捨てる神あれば拾う神あり 3
実のところ、寡婦年金はともかくとして五年間結婚生活を続ける意味は他にもある。たとえ離縁なり死別なりでその婚姻が終わったとしても、五年の婚姻歴があればその後数年は妻が夫の代わりに領主代行の任につく権利が与えられるのだ。戦争が長く続いているがゆえの暫定的な措置だった。
(離縁しても猶予があるうちに養子を迎えてしまえば、私はこの領地を守れるってことよね。その子が大きくなるまで、私が領主代行すればいいんだもの)
心の中でつぶやき、思案した。
別に血をわけた子を後継ぎにする必要はない。養子だってなんだって、未来の領地を大切に守り抜いてくれるならそれでいい。だからこそ、結婚相手に愛だの人柄だの頑張りを求める気はさらさらなかったのだ。足りない分は自分が頑張ればいいんだし。
(だからって死別は嫌だけど。たとえ愛で結ばれた相手じゃなくても、夢見が悪いもの。どこかで元気にしていてくれなくちゃ)
モンバルトがこちらをじっとうかがっているのを感じ取り、アグリアは小さくうなずいた。
「悪くない話だわ。契約結婚なんてお父様はいい顔をしないかもしれないけど、領地の未来を考えたら他に方法はないし。でもそのシオンって人には、他に望みはないの? なんだかこちらにだけ利があってうま過ぎる気がするんだけど……」
うまい話には落とし穴がつきものだ。懐疑的な気分でモンバルトを見やれば。
「あぁ、そうだったそうだった」
はっと何か思い出したようにモンバルトがぽん、と手を打ち合わせた。
「ひとつだけ、シオンからの交換条件がある」
「交換条件?」
モンバルトがこくりとうなずいた。
「シオンは今後一切、のっぴきならない事情がある時以外は王都に寄り付きたくないと言っていてな。もう何年も実家にも帰っていないんだ。だから戦地からどうしても戻ってこなければならなくなった時には世話になりたいそうだ。その分の力仕事なんかはするからと言ってな」
思わずきょとんと目を瞬いた。
確か兵士には、半強制的な休暇制度があったはずだ。その際には滞在先を軍部に知らせる必要があるとかなんとか。つまりはその滞在先に、妻となる者の家を指定したいということだろう。
「まぁ、この屋敷の一室でもいいならかまわないけど」
残念ながらこれといって見所のないこの領地には、客人が泊まれるような宿は一軒もない。よって長く滞在できる場所といったら、このノーレル家の屋敷しかないのだ。
貴族の屋敷とはとても思えないほどこじんまりとしていて簡素な屋敷ではあるけれど、大人ひとりくらいが過ごせる客間くらいは一応ある。そこでいいなら何の問題もない。
「でもなんでそんなに王都が嫌なの? 家族だって王都にいるんでしょう。家族の誰かとうまくいっていないとか、そういうこと?」
一瞬モンバルトは何とも言えない表情を浮かべたものの、すぐにいつもの飄々とした顔に戻った。
「いや、まぁ……色々あるのさ。あいつも苦労してるからな」
「ふぅん……?」
ちょっと気にはなるけれど、深く追求するのはやめておいた方がいいだろう。自分だって話したくない事情のひとつやふたつあるんだし。
ともかくも、シオンとの契約結婚はいい話には違いなかった。月々の仕送りがあれば古くなった農具も買い換えられるし、去年の暴風で壊れたままになっている水車の修繕費の足しにもできる。
そのお礼に、シオンが領地にきた際にはうんとおもてなしすればいい。王都のような楽しみはなくても、この領地で採れる農作物や新鮮な乳製品の数々は絶品だ。料理の腕にだって自信がある。もしも収穫時期に合わせて帰ってきてくれたら、とてつもなく甘くて芳醇なメリューも味わえるし。
「で、どうする? この話もしも受ける気があるんなら、シオンに伝えておくが」
モンバルトの問いに、一も二もなくうなずいた。
「えぇ、ぜひお願い。私、そのシオンって人と契約結婚する!」
モンバルトの口元が、満足げに弧を描いた。
それから少しして、シオンから受理済みの婚姻届の控えと手紙が届いた。
『アグリア殿
この度はこんな申し出を受けてくれたこと、心から感謝している。婚姻届はすでに軍を通して提出済みだから、安心してくれ。これより、契約通り君と私とは夫婦の関係になる。だが、何か特別な事情がある場合をのぞいて顔を合わせることはない。両家の付き合いも、一切不要だ。
今後、仕送りは自動的に君のもとへと支払われるよう手続きしてある。もし何か条件の変更を求めたい場合は、連絡をくれ。
では五年間、よろしく頼む。 特に問題がなければ返信は不要だ。
シオン』
こうしてアグリアは一度も対面することなく、どんな容貌のどんな声の相手かも知らないままに人妻となったのだった。
◇ ◇ ◇
そしてあっという間に月日は流れ、婚姻四年目を迎えたある日のこと。ノーレル家の屋敷に、アグリアの大声が響き渡った。
「大変! シオンが帰ってくるわ。しかも来週にはこちらに着くって……」
手元の便箋に視線を落としたまま、父に声をかけた。
「なんだって? 来週って、すぐじゃないか」
シオンと結婚して四年が過ぎ、これまで一度もシオンと顔を合わせたことはなかった。手紙も最初の一通だけで、返事も書いていない。強制的に休暇を取らされたことも幾度かあったらしいが、王都にある軍本部に行く用があったとかでこの領地に立ち寄ることは一切なかった。
だからすっかり思い込んでいたのだ。きっとこのまま一度も顔を合わせることなく、契約結婚は終わるんだろうと。が、シオンが帰ってくるというのなら全力でもてなさねばならない。シオンが毎月仕送りしてくれるおかげで、この領地がどれだけ助かったかしれないんだし。
「ま、まぁちょうどいい機会かもね。そろそろ五年になるんだし、離縁についても一応話し合っておいた方がいいかもしれないし」
動揺を隠しつつ、アグリアはこくこくとうなずいた。
「まぁ確かにな。にしてもなんとも急な話だな。大したけがでないのなら何よりだが」
シオンの手紙には、ちょっとしたけがをしたのを理由に上官から強引に休暇を取るよう勧められたと書いてあった。
「けがはもうすっかりいいみたい。でもたまには嫁の顔を見に帰れって強制的に休暇を取るように言われたんですって。下手に疑われても面倒だから、今回は世話になりたいって書いてあったわ」
結婚したにも関わらず、頑なに妻の領地に帰りたがらないなど不審がられてもおかしくない。別に形ばかりの結婚など珍しくもないが、国が決めた制度を利用して、端から離縁するつもりで結婚したとなればさすがに国から目をつけられる可能性はある。
「そうか。ならとにかく急いで返事を出した方がいい。今すぐに出せば、シオン君が出発前に間に合うだろう」
「そ、それもそうね! そうするっ」
父の言葉にアグリアは弾かれたようにかけ出し、自室の机に向かった。が、一向に筆が進まない。当然だ。一度も会ったこともろくに知らない相手へのはじめての手紙なのだから。
アグリアは、シオンからの手紙をもう一度読み返した。
『アグリアへ
元気でいるだろうか。
突然の知らせですまないが、ちょっとしたけがを負ったことを理由に上官から強制的に長期休暇を取るよう言われた。そのため、そちらにしばらく滞在させてもらいたい。
急なことで本当にすまない。 来月の中旬にはそちらに着く予定だ。急なことで悪いが、よろしく頼む。
一応書き添えておくが、けがとは言ってもかすり傷程度だから気遣いは不要だ。ではまた。
シオン』
一通目の時と同じく、無機質ながら丁寧な文字で書かれていた。真面目で誠実な人柄なのだろう。
「うーん……。なんて返事を書こうかしら。シオンのこと、何も知らないのよね。でももしも誰かに見られでもしたらまずいから、下手なことは書けないし……」
しばしうなったのち、アグリアは手紙をしたためはじめたのだった。




