ルンルミアージュの悶々
自分が生まれた年、この国はお隣の国と戦争をはじめたらしい。
もちろんおぎゃあおぎゃあと鳴き声を上げるしかできなかった私は、なんにも覚えてはいない。
でもその戦争のせいで私の大好きなシオンが苦しむことになったのだとしたら、私は戦争をはじめた人たちを許すことはできない。絶対に。
シオンは私のお父様より四つ年下の、私にとってはおじ様に当たる人だ。でもおじ様なんて呼んだりしない。見た目もお父様と引けを取らないくらいにかっこいいし、何と言っても優しい。
だからいつも私はシオン、と名前で呼ぶのだ。
私がシオンの魅力に気がついたのは、多分三歳くらいの時だったと思う。三歳のお誕生日にお気に入りのバッグを買ってもらった年だから、間違いない。
シオンはお父様とはあまり似ていない。どちらかというと、おばあちゃまになんとなくの雰囲気は似ている。顔は違うけど。
『ルンルミアージュ。おいで』
シオンがちょっと低くてやわらかな手触りの毛布みたいな声で名前を呼んでくれるたび、なんだかくすぐったい気持ちになる。お父様やお母様に呼ばれた時とも、おばあちゃまやおじいちゃまの時とも違う、何とも言えない感じの気持ちになるのだ。それがなんとも心地よくて、ついついシオンといると心が弾んでしまう。
そんなシオンが、ある時を境にぱったりと王都に帰ってきてくれなくなった。
もしや自分のことが嫌いになったのだろうか。それとも家族の誰かと喧嘩でもしたのか。色々と原因を考えてはみたけれど、どうやらそういうことではないらしい。
『戦争のせいね。あの子はきっと戦地で何か辛い体験をしたんだわ。それが原因で心を閉ざしてしまったのよ……』
そう言っておばあちゃまは悲しげに笑った。けれどおばあちゃまもどうやってシオンを元気づけてあげればいいのか、わからないらしい。シオンは人に心をさらけ出すのがちょっと苦手な不器用な子だから、と。
でもおばあちゃまが言う通り、シオンが私たちのところに帰ってこなくなったのが戦争のせいなら、戦争なんてなくなってしまえばいいと思う。戦争なんてしたって誰も喜ばない。どんな理由があったって人を苦しめるものならしちゃいけないのだ。
そんなある日、シオンが結婚するとお父様に聞かされた。
『シオンが……結婚? 誰と? 私の知ってる人? いつ? どこで? どこかにいっちゃうの?』
矢継ぎ早に質問をして、お父様たちを困らせた記憶がある。
とても信じられなかったのだ。あのシオンがお父様とお母様みたいにどこかの令嬢とぴったりくっついて笑い合っている姿なんて、とても。
だってここ数年のシオンは、なんだか人が変わってしまったようだった。以前のようにやわらかく目尻を下げてふわりと優しく笑うこともなくなって、いつも悲しげな顔をしてぼうっとしている。そうかと思うと、何かに苛立っているみたいに考え事をしていた。
そんなシオンが、好きになった女性と結婚を?
そんなはずない。だって結婚というのは、愛し合った者同士がもっともっと幸せになるためにするものでしょう?
お父様とお母様、おじいちゃまとおばあちゃまみたいに。
ここのところのシオンは、とてもそんな雰囲気じゃなかった。だから思ったのだ。きっとこの結婚には裏があるって。婚礼も挙げず、結婚相手を私たちに一度も紹介もせず、手紙の一通もやりとりしないのがその証拠だ。
おじいちゃまたちはそれでいいんだと笑っていた。シオンが幸せなら、どんな形でもかまわない。あの子が生きてくれてさえいれば今はいい、と言って。
でも私は認めない。大好きなシオンが本当に幸せなのかどうかをこの目で確かめるまでは、絶対に認める気なんてない。
そこに飛び込んできた、タリオンからの話。どうやらシオンは長い休みをもらって結婚相手の領地にいるらしい。アグリアとかいう田舎の令嬢のもとに。
よし! シオンに会いに行こう。会ってなんで家族にも自分にも会いにこないのかを徹底的に問いただそう。
そしてアグリアとかいう人にも、びしっと言ってやるのだ。『本当にあなたにシオンを幸せにできるの⁉』って――。
意気揚々と王都を出発して、二日がたちようやくアグリアの領地に着いた。けれど長い間揺られた馬車を下りた頃には、体中が痛くてよれよれだった。
まさかこんなに遠いなんて聞いてない。一体王都からこんなに離れた田舎なんかに、なんでシオンはやってきたのか。王都の方がずっとずっとにぎやかだし、遊ぶところも食べるところもいっぱいあるのに。
はじめて会ったアグリアは、とてつもなく平凡だった。きれいにお化粧をしているわけでもないし、着ているものだって貴族令嬢だなんてとても思えない簡素なものだったし。
何でこんな人がシオンのお嫁さんに? これじゃあ子どもの私の方がずっとましじゃないの。
心底そう思った。まぁ、お客の迎え方は心得ているみたいだけど。あのメリューとかいう果物のジュース、あれは天に昇りそうなくらいおいしかったから。馬車にゴトゴト揺られて、体中が痛いしちゃんと眠れた気もしない。その疲れも眠気も一気に吹っ飛ぶくらいに甘くて、いい香りだし。
翌朝の朝食に出てきたきれいにカットされただけのメリューも、びっくりするくらいシャクシャクだしいい香りだしで大のお気に入りだ。残念ながら王都にはあまり出回ってないらしいのだけれど、あれは間違いなくバカ売れすると思う。
とは言え、そう簡単にあのアグリアという人間を認めるわけにはいかない。一体どんな手を使ってシオンをだましたのか、きっとシオンはだまされて結婚したんだわ。そう思っていた。
だからアグリアの人となりをこの目でしっかりと見届けて、もしもシオンにふさわしくないと思ったら今からも結婚に反対するつもりだったのだ。
――そのはず、だったのだけれど。
領地に着いた翌日、ルンルミアージュが同じ年頃の男の子と引き合わせてあげる、と言ってシオンと三人で出かけた。そこで、マルクという気のいい男の子ととんでもなくかわいい牛たちに出会った。
ナラの大きなお腹をなでた時に感じたあたたかく命が育つ感触を思い出し、ルンルミアージュはくふくふと微笑んだ。
こうなったらどうにかアグリアとシオンに頼み込んで、お産に立ち会わせてもらおう。どうしてもこの目で命の誕生を見てみたくなったのだ。
だから、シオンとアグリアに頼み込んだ。お願いだから滞在をもう少し引き延ばすのを許してはくれないか、と。
するとアグリアが意外なことを言い出した。一週間滞在することを許す代わりに、約束を守ってほしいと。ひとつは朝早起きして朝食の支度を手伝うこと。たまには掃除も手伝ってと言っていた。そしてもうひとつは。
『食事の支度のお手伝い以外にも、もうひとつ約束してほしいの。毎朝私があなたの髪をきれいに結ってあげる。ひとりでするのはまだちょっと難しいでしょう? いい?』
あれにはびっくりした。そんなことをしたって私が嬉しいだけなのに、どうして急にそんなことを言い出したのかさっぱりわからない。でもアグリアがそう望むのならそれはそれだ。正直このふわふわの癖っ毛は、自分ではどうにも扱いきれなくて困っていたところだし。
ルンルミアージュは自分のふわふわの髪をなで、くふくふと笑った。
朝になれば、アグリアが部屋にやってくる。そしてこの髪を梳いてきれいに結ってくれるだろう。それはそれでなかなかに悪くない気がした。
王都から持ってきたお気に入りの人形をぎゅっと抱きしめ、ルンルミアージュはベッドにもぐり込んだ。そしてちょっぴり気恥ずかしさと喜びが入り交じった気持ちで、心地よい眠りにすとんと落ちていった。




