1.奇妙な出会い(それでも頼みの綱)
――光はもう収まっているだろうかと、目をゆっくり開けた。
あまりの光量に四肢の先端の感覚がなくなりかけたが、一体何が起こったのか。
目の前には澄み切った青空が広がって、いくつかの雲が上から下へ流れていましたとさ。
「……空ぁ?」
「太陽? それに……ここ、草原!?」
さらに、煌々と輝く太陽に、風になびかれて揺れる草。
辺りに建物どころか人工の物は一切なく、代わりに山や大きな川、そして森があるだけだった。
「あ、花香! お前もいるのか……」
見知った人間がいて安心する半面、お前なのかよと若干の不満。
「宥二さん! あなたもいるんですね!」
そして、さぞかし嬉しそうな彼女。
この状況だから、そりゃそんなに喜ぶよな。
「んで、えーっと、まさかとは思うが……」
「これってもしかしてですけど、いわゆる……」
二人、考えている事は一致していた。
「「ここって、異世界……!?」」
小説やアニメでよく見る、主人公が現実の世界とかけ離れた別の世界に転移するあれ。
そんな超常現象に、自分が主人公であるのかどうかわからないまま巻き込まれたのである。
それも俺のストーカーである花香と共に。
「……ふう、いったん落ち着きましょう。とりあえず、まずは寝ましょうか」
「こんな状況で落ち着いてられるか! 何が起こったんだよ! 何でこんなところにいるんだよ! 何でよりによってお前なんだよ! ああもう意味がわからない!」
「ほ、本当に落ち着いてください! こっ、こここ、こういう場合はですね、えっと、その…………どうすればいいんですかあああああ!?」
異世界転生って言っても街の中にいるわけじゃないしなにか装備を受け取ったわけでもないし何をすればいいかのナビゲーションも一切、一ッッッッッ切ない!
更に言えば、今のところ何かしら特殊な能力を持ったわけでもなさそうだし、見た目がおかしいというわけでもなさそうだし、まずそもそも地平線まで街が見えない。
何だこの絶望、自分が大自然の中で遭難する羽目になるなんて。
「……よし、寝ますか」
「転生して数分で早速現実逃避かよ。まあ何もないし、いいアイデアが浮かぶまで昼寝でもするか」
俺がそう言った直後、目を陽の光が差し込む湖の水面如く輝かせ、邪気などが全く感じられない笑顔を見せる花香。
一体この美しさの裏に何を企んでいるのだろうか、俺の邪推は留まるところを知らない。
「やった! ねえねえ、添い寝しましょう? お互いを抱きしめ合いながら夢の中に堕ちていきましょう?」
まるで子供みたいだが、これでも高校生なんだ。
「……あ、こんなところに私たちのバッグが! いえーい、ご都合主義ばんざい!」
「いやいや、食べものなんて入ってないだろ。筆記用具と教科書とノートくらいだろ」
「それでも暇つぶしには十分ですよ。え~っと、他には……あ、こんな物が出てきましたよ!」
花香が取り出したのは、銀色に輝く綺麗な指輪だった。
「他には何か持ってきてないのか? ほら、どうせないとは思うけど武器になりそうな物とか、隠して持ってきたおやつとか!」
「ち、ちょっと! スルーですか!? 私からの渾身のアプローチなのに!」
「何でこんなものを学校に持ってきてるんだ! こういう高価なものは」
「いつ宥二さんから求婚されてもいいように携帯しておくのは当然で……あ、やっぱりいらなかったかもしれません。あと、期待させて申し訳ないのですが、それ安物なので……」
特に期待とかはしてないんだけど……まあ安物ならいいか。
「まあともかく、武器とかはありませんね。せいぜいこの小さいハサミくらいです。宥二さんは何を持ってきたんですか?」
「俺も大したもの入れてないんだけどなあ……何入れてたっけ……」
俺もバッグの中に手を入れてまさぐっていると、色んな物が出てきた。
「絆創膏……くし……手帳……雑多な物ばっかりだ。まあ軽い怪我に対応できるか。あと暇潰しの音楽プレイヤー……おっ、電池も何本かある」
これである程度の娯楽は確保できた。
「とりあえず、イチャイチャというか添い寝しましょうよ!」
「いーやいやいやいやいや! とにかく、まずは最初の街に行こう! そして家を見つけて仮拠点にしよう! 話はそれからだ!」
俺の一声で、俺たちは街を見つけるべく、重い腰を上げた。
でもやっぱり、パッと見では何もないただの草原のようで。
俺たちの間を通り抜ける風がいつもより冷たい。
「やっぱり歩くしかないんですかね?」
「手掛かりくらいあってもいいんだが……。誰かー!」
「だーれかー! いーませーんかーっ!」
花香の声を風にかき消されるまでずっと聞いていたが、他の音は全く聞こえない。
誰もいないかと思ったその矢先、遠くに何か動いている物……いや、確かな人影が見えた。
「だ、誰かいるぞ!」
影は森の方へと向かっていって、だんだん遠くなっている。
「あああああ早く行かないと置いてかれますよ! 急いで追いかけましょう!」
「はぁ……はぁ……疲れたぁ……」
「あんまり声出すなよ。遭難した体で話すんだからな」
彼が道なき道を行く後ろを、俺たちが草木をかき分けて進む。
彼はまるで、そこに道があるかのように淡々と足を動かしている。
「結構深くまで来ちまったな……何でこんな所まで来てるんだ?」
すると、彼は全身を止め、ゆっくりと後ろを向き、口を開いた。
「……そこに誰かいるのか?」
霜が降りたような声で、性別の判断がいまいちつかないが、男性のような顔つきをしている。
「あっ……こんにちは」
「初めまして……」
「君達は、どうしてここに来たんだ?」
「それは……み、道に迷ってしまって……」
ベタな言い訳だ。
しかし、彼は表情一つ変えずに、
「そうか。街はこの方角じゃない。引き返した方がいい」
と言い、背を向けて歩き出してしまった。
その道がわからないからお前に聞こうとしてたんだよと心の中で愚痴りながら、彼の後についていった。
ツタに足を取られたり、顔に葉がかかったりしながら進む。
だんだんと陽の光が少なくなっていき、元来た道を見失ってしまった頃、花香が声をかけた。
「あの、さっきは聞きそびれてしまったのですけど……あなたはなぜ、この森に来たのですか?」
彼の精悍とした顔つきが目を引いた。
「……君達は、僕が何者なのか知らないのか?」
やけに真面目な顔で、蛇のように鋭い目線を向けて、そう言った。
「……いいえ、知りません」
「そうか。かく言う僕も、君達の事は何も知らないんだ。名前は何と言うんだ?」
「俺の名前は新山宥二。それで、こっちは如月花香。よろしく」
「よろしくお願いします」
「わかった。僕の名前は……シャドウ」
「「シャドウ?」」
普通名詞そのままの、やや中二臭い名前に小首を傾げる。
「……やっぱり、おかしいよな、こんな名前」
ふと、彼は胸ポケットから何かを取り出し、それを手のひらに乗せて俺たちに見せた。
そこには、黒く濁った色彩の、正八面体のような形をした物体があった。
「これは一体?」
「僕が幼い頃からずっと持っていた、思い入れのある宝石さ。昔はとても白かったけど、いつの間にかこんなに黒ずんでしまった」
彼は懐かしむように、そして悲しそうにそれを見つめていた。
「やっぱりやめた。折角君達と出会えたんだ、君達を街まで連れて行かなくてはな」
「あ、ありがとうございます!」
話の流れがなんとなく掴めてなかったが、親切そうな人でよかった。
「それじゃあ、一旦この森から出ようか。この森は危険だからね」
危険だとわかっているのにここに来たらしい。
一体何のためにここへ来たのだろうかと、疑問は深まるばかりだ。
「……この森が危険だと言われているのは」
と言って、彼は森の奥を見やった。
背の高い草がゆらゆら揺れて、ガサガサと音を立てている。
まさか。
「この森に、獣型のモンスターが大量に棲み付いているからなんだ」
「「完全に……化け物だ……」」
大きな体躯の、とにかくデカい獣のような化け物。
グルルルと典型的な音を出し、俺たちに鋭い目線を向けている。
完全に威嚇してますね、これ。
「さ、さ~て……どうすればいいんだろうな」
「……下がってろ」
と言い、シャドウが獣と相対する。
武器も持っていないように見えるのに、どうして奴を倒すというのか。
「え、だ、大丈夫ですよね? あんなに何度もここに来てるみたいですし」
「まあー……大丈夫だろう。彼の言葉を信じてみよう」
と、突如、獣がシャドウを正面に捉え、走り出した。
ポケットから手を引き抜くと、その腕は「何か」に変化していた。
ザッ。
「グオアアアッ!」
刹那、その獣の心臓を貫くようにそれが伸ばされ、彼の寸前で獣は静止し、息絶えた。
あともう少し遅ければ、あの巨躯で体当たりされていただろう。
「……っと。いつか恨みを買われて、総出で殺されそうだな」
それは、この世の物とは思えない色彩をしていた。
赤黒く、先端は獣の胴体を貫けたのも納得できるほど鋭利な形。
「……見苦しい物を見せてしまったな、忘れてくれ。さ、街に行こうか」
「あのー……」
「ん、どうかしたか?」
「「すごく怖いんですけど……」」
すると、彼は目線を逸らし、俯いた。
「や、やはりそうか……。こ、怖がらせようとは一切思ってないんだ! 自分でもこの体が異常な事くらい分かってるさ。でも、そんなに露骨に怖がられると……」
「なっ、何でもかんでもあるか! 突然獣の心臓を貫いて殺すような奴は信頼できない! それに、全然疲れたような感じしてないし!」
「い、いや、そんな事はない! 正確に心臓を貫けるかどうかは半分感覚だ。もし仮に外してたら最悪死んでただろうし」
「いやいやいや! だったら逃げたらよかったんじゃないんですか!? というか、自分の命を軽く見すぎてますよ!」
「でも結果的に僕はこうして生きている。それに、この体だから、ちょっとやそっとじゃ死にはしない。それに、僕が死んだとしても、君達を死なせはさせないさ」
「そう、なんだな。……それで、どうするんだ?」
「ああ、街だったな。案内するよ」
突然の化け物の襲来に混乱が生じたが、なんとか街に行けそうだ。
……ちょ、お前、歩くの速い……花香も速い……。
「さ、あれが、さっきの所から一番すぐ近くの街だ」
整備された道に出て歩くことおおよそ30分、遠くに城壁が見えてきた。
典型的だなとも思いながら、城門前までたどり着いた。
これでやっと街に入れる……かと思ったら。
「ん? 待ちなさい、君達」
突如、門番的な感じで槍を持つ兵士的な人が俺たちを呼び止めた。
「君達、そいつが何者なのか知らないのか?」
「んー、ただ者ではない事は知ってますけど」
「怪物じみているってことも知っているけれど……詳しくは何も」
すると、彼は一つ溜息をついた。
「そいつがどんな奴なのか、知らないみたいだな。そいつは過去に」
「ああ、分かりました分かりました。あなたがたは僕の事が気に食わないのでしょう? じゃあ僕は街に入りません。でもこの二人は入れてやってください、二人には関係無い事ですから」
シャドウはこれ以上言わせないように、そして呆れたように言った。
このやり取りは過去にしたことがあるのだろう。
兵は道の横に避けて城門をくぐらせてくれた。
「お前は本当に来ないのか?」
「いいよ、別に」
いや、いいよじゃなくて、お前が来てくれないと困るんだけど。
お前も怖いけど俺の横にいるこいつも怖いんだよ。
今は流石に味方だとは思うんだけど、敵しかいないんだよ。
「こんな僕にも話しかけられたんだし、普通の人にも聞く事が出来るだろう? それに、この街には人が集まる広場がある。そこに行けば何をすればいいか分かるだろう」
それだけ言って、彼は颯爽と元来た道を戻っていった。
「え、ちょ、ちょっと! ……行っちゃった」
「ふむ。ここから先は完全に自力で生きていかないといけないみたいですね。まあ素直に広場に行って、助けを乞いましょう。あわよくば仕事をしたりアルバイトしたりしてお金を稼ぎましょう。無一文なので宿に泊まることすらできませんし」
「うむ……確かにそうだな」
「まあ問題は、今言ったことは全部本で読んだものだということですけどね」
ここがそういう世界だとしても、選択肢が限られている今は、それが最善策なのだろう。
「じゃあ、そうと決まれば早速行ってみるか」
「ですね。あと、シャドウさんの事について調べてみましょう」
いつもなら、ここぞとばかりに花香は俺の腕に絡みついてくるところだったが、今日は何もしてこなかった。
流石にこの状況ではふざけようにもできないんだろう。
「広場に着くまでは、あなたのことを見てますね!」
「前を向いて歩け」
しかし口は正直だった。
周囲の人の流れに流され、街の中をあっちにこっちにふらふらてくてく歩き回った。
「おっ、ここみたいですね!」
屋台が立ち並び、人々が集い、賑やかな声が溢れかえるこの場所。
十中八九、ここがさっき言っていた広場なのだろう。
「うわあ、人が多いなあ……」
「それだけ情報量が多いということの裏付けですよ。早速聞き込み調査です!」
というわけで、道行く人達に話を聞くことになった。
花香が意気揚々と怖気付くこともなく話しかけているのを見ていると、改めて彼女のコミュニケーション能力に驚かされる。
彼女が教室で堂々と彼女宣言できたのは、そういう事なのか。
「よ~し、情報は色々聞けましたよ! ほら、私ってば優秀でお利口さんなので、ちゃんとメモしてあるんですよ!」
しっかり自画自賛を挟みつつ、俺にメモを手渡す花香。
こういう所で反論できないのが歯がゆい。
「えー……『クエストは広場の掲示板にある』、『指輪は結婚式中に渡す』……」
一部を除いて有益な情報が一部除いててんこ盛りで、渡る世間に鬼はないというのはこういう事かと身をもって実感した。
しかし、かなりの人数に対して尋ねて回ったが、シャドウに関する情報がほとんど集まらなかった。
この世界の住人でも知らないだなんて、彼は謎に包まれた人物だ。
「それで、クエストは掲示板にあるんだよな」
「あっ、それなんですけど、最近クエストがないみたいなんですよ」
……え、マジ?
「あの、道行く人々に『すみません、最近モンスター関連で何か悩んでいる事とかお困りの事とかありませんか?』って聞いてたんですけども、『つい数か月前に魔物の国で内戦が起こったけど、特に困ってる事はないかな』って言われまして……」
……魔物は魔物で国を作ってるんだな。
最悪そっちに移り住むのも一つの手かもしれない。
「それに、困った事があったら兵士が来るみたいですよ。手厚いサポートですね」
冒険者ごときが出る幕はない、というわけか。
じゃあなんで俺たちはこの世界に引きずりこまれたんだ……?
ただ単に俺たちをもてあそんで見下して嘲笑いたかっただけなのか?
「いや~、この世界はのどかで平和で、住むならいい世界だな! あははー……」
「あ、あははー……武器もお金もないよおおおお! どうすればいいの神様ああああ!」
泣き崩れる花香、なす術もない俺。
世間に鬼はなくても聖人ばかりではなく、ホームレスの俺たちに金を貸してくれる奴なんて当然いない。
「……これ、シャドウさんに頼んでみませんか?」
「今どこにいるかわからないが……試してみる価値はありそうだな」
もう困ったときはシャドウに任せようかな、金欠なので金貸してくださいって。
よし、その作戦で行こう。
「じゃあもう少し聞き込み調査を」
「じゃあお願いしま――はっ!?」
花香が調査を再開しようとした途端、道にとんでもなく威厳がすごくてヤバそうなご老人さんが現れた。
あの人に、と言う前に、彼女はインタビューを始めていた。
どきどき、どきどき。
「はい! ありがとうございました! ……キタキタキタキタ! 来ましたよおおおおっ!」
いつにも増してハイテンションな花香が、手をぶんぶん振って帰ってきた。
なんか既視感があるような気がすると思ったら、友達が飼ってる大型犬だった。
「来たって、天啓か何かか?」
「まさしく天啓と言えるでしょう! 私、一人目で居場所がわかっちゃいました! さっすが私! 人を見る目があるんですね!」
それ、運が良かっただけなんじゃないか。
それに、いかにも何でも知ってますって感じの方だったし。
「それで、どこにいるんだ?」
「どうやらですね、この街を出て右下、もとい南東に進んでいくと、さっきとはまた別の森があるらしいんですよ。その森と山が面している所に洞窟があって、そこに入るとシャドウさんがいるみたいなんです!」
ふむ、やっぱり森の奥に住んでいるんだな。
何とも奇妙な生態をしている人だ、自給自足しているのだろうか。
まさか仙人志望で、さっきの人がシャドウの師匠さんだったりして?
「じゃあ……何だかもどかしいけど、行くか」
「申しわけないですけども、命がかかってますからね」
若干の罪悪感を抱えながら、俺たちは歩き始めた。
案の定、今回は手を握ってきた。
……ちょっとだけ、強めに握ってきた。
あれ、離れない、こいつ離れないよ、痛いくらいに握ってきて潰されそう痛い痛い。
と、ふと疑問が。
「なあ、花香。今俺たちが向かってる森って、化け物とかはいるのかな?」
「うーん……もしかしたらいるかもしれないってことがあるのかもですね……」
少し、沈黙を挟んで。
「全速力で駆け抜けよう」
「シャドウさんが何とかしてくれるはず」
他力本願で悪かったな、恩返しはちゃんとするつもりだ。
そんなノープランノーマネーノーパワーな俺たちの物語は始まったばかりだ。