おかしな新婚生活 1
コンコンッ! コンコンッ!
きれいに晴れ渡ったある日の屋敷に、釘を打つ小気味いい音が響く。
「ありがとう、シオン。助かったわ。ずっとガタガタしていて、おそるおそる使ってたの」
シオンがやってきて一週間が過ぎた。
最初は互いにぎこちなかった関係も、今では程よい距離感で自然に接することができるようになった――気がする。たまにシオンを意識してしまって、顔を直視できなくなる時はあるけど。やはり寝食をともにするというのは、親しみを生む一番の方法に違いない。
シオンが金槌を片手に爽やかな笑みを浮かべ、振り向いた。
「あと他に直すところは? なんなら、もっと手のかかるものでもかまわないが」
「あ、なら鶏小屋を新しく作ろうかと思ってるんだけど……お願いできる?」
「あぁ。もちろん」
シオンがにっこりと笑う。
王都育ちの割に、シオンはすっかり田舎暮らしに馴染んでいた。長く戦地にいるためだろう。炊事や洗濯といった家事も一通りこなすし、屋敷で飼っている鶏や馬などの世話も難なくこなすほど。領地にきたばかりとは思えないくらい、領民たちにもなじんでいる。
おかげで今ではすっかりシオンの好意に甘えてしまっている。
「シオンがきてくれて、本当に助かったわ。父が寝込んでから、実はあちこち手が回らないのを仕方ないと思って目をつぶってたの。それがすっかり片付いたもの」
領民に頼めばなんだって手を貸してはくれるけれど、皆には皆の仕事と暮らしがある。それを守るのが領主の役割なんだし、それを邪魔するわけにはいかない。
建付けの悪かった棚がすっかり直っているのを確認し、アグリアは満面の笑みを浮かべた。
「このくらいなんてことない。毎日あれだけうまい飯にありつけるんだ。足りないくらいだ」
「ふふっ。そう言ってくれると、作り甲斐がある」
端から見れば、まるで本当の新婚夫婦のように見えるだろう。実際のところは、顔を合わせてからまだ一週間しかたっていないんだけど。
アグリアは、シオンの背中を不思議な気分で見やった。
(シオンって不思議な人、よね。まるで昔からこうしてたみたい)
そう感じているのは、きっとアグリアだけではない。父も領民だってそうだ。
シオンが領地にやってきた翌日、領民たちがどっと屋敷に押しかけてきた。
余所者がくることなど滅多にない辺鄙な土地柄が災いして、シオンが屋敷に入るところを目撃した者がいたのだ。領主の娘の結婚となれば、領民にとっても喜ばしいことである。なのに一度も姿を現したこともなく戦地に行ったきり。そのシオンがやってきたという噂は瞬く間に領内に広がったのだ。
『いやぁ! こんな立派な旦那様とは、領民として鼻が高いよ。さすがはアグリアお嬢様!』
『本当に、なんて素敵な方だこと。こりゃあ領地の未来は安泰だねぇ』
『シオン様! アグリアお嬢様を幸せにしてやっておくれよ』
『落ち着いたら、さっそく結婚の祝いの席をもうけなくっちゃねぇ!』
そう口々に喜びの声を上げながら、皆畑で採れた野菜だの自家製チーズだの、端切れを接ぎ合わせて作ったクッションカバーだのを手にして屋敷に押しかけた。
領民たちのあまりの熱量に、さすがのシオンもたじたじだった。が、アグリアからすればもしも契約結婚であることがバレたらどうしようと気が気ではない。
けれどシオンは――。
『皆さん、ありがとうございます。いずれ落ち着きましたら、領内を回ってご挨拶をするつもりです。どうぞこれからよろしくお願いします』
落ち着いた物腰で爽やかに微笑んだシオンに、領民たちは皆一様に頬を染めた。
その時のことを思い出し、アグリアは小さく笑った。
ひょっとしたら、シオンには人たらしの才能があるのかもしれない。会ったばかりなのに人の心をつかんでしまうようなそんな力が。
「ん? どうかしたか。アグリア」
「ううん! なんでもない。今日はお天気もいいし、領地を巡りがてら外でお昼にしましょうか。あちこち見せたいところがあるの」
領内を流れる川では魚釣りも楽しめるし、小さいながら湖だってある。山の美しい稜線を望める丘の上でのんびり風に吹かれながら領地を眺めるのもいい。
シオンがおかしそうに噴き出した。
「?」
何かおかしなことでも言っただろうか、と首を傾げればシオンが笑った。
「君とログはよく似ているな。領地をこよなく愛していることがよく伝わってくる」
「あ……」
気恥ずかしさから首をすくめた。
「そうね。私、ここが大好きなの。お父様とお母様が大切に守ってきたこの領地が」
だからこそ、契約結婚をしてでも守りたかった。両親が心から愛し守ってきた土地だから、自分も同じようにこの平穏を守りたい。そのためなら愛だの幸せだのは二の次でいい。
そう告げれば、一瞬シオンが何とも言えない顔をした。
「君は……後悔はしていないか? こんな形だけの結婚をしたことを。ログにしたってひとり娘の結婚が離縁前提だなんて、不安もあるだろうし」
「……シオンは? 後悔してる?」
モンバルトからシオンのことを聞いた時、同じだと思った。自分の幸せなんて考えていない。それが正しいことだなんて思わないけれど、そうする必要があった。そう思えたから、シオンとの契約結婚を了承したのだ。
「私は後悔してないわ。だってそうすることでここを守れるんだもの。ずっとこの地を守っていける。それだけで十分よ。それにお父様だってその気持ちはわかってくれてると思うし」
ゆくゆくいい人がいれば再婚したっていい。でもきっと愛で結ばれた結婚はこの先もしないと思う。そう告げれば、シオンがこちらをじっと見た。
「もしかして君が普通の結婚を望まないのは、母親を早くに亡くしたせい……か?」
こくり、とうなずいた。
「母が亡くなった時、父は今にも消えてしまいそうなくらい悲しみに沈んでた……。大きかったはずの父の背中がとても小さく弱々しく見えて、今にも母のもとにいってしまいそうで……。その時の背中が忘れられないの」
愛すると言うことはとても尊いことだ。けれど愛が深ければ深いほど、別離の苦しみも大きい。それを母の死で知ってしまった。その経験が、幸せな結婚を夢見ることを遠ざけた気がする。
「誰かを心から愛せる人生って素敵だとは思うの。そんな人に出会えたら、とても幸せだって。でももうあんな思いはしたくない。だったら最初から望まなければいいんだって、そう思って」
領地なら別離の心配はない。領主として守れるかどうかは別として、この地が消えてなくなることはないんだし。
「私はこの領地と結婚するみたいなものだわ。そのためには、シオンとの契約結婚はぴったりだったの。だから後悔なんてしてない。むしろ感謝してるわ」
清々しく笑って見せれば、シオンの表情がやわらいだ。
「そうか。ならいいんだ。……俺も後悔はしていない。相手が君でよかったと思ってる」
「え? それってどういう……」
胸がドキリ、と大きく音を立てた。けれどシオンはそれには答えず、手に持っていた工具箱を置いた。
「さて、鶏小屋製作に取り掛かる前にまずはログのシーツを替えに行くか。そろそろ退屈過ぎて話し相手がほしくなる頃だろうしな」
シオンの予想通り、父は待ってましたとばかりに満面の笑みで出迎えてくれた。
「いやぁ、よくきてくれた。いい加減ベッドの上で過ごすのも飽き飽きしてたところだ」
嬉々とした様子の父の足から湿布を勢いよくはぎ取り、新しいものに貼りかえた。
「いてててててっ! も、もう少し優しく頼む。アグリア」
「自業自得でしょ! もうっ」
足首の捻挫は治るのにしばらくかかるとして、腰はもう大分いいようだ。おかげでベッドで寝ているのが暇でたまらないらしい。
「そんなに退屈なら、午後は帳簿を持ってくるわね。帳簿付けくらいなら、ベッドで体を起こしててもできるもの。シオンにはこのあと鶏小屋を作ってもらうつもりだし、私は他にやることがたくさんあるし」
「ぐっ……! ま、まぁやることがないよりはましか」
てっきり話し相手になってくれると思っていたのだろう父が、しょんぼりとうなだれた。かわいそうだが治るまでは致し方ない。
せっかくの休暇なのにあれこれ手伝う羽目になったシオンにも、少しはのんびりしてもらわなくては。
「せっかくシオンがきてくれたんだし、そのあとはふたりでお昼がてら領地を見て回ってくるわね! さ、行きましょっ。シオン」
「あぁ。だな」
その瞬間、父の眉がつまらなそうにしょんぼりと下がった。




