ふたりをつなぐもの 1
夜会を翌夕に控えたアグリアは、シオンとふたりで大通りにある宝飾店を訪れた。
「結婚指輪をお買い求めでございますね。でしたらこの辺りはいかがでしょう? 石の色を、互いのお好みのお色に変更することもできますよ」
アグリアは店主がにこにこと笑みをたたえながら差し出した指輪を見下ろし、その金額に目をひんむいた。
(た、高い……! 皆をごまかすために結婚指輪は必要とは言え、残り一年のためにこんなお金をかけるのはどうなのかしら……)
夜会に行くに当たって『形ばかりの夫婦だとあやしまれないよう、指輪を買いに行こう』といい出したのはシオンだった。
なんでも明日の夜会は軍関係者が多く集まるものらしく、もし疑いをかけられるようなことがあるとまずいことになるんだとか。
(まぁ確かに制度を悪用して国をだましたって言われたら、否定できないもんね。でもいくら費用は自分が出すから値段は気にするなって言っても、さすがに高過ぎじゃあ……)
困惑しつつシオンをちらと見やれば、シオンはなぜか窓の向こうをじっと見つめたまま固まっていた。その強張った表情には見覚えがあった。
「シオン……? どうかした?」
そっと声をかければ、シオンがびくりと肩を震わせこちらを見た。
その余裕のない暗い顔に、胸がざわりと騒ぐ。
(一体どうしたのかしら。窓の外を見てたみたいだけど……)
最近では見なくなっていたけれど、領地にきたばかりの頃はこんな顔をしていた。陰のある思いつめたような、まるで何か大切な感情をごっそりどこかに置き忘れてきてしまったかのような顔を。
「……いや、なんでもない」
言葉とは裏腹に、顔色が悪い。とても大丈夫なようには見えなかった。
「あの、ごめんなさい。ちょっと一度出直しますっ」
慌ててシオンを店から外に連れ出した。こんな状態で高価な買い物なんてするべきじゃない。
「すまない……。大丈夫だ。少し風に当たれば問題ない。指輪はまたあとで買いにこよう」
シオンはゆるゆると頭を振ると、自嘲した。
「ちょっと昔の知り合いによく似た男を見かけただけだ。人違いなのはわかっているんだが……、ちょっと驚いて……」
「知り合い……?」
どんな知り合いなのか、なぜ人違いだと断言できるのかは何も話してはくれなかった。
ただつぶやいたシオンの横顔があまりにも辛そうで、見ていられなかった。
(シオンは何かに苦しんでる……。もしかしたら、その知り合いに関係が? 過去に何かあったのかもしれない。シオンの心を深くえぐるような何かが……)
なんだか胸が苦しい。一体何がそんなにシオンを苦しめているのか、それをどうにかして癒してあげることはできないだろうか。
ふとそんな強い思いが胸の奥からわき上がった。
「ね、シオン。今日は買い物は止めにしてもう帰りましょう。昨日だってあちこち歩き回ったんだし、今日はゆっくりした方がいいわ。ね? 明日になっても指輪を買いたければ、午前中にでもきたらいいわ」
少なくとも今は、シオンを休ませてあげたい。咲夜もあまり眠れなかったみたいだし。
(なんなら指輪なんてなくたって平気よ。妻であることは確かなんだし)
もしも誰かに指輪をしていないことを不審がられたら、戦地から戻ったばかりなのだと言えばいい。もう少し状況が落ち着いたら用意するつもりだ、と。
どうせ自分たちの結婚を知っている人の方が少ないのだ。夫婦としてうまくお芝居をしてごまかせば、それほど問題にはならないだろう。
そう説得すれば、シオンは小さくうなずいた。
「……あぁ、そうだな。明日にでも出直そう」
その夜、アグリアは低いうめき声で目を覚ました。
「う……、許し……れ。……ソル、すまな……」
はっと身を起こせば、ベッドの端に横たわるシオンが悪夢にうなされていた。
額にはびっしょりと汗がにじんでいる。
「シオン……? ね、大丈夫? しっかりして、シオン」
返事はない。苦しげにうめきながら、胸を押さえ込んでいる。よほどひどい悪夢を見ているらしい。
「ラン……まない。許し……れ」
耳を澄ませば、どうやら先ほどから同じ言葉を繰り返しているようだった。
(ラン……なんとかって、誰かの名前かしら。許してって、一体何を許すっていうの……?)
もしかすると、今日シオンが誰かと見間違えたというのは――。
放っておけず、ふたりの間に横たわるクッションの山を跳ねのけシオンに触れた。
「どうしよう……。シオン? ねぇ、シオンったら。目を覚まして!」
肩を揺さぶり、声をかける。
「しっかりして! シオン」
「くっ……。すまな……、……ソル。許……れ」
「大丈夫、大丈夫だから落ち着いてっ。シオン」
必死だった。とにかくシオンを苦しみから救いたい。その一心で、たまらずぎゅっとシオンの体を抱きしめた。
まるで母親が子をなだめるようにそっと体をなでながら、優しく優しく。
「大丈夫……。大丈夫よ。落ち着いて、シオン。大丈夫だから……」
月明りが差し込む部屋の中、懸命にシオンをなだめ続けた。
「う……うぅっ。……ル」
誰かの名前を何度も呼び、泣きそうな顔でもがき苦しむシオンの姿が辛かった。
一体どれほどの心の傷が、シオンを苛んでいるのだろう。シオンを苦しめているのは、一体何なのか。
これまでずっとひとりで、重く苦しいものを抱え込んできたのかもしれない。そう思うと、いても立ってもいられなかった。
「シオン……。もう怖くないわ。ここにはあなたを責める人はいないから安心して。落ち着いて」
「……」
少しずつ、シオンの体のこわばりが和らいでいく。苦しげな息が次第に落ち着き、そして――。
「シオン……?」
空がわずかに白みはじめていた。
気が付けば、シオンの口から規則正しい吐息が聞こえはじめていた。どうやら悪夢は過ぎ去ったらしい。
(よかった……。やっと眠ったわ)
どうかこのまま朝が明けるまで穏やかに眠れますように。そう祈りながら、そっとシオンの額にかかった髪をよけた。
すっかり眠気など吹き飛んだアグリアは、ひとりシオンの大きな背中を見つめながら思った。
一体シオンをこれほどまでに苦しめているものは、何なのだろう。
こんなに優しく穏やかな人が、家族も生まれた地も捨てて死に急ぐかのように戦地にしがみつく理由。それも悪夢と何か関係があるのかもしれない。
(シオンがこの先も穏やかに眠れるといいのに。二度と今みたいに苦しまずに、明るい気持ちでいられるといい。私に何かできることはないかしら……。何か……)
穏やかに上下するシオンの体を見つめながら、そう願った。
胸の奥深くに灯りはじめた新しい感情に、アグリアはそっと目を伏せたのだった。




