小さな嵐、来襲 1
シオンと過ごす日々は、ごく穏やかにゆったりと流れていった。
けれどそんなある日、小さなけれどとてつもない威力を持つ嵐がやってきた。
バァーンッ!
穏やかで静かな朝の空気をぶち壊すようなけたたましい音とともに、玄関の扉が勢いよく開いた。
「ここ、ノーレル家のお屋敷よね!? シオンはいる?」
その声に驚きつつ出ていってみれば、そこには小さなお客が立っていた。
「あ、あの……あなたは?」
こんな田舎ではついぞ見ないようなきちんとした身なりの、かわいらしい少女がそこにはいた。大きな旅行鞄をひとつ抱えて。
「ここ、ノーレル家のお屋敷で合ってるわよねっ。どうなの?」
「え、えぇ。合ってるわ。あの……それであなたは?」
まだ十歳にも満たない年頃だ。白い肌にふわふわと日に透ける蜂蜜色の髪、ぱっちりとした大きな目。お人形のようなしゃれた服が、なんともかわいらしい。
洗練された仕立てのよさそうな服を身に着けているところからして、明らかにこの辺の子ではない。
少女がこちらを鋭い目でまっすぐに見すえた。その眼差しの強さはなかなかのものだ。
「えーと、もしかしてシオンのお知り合い?」
できるだけ穏やかに優しくたずねれば、少女がこくりとうなずいた。
その時だった。騒ぎを聞きつけたシオンが背後から現れた途端、少女の顔が明るく輝いた。
「シオン! 会いたかったわっ」
「うわっ! な……なんで……!」
少女がシオンに思い切り飛びついたのと、シオンが驚きに目をみはり声を上げたのは同時だった。
「な……、お前こそなんでこんなところに!? ルンルミアージュ!」
ぎゅうぎゅうと力いっぱいシオンに抱きつく少女。それをどうには引っ剥がそうと慌てるシオン。
ぽかんと口を開き、その光景を見やった。
「ル……ルンル……? ルンルン……?」
すかさず少女の鋭い視線が飛んだ。
「ルンルミアージュよ! 何よ、ルンルンって!」
名前を聞き間違えたのがお気に召さなかったらしい。
「こら! アグリアに当たるなっ。っていうか、ともかく離れろっ。ルンルミアージュ! 息が苦しいっ」
ベリッと音がしそうな勢いで、ようやくシオンの体からルンルミアージュが離れたのだった。
ひとまず場所を移し、ルンルミアージュの前にコトリ、とグラスを差し出した。外は少し汗ばむくらいの陽気だから、冷たいメリューがきっと疲れだけでなく興奮も少しは静めてくれるに違いない。
「はい、どうぞ。メリューのジュースよ」
「……メリュー?」
ルンルミアージュの目が、きらりと物珍しそうにきらめいた。
「……いただくわ」
グビッ……。
ひと口のんだ瞬間、ルンルミアージュがカッと目を見開いた。
コクコクコクコク……。
コトリ。
あっという間に空になったグラスを、残念そうに見つめるルンルミアージュ。もっとほしいと目が訴えている。ならばとおかわりを勧めてみればキラン、と目が輝き、空のグラスが無言で差し出された。どうやらお気に召したらしい。
「ふふっ。どうぞ」
お代わりのグラスも瞬く間に空になった。
「……ありがとう。とってもおいしいわ」
ようやくひと心地ついたらしいルンルミアージュに、シオンがたずねた。
「……で? なんでお前がここにいる? しかもひとりで」
「……」
「そもそも俺がここにいるとなぜ知っているんだ」
シオンの厳しい目がルンルミアージュに注がれた。その険しさに、一瞬ルンルミアージュがこくりと息をのんだのがわかった。
けれどそれにも怯まず、ルンルミアージュはきっとシオンを見すえ答えた。
「タリオンに聞いたのよ。あなたがけがをして、長期休みをもらったって。王都には寄らずに、ここで静養するつもりだって!」
瞬間、シオンの口から舌打ちがもれた。
「タリオンのやつ! 余計なことを……」
タリオンというのはシオンの学院時代の旧友で、現在は軍部で働いている。おかげでシオンの動向についても筒抜けなんだとか。
(そっか。確か兵の脱走とかを防ぐために、休暇中の居場所は軍部に届け出する決まりだものね)
その友人に町中でばったり会い、シオンがすでに国に戻っていると聞きつけたらしい。
「そもそもシオンが悪いのよっ!」
「は?」
ルンルミアージュは怒りも露わに続けた。
「ある日突然に結婚するなんて言い出したくせに、相手を紹介もしないどころかお式も挙げない。それどころかその後の連絡ひとつないなんてあんまりよっ。いくら結婚したからって、シオンの家族はこの人だけじゃないのよっ⁉ むしろこの人はあとから割り込んできたんじゃないのっ」
割り込んできたという表現が伴侶にとって適切かどうかはさておき、どうやらルンルミアージュはシオンへの思いを募らせていたらしい。なのにちっともシオンは会いにこない。
その苛立ちがついに頂点に達して、勢い余ってこんなところまで遠路はるばるやってきたらしかった。
ルンルミアージュがぶるぶると小さな拳を震わせた。
「私だってお母様だってお父様だって、おじいちゃまとおばあちゃまだってどんなにシオンの身を心配してたか……! なのに知らせひとつくれないなんてあんまりにも薄情じゃなくて? どうなの! シオン」
ルンルミアージュがきっと鋭い目でシオンを見やった。
「それはまぁ、結婚についても驚かせたとは思うが、今回の休暇はあくまで静養が目的で……」
シオンがもごもごと言い淀んだ。
「そもそも顔合わせもお式もしないで、こんな遠くの領地の令嬢と結婚なんて私は今も認めてないんだからね。おじいちゃまとおばあちゃまが許しても、私は認めないわ!」
「そうは言っても、もう四年もたつんだし今さらそんな……」
びしっと突きつけられた人差し指に、シオンがたじろいだ。
ルンルミアージュは、シオンの兄ジグルドの娘で、シオンにとっては姪に当たる。
シオンのことが大層お気に入りで、いずれこうなることはシオンも予測していたのだろう。形勢は明らかにルンルミアージュに有利だった。確かに家族にもう何年も会っていないシオンは、不義理と言われても仕方がない。
シオンが頭を抱え込んだ。
「まったく、だからってひとりで屋敷を飛び出すなんて……。今頃王都は大騒ぎだぞ? 皆どれだけ心配しているか……」
「それなら問題ないわ。ちゃんと書き置きを残してきたもの」
「書き置き?」
「えぇ。お父様とお母様宛てにお手紙を残してきたわ。シオンに会いに行ってくるって」
「……」
なかなかにしっかりしている。もっともそんな書き置きひとつで皆が納得するはずもないが。
「私、もう来年には十歳になるのよ? 子どもじゃないわ。だから何の問題もないわ」
思わずシオンと顔を見合わせ、脱力した。
「だってこうでもしないと、シオンに永遠に会えないじゃないの」
ふんっとルンルミアージュが鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
たしなめるシオンの声に、強さはない。これまで家族をないがしろにしていた自覚もあるし気まずさも感じてはいるのだろう。とはいえ、今は先になすべきことがある。
「あのー、ひとまずは王都に知らせをやったらどうかしら? 無事に到着したとわかれば、少しは安心するでしょうし」
まだ十歳にも満たない子どもがひとりで二日も馬車に揺られてここまでくるのは、大冒険だ。信頼できる馴染みの貸馬車を利用したからまだよかったものの、世の中にはおかしな輩も多いのだ。何事もなくたどり着いたことに、心の底からほっとする。
そうだった、とばかりにシオンがうなずいた。
「それもそうだな。急ぎ手紙をやれば、明日の昼にはもしかしたら連絡がつくかもしれない。となればすぐに迎えを寄越してもらって……」
ちらとルンルミアージュを見れば、涼しい顔で三杯目のメリュージュースをおいしそうに味わっていた。なかなか肝の据わった子のようだ。
「言っておくけど、私王都にはしばらく帰らないわよ」
「えっ?」
「は?」
驚きの声がシオンと見事に重なった。
「結婚したんなら、ここはシオンの家でもあるのでしょ。なら姪の私がしばらくお世話になっても、何の問題もないはずよ。だからしばらくお世話になるわね。そのための準備もちゃんとしてきたわ。ということだから、よろしくね。アグリア」
「お、おいっ! 何を勝手に」
シオンが慌てた様子で立ち上がるも、ルンルミアージュはしれっとした顔でこちらを見やった。
「特別なもてなしは結構よ。こんな田舎にそんなもの端から求めていないし、シオンと一緒にいたいだけだもの。……それと、本当にあなたがシオンにふさわしいかどうか、私がこの目で確かめてあげるわ。覚悟してね、アグリア」
喉がごくり、と鳴った。




