おかしな新婚生活 3
「せーのっ! よいしょ……、っと! さ、もういいわよ。お父様」
いつものようにシーツ交換を終え、額ににじんだ汗を手の甲で拭った。
「いやぁ、すまないな。モンバルトには、あと一週間もすれば自力で動けるようになると言われてるんだが。はっはっはっはっ!」
父が上機嫌で笑った。ようやく痛みもましになってきたせいか、部屋に誰かがやってくると途端に饒舌になる。よほど退屈しているのだろう。
「お前たちいつの間にか息がぴったりになったな」
「え?」
「ん?」
思わずシオンと顔を見合わせた。
「どういう意味? それ」
きょとんと父に問いかえせば、「ぶくくっ!」と父が噴き出した。
「ほら、そういうところだよ。シーツを交換する時だって、まるでふたりで昔からそうしてたみたいにタイミングがぴったりだ。シオンもすっかり領地の皆にも溶け込んでいるようだしな」
シオンを見る父の目が、ふわりとやわらかく細くなった。
なんとなく胸がむずがゆい。けれど言われてみれば、シオンがいる暮らしにいつの間にか慣れはじめている気がする。もちろん時々は胸が忙しく騒いだりはするけれど、屋敷の中にシオンの気配を感じることに、むしろ安心感すら覚えているような。
(毎日一緒にいるんだから当然ではあるんだろうけど……でも、あんまり慣れすぎるっていうのもよくない気がする。うん)
シオンは休暇の間のほんの短い時間、ここに滞在するだけなのだ。休みが終わればまた戦地に行って、きっともう会うこともない。なんとなくそんな気がしていた。
瞬間胸に走った寂しさを振り払うように、父に告げた。
「おかしなこと言ってないで、病人はさっさと横になってちょうだい! ほらっ、動かすわよ! せーのっ」
「うおっ! 待てっ。いててててっ」
重い体をふたりで担ぎ上げ、ベッドに戻すとぎゃあぎゃあわめく父を残し部屋をあとにしたのだった。
シオンとふたり、ぴったりと息の合った動きで。
その日の午後、屋敷のベルが鳴った。
「こんにちは、アグリアちゃん」
「メリダ! いらっしゃい。あれ? 何か配達をお願いしてたかしら」
ぱたぱたと玄関に出向けば、そこには領地で一軒しかない雑貨屋の女主人メリダが立っていた。
メリダは結婚して間もなく雑貨屋を営んでいた夫を亡くし、以来店をひとりで切り盛りしている。気風のいい快活な性格のせいか、この領地に暮らす皆のよき相談相手でもある。
「いやね、これをアグリア様にプレゼントしようかと思ってね。シオン様との結婚祝にさ」
「これって……、化粧水か何か?」
メリダがにっこりと笑みを浮かべて手渡してくれたのは、何やらいい香りのするクリームが入った小瓶だった。
きれいな花の絵が描かれているしゃれた瓶で、実に女性らしい品だ。
「ええっと、嬉しいけど私普段からお化粧は……」
こんな田舎で暮らしていると、いくら貴族の令嬢とは言え華やかに着飾って出かける機会も相手もいない。それに毎日忙しく農作業やら家事に追われて、見た目など気にする余裕なんてない。
よってお化粧なんて年に一度すればいい方だ。でもそんなことメリダが一番よく知っているはず。
王都からもそこそこ栄えた町からも離れたこの領地では、生活必需品以外のお化粧品だの嗜好品だのはまず手に入らない。行商人だって滅多にやってこないし、そうしたものを手に入れるにはメリダを通して王都から配達してもらうのが常なのだ。
せっかくいい化粧品をもらったところであまり使う機会はなさそうだ、と残念そうに笑ってみせれば、メリダが「そうじゃないよ」と首を横に振った。
「え? ならこれは……」
お肌に塗り込んで美しくなる、といった類のものでないなら一体何なのかと首を傾げれば、メリダはにんまりと意味ありげに笑いアグリアの耳元に口を寄せた。
「これをね、夜寝る前に体……特に首元とか胸元に念入りに塗り込むんだよ」
「ふむふむ」
「すると体温であたたまったこれがふんわりと香るんだよ。うっとりするようないい香りがねぇ」
「えっ⁉」
「女の魅力をうんと引き立てるような魅惑の香りで、うんとシオン様と仲良くおやり!」
背中にバシッとメリダのたくましい手が降ってきた。
「ええええっ? そ、それってまさか……!」
王都に婚活に行った折に聞いたことがある。
なんでも媚薬とまではいかないけれど、女の魅力を押し上げて男の欲をそそるアイテムがあると。それを使えば、好きな男性の気を引けるとかその気にさせることができる、とか夫婦円満に役立つ、とか。
「寝床に入る前にそれを体にちょいっと塗り込んでおけば、きっとシオン様も夢中になるさ。なんたってようやくシオン様が帰ってきたんだ。今のうちに仲良くしとかないとね!」
そう言うと、メリダは小瓶をエプロンのポケットに滑り込ませたのだった。
「あ、でも……いや! 私とシオンは……!」
とっさに口が滑りそうになり、慌てて口を両手で覆った。
まさかメリダに形ばかりの夫婦だなんて言うわけにはいかない。絶対に。
「えーと……なんていうか、役に立つかどうかはわからないけど……ありがとう。メリダ。ははっ……」
メリダの好意からの贈り物となれば突き返すわけにもいかず、アグリアは顔を引きつらせた。
「じゃあ、シオン様にもよろしく伝えておいておくれよっ! あ、もし足りないようだったらいつでも注文しておくれね」
「あ、あはは……。う、うん……。そうするわ」
「でも本当に安心したよ。シオン様がちゃあんと無事に帰ってきてくださってさ。戦争だって直に終わる! そうしたらシオン様だってずうっとここにいられるんだからね。その時までどうにか頑張るんだよ。アグリア様」
そう言い残し、メリダは帰っていった。
赤く染まった顔で台所に戻れば、そこにはシオンがいた。
「勝手にすまない。湯が沸いていたから、火を弱めておいた方がいいかと……」
「あ、ありがとう……」
ポケットの中の小瓶がなんだか熱を持った気がする。
(メリダがおかしな気を利かせたりするから、なんだか意識しちゃう……! もうっ。私とシオンはそういう関係じゃないのに)
もごもごと礼を口にすれば、シオンが何かを思い出したように告げた。
「そう言えば、今朝領地を散歩してたら雑貨屋の女主人からおかしなことを言われた」
「ぶっ、ごほっ! メリダが何て!?」
「えーち、確か『効果絶大だから楽しんで』とか、『アグリア様と仲良くね』とか言っていたような……。あれ、どういう意味だったんだろうな」
思わずその場に崩れ落ちそうになるのを、どうにか堪えた。
「な、なんでもないっ! なんでもないから、気にしなくて大丈夫。いいから忘れてっ!」
全身からおかしな汗を噴き出しながら、シオンに言い聞かせた。その挙動不審としか思えない行動に、シオンはますます首を傾げていたけれど。
「と、とにかく、お茶をどうぞ! はいっ」
「え? あ、いやお茶ならついさっき飲んだばかり……」
戸惑うシオンに無理やり淹れたばかりの熱々のお茶を押しつけ、大急ぎで自室にかけ込み小瓶を取り出した。
「えーと、絶対に人目につかない場所は……」
小瓶を引き出しの奥の奥に瓶を厳重にしまい込み、自分に言い聞かせる。
絶対に出番なんてくるはずない。だって自分たちは、こんなものを使うような関係じゃないんだから。
けれど、一度火照った顔からはなかなか熱が引いてくれなかった。




