第八話 噂の原因は、恋がこじれた騎士でした
模擬戦からしばらく。ティアラがいつものように登校すると、教養科の教室がざわついていた。
「ねえ、聞いた?」
「危ないって噂でしょ……?」
教室中でひそひそと囁く声が聞こえる。ティアラは何とも思っていなかったが、カティアは教室の雰囲気に眉を寄せていた。
(なんだか嫌な予感がしますね……)
ティアラは席につく。隣の席の女子と前の男子が、こそこそと話をしていた。
「ラシエール先輩って、ほら。倒れる人だよ」
「え、あの? 婚約者と話しただけで倒れるって噂の……?」
「そうそう。なんか近づくだけで危険らしいよ」
「じゃあフローレンスさんも、危険人物ってこと?」
二人の視線がティアラへと向く。しっかりとこそこそ話を耳にしていたティアラは、心臓がぎゅっとなるのを感じた。
(え……? 何がどうなってるの……?)
一方の騎士科の教室の隅っこでは。アルノーたちが同級生に向けて、真面目な顔で話していた。
「成績優秀とはいえ、ラシエールは虚弱体質だ。事実、最近は倒れる回数も増えている」
「倒れるって婚約者にだけだろ? 俺たちには関係ないよ」
「いやいや、近づくと危険だ。特にフローレンス嬢ほどの可憐な方は近づかない方がいい」
「ん? なんでここでフローレンス嬢の名前が?」
「フィオレル、お前もしかして……」
その場の同級生たちは全員察した。アルノーはエデルの婚約者に恋をしている。
「ラシエールの近くにいて、フローレンス嬢にまで虚弱体質が移ると困る。彼女を守るために、ラシエールが危険だと早く伝えなくては」
((いや、たぶんお前が危険な奴だよ))
アルノーは純粋に『ティアラを守るため』のつもりで言っているが、完全に逆効果である。守りたいという情熱が、結果的に不安を煽るという残念な言動になってしまった。
アルノーの言葉は、教養科に届く頃にはすっかり怪談みたいに変形していた。
『エデルは虚弱で倒れやすいらしい』
『ティアラに近づくと倒れるらしい』
『ティアラの周囲に倒れる危険性がある』
『ティアラの近くにいると自分までも倒れるらしい』
それらの噂はついに、ティアラに実害を及ぼしはじめた。
「フローレンスさんの近くは刺激が強いらしいよ」
「あー、倒れるって噂ね」
ティアラが同級生に声をかけようとしても、なぜかそっと距離を開けられる。
(わたし……そんなつもりはないのに……どうしよう……)
ティアラはみるみるしぼんでいき、表情からいつもの明るさが消えた。
(もうすぐお昼だけど……わたしが行くと、迷惑になっちゃう……)
机に突っ伏して、深い溜め息を吐く。カティアは何かを察知して、静かに教室を出ていった。
「私は教養科の先輩から聞いて……」
「私は騎士科の生徒から聞いて……」
カティアが聞き込みを開始すると、どうやら噂は騎士科から広まったらしいことが分かった。有益な情報として、『ミルクティー色の髪の男子』が事の発端だと掴む。
(……またアルノー・フィオレル様ですか)
カティアの冷静な瞳に、一瞬怒りの炎が宿った。
「――アルノー・フィオレル君。少しお話が」
休憩時間になった途端、カティアは早々に騎士科二年生の教室へと赴く。いつもティアラの隣にいる彼女が呼び出されたことで、アルノーはティアラの話題かと勘違いして、明るい表情でのこのことやってきた。
「フローレンス嬢のお話ですか? 彼女は今日も天使――」
カティアの無表情の圧に、アルノーは思わず黙った。
「……エデル・ラシエール君が危険だという噂を流しているのは貴方ですね?」
「噂なんて、とんでもない! ただ僕は倒れるのに巻き込まれると大変だと話していただけです!」
「発言は認めるのですね? 軽率に『危険』という言葉を使わないでください。ラシエール君が倒れるのは虚弱だからではなく、ただの恋です」
「あれが恋!? 僕はフローレンス嬢の前でも倒れませんよ!?」
「貴方は鈍感だからですよ。ラシエール君は敏感なんです」
「どん……!?」
「貴方の噂はフローレンスさんの名誉も、ラシエール君の評価も傷つけます。つまり、最低なことをしているのです」
カティアの言葉に、アルノーは愕然としていた。
「ぼ、僕はただ……フローレンス嬢を守るために何かしたかっただけで……」
「それこそ余計なお世話です」
「………!!」
アルノーはただ膝から崩れ落ちるしかなかった。
噂の発信元を黙らせたカティアは教養科に戻り、非常にスマートに噂を修正して回っていく。
「倒れるのはフローレンスさんのせいではなく、彼が勝手に尊んでいるだけです」
奇妙な噂が訂正されつつあり、教室の雰囲気も徐々に明るくなっていく。ティアラの表情にも笑顔が戻ったのだった。
放課後、ティアラは噂を気にしながらも、エデルの様子を見に訓練場へと向かう。エデルはティアラを見つけると、キラキラとした笑顔で駆け寄ってきた。
「ティアラ! 訓練を見に来てくれたのか」
「えっと……あのね、エデル。実は今日、変な噂があって……気にしてませんか?」
「え? 噂? 何かあったの?」
エデルは噂など知らなかったらしい。きょとんとした表情で、ティアラを見た。
いつもと変わらないエデルの態度に、胸の中にあった不安が一気に解消される。ティアラは満面の笑みを向けた。
「ううん、なんでもないの! 訓練がんばってくださいね、エデル!」
「っ、」
エデルの顔が一気に赤くなり、ふらりと身体が傾く。しかし踏ん張って耐えきった。
(あ! 今日のエデルは倒れない!)
嬉しそうに笑うティアラを、遠くで見つめているいつもの目があった。
(フローレンス嬢が嬉しそうだ……なぜなんだ……)
カティアに叱られたショックと、エデルの隣で嬉しそうに笑うティアラを見たショックで、今日の彼の心はひび割れていた。
こうして今日も学院は賑やかに、そして少しだけ面倒くさく――恋がこじれながら回っているのだった。




