・・・」

 涙を拭い、顔を上げるとバーテンダーが男に向かい合うように立っていた。

一瞬、バーテンダーが私をちらりと見て微笑んだ。すぐに男に視線を戻すと

斜向かいの壁に張り付いている柱時計に目を向けて彼の視線を促す。

「まだ電話すれば間に合うかもしれませんよ~。女の子は夜になると

ちょっぴり素直になるんですからひょっとすると・・・」

「はあ・・・」

 感動したように感嘆の声を漏らす男は、突然急いだように席を立つとお会計をすませる。

そして私の方に向き直って口を開く。

「本当にすみません。もしここでまた偶然お会いしたらおごらせてください! それじゃ」

 と言い捨てて颯爽と店を出て行った。

私は彼の背中を見送ることなく、カランカランというベルの音に耳を澄ませていた。

 ふと、バーテンダーと目があった。

「すみませんうるさかったですよね?」

 胸元に「ひかり」とネームを付けたその女性は、グラスを磨きながら

まっすぐに私を見つめて口を開く。

「いいえそんなことありません。それにしても男はいくつになっても可愛いですね~」

「はははそうですね」

 一瞬だけ、彼女の瞳に垣間見えた寂しげな光がなぜかすごく切なく感じられた。

「よころでお客様は、幸せな時間・・・結構ございましたか?」

 一言一言をゆっくり丁寧に、耳元に囁くような話し方に思わず

泣き出しそうになりながらもこらえてなんとか言葉に出した。

「はいとても、しあわせでした」

 彼女は心底嬉しそうに目を細めて、呟く。

「そうそれじゃ、そんなに悲しまなくても。笑っていれば

 きっとそのうちもっと素敵な天使が側におりてくるかも。

ってちょっとくさいわねごめんなさい。でも本当よ?

前を見ないと暗くて何も見えないから」

 顔を少し赤くして彼女は微笑んでいると、思い出したように

足早にコンポの前へいってボリュームを上げる。

リズミカルだがどこか哀愁が漂うサックスの音色が店内を充満する。

私は爪先でコツコツとカウンターをリズムを取る。

 濡れた瞼をハンカチで拭いながら、音楽に私は身を委ねた。

いつのまにかグラスの中にいた氷はもうすでに、溶けていた。


ガチャ


カランカラン・・・・・・


「ご来店ありがとうございました。


 またのお越しを心よりお待ち申し上げております」




おわり

 


会社の同僚女性の話を元に書いてみました。

ちなみに結末は紆余曲折ありましたがご結婚されましたw

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