ふたりをつなぐもの 2
「さぁっ、アグリアちゃん! 足を踏ん張って。コルセットを締めるわよ」
「はいっ」
ぐいぃぃぃぃぃっ!
容赦なく締め上げられるコルセットに、潰された蛙のような声が出た。
普段コルセットなどつける習慣がない上、身を飾るような経験自体が少ないために非常に苦しい。果たしてこんなに胴を搾り上げられた状態で夜会を乗り切れるのか、と心配でならない。
「次はこれを着けて。その上にはこれね!」
テキパキと進む夜会準備。メイドと義母、リリアンヌがノリノリで支度を手伝ってくれる。
当然のことながら、夜会向きのドレスやら小物やらは持参していない。よってリリアンヌが妊娠前に仕立てたドレス一式を借りることになった。
「アグリアちゃんが私と体型がさほど変わらなくてよかったわ。このドレス、今期の流行りなのよ」
まだ一度も袖を通していないといはう明るい黄色のドレスは、ボリュームは控え目ながらとても華やかなものだった。
目鼻立ちがはっきりしたリリアンヌなら、よく映えたに違いない。
それを自分が着る羽目になってしまい、なんとも申し訳がない。
どうやらふたりとも、王都に長らく住んでいるせいかこうした華やかな席に苦手意識はないらしい。むしろドレスを着れることが楽しみでならないのだろう。
「いいわねぇ、夜会。私は当分きれいなドレスともダンスもお預けだわ」
リリアンヌが大きくなったお腹をさすり、残念そうにつぶやいた。
どうやらリリアンヌは華やかな席が好きらしい。
「私はちょっと苦手です。ああいう席は慣れないし、田舎者だと笑われそうでなんだか気が引けてしまって……」
リリアンヌや義母とは違い、自分の肌は日に焼けている。化粧で多少はごまかせる程度だけれど、明らかに王都にいる貴族令嬢とは違う。こんな肌ではきらびやかなドレスなんて似合わないし、顔の造作だってぱっとしない。
ともなると、どうしたって腰が引けると言うものだ。
鏡に映る自分の姿にしょんぼりと肩を落とせば、リリアンヌがコロコロと笑った。
「ふふっ。違うわよ。別に夜会が好きなわけじゃないの」
「え?」
きょとんと問い返せば、リリアンヌがふわりと微笑んだ。
「だって夜会って大好きな人と踊ったり、ふたりっきりの時間を過ごせるとっておきの機会じゃないの」
義母もこくりとうなずいた。
「わかるわ。子育てに追われてるとつい自分のことや夫婦の会話がおざなりになってしまうものよ。でも夜会みたいに着飾って出かける機会があると、あらためて惚れ直すのよね」
「そうそう。それにそんな機会でもないと、男の人ってちっともきれいだとかかわいいなんてほめてもくれないんですもの。ジグルドみたいなタイプは尚更よ。シオンだってそうではなくて?」
「えっ?」
リリアンヌの問いかけに、アグリアは目をぱちくりと瞬いた。
「あ、ええっと……」
ほんの少し前に顔合わせしたばかりのシオンが、そんなことを言うはずがない。そもそも形ばかりの夫婦なんだし。
けれど何のいたずらか、アグリアの脳裏にふとシオンが甘い言葉を自分にささやく姿が浮かんだ。
(ないっ! ないないないないっ。そんなの天地がひっくり返ったってあるはずない。シオンと私はそういう関係なんかじゃないんだものっ)
慌ててその想像を打ち消した。
「あら、アグリアちゃんったら顔が真っ赤だわ。ふふふっ。さてはシオンったら、案外甘い言葉をささやいたりするのかしら」
「まぁ、うらやましいわ。同じ兄弟でも違うものね」
すっかり勘違いしているふたりに、慌てて頭を振った。
「ち、違うんですっ! 別にそう言う意味じゃっ」
けれどすっかりそうと思い込んだふたりの生温い笑みが、その後も消えることはなかった。
「ふふっ。でも安心したわ。あの子、明らかに以前とは変わったもの。以前は今にもこの世から消えていなくなってしまいそうくらい暗い顔をしていたから、本当に心配していたのよ」
結局シオンは昨日出向いた店で、お揃いの指輪を買ってくれた。
『契約が終わったら、ふたつとも君が持っていてくれ。いざという時に売れば幾ばくかの金にはなるだろう』なんて言って、なかなかに値の張るものを。
そんなに高いものは必要ないと説得したけれど、頑として聞き入れてはくれなかった。結果、シオンの指には小さな薄茶色の石をつけた指輪が、自分の指にはシオンの目の色と同じ藍色の美しい石がはめ込まれた素敵な指輪がはめられていた。
ちらをそれを見下ろし、なんともむずがゆい気持ちになる。こんな小さな装飾品ひとつで、なんだかシオンといつも結ばれているような気になるのが不思議だった。
「アグリアちゃんがあの子を変えてくれたのね、きっと。ありがとう、本当に母としてこれ以上に嬉しいことはないわ。あの子が生きる意味をようやく取り戻せたんだもの」
「生きる意味……ですか?」
義母はこくりとうなずいた。
シオンが王都にも家族のもとにも寄り付かなくなる少し前のこと。シオンが大けがを負い戦地から王都の病院へと移されたことがあった。
「あの子の様子ったら、本当に見ていられないほどひどかったの。戦地で何があったのか聞いても、ちっとも教えてくれなくて……」
でもきっと体ばかりでなく心を打ち砕くようなひどいことがシオンの身に起きたに違いない。食べることも水をのむことさえ頑なに拒み、誰とも口を聞かず、まるで亡霊のように過ごしていたらしい。
「まるで生きることを拒否しているみたいだったわ。その後けがは治ったけれど、結局また戦地にとんぼ返り。以来、ちっとも帰ってこなくなってしまったの」
「そうだったんですか……。シオンにそんなことが」
そのうち手紙も滅多に届かなくなり、生きているのか死んでいるのかさえわからない有様になった。そんな時だった。シオンが王都から遠く離れた領地の娘と結婚すると知らせを寄越したのは。
「あの時は本当にびっくりしたわ。まさかあの子が誰かを愛して、結婚するなんて思いもしなかったもの」
義母とリリアンヌの優しげな目が、自分に注がれていた。
「ジグルドも素っ気なく見えるけれど、あれでいてちゃんとシオンのことを心配しているのよ。結婚すると聞いて、とても安心した顔をしていたわ。これできっとあいつも幸せになるだろうって」
「……」
家族皆で、シオンを静かに見守っていたのだ。遠く離れた王都で。シオンにもそんな気持ちが痛いほどに伝わっていたからこそ、シオンもたとえ嘘をついてでも家族を安心させなければと契約結婚を思いついたのかもしれなかった。
「あんなに穏やかなあの子の姿を見るのは、本当に久しぶり。ありがとう、アグリアちゃん。あの子に生きる希望をくれて。心から感謝しているわ」
「お義母様。そんな、私は何も……」
心がじくり、と痛んだ。こんなに穏やかで優しく愛情深い人たちを、自分は欺いているのだ。本当はシオンと自分の間にあるのは、ただの契約に過ぎない。そこに愛情なんて存在していないのに。
今さら真実を明かすわけにはいかない。でも――。
アグリアはきゅっと口元を引き締め、義母とリリアンヌに告げた。
「感謝しているのは、私の方です。シオンがいてくれたおかげで、とても穏やかで素敵な時を過ごすことができていますし。領地の皆も、シオンのことが大好きなんです。だから……私もシオンのためにできることをしたいと思っています。シオンの心が、少しでも穏やかであたたかくいられるように」
心からの言葉だった。この気持ちに嘘偽りはない。たとえ残りわずかな婚姻関係だったとしても、何かできることはあるはずだ。それがメリューのパイを焼いてあげる程度のことだったとしても、何もしないよりはずっといい。
そう言って微笑めば、義母とリリアンヌの顔がふわりと綻んだ。
「そう……。ふふっ。ありがとう。あの子はとても幸せ者だわ」
義母の目尻から、きれいな雫がぽろりとこぼれ落ちた。




