甘くて、苦い 1
ただ立っているだけで人目を引く人間というのは、この世にいる。間違いなくシオンもそのひとりだった。
シオンとその隣に立つ自分に注がれるなんとも対照的な視線に、アグリアは生きた心地がしなかった。
楽隊の奏でる軽やかな音楽と、眩いばかりの光と衣擦れの音であふれる夜会会場に足を踏み入れるなり、一斉に会場中の視線が集中する。
当然のことながらシオンには主に女性たちのうっとりとした熱い視線が、そして自分には――。
どの目もはっきりと言っていた。なぜこんなに素敵な男性の隣に、こんな地味でぱっとしない令嬢が立っているのかと。
(ひっそり陰に隠れてやり過ごそうなんてシオンと話してたけど、どうやら無理そうね。結婚指輪を用意したのは正解だったかも)
ちらと隣のシオンを見やった。
すらりと引き締まった体躯に日に焼けた肌。額にさらりと流れる黒髪は、どこかなまめかしく艶やかだ。その髪の隙間からのぞく、すっと流れるような涼し気な目元。それら素材のよさを存分に引き立てる、一部の隙もない正装姿。
そんなシオンととても釣り合いが取れているとは言えない。けれど互いの色を身につけるなんていうこんなベタな結婚指輪を見れば、皆れっきとした夫婦だと信じてくれるだろう。
けれど肝心のシオンは、自分がそれほどまでに注目を浴びていることにはまったく気が付いていないらしい。
涼しい顔で周囲を見渡すと、シオンが耳元でささやいた。
「アグリア、とりあえず会場の隅に引っ込むぞ。目立ちたくないからな」
もう無理だと思うけど、という言葉をのみ込み、シオンとともに会場の端っこにどうにか陣取った。こうなったら、上等なお酒やら料理を楽しむとしよう。滅多にこんなごちそうは食べられないんだし、きっと希少なお酒だってあるだろうし。
アグリアは少々やさぐれた気持ちで、シオンが持ってきてくれた果実酒をぐいとのみ干した。
「お代わりならあるぞ」
すかさずシオンがもうひとつグラスを差し出す。
「……ありがと」
モンバルトといいシオンといい、どうも酒のみだと勘違いされている気がする。
複雑な思いにかられつつ、今度はちびちびとお酒をなめながら話しかけた。
「なんだか軍服姿の人が多い気がするけど……。もしかしてこれって、軍関係者が集まる夜会なの?」
「あぁ。軍部への民の風当たりを和らげるために、金回りのいい商人やら貴族なんかを呼び集めて接待するんだよ。とは言っても、お偉方は面倒臭がってあまり出席しないのが通例だがな」
シオンによれば、ようは金持ち連中をいい気にさせて資金を集めるのが目的であるらしい。そんなご機嫌取りは下っ端に任せておけばいいということなのだろう。
シオンが苦虫を嚙み潰したような顔でつぶやく。
「まったくなんで王都の貴族っていうのは、こうもくだらない遊びに金と時間を浪費するんだろうな。こんなことに色々費やすくらいなら、薪のひとつでも割っていた方がはるかに有意義だと思うんだが」
「ぷっ! シオンったら」
いつの間にかすっかり田舎暮らしに馴染んでいるシオンに、思わず噴き出した。
「そういえば君は以前、リーなんとかっていう男に振られたことがあるらしいな。自分にはとても牛の世話やら土にまみれた暮らしはできないとかなんとか言われたと聞いたぞ」
シオンの目がいたずらっぽくきらめく。
「ぐほっ!」
うっかり果実酒を噴き出しそうになり、慌てて口元を手で覆った。
「さてはモンバルト先生がバラしたのね! 帰ったら先生のお気に入りのお酒、全部捨てちゃおうかしら」
リーロンの一件はもはや黒歴史だ。それをよりにもよってシオンにまで知られているとは。
モンバルトの無精ひげ姿を思い出し、むぅっと口を尖らせた。
「ははははっ! それはいい。俺も手伝おう」
シオンがおかしそうに肩を揺らして笑った。その顔に、どこかほっとする。
指輪を買いに行った時の、まるで亡霊を見たかのようなシオンの顔が目に焼き付いて離れない。まるでシオンが消えてしまいそうな気がして。でもどうやら今はいつも通りのシオンだった。
「おう、シオン! 久しぶりだな」
誰かが近づく気配を感じて、ふたりそろってはっと振り返った。
見れば、くりくりとした癖っ毛の軍服姿の青年が立っていた。なぜかその顔を見た瞬間、シオンの顔に不機嫌極まりない色が走った。
「タリオン、お前のおかげで散々だ。こんな夜会にまで引っ張り出しやがって」
青年はそれを明るく笑い飛ばした。
「ははははっ! こうでもしないとお前に会えないんだからしょうがいないだろうが。自業自得だよ、シオン」
どうやらこの青年が、シオンの旧友タリオンであるらしい。
ふとタリオンの顔から笑みが消えた。シオンがいぶかしげにタリオンを見やった。
「……なんだ? タリオン」
「実は……、今日ここにあいつがきてる」
その瞬間、シオンがはっと表情を強張らせた。
「あいつって、まさか……」
タリオンがこくり、とうなずいた。
「すまない。昨日急に出席すると言い出したらしくてな。あいつがくるとわかっていたら、お前をここに呼んだりはしなかった。本当だ。すまない。もっと早くに伝えられればよかったんだが、急なことで間に合わなかったんだ」
ふたりの間に落ちた重苦しい沈黙に、アグリアは息をのんだ。
シオンはしばし黙り込み、小さく嘆息した。
「……お前が意図したわけじゃないくらい、わかっている。気にするな」
「しかし……」
「問題ない」
もうこれ以上何も話す気はない、とばかりに言葉を切ったシオンに、タリオンはぐっと口元を引き結んだ。
(あいつって……誰なのかしら。シオンにこんな顔をさせるような人って一体……)
話が見えず、ひとり首を傾げていると。シオンがくるりとこちらを振り返った。
「君がアグリアちゃん? はじめまして、タリオンだ。シオンとは学院時代の悪友でね。友だち甲斐のないシオンに一言物申してやろうと思って呼び出したんだ」
「は、はじめまして! アグリアと申します。この度はお招きいただき、ありがとうございます」
ぎこちなく挨拶をすれば、タリオンが人懐っこい顔でにっこり笑った。
「会えて嬉しいよ。こいつが結婚するなんて夢にも思ってなかったから、一体どんな子がシオンを射止めたんだろうって気になってたんだ」
こういう時どんな反応をすればいいのかさっぱりわからない。がっかりさせてすみません、なのか、それともただにっこりと微笑めばいいのか。
ぎこちない笑みをどうにか貼り付けぺこりと頭を下げれば、タリオンがふむふむとうなずいた。
「うん、なんかわかる気がするかも。シオンが気に入りそうだな」
「……え?」
タリオンがにんまりと笑みを浮かべ、じっとこちらをのぞき込んだ。それを見たシオンが、慌てた様子で間に割って入った。
「シオン?」
なぜかシオンが、タリオンを憮然とした顔でにらみ付けている。一体どうしたというのか。
その瞬間、タリオンが思い切り噴き出した。
「ぶはっ! はははははっ。シオン、お前変わったな。まさかお前のそんな顔を見る日がくるなんて思わなかったよ。ははははっ」
げらげらとおかしげに笑い転げるタリオンに、シオンが困惑の表情を浮かべた。
「そんな顔って……どういう意味だ」
「お、お前……自覚ないのか。そりゃあ最高だ! いやぁ、やっぱり今夜会えてよかったよ。アグリアちゃん」
タリオンがどうにか笑いを収めながら、どこかほっとした顔で目尻ににじんだ涙を拭った。
「安心したよ。シオンが元気そうでさ。……ね、アグリアちゃん」
タリオンが真面目な顔をしてささやいた。
「は、はい?」
「こいつ、ちょっと面倒臭いとこあるけどさ。でも馬鹿みたいにいい奴なんだよ。だからこれからもこいつのこと、よろしく頼むね。友人代表としてさ、こいつには長生きしてもらいたいんだ」
そう言うと、タリオンがにかっと笑った。
「は、はい……。もちろん」
反射的に言葉が出た。それを聞くとタリオンは満足げにうなずき、ひらひらと手を振って去っていった。




