第二十三話 肩に触れてみたら、学院がざわつきました
エデルが好きだと言ってくれた。その言葉を思い返すたびに、ティアラは顔を真っ赤にし、うれしさで悶える夜を過ごした。そうしてあまり眠れないまま、朝を迎えてしまう。
(エデルが……婚約者だからじゃなくて、一人の女の子として好きって……)
鏡の前で支度をしながら、いつもよりカティアに丁寧に髪を梳いてもらう。
(思い出しただけで胸が苦しくなる……。うれしくて、苦い……これが恋なんだ)
改めて制服のリボンを整える。そのとき、小さな欠伸が出た。
「昨夜はあまりよく眠れなかったようですね」
「うん……あんまり。何度も思い出しちゃって……」
「ふふふ。告白完遂後の尊死という新記録でしたものね」
「カティアったら、またそんな意地悪言って……。でもね、わたしもちゃんと返事したいなって思ってるんだけど……。言葉だけじゃなくて、ちゃんと近づきたいというか……」
「なるほど。つまり精神的にも物理的にも距離を縮めたい、と」
「ぶ、物理的って言い方がなんか恥ずかしい……! でも、いつかは手をつないだり……腕を組んだり……その……」
小声でもじもじするティアラ。その可愛らしさに、カティアは堪え切れず、口元を押さえて声を上げて笑った。
「本当にお嬢様は可愛らしいですね。では、『スキンシップ段階計画』を立てましょう」
「ほえ?」
「まずは第一段階。軽い肩タッチから始めましょう。いきなり手を繋いだりしたら、エデル様は間違いなく尊死します。なのでまずは、軽く肩に触れるところから慣らしていくのです。お嬢様にとっても練習になりますし」
「……練習……! わ、わかった! やってみる!」
一方のエデルもまた、教室で悶えていた。今朝は昨日のことは恥ずかしすぎて、ティアラと一緒に登校できなかった。
(あああああ……僕、言ったんだ! ちゃんと好きですって……!)
自席で頭を抱える。衝動的に髪もぐしゃぐしゃにしてしまった。
(ティアラ、どう思ったかな……? 嫌じゃなかったかな……?)
「お、ラシエールだ。お前、昨日まじで言い切ったって? 好きですって」
「かっこよかったって噂だぞ。倒れたけど」
「尊死込みでちゃんと言えたのはえらいよ!」
「う、うう……ありがとう……」
褒められているのか貶されているのか分からない励ましの言葉をもらう。その間もエデルは、ティアラの返事が気になって仕方なかった。
(ティアラから、何か返事がもらえるのかな……? いや、でも、急かしちゃいけない……)
「顔が完全に『返事待ち』の男だな、ラシエール」
ぽんと肩を叩かれ振り返れば、アルノーが笑っていた。
「あんまり見ないでくれよ……」
「昨日は僕も見守らせてもらったが、君はかっこよかった。あとは、フローレンス嬢の気持ちを信じて待ちなよ」
「フィオレル……」
アルノーの言葉で、エデルは少し落ち着きを取り戻したのだった。
そして昼休み。ティアラとカティアは中庭で『肩叩き練習』をはじめていた。
「えっと……エデルって呼びかけて、それで、そっと、ぽんって……」
カティアを相手にイメージトレーニングをするティアラ。そっとカティアの肩を叩いた。
「ねえ、エデル。……えへへ、なんか照れるね」
「……お嬢様。私の名前をエデル様に変換しないでください」
カティア颯爽とメモ帳を取り出す。そしてこう書き込んだ。
《本日の業務記録
・お嬢様:肩タッチ練習 一回(相手:侍女)》
「もう! そんなの記録しないでよ、カティア!」
同時刻。エデルもまた、『触れられ耐性』を少しでも上げようと、教室で謎の訓練をはじめていた。
「ティアラにもし肩とか触れられても、倒れないようにしないと……!」
事情を聞いた同級生たちがおもしろがって訓練に参加する。
「よし、じゃあまずは俺が肩を叩いてやる」
「次は俺の番だな」
「ほらほら、連打いくぞ!」
同級生たちにバシバシと肩を叩かれるが、全然平気なエデル。
「い、痛いけど……全然倒れる気がしないなあ」
「うーん。これは『愛の肩タッチ』じゃないからな?」
「問題は、フローレンス嬢そのものってことか」
「そうなんだよなあ。相手がティアラだと、威力が百倍になることが問題なんだよ……」
「そりゃもう、どうしようもないな!」
その日の放課後。ようやく顔を合わせる決心がついた二人は、昨日の告白場所と同じ中庭で待ち合わせることにした。
(軽く、そっと、びっくりさせないように……。『ねえ、エデル』って、優しくぽんって……)
頭の中で何度も肩タッチのイメージトレーニングをするティアラ。少し離れた木陰にはカティア、その後ろには見守り隊の生徒数名がいた。
「今日は何が起こるんだろう……」
「昨日の告白があって、今日は……?」
「心の準備だけはしておこう……」
(本日の目標は、尊死ゼロでの肩タッチ一回です。がんばってください、お嬢様!)
エデルが夕陽を背に、少し緊張した面持ちで現れる。
「ティアラ、お待たせ」
「エデル……あのね、わたし――」
ティアラは告白の返事をしようとする。しかしその前に、勇気の一歩として、肩に軽く触れてみることを決心した。
「えっと、その前に……ねえ、エデル」
すっと手を伸ばし、エデルの肩を、ぽん、と軽く叩く。その瞬間、エデルの全身に電撃が走った。
「っ……!!」
エデルが白目をむく。膝がガクガクと震え出し、立っているのもおぼつかない。
(きた……! ティ、ティアラからの直、接……肩タッチ……!)
意識が遠のいていく。全身の血が沸騰しているように、身体が熱い。
(だめだ……! 今日は倒れないんだ……!!)
エデルの身体が大きく揺れるが、膝に手をついてなんとか踏ん張る。ティアラは慌てて支えようと一歩近づくが、それもまた刺激になることを思い出し、ギリギリの距離でとどまった。
「エ、エデル!? 大丈夫!? やっぱりまだ早かったかな……!?」
「だ、だい、じょ、ぶ……です! まだ、立って……いられ、ます……!」
エデルは倒れない。その様子を見守っていたカティアと見守り隊はざわついた。
「エデル様が……耐えた……!?」
「今、触ったよね!? フローレンスさん、触ったよね!?」
「でも倒れてない……! ラシエール先輩、立ってる……!」
「すごい! 進化してる!」
これがのちに学院で語り草となる、『肩叩き事件』である。
何とか崩れ落ちずに済んだエデルは、その場で何度も深呼吸をする。ティアラは申し訳なさそうにしながらも、その表情には嬉しさが滲んでいた。
「……ごめんね、エデル。突然、肩なんて叩いちゃって……」
「ううん。ティアラから触れてくれるなんて……うれしかったよ。倒れそうだったけど……うれしくて、倒れそうだった」
もはや何を言っているのか分からない。そのくらい本人は必死に耐えていたということだが、うれしさはちゃんと伝わってくる。
(エデル……がんばってくれてる。ちゃんとわたしと向き合おうとしてくれてる……)
エデルが耐えようとしていることが伝わって、ティアラの胸はいっぱいになった。
「あのね、エデル。わたし、ちゃんと伝えたいことがあるの」
「っ!?」
「でも今日は……その、勇気を少しだけ出してみた日、ってことで……。次は、ちゃんと言葉で伝えるから……そのときも、倒れないで聞いてくれる?」
「……!!」
ティアラの言葉にエデルは感極まる。しかしここで倒れては台無しだと、必死に自分を落ち着かせた。
「倒れないよ……! がんばるからね、全力で……!」
見つめ合う二人。その間には、温かくも爽やかな空気が流れていた。
「ラシエール先輩、白目むきかけてたのに倒れなかったなあ」
「なんか、二人の距離が本当に縮まってきたって感じがするよね」
「あの二人、ほんっと尊い……!」
「素晴らしいです、お嬢様。これで、また一段階進みましたね。次に起こるのは『手つなぎ事件』でしょうか……それとも、『大尊死フィナーレ』でしょうか」
《本日の業務記録
・お嬢様:自発的スキンシップ 一件(肩タッチ)
・エデル様:尊死未遂 一件(耐久成功)
・学院内:ざわめきレベル 高
・侍女業務:担架出動なし(負荷:小)》
(エデルが、わたしの肩叩き一つであんなに頑張ってくれるなら……次こそは、ちゃんと好きって言いたい。――今度は、わたしの番だ……)
こうしてティアラからの『肩叩き事件』は、倒れないで耐えきった騎士と、勇気を出した令嬢の小さな一歩として、学院の名物記録に刻まれることになるのだった。




