第三話 講堂で見つけたら、天使でした
朝の光が差し込む回廊は、教養科の一年生の移動でちょっぴり賑やかだった。
「今日は講堂で合同講義かあ。エデルに会えるかなあ」
騎士科の生徒と合同ということもあり、特に一年生は少し緊張しているようである。ティアラはというと、エデルを一目でも見られるかと期待に胸を弾ませていた。
「エデル様に会っても普通にですよ、お嬢様」
引率で付き添っているカティアが、こっそりティアラの耳元でささやいた。
「わ、分かってる! 普通にします!」
(……普通にしようがしまいが、尊死は確定していますけどね)
一方の講堂では、騎士科の二年生が入場を終えた頃だった。各学年の最前列は、成績の良い優等生が着席するようになっている。その中に、遠くからティアラを見ていたあの男子学生がいた。
柔らかそうなミルクティーブラウンの髪に、きりりとしたアンバーの瞳が光る。姿勢も品も良い彼は、アルノー・フィオレルだ。
「どうせフィオレルが今年も成績トップなんだろ?」
「お前、真面目すぎるんだよ」
「騎士には学も必要だ。講義は重要だよ」
同級生からのからかいにも真顔で返すアルノー。そのとき、講堂の扉が開き、逆光の中から教養科の一年生の集団が入ってきた。
「お、教養科の子たちだ」
「今年は可愛い子がいっぱいいるんだよなぁ」
はしゃぐ同級生を横目に、アルノーも何気なく入口の方を見る。すると、あの可愛い一年生が目に入った。
揺れるペールピンクの髪に、ハニーアンバーの瞳がきらめく。控えめな笑顔を浮かべたティアラを見た瞬間、アルノーの意識は一瞬どこかへと飛んだ。
(……え? ……天使……?)
アルノーにはもう、ティアラしか見えない。
「天使だ……」
「え? フィオレル、なんか言った?」
「い、いや……なんでもない」
慌てて取り繕うアルノーだったが、その視線はいつまでもティアラに釘付けのままだった。
そして講義は進んでいく。教師が他国の歴史や外交論について話している中、アルノーの意識は完全にティアラへと向いていた。
顎を引いて、視線をなるべく端に寄せる。ちらちらと視界の端に映るティアラは、ノートを取りながら真面目に話を聞いていた。
(前を見ろ、アルノー! ……しかし……真剣な顔が、可愛い……)
必死に視線を前へと戻そうとするアルノーだったが、ティアラの不思議な引力に逆らえない。それどころかもっと見ていたいと、身体の位置を少しずらすほどだった。
(女子生徒を隠れ見るなんて騎士道に反しているぞ、アルノー! 前を向け! 向くんだ!)
必死に自分を叱咤する。しかし心は正直で、視線はティアラから離れない。
「――ここまでで何か質問がある者はいるか?」
教師の声に、アルノーははっと我に返った。そのとき、一人の女子生徒が手を上げる。
「ではそこの、教養科の一年生女子」
当てられて立ち上がったのは、まさかのティアラだ。緊張して少しだけ震えている声がまた可愛らしい。
(ああ……落ち着いた声だ。可憐なのに、芯がある……)
もっと聞いていたい。うっとりと目を細めながら、耳はティアラの声に全力で集中している。
(……勉強一筋だった僕でも分かる。これは……恋だ……)
アルノー・フィオレル。人生で初めて恋を自覚した瞬間だった。
そうして講義が終わり、講堂内が騒めく。教養科の仲間と教室へ戻る準備をしているティアラを、アルノーは見つめていた。そこにやってきたのが、エデルだ。
「ティアラ! 講義への質問、すごく良かったよ!」
「エデル! 来てくれたの? 嬉しい!」
「っ……!?」
ティアラの満面の笑みを受けて、エデルの身体が一瞬硬直する。そのあとにややふらついたが、エデルは耐えた。ギリギリ耐えた。
(またラシエール……? 一体彼女とどういう関係だ?)
噂に疎いアルノーは知らない。二人が婚約者同士だということを。
(なんだ!? 彼女が自然に笑っているじゃないか! ま、まさか……ラシエールが、本命……?)
恋と自覚した瞬間、強力なライバルが現れた。アルノーの心に、嫉妬の炎がメラメラと燃え上がった。
「じゃあ、またあとでね、エデル!」
「っぐ……! ま、またあと、で……」
ティアラの可愛い手の振りに、エデルは思わず口元に手を当てる。大きく身体がぐらついて倒れかけたが、寸でのところで踏ん張った。
(ああ……素敵だ……。あの笑顔が、僕にも向けられたなら……)
「フィオレル、お前、顔赤いぞ? 風邪か?」
「……違う。これは……恋だ」
「はあ!?」
堅物だと思っていたアルノーから、恋という言葉が出てきたことに驚愕する同級生。しかし今のアルノーには、ティアラ以外何も見えていない。
「……あの子の可愛さは危険だ……」
「お、おい、フィオレル。お前まさか、フローレンス嬢に恋に落ちたんじゃ……?」
「フローレンス? ああ、名前までも可憐だ……」
「いや、彼女はラシエールの婚約者だぞ? 仲が良いみたいだし、勝ち目ないだろ」
「……勝ち負けではない。ただ、どうしようもなく惹かれてしまうんだ……!」
同級生が婚約者だろうか知ったことか。こうしてアルノーの恋は静かに、でも全力で迷走を始めたのだった。




