小さな嵐、来襲 3
「よぉっ! アグリア、それにシオン様も。……そっちの子は? 見かけない子だな」
領地で一番大きな牧場の息子であるマルクが、ぶんぶんと手を振って出迎えてくれた。その視線が、じっとルンルミアージュに注がれている。
「この子はシオンの姪で、ルンルミアージュというの。せっかくはるばる王都からきてくれたから、牛を見せてあげようと思って。かまわない?」
マルクはルンルミアージュとひとつ違いで、少々腕白ではあるがしっかりした少年だった。早くに母親を亡くした境遇が自分と似ているせいで、アグリアにとっては弟のような存在でもある。
マルクならきっとルンルミアージュとうまくやれる。心の優しいとてもいい子だから。
領地では見たことのない洒落た格好をしたルンルミアージュを、マルクはじいっと見渡した。
マルクの知っている貴族というのはログとアグリアなのであり、いわゆる王都で美しく着飾っている人間は別世界なのだ。果たしてうまくやれるだろうかといぶかしんでいるのだろう。
マルクはしばしルンルミアージュを見つめたあと、小さくうなずいた。
「ふぅん。わかった。よろしく。俺はマルクだ」
どうやら答えは出たらしい。マルクはルンルミアージュにすっと手を差し出した。
「……」
注がれる物珍しそうなマルクの視線に、ルンルミアージュが口元をきゅっと引き結んだ。緊張しているのだろう。
それでもルンルミアージュは、差し出されたマルクの手をおずおずと握り返した。その反応にマルクがにっと笑った。
「こっちこいよ。いいものを見せてやる」
「え?」
きょとんとルンルミアージュが目を瞬く。
「いいから! 早く」
「え? ちょっと……」
握ったままの手を引っ張られ、ルンルミアージュが不安げにこちらを見やった。
「大丈夫よ。いってらっしゃい」
ルンルミアージュの怯む背中を押すようにうなずけば、ようやく表情がやわらいだ。こくり、と小さくうなずくとマルクとともに元気よく駆け出していった。
「ほら、こっちだよ」
モオォォォォォッ……!
牛舎の中に足を踏み入れるなり、一斉に牛たちの鳴き声が響き渡った。その声の大きさにびくり、とルンルミアージュの肩が跳ねる。
「皆ルンルミアージュに挨拶してるんだ。なっ! お前たち」
「挨拶……?」
好奇心に満ちた牛たちの視線に、ルンルミアージュがじりと後ずさった。
「怖いことないよ。こいつらルンルミアージュと仲良くしたいだけだから。あ、ほら。あそこにいるのがナラだよ。お腹に子牛がいるんだ。数日のうちには生まれる予定だよ」
重そうなお腹を揺らしながら近づいてきた一頭の牛が、マルクの前で止まった。大きな黒い目で、マルクとルンルミアージュをじっと見つめている。
「お腹の中に、子牛……いるの?」
ルンルミアージュの顔がなぜか暗く曇った。それには気づかず、マルクがルンルミアージュの手を取りラナの体へと置いた。
「お腹をなででみなよ。ただしそーっとな。驚かせないように、優しくな」
ルンルミアージュの小さな手が少し怯えたように、けれどそっとお腹に触れた。次第にルンルミアージュの目がきらきらと輝いていくのがわかった。
「ゴツゴツしてるのが、そう? それにすごくあったかい」
はじめて触る牛に興味津々らしい。
ルンルミアージュの問いかけに、マルクがこくりとうなずいた。
「ナラの母牛は、ナラを産んですぐ死んじゃったんだ。だから俺が夜中もずっとお乳をあげたり寝床を整えてやったりして、面倒見てやったんだ。俺にとっては妹みたいな存在かな。でもちょっと心配なんだ……」
「心配?」
マルクの不安げな様子に、ルンルミアージュの顔も曇る。
「実はさ、ナラは他の牛たちに比べて小さいし、体も強くないんだ。だから、出産に耐えられるかどうか心配でさ。もしも何かあったらって思うと……」
ナラが鼻先を伸ばし、マルクの頬を小突いた。
「ふふっ。くすぐったいよ、ナラ。……うん。そうだよな。お前は体は小さいけど、強いもんな。大丈夫だよな!」
自分に言い聞かせるように、マルクが強くうなずいた。
それを見ていたルンルミアージュが、真剣な表情を浮かべこちらを見やった。その強い眼差しに、アグリアはなんとも嫌な予感を感じ取り顔を引きつらせた。
「……私、私も立ち会ってもいい⁉ 私、ナラのお産に立ち会いたいっ。マルクと一緒に、ナラが子牛を産むのを見届けたいの」
ルンルミアージュの言葉に、思わずアグリアはシオンと顔を見合わせた。
「えーと、でもその頃には王都から迎えが……」
ルンルミアージュがお産に立ち会うとなれば、当然のことながら滞在はさらに延びることになる。そんなことになればさすがに契約結婚がバレる確率が段違いだ。
困り果ててシオンを見やれば、シオンは完全に頭を抱えていた。
「そうは言ってももう迎えにくるように知らせはやったし、そう簡単には……。それに予定通りに産まれるとは限らないんだぞ」
アグリアには別の不安もあった。出産に絶対はない。母体諸共命を落とす可能性だってあるのだ。そんなことになれば、ルンルミアージュが傷つくかもしれない。けれどルンルミアージュは引き下がらなかった。
「お願い! 何でも言うこと聞くから。もう嫌な態度は絶対取らないし、お手伝いだって何でもするわ! だからお願いよ。ラナの出産が終わるまでの間、屋敷において! ね、アグリア。シオン!」
ルンルミアージュの真剣な眼差しの裏に、何か別の思いが揺れて見える気がする。それが何かはわからなかったけれど、アグリアは観念するしかなかった。シオンも同意見らしい。
アグリアはルンルミアージュを真っすぐに見やった。
「じゃあ、ルンルミアージュ。毎日早起きして、朝食の支度と片付けを手伝ってくれる? お掃除も」
ルンルミアージュがこくりとうなずく。
「わかった! ちゃんとやるわ。文句なんて絶対に言わないし、頑張るわ」
「それと、もうひとつ約束してほしいことがあるの」
「ほ、他にも何かあるの……?」
ルンルミアージュがゴクリと息をのんだ。
「それはね……」
アグリアの提案にルンルミアージュの目がきょとんと瞬いた瞬間、牛が「モォーッ」と間延びした声を上げた。




