新たな命 1
くふくふとくすぐったそうに笑うルンルミアージュに鏡越しに笑みを返し、アグリアは子ども特有のまだやわらかな癖っ毛を丁寧に梳いていく。
まるで蜂蜜のような優しい薄茶色の髪。細かいウエーブがかかった癖のある髪はとてもかわいらしいけれど、ひとりできれいにまとめるにはなかなかに難しい。
「あなたの髪はとてもきれいね。ルンルミアージュ」
鏡の中のルンルミアージュの顔が、なぜか曇った。
「……そうかしら。私はお母様みたいな真っすぐな髪がよかったわ。こんなふわふわじゃなくて」
「どうして? とてもかわいいのに」
「だって、お母様だってお父様だってきれいなさらさらの髪だし、おばあちゃまとおじいちゃまとも違うのよ? 私ひとりだけこんななんだもの。皆と一緒がよかったわ」
自分にも覚えがある。まだ幼かった頃、母親が大好きなあまりなんでも母親と一緒がいいのだと周囲を困らせたことがあった。髪や目の色、髪型だってまったく同じがいいのだと。なのにどうして一緒じゃないのだと。
きっとルンルミアージュは母親が大好きなあまり、同じでないことに寂しさを覚えているのだろう。
「でも私はあなたの髪がとても好きよ。お日様に透けてとてもきれいだし、ふわふわして妖精みたいでとってもかわいらしいもの。後ろに流してもきれいだし、華やかでとても映えるもの」
人形のようなかわいらしい顔立ちと相まって、ドレスアップすればより映えるに違いない。
「量も結構あるし今は自分ではうまく結んだりできないだろうけど、そのうち上手にできるようになるわ。そうしたらきっとおしゃれが楽しくなるはずよ?」
「……本当にそう思う?」
「えぇ! もちろんよ」
鏡の中のルンルミアージュが嬉しそうにはにかんだ。
ルンルミアージュはかわいい。見た目だけじゃなく、中身も。気の強さはなかなかのものだけれど、それはルンルミアージュが自分の気持ちに素直だからだ。そんな真っすぐさがなんとも眩しく、ちょっとうらやましい。
キュッとリボンを結び終え、ルンルミアージュの肩をぽんと叩く。
「さ、出来上がり! いかがかしら、お姫様」
「うわぁっ! アグリア、あなた髪を結うのがとても上手なのね。とっても素敵だわ! ありがとうっ」
振り返ったルンルミアージュのリボンでまとめた髪が、弾むように跳ねた。
「ふふっ。どういたしまして。じゃあ次は朝食の用意をしなくちゃ。手伝ってくれる?」
「もちろんよ! 私、頑張るわっ」
昨日までのツンケンした態度が嘘のように、ルンルミアージュがにっこりと笑った。
「次はこのお皿を運べばいいのね。任せて!」
小さな体が、台所と食卓の間をちょこまかと動き回る。ほかほかの湯気を立てるお料理を運ぶ手つきは少々ハラハラするけれど、なかなかの働きぶりだ。
「はい、シオン! パンと採れたてのお野菜サラダよ。野菜もしっかり残さず食べなさい!」
「……あ、あぁ。ありがとう」
まるで小さな母親のような物言いで、シオンの前に皿を並べていく。昨日とは打って変わった様子に、シオンの目がパチパチと瞬く。
「はい! こっちはおじちゃまの分よ。おけががよくなってよかったわね。一緒にお食事ができるもの!」
「ははははっ! それはご丁寧にありがとう。いやぁ、アグリアの小さい頃を思い出すなぁ」
ようやく歩けるようになった父の顔が、ルンルミアージュのかわいらしさにだらしなく溶けている。子煩悩な父らしい。
「最後にメリューのジャムも忘れずにっと! よしっ。準備完了よ、アグリア」
ジャムを早く試したくてうずうずしているのか、ルンルミアージュの小鼻が膨らんだ。ふと見ればシオンまで同じ顔をしている。なんともわかりやすい反応に、アグリアは思わず破顔した。
「ふふっ。お手伝いご苦労様。じゃあ、いただきましょうか!」
「はぁい! いっただっきまーすっ」
さっそくメリューのジャムをたっぷり塗ったパンを頬張ったルンルミアージュは、ご満悦だ。
「ね、今日もこのあとマルクのところに行っていい? ナラに会いに行きたいし、出産についてマルクに色々教わっておきたいの。足手まといにはなりたくないし」
「もちろん。なら、皆でサンドイッチでも外で食べましょうか! お天気もいいことだし」
ルンルミアージュの目がキラリと輝いた。
「本当っ⁉ ありがとうっ。とっても嬉しいわ! さすがアグリア。シオンに見初められただけあるわね」
瞬間お茶を噴き出しそうになった。
「ル、ルンルミアージュったら……。変なこと言わないで」
赤い顔でちらと向かいを見れば、シオンも慌てて口元を拭っていた。
「ふふっ! やだ、ふたりとも顔真っ赤よ。ま、まだ新婚同然だものね。無理ないわ。前にアグリアがシオンにふさわしいか見極めるなんて言ったけど、あれ撤回するわ。シオンが好きになった人だもの。素敵に決まってるわよね!」
「……」
これはありがとうと礼を言うべきなんだろうか。敵視されなくなったのはとても嬉しいけれど、こんな小さな子までだましていると思うと何ともバツが悪い。
無邪気なルンルミアージュの言葉に、爽やかな朝食の席に何とも気づまりな沈黙が落ちた。
大急ぎでやるべきことを片付け、さっそくルンルミアージュを連れてマルクのもとへと向かった。
ナラとの触れ合いを存分に楽しんだあと、マルクが川に魚釣りに行こうと言い出した。アグリア特製のサンドイッチに釣れたての焼き魚があればもっとごちそうになるから、と。
都会育ちのルンルミアージュは大興奮だ。
「きゃーっ! すごーいっ。またお魚が釣れたわ。マルクって本当になんでもできるのね。感心しちゃた」
バシャンッ!
水しぶきとともに、餌に食いついた魚が一匹川から躍り出た。それを慣れた手つきでマルクがつかみ、桶の中に入れる。
「へへっ。そ、そうか? 田舎の子ならこのくらい朝飯前だよ。でもま、この領地で俺くらいうまく釣れるのはそうはいないけどな」
マルクの顔がだらしなく溶けた。隠し切れないドヤ顔がなんともかわいい。
「さすがは生粋の田舎育ちだけあってたくましいな。大人顔負けだ」
シオンもマルクの釣りの腕前に感心しきりだ。
バシャンッ。ビチビチッ!
次々と魚を釣り上げ、マルクが大声を上げた。
「よっし! これで全員分、確保したぞーっ」
「ありがとう、マルク。どれも立派だわ。じゃあさっそく焼きましょうか!」
するとルンルミアージュが桶をのぞき込み、首を傾げた。
「でも、これ全部食べるのはさすがに多過ぎない? 人数分よりたくさんいるわよ」
「あぁ、これはさ……」
マルクがおもむろに桶の中から型の小さい魚を取り出し、川へと放った。
「え、なんで逃がしちゃうの? せっかく釣ったのに」
驚いた顔でルンルミアージュが首を傾げた。
放たれた魚は一瞬流れの中で戸惑ったように止まり、そして何事もなかったかのように元気よく泳ぎ出していく。それを見やり、マルクがにっと笑った。
「だって四匹あれば足りるだろ。食べる分だけ獲ったら、あとは逃がす。それが自然との付き合い方ってもんさ」
「そういうものなの?」
マルクが大きくうなずいた。
「そういうもん。自然は人間だけのもんじゃないからな。生き物皆でちゃんと恵みをわけあって、大事に命をいただかなきゃな」
父親や周囲の大人たちからの受け売りなのだろうが、いっぱしの大人のようなことを口にするマルクをルンルミアージュが尊敬の眼差しで見やった。
「マルク、あなたってとっても賢くて頼もしいのね。立派だわ」
「立派……⁉ お、俺が? へっ……うへへっ」
ふたりのなんとも微笑ましいやりとりに、思わずシオンを顔を見合わせ噴き出した。
パチパチと火が爆ぜる音とともに、皮目からじゅわりと油がにじみいい香りを漂わせはじめた。魚が焼き上がるのを心待ちにしながら皆でサンドイッチを頬張るひと時は、なんとも心が弾む。
「あ、そろそろよさそうよ。はい、どうぞ」
パリっと香ばしく焼けた魚に、皆で食らいつく。
「お……おいしいっ! こんなにおいしい焼き魚、私はじめてよっ。身がとびきりふっくらしてて、いくらでも食べられそう!」
ルンルミアージュの歓声に、マルクも大きくうなずいた。
「だろ! この野菜のサンドイッチと一緒に食べてもうまいんだっ」
「本当ね! 私、とっても楽しい。王都よりここの方がずっといいわ。こんな素敵なところで暮らせるなんて、シオンがうらやましい!」
満面の笑みを浮かべ朗らかに笑うルンルミアージュの言葉に、シオンが優しく微笑んだ。けれど一瞬暗い陰がよぎったのをアグリアは感じ取った。
(やっぱりシオンは、心に何か暗いものを抱えているのかもしれないわ。この休暇で少しでもシオンの気持ちがやわらぐといいんだけど……)
アグリアはシオンの横顔を見やり、こんな穏やかな時間が少しでも長く続きますようにと願った。




