4.偉大なる魔王様(?)
「ん~っ、良い朝ですね~」
…………。
「早朝から宥二さんの寝顔を見られるだなんて、今日は人生で最高の朝ですね……」
目を開けられないため憶測になるが、多分俺が寝ているベッドに奴が座っている。
まさか昨夜、ドアに鍵をかけ忘れるという失態を犯してしまっていたとは。
次からはドアに鍵をかけたかしっかり確認してその上に板を張り付けてから寝よう。
「本当に可愛い、頭をなでなでしたいくらい可愛い……いや、焦ってはいけませんよ、私。今ここで宥二さんが起きてしまうと、これからの二人の生活に軋轢が生じてしまいます。最悪嫌われて顔を合わせられなくなる可能性もなくはないですし……はあ……」
起きてしまうも何も、もうすでに目は覚めてるから全部バレてるんだよお前。
「……仕方ないですね。今は寝顔を見るだけにしておきましょう。……でも、いつかはきっと……」
このまま目をつむっているのもそろそろ限界なので、声を発した。
「あのー……」
「あっ! え、あ、あの、あっ、お、おはようございます! えと、い、良い朝ですね! 天気も良くて、その、えっと、い、良い天気で、えと、お日柄が良いですね!」
案の定挙動不審になってテンパりまくる花香。
やがて落ち着いてくると、今度は平身低頭謝り倒してきた。
「えっと……す、すみませんでした。朝早くに目が覚めて、ちょっと魔が差して、ついお部屋に入ってしまいました。ごめんなさい! 触ったりとか、頭撫でたりとかはまだしてませんから!」
正直ここまで慌てられると、心なしか罪悪感が芽生えて……いやでも部屋に侵入してくるのは流石に許せないというか、気恥ずかしいというか。
「ちょっと待て、今まだって言ったよな? やろうとしてたってことだよな?」
「あ……。ま、まあ、そうですよ。可愛かったんですから、少しくらい撫でさせてもらっても……あ、駄目ですか、そうですよね」
威嚇するように目を尖らせると、伸ばしてきた花香の両手がへなっと下ろされた。
それにしても……昨日本に引きずり込まれてもう半日は経過している。
まだこの世界の全貌は掴めていないが、よくあるようなファンタジーな世界で合っていると思う。
魔法あり、魔物あり、王国あり、大自然ありのまさにテンプレートそのままの世界。
しかし、この世界に来て何をすればいいかなんてさっぱりだ。
と、俺が頭を抱えていると、
「あ、でも私は宥二さんと一緒にいられるだけですごく楽しいですよ!」
なんて、羨ましいくらい能天気な考えの花香が言った。
思考を読まれた気がしたが、流石にそういうわけでもない……はず……。
「俺は昨夜のことを忘れないからな」
「……いや、私は悪くありませんよね? たまたま適当に盛りつけたサラダの中に、あのような効果のある植物が交じっていただけで、何なら悪いのはあのサラダを作った方ですよ」
「そんなこと……まあそれに関しては完全にお前の言う通りなんだけどさ、お前はあれを食べた俺をどうしようとしてたんだよ」
俺がそう言った途端、彼女はベッドの方を向き、手でマットを押した。
「このベッド、寝心地良かったですよね。おかげでよく眠れました」
「話逸らしてんじゃねえよ。俺はこの建物のレビューを聞きたいわけじゃないぞ」
「べ、別に、宥二さんを横にして、ついでに私も一緒に横になろうかななんて、考えて……」
「考えて?」
「ましたけども……」
ちゃっかり添い寝しようとしてたんじゃねえか。
殺されたり縛られたりするよりは何十倍もマシだけど。
「あと、そろそろベッドから降りろ。誰かが入ってきたら勘違いされそうだ」
「勘違い? 勘違いって、どういう風にですか?」
これは本当にわからないのか、それともわからないフリをして自身のあざとさをアピールしたいだけなのかのどちらかだろう、という俺の邪推。
「それは、その、俺たちがまるで事後みたいに……」
「事後……ですか?」
頭上に「?」が浮かんで見えた気がしたから、おおむねそういう意図ではないということで間違いないだろう。
俺がほっと安心した、言うなれば油断したその瞬間。
がちゃ。
「あっ……ち、朝食の用意が出来ました。準備が済みましたら、昨日と同じ席へどうぞ……」
がちゃん。
俺ってこんなにフラグ回収率高かったっけ?
俺ってこんなに不幸属性だったっけ?
「今ので、勘違いされたんですかね? 宥二さん、その、なんか、ごめんなさい、ここまでするつもりじゃなくて、えっと、その……」
「お前が謝ることじゃないから、そんなに頭を下げるなよ」
花香は結局、頭を下げたままだった。
「「いただきます」」
本日の朝食は昨晩の残り。
ピンク色の葉についてシスカに問いただすと、どうやら別の植物と間違えて入れてしまったらしく、思わず頬をつねって伸ばしてしまった。
よく伸びて柔らかく、朝食代わりにこいつを食ってやろうかと思ってしまうほどだった。
とりあえず、花香がさっき言っていた通り、今日も雲一つない青空だ。
今日も良い事が
パリーン。
「あーっ! ごごご、ごめんなさい!」
「すみません! こちらこそ、本当にすみません! この割れた皿は私が! 私が片付けますから!」
なさそうだ。
「二人とも、破片に触れると怪我をしてしまいますよ! 片付けは私がしますから、お二人は座って」
「「いえいえいいです私がします!」」
あいつらの騒ぐ様子を見ていると、どうも異世界に来た感じがしない。
魔王は角が生えているし、ミリアも身体がスライムだし、今食べているこの食事も普通の食材じゃないし、建物も何もかも……。
実際は自分までもがその世界の中にいるのだが、そういう劇場か何かを見ている気分になる。
「あの、昨日の魚、食べますか?」
「あ、ありがとうございます! んふふ、美味しいですね~」
それは多分、花香の順応が早すぎるからだと思う。
俺たちは居候で、この屋敷の主であろうシスカには敬意を払わないといけないはずと思っていたのだが、二日目でこんなに友好的な感じになってしまった。
仲がいいのはよいことだ、その相手が一国の王女であろうとも。
俺は桃色が一片も入っていないことを確認して、出来損ないのスムージーみたいな味のサラダを無心で食べた。
じゅわっとあふれ出た肉の味に、思わず顔をしかめた。
食後、ミリアが俺たちに淹れてくれた紅茶を頂くと、空になったカップを置いたシスカが言った。
「さて、朝食も済んだことですし……ミリア、アレの準備をしましょう」
「えっ……わ、分かりました……」
少しうつむいたミリアは席を立つと、武器庫の方に歩いていく。
そして、その後に続くように、他のモンスターたちもついていく。
「……え? 何が起こるんですか?」
「ふふん、是非ご覧下さい!」
胸を張って自信満々に言い切るシスカ。
いつの間にか呼び捨てになっていたが、まあいいか。
「皆さん、準備できましたか?」
「は、はい……あの、今日はシスカ様に加えて二人が見ているのですけど、それでもしなくてはいけませんか? ただでさえシスカ様だけの時でも恥ずかしいのですが……」
「もちもちのろんろん。さ、見せてあげて」
その返事から数十秒の間を開けて、ミリアが飛び出してきた。
「わっ、私は誇り高き、聖なる魔王様直属の騎士団団長、メルディ・ミリアであるっ!」
ミリアはその肩書に恥じない凛々しいポーズをとり、ピカピカの甲冑を身に着けていた。
軟体生物のどこからそんな力が出てきているのか、驚くばかりだ。
が、俺たちに注目されて恥ずかしいのか、顔がやや赤くなっていた。
それ以前に全身紫色ではあるが、それでもちゃんと見えるほど赤かった。
「我らはあなたに忠誠を誓うっ! こ、この身も、この意志も、全ては魔王様、そして我が国の為にっ!」
「うんうん! 今日もかっこいいね! それじゃあ訓練頑張って!」
「は、はい!」
…………え?
「えーと、今のは何だったんですか?」
「今のは、我らの騎士団が訓練を行う前に必ず行ってきた儀礼ですよ。もしお二人が私達の『誇り高き』騎士団への加入を希望するのであれば、剣術や魔術よりも先に覚えて頂きます」
剣術や魔術の習得よりも優先するほどの必要性が感じられない。
この前花香の友達が持っていた「信号運祈願」のお守りくらい。
……いや、そこそこ需要あるかな。
「は、はあ。シャドウさん、どうしま……あれ? シャドウさんはどこに?」
「えっと、彼が食事はいらないと言ってまして。今は部屋にいるのでしょうか?」
「もしかしたら寝てるだけかもな。ずっとあんなところに住んでたから、まともに眠れなかったんだろう」
とはいえベッドでだらけているだなんて休日の俺のようだなと、シャドウに少し親近感が湧いた。
「……あ、おはよう、君達」
そんな俺を裏切るように、エントランスホールにシャドウが立っていた。
早起きは健康的だが朝食を摂らないのは健康に悪いと思うぞ。
「おはよう。どこ行ってたんだ?」
「ちょっと街の方にね。もう朝食は済んだのかい?」
「シャドウさん、母親みたいなこと言いますけど、朝食はちゃんと食べないといけませんよ! 身体にエネルギーを送ってあげませんと!」
「母親……ああ、すまないね。食欲が無くて」
何故シャドウは母親という部分を一考したんだ。
いかん、疑心暗鬼になりすぎて人を信じられなくなってしまいそうだ。
「ところで、皆さんは私たちの騎士団の訓練に興味はありませんか?」
不意に、シスカはそんなことを聞いてきた。
そんなこと言われても、興味があるのは魔法ぐらいだし……。
「あ、私魔法を使いたいです! 魔法で色々したいです!」
「そうですか! では……まずは魔法の本質から教えてあげましょう! こう見えても私、魔術は実用も応用も修学しているんですよ!」
椅子からすっと立ち上がったシスカは、俺たちを奥の部屋へ手招きした。
少し残っていた紅茶を飲み干し、窓の外をちらりと見ると、建物の中にいたモンスター達がミリアの指揮のもと、訓練に励んでいた。
廊下の奥、ドアには「薬品注意」という注意書きがされていた。
「この部屋には色々と危ないものがあるので、入るときは十分気をつけてくださいね?」
戸を開けて中に入ると、そこは理科室っぽい場所ではあるが、俺の知る理科室とはまったく異なっている奇妙な部屋。
棚には透き通った青色の結晶や緋色の石、そして……
「ん? この写真は」
「あっ! す、すみません。私、この棚に自分のものを置いちゃう癖がありまして……」
「いや、今の写真って」
「では早速授業を始めますよ! そこの椅子に座ってください!」
「あの、今の写真とは」
「座ってくださいっ!!」
バタンッ、カラン。
シスカが強くドアを閉めたせいで、準備室と書かれていた札が取れて真下の床に落ちた。
「……今の写真、何が映っていたんですか?」
「……ミリアの寝顔……なのか?」
ふと棚を見ると、他にも雑多な小物がごろごろ転がっていた。
そこには一冊のぼろぼろになった本が、棚に寄りかかるように立ててあった。
「まったく、ここまでごちゃごちゃにしてしまうなんて……この本も元あった所に戻してこればいいのに……」
花香は特にこれといった理由もなくそれを手に取り、ぱらぱらとページをめくった。
「ふむふむ……これは興味深いですね。見た感じ、何かしらの言い伝えとかの類だと思います」
「もしかすると、本当の出来事だったりするかもしれないな」
「じゃあさっそく読んでみましょうか! 私こういうの大好きなんです!」
心躍らせる花香の隣から顔を出して、中身を覗き込んだ。
かつて、あの山には厄災の権化が巣食っているとされ、周りの村では誰一人として山に近づこうとする者はいなかった。
しかし、それと同じように、勇気ある者の為の力が在るとも言われていたが、それを手にしようとする者もまた、誰もいなかったのである。
村の者は毎日、厄災が下りてこないのを祈るばかりだった。
だが、ある日、誰かが山へ向かうのが見えたという知らせがあった。
それから、山中に立ち込めていた暗雲も晴れ、厄災は去っていったと思われていた。
あの事件が起こるまでは。
「最後の一文が不穏ですね……」
「うーん……これ、実際に起こった出来事なのか? もし仮に本当だとしたら……」
「こんな話は聞いた事がないな……この国独自のものだろうな」
シャドウでさえ聞いたことのない話がしたためられた、始まりから嫌な予感が漂うこの書物。
最悪、開いただけで身に不幸が降りかかるような代物だったのかもしれない。
あの肩書魔王中身ポンコツのシスカならそんなブツでも放置しかねないと、出会って一日も経っていない俺でも断言できる。
「うん……この事は忘れて、今はシスカが戻ってくるのを待っていよう。準備に手間取ってるみたいだし」
そんな俺たちの心配をよそに、さっきから壁一枚挟んだ向こう側で何かが暴れ回っているように聞こえる音がしていた。
パリーン!
『あわわわわわ……』
ドドドドドン!
『はわわわわわ……』
「……あの、流石に助けに行った方がいいのでは……?」
「何だろうね、本音を言うとシスカだとこんなことになるんじゃないかって思ってたよ」
「朝から皿割ってたしな」
ドガガガガガ!
『きゃあああああ!!』
「「「シスカ(さん)っ!?」」」
明らかに何かが連鎖的に爆発している音に加えて、まばゆい閃光がドアの隙間から弾け出てきた。
ドアを開けると、そこには……
「うぎゃああああああ!!」
「「「うわああああああっ!?」」」
地面に尻もちをついてびくびく震えるシスカと、いくら土下座しても到底許してくれなさそうなほどご立腹なミリアの姿があった。
「シスカ様……? また、勝手にこの部屋に入ったんですね……?」
「すすすすすみません! ごめんなさい! べ、別にミリアに構って欲しかった訳じゃ」
「まだそのようなご冗談をのたまう程余裕があるようですね……」
怖すぎる……シャドウが先日獣を一突きにした時とは比べ物にならない……。
「あ、あの! これは私たちがシスカさんに魔法というものを教えてもらおうとしたのが原因なんです! 決してシスカさんの勝手な行動だったというわけじゃないんですよ!」
必死にシスカを擁護する花香だったが、ミリアには逆効果だったようだ。
「まったく、それなら私を呼べばよかったではないですか。用事があればいつでも呼んでいいと言っていたでしょう?」
「うう……だって、魔法を教えてほしいって……この三人が言ってましたから……」
その点に関しては本当だが、約束を破ってまでしてほしいとまでは言っていない。
「というわけで、次から頼み事がある際は私にお申し付けください。絶対に、シスカ様へは言わないよう、お願いします」
「「「は、はい……」」」
あまりの恐怖に返事しかできない俺たちに、ミリアはこんな提案をした。
「それと……魔法に興味があるようですね? よろしければ、私がお教えして差し上げますよ」
「……! ほ、本当にいいんですか?」
ぱあっと顔を明るくさせた花香と俺。
「ええ。この世界において、魔法というものは必要不可欠ですからね。お二人はこことは異なる世界からやってきたとお伺いしたので、このままだと色々と不便でしょうし」
「あ、ありがとうございます! ……って、なんで俺たちが別世界から来たことを知ってるんですか?」
「ああ、それはシャドウさんが私に」
「それで、私がシャドウさんに言ってもいいよって言いました」
異世界転生ってこんなに受け入れられるものだったのか。
予想と現実の差に頭がくらくらする。
「では授業を始める前に……シスカ様?」
と、先程までの優しい顔から一転、悪魔的な微笑を浮かべていた。
「後で私の部屋へ来てくださいね?」
もうこれ以上彼女を怒らせないでくれ。
いや、次からは俺が代理として怒るしかないのか。
でも今まで花香にしかしてこなかったことをシスカにするとなると若干抵抗が
「本当にごめんなさい! 90度超えて180度に迫る勢いで頭下げますから!」
「ボケるより先に謝罪しろ! 体育の前の準備運動じゃねえんだよ!」
あったはずだったがやはりちゃんと自分を顧みないと案外わからないものなんだな。
「どれだけ頭を下げても、私は許しませんからね。それはともかく、皆さんには自主練習を命じて、あなた達には私が魔法を教えましょう」
顔を真っ青にして何かを呟いているシスカを横目に、ミリアは部屋を出ていった。
沈黙で満たされた部屋には、うろたえるシスカと薄ら笑いを浮かべる花香、無口を貫くシャドウ、過ぎ去った悪夢と収束した混乱に胸を撫で下ろす俺。
「シスカ」
「は、はい、なんでしょう?」
「シャドウのためにも、ミリアを怒らせるようなことはしないでくれ。あと、次からは俺も代わりに怒るからな。シャドウも花香もな」
「宥二さん、彼女は一国を率いる女王様ですよ! それはちょっと不敬と言いますか」
「昨日初めて会って数分で手を握りつぶした奴は誰だ? それと、俺も今朝こいつの頬をつねって伸ばしたからな」
「えっ……私にもそれしてください! 今日の昼食を返上してでもしてください!」
どうやら花香も俺を怒らせたいみたいだ。
それにしてもさっきからシャドウが一言も発さなくなった気が。
「すみません、お返事して頂けますか? ……あの、お返事して下さい? ……うん、いつか目を覚ますはずでしょう」
シスカは白目で口をぽっかり開けて固まっているシャドウを床に横たえた。
不運キャラは俺だけじゃなかったらしい。