8.期待されちゃってる二人(後)
「ぐっ……落ち着け、一旦落ち着けよ」
「くっ……もう合意とほぼ同義ではないですか!」
完全にやる気な花香の顔は文字通り目と鼻の先。
あと少しで唇が触れてしまうところだった。
「お前まさか催眠をかけられてるんじゃないだろうな!?」
「私のこの愛情を催眠という言葉で片づけないでください!」
「だってお前の目がおかしいんだよ! お前そんな禍々しかったか!? 今朝お前は何食べた!?」
「私の目は普通です! 禍々しくなんてないです! 今朝は……宥二さんを食べ」
「正気に戻りやがれええええええええ!!」
俺がそう叫んだおかげか、花香は身動きを止め、腕から手を離した。
目の色もだんだん明るくなっていった。
そして顔が紅くなっていった。
「あ、あの、その、す、すみませんでしたあああああ!」
どんっ。
「ぐあっ!」
「ごめんなさい! 突然宥二さんのことを滅茶苦茶にしたくなってしまって、我慢できなくなってしまいました! あっ、だ、大丈夫ですか!?」
「すごくいたい、せなかとかこうとうぶとかががんがんする」
やっぱり催眠にかかっていたようだ。
そうだよな、花香がこんなに積極的になるなんて胸の話になったときだけだ。
彼女の手を握って立ち上がる。
「それにしても、一体誰がこんなことを……」
「本当に全然気づかなかったです。まあ宥二さんが頭を撫でてくれたせいで理性が吹き飛んだ可能性もあるでしょうね」
「冗談じゃない。催眠魔法は極刑に処されるとか言ってたよな。だったら早く捕らえた方がいいんじゃないか?」
「そうですよそうですよ! 早くその人から魔法の使い方を教えてもらわないと!」
とはいえ、そんな上級魔法を扱える人物を俺たちだけで捕まえられるのだろうか?
そもそも、何が目的で花香に催眠をかけたのだろうか。
そして花香が下心を隠す気もないのは今に始まったことではないのでスルー。
「じゃああいつに聞いてみるか。経験豊富だろうし、こういう事にも対処できるかも」
「えっ、それって誰なんです?」
「あの剣だよ、昨晩まで色々あった」
「だ、駄目ですよ! あの剣はあなたのことを洗脳していたじゃないですか! 絶対に駄目です! 指一本触れさせません!」
洗脳じゃなくて、取り憑いた霊が語りかけてくるだけなんだけどなあ。
……もしかしなくても、これ自体がおかしい事なのだろうか。
ゴールキーパー如く武器庫への侵入を拒む花香を前にどう説得するべきか考えていると。
『あの、ごめんください!』
と、ノックの音とともに、幼げな声が響いた。
この流れで来客が来ると、どうしても……いや、まさかね。
「は~い、今行きますね~」
花香がドアを開けると、そこには背の低い男の子が立っていた。
やっぱり怪しい。
「えっと、どちら様でしょうか?」
「僕はダボロニアから来た……ちょっとした調査をしている者だ。今日ここを訪れたのもその調査の一環だよ」
「すみません、今ちょうど家主が留守にしていて、勝手に中へ入れるわけには」
「私が許可します! まあまあ、とりあえず上がっていってください!」
「そうですか、凄く助かるよ! お邪魔します!」
今俺を無視したよね、明らかに話を聞いてなかったよね。
花香が俺の話を聞かないことがあるのはいつも通りだけど、初対面の人からも無視されるのは心が傷つくというか。
疑いポイントが3上昇した。
花香の隣、そして客人の前の席に座り、早速質問を投げかける。
「それで、調査というのは一体何ですか?」
「僕は国の歴史について調べているんだ。今日はこの森について調べていたんだけど、そしたらこの建物を発見してね。話を聞こうかと思って戸を叩いたわけだ」
「申し訳ないのですけど、実は私たち居候でして、この森については何も知らないんです。力になれなくてすみません」
「そうだったのですね。どうりで、魔王様や他の方々もいないわけだ」
「「魔王様がいることを知っているんですか?」」
何となく思いついたので聞いてみた。
本当にたったそれだけの質問だったのだが、
「え……あっ、いや、その……そ、そうです! この間ここを訪れていて、それで、その時に知ったんだよねー……」
両手をじたばたさせながらあからさまに焦りだした。
あからさますぎる故に裏があるような気がするほど焦っていた。
俺の中で、花香に催眠をかけた犯人が確定した。
「シスカさんは今日中に帰ってくると思うので、このままここにいてもいいですよ」
「いやいや、そんなにお世話になるわけにはいかないよ!」
「遠慮しないでください! 何ならここにずっといても」
「お前も俺たちと同じ道をたどらせる気か。とはいえ、彼女なら色んなことを知っているはずだから、帰ってくるまで待ってもいいと思いますよ」
最大限の笑顔を浮かべて彼を迎え入れようとした。
表情筋が引きつっている気がするが、今はとにかく彼を逃がすわけにはいかない。
「……そ、そうだね。君たちがそこまで言ってくれたのなら、その好意は無下にはできないよ。でも、用事が済んだらすぐに出発するよ」
勾留成功。
万が一彼が無実だったら、その時は頭を地面に擦りつけて謝罪しよう。
「ところで、歴史というのは具体的にどういったものを調査しているのですか?」
「今から約100年前に起こった戦争について調べてるんだ。この建物も昔は戦争に使われたしね」
「えっ、なんで知っ……いや何でもないです続けてください」
その後は延々とその戦争の話を聞かされ続けた。
俺の脳内では、こいつが本当にやったのかどうかを確かめる方法を検討していた。
結果、気づいていないフリを貫き、俺か花香のどちらかが影響を受けるのを待つ、という手段を思いついた。
二人同時に催眠状態にすることはできない、という賭けに出たのだ。
「疑問なんですけど、どうしてモンスターと人間は争いを始めてしまったんですか?」
「今でも残っているし、モンスターに限った話ではないけど、当時は異種族であるという点で差別があってね。本当に難しい話だよ」
その一方で、花香と彼はあっという間に打ち解けていた。
おかげで彼をここに留めることができているから良い事ではある。
でも、これも催眠の効果だとしたら?
……これだから催眠が厳罰化されているのだろう。
「あ、そうそう、ここだけの話なんですけど……実は私たち」
「おいちょっと待て花香今なんて言おうとした!?」
「別にいいじゃないですか。こんなこと言っても死にはしないと思いますけど? それに、私たちの目標は無事に現実世界へ帰還することです! 最悪この世界について記憶が消えても夢だったとしても、とにかく帰るんです!」
そういえばそうだったかも。
ここでの生活が安定していてすっかり忘れていた。
花香に指摘されてちょっと悔しい。
「ということで、私たちはこことは違う世界からやってきたんです! 信じられないかもしれませんが、本当の事なんです!」
「えっと……そう言われても、僕が出来る事なんて何も無いよ。ただの研究者の一端だし、本当にそんな非現実的な事が起こるのかも信じがたいし」
「まあまあ、この話はここまでにして、シスカたちが帰ってくるのを待ちましょう!」
ということで、俺たちはシスカたちの帰還を待ちながら、彼の監視を行うことにした。
太陽が真南に昇った頃、俺たちは台所にあった食材で昼食を用意した。
太陽が木々に隠れてしまうほど傾いた頃、俺たち三人は不安感を覚え始めた。
やがて、空に星々の瞬きや月のような星が現れた。
俺たち三人だけで、この屋敷に半日間、ずっと。
素直に言おう、苦痛だったと。
「……もう我慢できないから聞くけど、君、花香に催眠かけたでしょ」
「……はい、すみませんでした」
「やっぱりそうか。昨日からだったと思うんだが」
「昨日は何も手は出していないし、ここにも来ていないけど?」
この空気に耐えかねてか、彼もついに自白した。
供述によると、昨日は催眠魔法の影響がなかったことになるようだが。
今はそんなことよりも、シスカたちがいつ帰ってくるのかを知りたい。
「どうして私なんかに催眠をかけたんですか?」
「それは、ちょっとした好奇心というか、君達の関係を前進させたいというか……」
「へ~、それどうやったら詠唱できますか?」
「やめろ、やめてくれ」
窓の外の森林は真っ暗で、頭上には満天の星空が広がっている。
こんな景色を見たのは、家族と旅行に行った数か月ぶりだ。
「だったら、催眠以外の魔法で宥二さんと仲良くなれるようなものってありませんか?」
「そんな魔法は知らないよ。まず魔法に頼るのをやめてみたらどうなんだい?」
「せめてデートには誘いたいですね。って、宥二さんも聞こえてますよね? 今度二人でどこかへ遊びに行きませんか?」
「んー……行けるんだったらな」
「そうですかー。あっ、お隣失礼しますね~」
花香も椅子を窓際に寄せて、背もたれに腕を置いて外を見る。
「いつか元の世界には帰りたいですけど、あなたと住むならこっちの世界もいいかもですね」
「言い方が少し気になるけど、それもいいかもな」
「……んえっ?」
「どうした、そんな間抜けな声出して。何か変なこと言ったか?」
「いや、その、今すっごくデレてませんでした? 瞬間最高デレ度が過去最高でしたよ?」
「そう言われても、お前にとって良いこと……じゃないのか?」
と言うと、花香は今までになかったほど落胆したように、大きくため息をついた。
そして、それに続けて立て板に水の如く語りだした。
「追われる側のあなたには、どうせわからないでしょうけど、一応言わせてもらいます。私があなたのことを好きなのは、優しいとか居心地が良いというのもあるんですが、どれだけ私がアピールしても一向に振り向いてくれないところも一因なんです。どうせわからないでしょうけど!」
「そうなのか……えっそうなんだ!?」
「そうです。宥二さんはこういうことしたらどういう反応をするんだろうとか、こういうことしたら気になってくれるかなとか、そういうことを考えるのが楽しいんです」
それすなわち、俺と親密になるというよりは、俺で実験しているのでは?
恋愛ゲームで例えたら、色々な選択肢を片っ端から試しているということか。
本当に攻略してくれるのか心配になる。
「でも宥二さんがデレてしまうと、どんなことをしても拒絶しなくなってしまうと思うんですよね。もちろんいつかは絶対そうさせてみせますけど」
「う、うん」
「てことで、これからも今まで通りツン多めのツンデレ宥二さんでお願いします」
「そう言われても、今まで通りできればいいんだけどなあ」
「ふふっ、もちろんお付き合いもその先も、いつでも大歓迎です」
彼女はそう言った途端、ぐいっと顔を近づけてきた。
そんな真っ直ぐな笑顔で、しかも至近距離で言われたら、好きではないとはいえ心臓が……!
「『好きではない』だなんて、嘘つき。自分の気持ちに、素直になりましょう?」
その瞳に、その声に理性を奪われそうになった、その瞬間――
「宥二! 花香! 無事だったか?」
「うう……二人とも、どうかこの方の誤解を解いてくれないか?」
――俺と花香の気持ちは今、一つとなった。