僕が僕でなかったとき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
火が燃えるのは、燃えるための物質がそこに存在しているからである。
まあ、地球上にいると「何を当たり前のことを」と思うかもしれないが、宇宙空間では燃やすものが存在しないために、火が出ない。
この手の知識を学びはじめると、宇宙ものの捜索で機械や宇宙船が火を吹いて爆発すると、やれ火が出るのは変だとか言い始める。自分が物知りであることをひけらかして、よしよしと頭でもなでてもらいたい気持ちの現れなのだろうか。
フィクションならば勢いも大事だし、そもそもこちらの環境や物理法則と同じ世界なのかは疑問だ。ケースバイケースではあるが、空気を読んで深く考えずに楽しむ……というのも大事なことかもしれない。
ならば、現実であろう世界でも空気を読んで深く考えず、流れに乗ったほうがいいケースもあるかもだな。
――日和見主義の押し売りか?
いやいや、そんなネガティブ気味な意味じゃないな。
ひとつ、奇妙な話をしようか。「僕が僕じゃなかった日」に関して。
まだ小学校に通っていた時期。夜の7時ごろだったか。
不意に、外から打ち上げ花火の音が聞こえてきた。このとき、僕は自分の部屋で読書していたんだが「はて?」と外を見た。
9月も半ばのこの時期に、花火大会などの予定はあっただろうか、と。いや、探せばあるのかもしれないが、少なくとも僕たちの住んでいる地域ではなかったはずだ。
部屋の窓へ寄り、外を眺めてみる。このあたりで花火大会があるなら、数キロ離れた河川敷あたりくらいで、家からでも見える花火があったりした。
音はそれからも5回ほど鳴る。けれども、想像していたようなカラフルな色が夜空に打ちあがり、目を楽しませてくれるようなことはなかったんだ。
不審に思っていると、背後の部屋の戸がノックされる。母親だった。
「明日、大規模な仮装パーティー……いや、仮装デイが行われるわ。注意して」
なにを突拍子もないことを、と思ったが、ひょっとしたら先ほどの音だけの花火らしきものが、その合図なのだろうか。
そもそも仮装デイとは? と尋ねると、これはこの地域の人間が明日、午前中の間は「仮装する日」なのだという。
厳密には、緊急時の対応などに追われることが考えられる一部の人をのぞいての仮装、というわけだが。
母曰く、この地域に伝わる魔除けの行事のひとつとして、伝わっているとのことだ。周期は数年から十数年に一度くらいが通常らしいが、多い時には年に7回を記録したこともあるとか。
このときの僕は、奇妙だがちょこっと面白いかもな、などとのんきに考えていた。
明日は休みの日だし、午前中とか下手したら布団の中で眠って過ごして、はいおしまい……なんてこともあり得るかもな、といった具合に。
いつ仮装をするのか、と尋ねると起きてすぐとの返答。今日は早めに寝ときなさいとの指示で、思ったより大掛かりな着替えをするのだろうか、とか想像していたんだ。
それが起きてみると、僕は虫になっていたんだよ。
布団の中で目覚めたとき、指を動かそうとしてその感覚がなかったのに気が付いたんだよ。まるでぎゅうぎゅうにきついミトンかボクシンググローブでもつけられているんじゃないかと思った。
いや、それよりひどいかもしれない。締め付ける痛みなどはないのに、指という概念が僕の身からなくなって、腕を動かすか否かの選択しかない。
そうして布団から出した両手はカマキリの鎌を人間相応の大きさにしたものに変わっていたんだよ。
そう、変わっていた。
足だけは辛うじて人間の二足がそのままだったけど、そこより上はカマキリの胴体になっていた。カガミに映る顔もまたカマキリのそれなのに、違和感など何も覚えない。
被り物などといったレベルのものじゃなかった。手の鎌も、顔も、身体も、完全に僕の肌や肉と変わらない感触を覚える。鎌でかすってもチクチクと痛むし、より深く押し付けたなら、人のものでない緑色の体液のようなものがにじむ。
あわてて駆け降りた階下で出会った母はゴリラに似た姿に、父親は半魚人めいた姿になっていた。二人ともいつも僕が見ている服を着ていたから判断できたに過ぎない。
『これが、仮装デイだ』
なおも騒ごうとする僕の耳に、父の声が届く。
いや、厳密には父とおぼしき相手の口から漏れたのは、ごぼごぼとした水音だった。けれどそれがわずかなタイムラグのあとに、僕の頭の中へじかに響いてきたんだ。
とにかく、これで普段通りに過ごせといわれ、自信がないなら家の外に出るなと言われたよ。
確かにこれはよその人が見たら大騒ぎだろ……と思ったけれど、もし外を見て回ったのならどこも厳重な交通規制がされ、車をはじめとするものたちの行き来はまったくできなくなっているだろう、といわれた。
どうしてこのようなことに……と、思っているところでにわかに家のチャイムが鳴った。すりガラス越しに見る彼らは真っ黒で、実際に戸を開けた時に立っていた数人は、全身を黒いカッパのようなもので包んでいたのだが。
相対したとき、はっきりと周囲の温度が下がったのを感じた。
肌をみじんも見せない彼らは、あたかも氷の塊であるかのようで、出迎えた僕は身震いが止まらなかった。
彼らは小声でいくらか僕たちにしゃべりかける。理解できない言語で、先ほどの父のように脳内へ遅れて届くこともなかった。
最後のやりとりをのぞいて。
『あら……失礼』
ようやく届いた声のあと、先頭のローブの人物が僕に寄ってくると、その首筋へぴとりと袖を当ててきた。
そこは僕が鎌を押し当てて出血を確かめたところで、傷は塞がっていなかった。それがこのローブの相手の震え上がる冷たさの袖がくっついて、離れると、もう傷はすっかりなくなっていたんだ。
『ふうん、違うんだ……』
そうつぶやき、ローブの皆が去っていったあと、両親は僕をえらく心配してくれた。
もしあそこで「同じ」と認識されていたら、お前はもうお前に戻れなくなっていただろう、とね。
そして午後になるや、まるで手品のように僕たちの姿は、何の手も借りることなく元へ戻っていたんだよ。