ルンルミアージュの恩返し 3
アグリアはこくりと息をのんだ。
背後に立っていたのは、端正な顔立ちのすらりとした男だった。年の頃は四十代はじめといったところだろうか。
口をパクパクさせながら男を見つめたまま、ルンルミアージュが固まっている。その様子に首を傾げた。
「ルンルミアージュ、もしかして知っている人?」
ルンルミアージュがこくりと息をのみ、こくこくとうなずいた。
「この人よ! この人が……『エクラン』の店主様よっ」
「えええええっ⁉」
思いもよらない展開に、アグリアもシオンもあんぐりと口を開き男を見やった。
店主の名はリールと言った。
「この度はお越しいただき、誠にありがとうございます。お褒めに預かり光栄です。……それにしてもメリューとは珍しいですね。懐かしい」
穏やかな微笑みを浮かべ、リールが恭しく頭を下げた。
「……懐かしい?」
リールがにっこりと微笑んだ。
驚いたことに、リールはメリューのことを知っていた。なんでもまだ料理修行に明け暮れていた若い頃に、一度だけうちの領地を訪れ食べたことがあるのだとか。
「国中を渡り歩いて食材を探していた頃に、偶然あの地に立ち寄ったことがあったのです。あれは確か十二、三年ほど前のことでしたか。領地に漂う濃厚な甘い香りに驚いたんですよ」
十三年前ということは、ちょうど母が亡くなった頃だ。
アグリアの脳裏に、切なさと懐かしさが入り交じった遠い日の記憶がよみがえった。
「香りのもとがメリューという果実だと知り、そのおいしさに驚嘆したことを覚えています。ですがその頃ご領主の奥方が亡くなられたばかりとかで、領地全体が沈み込んでいましてね」
「あぁ……。そうだったんですか」
アグリアの口から小さなつぶやきがもれた。
当時のことは、よく覚えていない。母がいなくなった衝撃と困惑で、頭も心も真っ白だったから。そんな中で領地に見知らぬ人がやってきていたとしても、父も自分も気づかなかったはずだ。
「私はその領主の娘で、アグリア・ノーレルと申します。当時はまだ小さな子どもでしたけど」
「そうでしたか……。それはお辛かったでしょうね」
母が亡くなったその年は、当たり年だった。本当ならば領主である父も自分も、その収穫に加わっているはずだった。でも母の容態が急変して、それどころではなくなってしまったのだ。
とびきり甘いメリューの実を口にすることなく、母は逝った。『とても素敵な香りがするわ』そう言って、香りだけ味わって亡くなったのだ。
思わぬ偶然に、鼻の奥がツンとする。
「そんな時にあまり長居するのも、と思って早々に立ち去ったのですが、いつかまたメリューを味わいたいと思っていたんですよ」
それがまさか今になってメリューの名を耳にするとは、不思議なこともあるものだ。そう言って、リールは微笑んだ。
ガタンッ!
「な、なら……!」
勢いよく音を立て、ルンルミアージュが椅子から立ち上がった。
「……な、ならこれを機に、メリューで新たな最高傑作を作ってみるのはどうかしらっ!」
「えっ。ルンルミアージュ⁉」
慌ててルンルミアージュを制したけれど、ルンルミアージュはずいとリールに歩み寄った。
「実はアグリアは今、メリューを王都に売り出そうと奮闘中なの! あんなにおいしくて素敵な果物を、王都の人たちにも広めたいって」
ルンルミアージュの勢いは止まらない。さらにリールに畳み掛けた。
「だからもしもあなたが……、この『エクラン』がメリューを扱ったびっくりするほどおいしいスイーツを生み出してくれたら、間違いなくメリューは王都一おいしいって評判になるに違いないわっ!」
ルンルミアージュの熱弁を聞き終わり、リールがこちらを向いた。
「そうなのですか?」
アグリアは大きくうなずいた。
「はい。母は最後まで信じていたんです。いつの日かメリューがあの領地の特産品になるって。あんなにおいしい果物なんだから、王都の人たちもきっと気に入るはずだって。だから私は、メリューをどうにか王都の方たちにも広く知ってもらおうと……。でもメリューの性質上、輸送もなかなか難しくて」
「なるほど、そういうことですか。ふむ……」
リールはしばし黙り込み、口を開いた。
「……日の当たらない風通しのいい場所で一定の温度を保った上ゆっくりと時間をかけて追熟させる。その際果実ひとつひとつが痛まないように、布やおが屑などで包んでおくことも必要……でしたね?」
「ど、どうしてそこまでご存じなんですか……⁉」
リールの知識量に、アグリアは心底驚いた。メリューを育てたこと、もしくは栽培に関わったことのある者でなければわからないはずの知識を、リールは一体どこで手に入れたのだろう。
「実は私も、メリューに惚れ込んだひとりなのですよ。あの時は領地の事情もありご縁を得られませんでしたが、メリューのあの芳醇な香りとおいしさは忘れられませんでした。それにあなたのお母様と領地を大切に思う気持ちにも、胸を打たれましたし」
「……!」
まさか、と息をのんだ。
リールはこちらを真っすぐに真剣な眼差しで見つめたまま、続けた。
「アグリアさん、もしもご迷惑でなかったら私にメリューを広めるお手伝いをさせていただけませんか? メリューの素晴らしさを引き出すための力も、今の私には備わっていると自負しておりますし」
リールが眼差しに自信をのぞかせ、口元に笑みを浮かべた。
「本当ですかっ!」
思わず大声を上げたアグリアに、リールはこくりとうなずいた。
王都で大人気の『エクラン』がメリューを扱ってくれれば、きっとまたたく間にメリューは人気になるだろう。その自信はある。
「あ、ありがとうございますっ! ぜひ……ぜひお願いしますっ」
「ふふっ。私としてもあのメリューとまた再会できるのが楽しみです。腕が鳴るというものですよ」
自信に満ちたリールの笑みに、アグリアは天にも昇る気持ちだった。まさかこんな奇跡が起こるなんて信じられない。これも皆ルンルミアージュとシオンが幸運を呼び込んでくれたおかげだ。
ルンルミアージュが目をまん丸に見開いたまま、呆然とつぶやいた。
「すごいわ……。まさかこの『エクラン』で、メリューを使ったスイーツが食べられる日がくるなんて……」
ものは試しで頼み込んでみるとは言ったものの、さすがに天下の『エクラン』の店主がメリューに惚れ込んでくれるとは思わなかったらしい。
「ふふふふふっ! これはますます『エクラン』に通い詰めなきゃいけなくなったわね……。なんなら私、ここにお手伝いにこようかしら」
喜びのあまり、不穏なことをつぶやくルンルミアージュにアグリアは苦笑した。ルンルミアージュの行動力を知っている今、あながち冗談とも思えない。
「よかったな、アグリア」
シオンが優しく微笑んだ。その言葉に、じわりと目頭が熱くなる。
「ルンルミアージュ、シオン。あなたたちのおかげよ。本当にありがとう。これでメリューを王都に広められるわ。本当に……本当にありがとう」
まるで奇跡のような巡り合わせに、ぐんぐんと体中にやる気がみなぎってくる。
ぐっと拳を握りしめれば、リールが告げた。
「まだメリューの旬が終わるまでには多少間がありますし、まだ熟していないものを取り急ぎ店に配達していただけますか? 届くまでに、追熟に必要な場所や設備を整えておきますので。それにとっておきのスペシャルレシピも考えなければ」
「は、はいっ! もちろんです。よろしくお願いしますっ」
深々と頭を下げれば、リールが大きくこくりとうなずいた。
「こちらこそ、末永くお付き合いお願いしたいものです。よろしく。アグリアさん」
店内に、明るい希望に満ちた三人の歓声が響いた。




