おやしお丸
教育長のポストもしっくり手についた時の事であった。練習潜水艦おやしおに所属する一人の自衛官がウィルス性肺炎により死亡した。幸いクラスターは発生しなかったが、横須賀基地に着くまで隔離されたその自衛官はあまりにも可哀想であった。彼の名は東海林翼二等海曹26歳である。
潜水艦という限られたスペースで、適切な医療を受けられなかったが、死因とされた。だが、箝口令を敷いた海幕は、責任は先任海曹長の本山ケイジにあると、一方的に主張してそれを押し通した。
結局ケイジは田中海将補に辞表を提出し、海上自衛隊を辞めた。この事案について他言無用の処置がとられ、事案はマル秘となった。
「ケイジ?いつまでそうしてるつもりだ?」
「うっせぇな。どうでも良いだろ?」
「良くねーよ。勝手に海上自衛隊を辞めたと来たら、部屋に引きこもって、良い大人が何してるんだ?」
「詳細は、マル秘なの。仕事ならなんとかすっから、俺に干渉すんな。」
「仕事のあてはあるのか?」
「友達が漁師やってて、その手伝い。」
「お、そっか。でも、これだけは言っておく。海の下で生活してた人間に海上の生活はかなりしんどいぞ?覚悟しておけ?」
「親父?そんな事百も承知だよ。休日に緊急呼び出しが、かからないだけでも気が楽だよ。くれぐれも、元海将のコネで俺をあんなむさ苦しいところに戻すなよ。」
「そんな事するかよ。」
「で、嫁は探さないのか?」
「矢継ぎ早にやめてくれよ。今はそう言う気分じゃない。今はこの静寂に浸っていたいんだ。」
「幸い退職金は満額で支給された。これで自分の漁船も買える。親父とおふくろには本当に世話になった。これからは横須賀港の近くのアパートに暮らすよ。」
「最後にもう一度聞くぞ?海上自衛隊に未練は無いんだな?」
「ない。」
こうして本山一家の国防人生は終わった。それから数週間後…。
「帽振れ!」
と、おやしお丸と書かれた大漁旗が横須賀の海にはためいていた。