島国根性と開拓精神
1945年4月7日、日本海軍最後の切り札であった戦艦大和は坊の岬で、米国海軍航空機部隊によりあっけなく撃沈される。インターセプトする航空機が日本海軍にはほとんど無かったからであった。
伊400号乗組員は大和を死守する為、猛撃勇戦するもむなしく、戦艦大和を守りきれなかった。その後も伊400号は奮戦するが、大きな戦果はあげられなかった。
「いよいよ追い詰められたな。」
「ああ、大和が沈んだとさ。」
それは紛れもない真実であった。
「3000人以上が死んだとさ。」
「マジか?」
本山はその悲しみと憎しみの中で葛藤していた。
「アメ公め!絶対に許さねぇ。全滅させてやる。鬼畜米英!」
と息巻いたが、伊400号に沈められる米国海軍空母は周辺海域にはいなかった。大和を失った連合艦隊にはもう、神風アタック以外に策はなかった。人としての本山の行動が正しいかは分からない。それは、歴史が判断すべき事象であるからだ。
とは言え、日本は防戦する"待つ風"ではなく、兵士一人の命を犠牲にする"神風"を選んだ。
島国根性と開拓精神とでは、考え方が違うのは明白である。だが、兵士一人の命の重さが両者では全く違った。日本人は一柱必勝。米国人は一注必勝。である。日本人は勝つ為には一人の犠牲にする事も厭わないが、米国人はその逆で一つの注文に全力を注ぐ。つまり、米国人は機体開発に命をかけるのである。
マシーンの性能こそが戦争の勝者になりうるものであり、ただひたすら突っ込むだけの神風アタックは、米国人の合理主義には合わないのである。だからこそ、本山は晴風を特攻に出す事を断固拒否したのである。