第十五話 花を渡したら、婚約者が倒れました
模擬試合当日の朝。学院中が試合への熱気に包まれていた。教養科も騎士科も等しく興奮している。
「今年はラシエールかフィオレルが来るんじゃないか?」
「あり得る。あいつら、妙に張り切ってたもんな」
特に騎士科二年生の間では、エデルとアルノーが話題になっていた。
ティアラはもちろん、観客席の最前列を確保している。そこに座りながら、彼女は緊張半分、わくわく半分でそわそわしていた。
(エデル、まだかな……)
ティアラの隣で無表情を決め込むカティアは既に、氷嚢、担架の場所をチェック済みだ。
(エデル様とアルノー・フィオレルの倒れる未来しか見えません……)
そこにエデルが登場する。緊張でやや表情は硬いが、ティアラを見つけると嬉しそうに手を振った。
(ティアラがいる……! 今日は倒れないぞ……!)
ティアラもエデルに気がついて、この日のために作ってきた小さな応援旗を振る。少し恥ずかしそうに旗を振る彼女は、驚くほど可愛かった。
「く……ぅ!」
「……今日は倒れるたびに時間が削られますからね。しっかりしてください」
「す、すまない、カティアさん……」
早速、尊死寸前のエデルをカティアが後ろから肩を掴んで強制的に立たせる。彼女はさきほどまで観客席にいたはずだ。光の速さと見間違うほどの俊敏な動きだった。
(今年はティアラが応援してくれてるんだ! 絶対に勝つ!)
そしてエデルに遅れること数分。アルノーが完璧に整えた髪型と新品の赤いマントで登場してきた。
「ね、ねぇ。なんかフィオレル君、張り切りすぎじゃない……?」
「な、なんかねぇ。ちょっとねぇ……」
同級生の女子たちは引き気味だ。そんなことには気づかないアルノーは、最前列のティアラを見つけて、顔を輝かせた。
(今日のフローレンス嬢はいつにも増して可愛い……! 勝利すれば、運命の扉が開く……!)
運命の扉とは何なのか。すでに扉は固く閉ざされていることに、本人以外は気づいている。
やがて騎士科の教師が現れ、選手整列の合図がかけられる。ティアラが最後に『頑張れ』とエデルに小さく手を振った瞬間、アルノーは走り出した。
「フィオレル!?」
教師がアルノーの名前を呼ぶ。しかし彼は、一直線にティアラのもとへと駆け出していた。
「ティアラ・フローレンス嬢! 騎士道には、試合前の縁起物として贈り物をする文化があります!」
いや、そんな文化は一つもない。アルノーの妄想だ。
「フローレンス嬢、どうかこの花を……! 今日の勝利と、貴女の笑顔を願って!!」
一体どこから取り出したのか。アルノーは膝をついて、小さな花束をティアラに差し出した。
「えっ、あ、ありがとうございます。とても綺麗です」
ティアラは何が起きたかよく分かっていないが、とりあえず差し出された花束を笑顔で受け取る。その笑顔は、春の陽だまりのように柔らかかった。心優しい彼女の中には、受け取らないという選択肢は存在しない。
「わあ、フィオレル先輩、積極的……」
「フローレンスさん、婚約者がいるのにね」
周囲の囁く声はティアラに届かず、彼女はうっすらと微笑んで花束を胸に抱える。その光景を見ていたエデルの視界は大きく揺れた。
(ティ、ティアラが……っ、他の男から花を……!)
驚愕で目を見開くエデル。次第に顔が真っ青になり、震え出す。
(だ、大丈夫だ……。僕は、ティアラに応援してもらって、倒れるわけには……)
しばらく耐えているようだったが、結局は白目をむいて倒れてしまった。
ザアッと滑り込む音がして、倒れるエデルをカティアがスライディングキャッチする。もはや、スライディングも手慣れたものだ。膝を擦りむかないよう、サポーターもつけている。
「はいはい、倒れましたね。今、担架を持ってきます」
「「「慣れてる……!?」」」
観客のツッコミもなんのその。手慣れた動作で、カティアは医療班に合図を送る。
「エデル! しっかりしてください! 倒れちゃだめです!」
観客席でティアラが叫ぶ。その声でうっすらと目を開けたエデルだったが、また白目になって気絶し直すのだった。
(ラシエールが倒れた!? まさか、僕がフローレンス嬢に花を渡したのを見て嫉妬したのか!?)
アルノーは、担架で運ばれていくエデルを見送る。
(――ならば! 僕は恋のライバルに勝ったということか……!?)
それは絶対に違う。しかしアルノーの闘志にはさらに火がつき、ますます彼の決意を固めるばかりだった。
「フィオレル! 早く整列しろ!」
「はいっ」
一人で勝手に、恋の一勝を挙げた気分になっているアルノーであった。
そして担架で運ばれたエデルは、控室でゆっくりと回復しはじめていた。カティアが淡々と氷嚢を置く。
「……エデル様。試合前に倒れる選手など、聞いたことがありません」
「うっ……でも、ティアラが……花を……」
「嫉妬で倒れるなんて格好悪いですよ。今後はやめてください」
弱々しい声でエデルが囁くが、カティアは一刀両断した。
「誰が何をしようと、貴方はティアラ様の婚約者なのです。正々堂々と今日の試合で勝って、二人の仲は引き裂けないとしっかりアピールしてください」
「わ、分かった……」
カティアの励ましもあり、どうにか気力を取り戻すエデル。外では鐘が鳴り、開会式がはじまっていた。
エデルはゆっくりと起き上がる、拳を握る。
「――ティアラ。僕は必ず勝つよ。君が……あの花束より僕を見てくれるように……!」
(……また面倒そうな方向に転がりましたね……)
波乱の模擬試合が今、はじまろうとしていた。




