4-1 男流名人戦①
男流名人戦がいよいよ今日からスタートする。
俺は対局開始の三十分前に将棋公会堂に到着して、職員一同の挨拶で迎えられた。
「最上先生、おはようございます」
「やはりライバルの将棋は現地観戦ですか?」
「ええ、せっかくなので」
今日の俺は対局者じゃない。観戦組だ。
観戦するだけなら、協会が提供する棋譜中継アプリや動画があるので、自宅でもできるのだが――今後戦うことになる相手だからな。現場の空気も感じながら観ていきたい。
検討室に入ると、机に複数のノートPCが並べられており、すでにたくさんの棋士たちが詰めていた。いくつもの目が一斉にこちらに向けられる。
「お、おはようございます……」
「きゃっ! 最上くん!」
「こっち座って、こっち!」
あちこちから黄色い声をかけられてしまう。
どうしたものかと思っていると、ひときわ存在感のある美少女を発見した。
「やあ。おはよう銀河」
「玉輝さ――永久先生も来てたんですか?」
公的な場なので、呼び方はちゃんとしておく。
「もちろんだよ。注目の一戦だからね。ほら、こっちにおいで」
よく知らない人の隣よりは居心地が良さそうだ。何しろ肌も合わせた仲だし。
「名人、ずいぶん最上くんと親しそうですが……?」
誰かが言うと、玉輝さんは余裕ありげに微笑む。
「彼は永久研のメンバーなんです。この前の記念対局のあと、すぐに引き入れて」
「えーっ! うちも最上くんのこと狙ってたのに!」
「うちもよぉ。若い男のエキスを摂取させてもらいたいわぁ」
本音がダダ漏れなのはいかがなものか……。
「別に専属ってわけじゃないでしょ? 我らが熟女研にもいらっしゃいよ。A級棋士だっているんだから」
そう言ったのはいかにもベテランという風貌の棋士だ。
熟女研……藍沢さんと浜崎さんも誘われたという研究会か。
申し訳ないが守備範囲外だ。ひとまず当たり障りのない返事をしておく。
「えっと、すいません。研究会は当面はひとつだけにしておこうかなって」
「銀河……本当かい?」
玉輝さんがパーッと顔を明るくさせていた。
「その、将棋界にもまだ慣れてませんので……しばらくは永久先生のところだけでお世話になろうかと」
「うん、うん! 将棋界のことは我らが永久研が、責任を持って教えてあげるよ」
ベテラン棋士は仕方なさそうに肩をすくめた。
「残念。となるとやっぱり、歳の近い藍沢さんと浜崎さんを引き入れたいわねぇ」
PCのモニターが映す対局室に、ちょうどその藍沢さんと浜崎さん――今日の対局者が姿を見せた。
先日のグラビア撮影でも着用した、立派な着物姿での登場。検討室の棋士たちも色めき立っている。
「すっごいステキ! これが雑誌に載るんですって?」
「雑誌の発売はもう少し先だけど、ネットには今日載るって聞いたわよ」
「そうなの? あとでチェックしなくちゃ」
「あなたはどっちが好み? あたしは浜崎さんかな」
「どちらもいいけど、うちは藍沢さん。いいお父さんって感じ! 実際パパになってもらいたいわ」
……まあ、対局が始まれば将棋のほうに関心が向くはずだ。
やがて、午前十時を迎える。
藍沢誠司男流初段 対 浜崎陽吾男流初段。男流棋戦の歴史の始まりを告げる一局がついに幕を開けた。
まずは注目の戦型――先手の藍沢さんが四間飛車に構える。
「迷いのない手つきだ。やはり藍沢さんは振り飛車党みたいだね」
と、玉輝さん。
そうなると、同じく振り飛車党と思われる浜崎さんはどうするのか。俺が練習を積んできたように、居飛車にして対抗型で戦うのか。それとも自らも飛車を振って相振り飛車にするのか。
浜崎さんはしばし手を止めていた。しかし迷っているのではなく、じっくりと気合いを注入しているように感じられた。グラビア撮影や懇親会で見せていた愛嬌のある表情はそこにはなく、戦う棋士の精悍な顔だった。
そして浜崎さんは飛車を持ち、左方に移動させた。おーっとどよめく検討室。
「これは面白くなりそうだね。相振り飛車はまだまだ定跡が整備されていないから」
玉輝さんの言葉に他の棋士たちも頷いている。
初めての公式戦、両対局者は決して焦らずじっくりと駒組みをしていった。午前中はこの調子で何事もなく進みそうだな。
そこへ職員が入室してきた。手にしたメニューを開きながら、ふたりにお伺いを立てている。
「昼食の注文! 何を頼むのかしら」
将棋の対局は食事休憩が挟まる。提携しているお店に配達してもらうのだが、これは「将棋めし」と呼ばれることもあり、ファンの注目を集める。
なぜ食事なんかが注目されるのかと、将棋界をよく知らない人からは不思議がられる。
理由のひとつとして、将棋の対局は動きが少なく、わかりやすさに乏しい。しかし食事は誰もが話題にしやすい。共通の話題を提供してくれるのが、初心者にも上級者にも重宝される……らしい。
対局者が何を注文したかは、棋譜中継アプリでも情報として出てくる。
「あはっ、ふたりともカツ丼ですって」
「勝負に勝つ! 定番で微笑ましいわ」
こんな風に盛り上がるファンが、全国にいるわけだ。




