第十七話 負けを認めたら、前に進めました
模擬試合の準決勝の熱がまだ、会場を包んでいた。エデルとアルノーが控室に戻った今でも、観客席はざわついている。
「ラシエール先輩、やっぱり強かったな!」
「でもフィオレル先輩も最後まで立ってたのすごくない? あの攻撃のキレ、かっこよかった!」
「試合後にちゃんと握手してたし、ああいうの見ると好感度上がるよね」
「あの二人、ほんと『騎士』って感じ」
そんな歓声を聞きながら、アルノーは一人、静かに水を飲んでいた。離れたところで、ティアラとエデルが話しているのが見える。
(……完全に負けたな。剣でも、恋でも)
そう思って、アルノーは苦笑した。
(きっとラシエールは優勝するだろう。そのくらい、彼の気持ちは本物だ)
優勝を喜び合っている二人を想像すると、胸がズキンと痛んだ。そのとき、同級生たちが控室にやって来たのが見えた。
「フィオレル、ナイスファイトだったぞ」
「マジでかっこよかった。お前、すげぇよ」
同級生たちの励ましに、アルノーは曖昧に笑う。
(こんな風に言われて本当は嬉しいはずなのに……心が晴れないな……)
同級生が会場へと戻っていく。やがてティアラとカティアも去り、エデルが決勝戦へと向かって行った。
声援が聞こえる。エデルの名を呼ぶ声が聞こえる。今や彼は、強敵の三年生に挑むヒーローだ。多くの人がエデルを応援していることだろう。
しばらく木剣がぶつかり合う音がしたあと、一際大きな歓声が上がった。『勝者! エデル・ラシエール!』。審判の声が聞こえて、アルノーはエデルの優勝を知った。
「――フィオレル」
かけられた声に振り向けば、さっきまでライバルだと思っていたエデルが立っていた。汗を流し、土埃にまみれ、息を切らしていても、彼はかっこよかった。
「さっきは、ありがとう。君は、すごく強かった」
「……負けた僕に、それは慰めですか?」
「慰めじゃない。本当にそう思ったから」
少しの沈黙。エデルが慰めを言うような人ではないと、本当はアルノーにも分かっていた。
「――僕の負けです」
この一言を言うのに、どれほどの勇気と決断が必要だっただろうか。エデルは驚きつつも、真剣な顔で受け止めた。
「……ティアラのこと、好きなんだね」
「ええ、今でも。……でも、君の方がずっと、真っ直ぐに彼女を見ている。僕より強く、彼女を守ろうとしていた」
『だから負けたのだ』と、アルノーは自嘲気味に笑う。
「僕は彼女を守るためだと言いながら、噂を流したり、手紙を書いたり、勝手に暴走して……迷惑ばかりかけていた。騎士としても、男としても、負けですよ」
エデルは黙って頷き、ゆっくり息を吸ってから口を開いた。
「僕だって、まだまだだ。だから、ティアラの隣に立つ資格は、これからも彼女と一緒に積み重ねていきたい。フィオレルが本気で戦ってくれたから、僕も逃げずに向き合えた。だから、ありがとう」
エデルの言葉にアルノーは少し目を見開き、そしてふっと笑った。
「礼を言われるほどのことはしてないよ。負けた男の仕事は、勝者に道を譲ることだ」
そして二人は無言で再び互いの手を取り合う。今度の握手は、友人としてのものだった。
控室の空気は、試合の熱気だけが残っていた。
(……これでいい。これで僕も少しは『騎士』に恥じない男になれただろうか)
ベンチからゆっくりと立ち上がり、控室から出ようとする。そこでアルノーを待っていたのは、腕を組んで立っているカティアだった。
「……聞いていたんですか?」
「はい。最初から最後まで、ばっちりと」
カティアの鋭い視線に、アルノーはしょんぼり肩を落とす。
「負け犬の僕にまだ何か……?」
「いいえ。今日は少し、見直したと言うべきでしょうか」
「……へ?」
カティアからの意外な言葉に、アルノーはきょとんとした。
「今までの貴方は、お嬢様のためという言葉を盾にして、周囲を振り回してばかりでした。ですが今日のあなたはエデル様の実力を認め、自分の行いを反省し、潔く負けを認めた。『騎士』として、誇り高い行動です」
さらっと辛口ではあるが、カティアからの初めてのちゃんとした評価だ。
「貴方の気持ちが本物であったことは否定しません。ただ、その矛先が間違っていただけです。今度こそ、正しい方向に向けてください。騎士として、人として」
「っ、」
カティアの言葉は真っ直ぐにアルノーの心を打った。そして彼は少し目を伏せ、真剣な顔で頷いた。
「……はい。僕は、これからは守護生徒を目指す騎士として、学院全体を守れるようになってみせます。――フローレンス嬢を巻き込まずに」
アルノーの言葉に、カティアは小さく頷いた。
「それなら私としても反対する理由はありません。――どうが、二度と変な噂が手紙は出さないでください」
「はい。あれは黒歴史として、心の奥底に埋めておきます」
アルノーは真っ赤になって俯くしかないのだった。
そしてカティアが道を開けるように、一歩、横に移動する。彼女の後ろには、ティアラがいた。
「フローレンス嬢……」
アルノーのティアラを見る目は、もうギラついていない。落ち着いて、どこか吹っ切れた表情だ。
「先輩! さっきの試合、とてもかっこよかったです!」
ティアラの笑顔に、アルノーの尊死ゲージが突破しかける。
(だめだ……! ここで倒れたら、全部台無しだ……!)
ギリギリ踏みとどまったアルノーは、表情を取り繕って、頷いて返した。
「ありがとう。……でも、結果はラシエールの勝ちでした」
「でも最後まで諦めずに戦っていて……それが素敵だと思いました」
「……貴女は、本当に優しい肩ですね」
アルノーはふっと息を吐き、初めて年相応の緩んだ表情を見せた。そして姿勢を正し、胸に手を当て、騎士の礼をする。
「ティアラ・フローレンス嬢。今までいろいろと、ご迷惑をおかけしました。噂や手紙、余計な言動もすべて、僕の弱さから出たものです」
ティアラには何のことだか分からなかったが、それでもアルノーの真剣な表情に、黙って聞いていた。
「だからこそ、きちんと区切りをつけたいんです。――僕は負けました。ラシエールと貴女の前に、敗れました」
その言葉のあと、アルノーは少し笑って続ける。
「でも、不思議と悔しさよりも清々しさの方が強いんです。君を想った日々が、全部嘘になるわけじゃない。けど、婚約者のいる方を勝手に掻き乱すのは、騎士のすることではありませんから」
ティアラの瞳に、うるっと涙が浮かぶ。知らずに誰かが自分のことを想っていてくれた。それに気づけなかったことに、胸が痛んだのだ。
「先輩……そんな風に言ってくださって、ありがとうございます。わたし、先輩のこと、ちゃんと『騎士さん』だと思います」
ティアラのその言葉は、アルノーの胸を直撃した。
(『騎士さん』……! ああ、やっぱり君は――)
堪えていたものが溢れ、アルノーの瞳にも涙が浮かぶ。静かに一筋、涙が頬を伝った。
「あの、これ……」
「……ありがとう。これは『敗北記念』にもらっておきます」
ティアラが慌てて差し出したハンカチを、少し寂しそうに笑ってアルノーは受け取った。
◇◇◇
後日。学院内は、アルノーの噂で持ち切りだった。
「フィオレル先輩さ、試合後にちゃんとフローレンスさんに謝ってたらしいよ」
「え、見た見た。なんか『僕の負けです』って言ってた」
「あれはずるいよね。そんな綺麗な負け方されたら、こっちまで泣きそうになるじゃん」
「前までちょっと怖かったけど、模擬試合のフィオレル先輩、普通にかっこよかったな……」
「なんか『失恋した騎士』って、ちょっと応援したくなるよね……!」
教養科や騎士科の女子生徒たちが、遠巻きにアルノーを見て、ひそひそと話している。当の本人は中庭のベンチに座って、少しだけ物思いにふけっていた。
(……これが爆死ではなく、爆上げというやつなら、まあ悪くないのかもな)
そんな彼の近くを通りかかった教養科一年生の女子生徒が、もじもじしながら声をかけようか迷っていることに、アルノーは気づかない。
カティアはその様子を校舎から眺めながら、中庭の別の場所へと視線を移す。そこでは、相変わらず手をつなぎそうでつながない距離で、ティアラとエデルが並んで歩いていた。
(恋の勝負に、ようやく一つの決着がついたようですね……)
ティアラとエデルの表情や距離感は、学院に来た頃と比べて、見違えるほど近くなっている。アルノーもまた、ようやくまともな騎士見習いになった。
カティアは、ポケットから例の小さなメモを取り出す。
《本日の業務記録
・お嬢様:無自覚に可愛い行為 五件
・エデル様:尊死 一回(踏みとどまり成功)
・フィオレル君:爽やかな涙 一回/暴走行為 ゼロ件
・侍女業務:やや軽減(精神的負担:中)》
カティアはメモを閉じて、小さく笑った。
「――これで恋のこじれ案件が一件、解決しました。次に面倒事を起こすのは、誰でしょうね」
カティアの視線の先で、アルノーがティアラとエデルの背中を見送り、静かに微笑む。
(さようなら、僕の『フローレンス嬢のための騎士道』。これからは、みんなのための騎士道を探してみるか)
失恋をきっかけに、アルノーは騎士として大きな成長を見せたのだった。




