捨てる神あれば拾う神あり 1
以前投稿した同名作品の改稿版です。
大筋は一緒ですが、内容が多少異なりますのでご了承ください。
前に読んだよ、という方もぜひお楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いします。
美しい稜線を描く山々の麓に広がるノーレル家の領地には、今日も穏やかな風が吹いていた。山の斜面を利用して栽培されているメリューの木々には、まだ実はなっていない。けれど季節が進めば、果実から放つ甘い芳醇な香りで領地全体が満たされるはずだ。
この国ではもう長いこと、隣国との戦争が続いていた。もはや何の理由で戦っているのかも、続ける意味さえあるのかどうかさえ民も兵も懐疑的だ。けれど国を動かす一部の人間たちにとっては、戦いは利を産む格好の機会でもある。おかげでこの国には戦争の色がいまだ消えず、残っている。
けれどここ、ノーレル家の領地は違った。王都からも隣国との国境線からも遠い、自然に囲まれたのどかな地。戦争なんて物騒なものとは、ほとんど無縁だった。
小さな牧歌的な造りの家々が点在する領地でひと際目を引く大きな建物が、この地を治める子爵家ノーレル家の屋敷だ。もっともこれといった売りのない田舎の弱小貴族。宿屋にちょっと毛の生えた程度の、倹しい屋敷ではあるけれど。
その屋敷の台所に、ノーレル家のひとり娘アグリアの沈痛な声が響き渡った。
「嘘でしょ? 今になってそんな……、あんまりよ!」
よく手入れされた鍋やずらりと並んだ調味料の瓶、乾燥のために吊り下げられたハーブ。鍋の中には、つい先ほどまでアグリアが調理していた鳥肉の煮込みがぐつぐつと煮えている。
ついさっきまでは、いつもと変わらぬ平穏な空気が流れていたはずだった。けれど今は打って変わって、絶望的な空気が漂っていた。
すべては、つい先ほど届いたばかりの二通の手紙のせいだった。
アグリアは、手の中の手紙をぐしゃり、と力強く握りしめた。力が入り過ぎたあまり、琥珀色の液体がわずかに残ったグラスががちゃん、と音を立てた。
「あんなに牛はかわいいとか自然はいいとか言ってたのに……。王都はもうこりごりだって言ってたのに……!」
アグリアの口からやるせない怨嗟がこぼれ落ちた。
手紙の差出人は、半年前に王都で出会った貴族子息リーロンだった。
『ごめんよ。アグリア。
よく考えて見たけれど、やっぱり王都で育った自分には、牛の世話や農作業は無理だと思うんだ。
君自身に不満があるわけじゃない。けれど今回の話は、やっぱりなかったことにしてほしい。
さようなら、アグリア。どうぞ元気で他の誰かと幸せになってくれ。
リーロン』
信じられない気持ちでそれを読み返し、ぶるぶると震える手でもう一度ぐしゃり、と握りつぶした。
リーロンとは、貴族の子女向けのいわゆる婚活パーティで出会った。一口に貴族家とは言っても、黙っていても良縁が舞い込むなんて家ばかりじゃない。アグリアのような貧乏貴族家にとって、結婚相手を見つけるのも大変なのだ。
そうした貴族子女を募り、社交界に顔の利くどこぞのマダムに仲介してもらうという婚活パーティが王都で催されるのが常だった。
女性領主が認められていないこの国では、アグリアの結婚は死活問題だった。ひとり娘のアグリアは、領主にはなれない。もしもアグリアが婿養子を迎え入れられなければ、この領地も爵位も手放さざるを得なくなる。
ゆえに婿養子でもいいという奇特な子息を探しに、ここ二年ほど足しげく王都で婚活に励んでいたのだ。
男爵家の四男であるリーロンは、アグリアの求める条件に合致していた。経理関係の官吏として働いていたものの、すっかり出世競争に疲れていたリーロンはこう言ったのだ。
『もう王都のにぎやかさには疲れてしまったんだ。こうなったら王都を離れて、自然に囲まれて暮らすのも悪くないなと思ってね』
結婚に夢なんて見ていない。所詮貴族の結婚など、利で結ばれるものだ。見た目も中身も、とりたてて何かに惹かれたというわけじゃない。王都を離れて田舎暮らしでもいいという人も、まして婿養子でもいいなんて人はそうはいない。
だから、リーロンと結婚するのもいいと思ったのだ。ただの口約束だったけれど、王都と領地の間で何度も手紙も交わし、結婚へ向けてそれなりに仲を深めてきたつもりだった。
なのに――。
「これが最後の砦だったのに、あんまりよ。こんな仕打ちってある? やっとこれで婚活から解放されると思ったのに。うぅっ」
王都から届いた手紙は、もう一通あった。それを恨めしげに見やり、アグリアは深くため息を吐き出した。
『久しぶりね! アグリア。
実は私、婚約が決まったの。お相手は男爵家の子息でリーロンという方よ。
四男だから跡継ぎではないけれど、私の爵位を継げばいいからってすぐにお話がまとまったの。とても幸せよ。
婚約のお披露目には、きっと会いにきてちょうだいね。
じゃあそれまで元気でね』
別の婚活パーティで親しくなった、とある貴族令嬢からの手紙だった。
それを読んだ瞬間、すべてを理解した。
リーロンはその令嬢と自分とを天秤にかけ、より条件のいい方を選んだのだ。
「田舎暮らしもいいなんて言っておきながら、やっぱり王都を離れるのが嫌になったのね。なんとなくそんな予感はしてたけど……」
にぎやかで便利な王都暮らしに慣れた貴族が、こんな王都からも遠く離れた何もない田舎で土にまみれて生きるなんて土台無理ね話なのかもしれない。屋敷だって普通の家にちょっと毛が生えた程度だし、住み込みの使用人だっていないし。
そんな地で一生を過ごすのが、きっと不安になったのだろう。
「はぁー、詰んだ。完全に詰んだわ。もう他に手なんてないのに、一体どうしたら……」
もう一度大きなため息を吐き出し、グラスにちょっぴり残っていた果実酒の残りをぐいっと飲み干した。
その瞬間、背後から声がした。
「おっ! なんだなんだ。こんな明るい時間から酒盛りか? 俺も付き合うぞ」
「モンバルト先生! 人聞きの悪いこと言わないで。これは果実酒の浸かり具合を見てただけで、別に酒盛りじゃ……」
モンバルトがにやりと笑った。
「くくっ! くさくさしてるところを見ると、さてはまた空振りだったか?」
すべてをお見通しとばかりの笑みに、アグリアの眉間に皺が寄った。




