小さな嵐、来襲 2
「おはよう、シオン。いい朝ね!」
翌朝、ルンルミアージュはぴかぴかの肌に満面の笑みを浮かべ姿を現した。長旅の疲れからすでに完全回復したらしく、朝からシオンにしがみついて離れない。
「さぁ、冷めないうちにどうぞ。メリューもあるわよ」
メリューの威力は絶大だった。自分にだけはつんと素っ気ない態度を見せていたルンルミアージュの態度が、コロリと変わった。
お腹が空いていたのか夢中になって朝食を平らげはじめたルンルミアージュを見やり、シオンにそっと耳打ちする。
「朝一番で速達を出したから、多分明日の午前中には知らせが行くはずよ。それまでどうにかやり過ごしましょう」
ルンルミアージュに自分たちの結婚が、ただの契約に基づいたものだと知られてはまずい。あとたった一年で契約は満了するのだ。ここにきて嘘がバレるのは困る。純粋にシオン会いたさに突撃してきたルンルミアージュには悪いけれど、致し方がない。
「手紙にはすぐに迎えを寄越すように書いておいた。それまで面倒をかけるが頼む。アグリア」
「わかってるわ。任せて」
ルンルミアージュのこちらをうかがうようなじっとりとした視線に気が付き、慌てて離れた。
(ひとまずルンルミアージュをあの部屋においておけば、シオンと別々の部屋を使っていることはバレないわよね。一階と二階とでわかれてるし)
アグリアは、堪えきれずあくびを噛み殺した。
シオンと寝室を別にしていることがルンルミアージュに知られてはならない。そのため、あのあと急ぎシオンに一階にある客間を出てもらった。そこをルンルミアージュに使ってもらうことにして、シオンには二階の空き部屋に移ってもらうことにしたのだ。
シオンに移ってもらった部屋は、アグリアの自室の目と鼻の先にある。同じ階の並びにあるというだけで、途端にそわそわして落ち着かない。おかげで少々寝不足だ。
ちらと見れば、どうやらシオンも同じであるらしい。いつもより目がしょぼしょぼしている気がする。
(当然よね。やっと慣れてきた部屋を移動してもらうことになっちゃったし。あの部屋のベッド、ちょっと小さめだし)
もちろんシオンのことは信用している。自分の欲のままに行動して、ひどいことをするような人じゃない。出会って間もなくてもそのくらいはわかる。
きっと今夜には慣れて、互いに安眠できるだろう。
そう自分に言い聞かせ、アグリアも朝食にありついたのだった。
明るい色の癖っ毛をふわふわと弾ませながら、先頭を歩いていたルンルミアージュが、振り返った。
「ねぇっ! 本当にここには自然しかないのねっ。建物だらけの王都とは全然違うわ。皆どこでお茶したり遊んだりしてるの?」
緑一色の田舎の風景が、都会っ子のルンルミアージュには新鮮に映るらしい。目がキラキラと輝いている。
「ふふっ。ルンルミアージュったらすっかりご機嫌ね」
さっきまでのツンケンした態度が嘘のように、ルンルミアージュの足取りは軽い。今にも走り出しそうだ。
げんなりとシオンがぼやいた。
「まったく……まさかこんなことになるとはな。あいつを甘く見てたよ」
「ふふっ。ほんの数日のことだもの。なんとかなるわ。ここには同じ年頃の子もいるから、きっといい遊び相手になると思うし」
きっと王都からすぐに迎えの馬車がくるはずだ。多少時間がかかるとしても、せいぜい滞在は三、四日というところだろう。
「それまでどうにかルンルミアージュの目をごませればいいんだもの。頑張りましょ。シオン」
にっこり笑いかければ、シオンが苦笑しながらうなずいた。
シオンもルンルミアージュのことがかわいくはあるらしい。そのあまりの勢いと熱烈さに気圧されるだけで。ルンルミアージュもそんなシオンの優しさを感じ取っているからこそ、こうして体当たりで愛情をぶつけられるのだろう。
「ルンルミアージュがあなたに懐くの、わかる気がするわ。あの年頃の子どもにとって、父親とも実の兄弟とも違う親戚のお兄さん的存在は特別だもの」
ましてシオンみたいにかっこいい人なら尚更だ。心の中でそう付け加えた。
「ね、お兄様ってどんな人? シオンと似てる?」
結婚の折に、互いの家庭環境についてもひと通りは伝え聞いている。確か兄の名前はジグルド。シオンとは四つ違いで、一年ほど前に父親から家督を継いで王都の屋敷で両親とともに暮らしている。
シオンと同じ血が流れているのだし、ルンルミアージュだってあんなにかわいらしいのだ。もしや一族皆、美形揃いなのかもしれない。平々凡々な顔立ちの身からすると、なんともうらやましい限りだ。
しばし考え込み、シオンは首を横に振った。
「……いや。雰囲気は似ていると言われることもあるが、顔も中身も似ていない。俺はどちらかというと母親似だし」
「ふぅん」
ということは、ジグルドは父親似であるのだろう。
「兄は一言で言って完全無欠、だな」
「完全無欠?」
ちらとシオンの声に苦々しい色を感じ、アグリアは首を傾げた。
「見た目も頭も優れていて、周囲からの信も篤い。貴族家の当主にはぴったりって感じだ。つまり俺とは真逆ってことさ」
「……」
もしかするとシオンは、ジグルドに対して複雑な思いを抱いているのかもしれない。兄弟ならではの劣等感とか、そういうものを。
「そうなの。兄弟だからって似ているとは限らないわよね。でもちょっとうらやましい。私、ひとりっ子だから」
もしも自分にルンルミアージュのような妹か弟がいたら、きっと溺愛していたに違いない。母が亡くなったあとの寂しさも、少しはましだったかもしれないし。
時折歓声を上げながら歩くルンルミアージュの小さな背中を見やり、アグリアは微笑んだ。
貴族の子どもは大きくなるまでは母親やメイドに身支度を手伝ってもらうのが普通だ。となれば、普段は周囲に任せているに違いない。そのせいか、自分ではうまく扱えずに今朝は髪型が少々乱れ気味だった。
(ルンルミアージュが嫌じゃなかったら喜んで髪をまとめてあげるんだけど、今はまだ無理よね)
今すぐにでも整え直したい気持ちをぐっとこらえ、嘆息した。
実のところ、アグリアは子ども好きである。せっかくのご縁なんだし、できることならルンルミアージュとも仲良くなりたい。けれどルンルミアージュにしてみれば、自分は大好きなシオンを取り上げた恋敵も同然だ。挨拶さえそっぽを向かれる今の状況では、到底無理だろう。ブラシを投げつけられるのがオチだ。
どうにかして王都に帰す日にはもう少し仲良くなれるといいんだけど。
ふわふわと日に透けて元気よく跳ねる髪を見つめ、アグリアはそっと苦笑した。
いつのまにか随分と先を歩いていたルンルミアージュが、ふいに振り返る。
「ね、私に会わせたい子ってどんな子? 乱暴な子じゃないわよね」
「ふふっ。大丈夫。とってもいい子だから安心して。……ほら、牧場が見えてきたわ」
アグリアは、視線の先に広がる朴訥とした景色を指差した。




