9.催眠と洗脳のせいにして(建前も本音?)
「……っていう事があったわけですよ、もうすごく大変だったんですよ?」
「なるほど。ミリアが帰ってきたら間違いなく投獄されそうだ」
「いいいいいや、ででででっでも! 僕は国家転覆を企てたわけじゃないし、このくらいちょっとした警告とか罰金とかで済むんじゃないの!?」
「お前、俺の人生を『このくらい』で済ませられると思うか?」
「宥二さん、あなたは私と歩む人生を何だと思ってるんですか?」
どうやらシスカたちは明日帰ってくることになったらしく、先にシャドウだけが帰ってきたようだ。
そして、屋敷の中から出てきた彼を捕らえて連れてきたら、俺と花香が超至近距離で見つめ合っていた、ということだ。
運がいいのか悪いのか。
「とりあえず被害は無さそうだが、君達は何があったんだ?」
「何と言われましても、先程シャドウさんが見た通りですよ」
「まあ、そういうことなんだが」
「ほ、本当にそうだったのか……」
シャドウも俺たちがそういう関係になったことを認めるしかないだろう。
だって、今も花香は嬉々として俺の右腕に絡みついているのだから。
暑苦しいので早く離れてくれませんかね。
「宥二さんからも、もっとくっついてくださいよ~!」
「さっさと離れてくれ、暑いんだよ」
「やーだー!」
「はーなーせー!」
「うん、やっぱりお似合いだね」
と、男が口を挟む。
腹が立つと同時に頬が熱くなった。
「そもそも、俺たちが今こんなことになってるのも、どうせお前が何かしたからだろ!」
「今回は本当に何も手は出してないからね。まさに、君の心が揺らいでいる証拠で」
「君の行動も言動も、一つ一つが怪しいな。ちょっと別室で話を聞こうか?」
シャドウが彼の肩に手を置いて、そう言った。
目も口も笑ってなかった。
というかシャドウが笑っているところを見た記憶がない。
「べ、別に冗談で言ったつもりじゃないんだけど! ぼ、僕は本気で二人のことを」
「対象に気付かれずに催眠魔法を使えるほど扱いに長けている人物が、丁度魔王様のいない居候の二人だけという瞬間に、この屋敷に訪れるとは……何かを企てていると考えるのが自然ではないか?」
と、シャドウが早口で言いのけた。
早口すぎて何言ってるかわかんなくなるくらいの速度だった。
少し息が上がっていた。
「宥二と花香が君についてどう思っているのかは知らない。だけど、僕は君に対して幾つもの疑問がある。ちょっと別室で話を聞こうか」
「え、あ、はい……」
シャドウは彼の首根っこを掴んだまま、広間から出ていった。
また俺たち二人きりだ。
「別に悪い人じゃないのに、シャドウさんは疑い深い人ですね。あ、そろそろお風呂にしましょうか! 私準備してきますね!」
「じゃあ俺も準備する。お前だけだと心配だ」
「もしかしなくてもアプローチしてますね?」
「そうでもあるし、一人が心細いっていうのもある」
「宥二さんったら、素直じゃないんだから。でも、心配してくれる宥二さんも大好きです」
そのうざったるい笑顔も、その何の捻りもない愛情表現も、もう何百回目だろうか。
でも、そのせいで何でも許せてしまう自分がいる。
そんなのって。
「……どうかしましたか? あ、私の可憐な後ろ姿に見惚れてしまっていたんですか?」
「そんなの最初っからそうに決まってるだろ。あと、別にそんなんじゃない」
「そうですか、最初からですか。その最初っていつからなんです?」
「お前と初めて話したときだ。初っ端から馴れ馴れしかったけど、改めて話をしたら、俺も気づかない内に笑えてきたり、楽しくなったりしてさ」
「今も楽しいんですか?」
「つまらないと感じたことは滅多にない」
花香の顔が真っ赤になって湯気を吹き出している。
まだ風呂は沸いていないのに、変な奴だ。
「じ、じゃあなんで私と付き合いたくないんですか? 人と付き合えない理由があるんですか?」
「……怖いんだよ、この関係が終わるのが。ずっとこのままが良いんだ。陳腐な理由だなって思うだろ? でも、本当にたったそれだけなんだよ」
「ふむふむ……。そうは言っても、私たちの関係が壊れるわけではないんですよ。一歩先に進むだけです。もちろん、私はあなたとならどこまででも、なんてね? で、でも、宥二さんには宥二さんのペースがありますし、急ぐ必要はないんですよ!?」
「花香は本当に優しい人だね。君に出会えてよかった」
それから花香はずっと黙ったまま、一切顔を見せようとしなかった。
風呂を上がるなり足早に部屋へ閉じこもってしまったので、その後は全く会話ができなかった。
昔から変わらず、変な奴だ。
「おはようございます!」
「今日もテンション高いな。何かいい事でもあったのか?」
「え~? だってそれは~、むふふ~」
今日の花香は、言うならば内側から幸福感が湧き出ているようだ。
それが原因か、いつもよりウザさが増している。
見ていて悪い気はしないけど。
「本当に何があったんだ? ちょっと気味が悪いぞ」
「気味が悪いとは失礼な! 何を隠そう、昨日宥二さんが本音を言ってくれたんです! にひひ、私ならあなたのこと何でも話してくれていいんですよ? いつでも親身に聞いてあげますからね!」
「えっ?」
「えっ?」
さも当然のことかのように話す花香。
お前に本音とやらを言った記憶は寸毫たりともない。
背中から冷や汗が噴き出して、寒気で身体が震える。
「俺、そんな事を言ったつもりは」
「宥二さんって、本当に私のことが大好きなんですね! 素直に言ってくれて嬉しいです! 昨晩部屋に戻ってからずっとずっと考えてたんですけど、私、やっと自分の気持ちに決着がついたんです!」
「待て待て待て待て! 一旦落ち着け!」
「私はこれからも、宥二さんにアタックし続けます! 宥二さんと付き合えても攻めまくります! ということで!」
一方的に言い終わると、彼女は身を正して言った。
「私と、結婚してください!」
まっすぐ俺の目を見つめて、一切の曇りもない笑顔で、聞き間違えることのないほど鮮明に言った。
俺も身を正して言った。
「お断りです」
「じゃあ付き合ってください!」
「嫌に決まってんだろ。それよりも、昨日俺が何を言ってたのか教えてくれ」
「じゃあ、おんなじ質問しますね。なんで私と付き合いたくないんですか?」
「はあ。だから……っ」
俺はため息を一つついて、常套句を言おうとした。
なのに今、心臓が大きく跳ね上がっていた。
そして、昨夜の記憶が鮮明に脳裏をよぎる。
「おっ、思い出しましたね?」
「ああああああああああああああああああ~……」
「どうしたんですかあ~? 恥ずかしいんですかあ~?」
「あの野郎っ! シャドウ! あの男はどこに行った!?」
「……はっ! そ、そういえばそんな奴もいた気がする!」
シャドウ、お前もか。
俺たちはあいつにまんまとハメられたわけだ。
「結局、あいつが何を目的にここへ来たのか、さっぱりだったな」
「そうだな。彼が来なかったら、君達二人はきっとシスカ様の言う通りになっていたかもしれなかったから」
「シスカは何を言ってたんだ? どうせロクでもないことだろうけど」
「君が知る必要はないよ。結果として予想通りになったことだし」
そう言ったシャドウの目線は、デレデレ顔の花香に向いていた。
なるほどね。
「でも、君は案外嬉しそうではないね?」
「当然だろ、こいつが今までより調子に乗っただけだ。いい迷惑だよ」
「シャドウさん、宥二さんはこれでもすっごく喜んでるんですよ! ただ恥ずかしがってるだけで、心の中では」
「花香っ!」
顔が熱いし、心臓もバクバクしてるし、逃げ出したいのに、ちっとも体が動かせない。
汗のにじむ手が、彼女に握られた。
「宥二さん、私は本気です。どんな手を使ってでも、あなたを私のものにしてみせます。覚悟、しておいてくださいね」
「あ、えっと」
いつもならさらっと受け流していたプロポーズですら、脳内で思考を溶かされている。
今まで冗談だと思って無視していたのに。
それなのに、今更。
しどろもどろな俺の耳元で、彼女はこう呟いた。
「……ずっと一緒にいましょうね? 絶対に逃がしませんから」
背中に悪寒が走るのと、心臓がドクンと高鳴るのは同時だった。
彼女の欲望が混じり合った好意に、俺は嫌悪感を抱いた。
しかし、少なからず自分もまた彼女に好意を抱いていた。
「……うん」
情けなくか弱い声で返事するのが、その時は精一杯だった。
花香からは逃れられない。
俺はその事実に、今やっと気がついた――
「すみませんが、そういった事は二人きりの場でして頂けると」
「くっくっく、朝から良いもの見れちゃいました! さて、お二人にはこれから根掘り葉掘り尋問しますからね? 覚悟してくださいね!」
――だが、シスカたちが帰ってきていたことは意識の外だった。
シャドウは数歩離れたところで、目線を俺たちから逸らしていた。
「とりあえず、まずはご飯にしましょうか! お二人が何をしていたのかは、たっぷりと、くくく……」
「シスカ、さん? あの、これは、べ、別に、えっと」
「ま、待ってくれ。いや待ってください! 誤解なんです!」
「皆さん、長旅お疲れさまでした! 食卓に並んでくださいね~!」
「「シスカ様あああああ~っ!!」」
「……はい、どうぞ」
「いただきます」
一時間ほどにも及ぶ尋問が終わり、やっと俺たちは解放された。
もちろんあの男の事は話したし、何があったかもすべて教えた。
シスカが興味を示したのはもっと別のことだったが。
と、ここで花香が一言。
「宥二さん、もう付き合っちゃいましょう? ねっ?」
「お二人は凄くお似合いですし、私達もそういう機会を作ってあげますのに」
気軽にそんなこと言わないでください。
あとそんな機会もわざわざ用意しないでください。
「二人きりになれれば、今度こそイケると思うんです! 宥二さんもそう思いますよね!? やっぱりそうですよね! ねっ!」
「えー、あー、そのー、う、うん」
反論させる隙すら与えない花香の完全無欠なディフェンス。
あまりの守りの堅さに、オフェンスも攻撃する手を止めてしまう。
それが花香なのだ。
ところで、今さり気なく彼女の文言を肯定してみたのだが、
「ということで、私たち夫婦の時間も欲しいなあって思うんですよね!」
「じゃあミリアさんに直談判しに行きましょう!」
「やめとけ、ミリアが許可するわけないだろ」
花香は気づかなかったようだ。
少し安心したが、ちょっとだけ寂しい。
そんなことよりも話の流れが(いつもの事だが)おかしい。
「ミリアさんに直接聞かないとわからないじゃないですか!」
「そうですそうです! とりあえず聞いてきま……あっ」
奮い立っていた二人は、部屋から出ていこうと椅子から立ち上がった。
しかし何故だろうか、彼女たちは顔を青ざめてガタガタと震えている。
本当に何でだろう、ただ漆黒の影をまとったミリアがいるだけなのに。
何でだろうねー。
「ミリア、こいつら何とかしてくれないか?」
「シスカ様、こちらへ来てください。話がありますので」
と言って、ミリアはシスカだけを連行していった。
「……セーフ!」
「お前、上手く懐に入りやがって」
「その話はゴミ箱の中にでも置いておいて! 宥二さんは住むなら一戸建てがいいですか? それともまだ賃貸やマンションとかがいいですか? 立地は? 家賃は? 駅から徒歩何分?」
「同棲を前提に話を進めるな!」
「住むならどこがいいか聞いただけで、一緒に住むなんて言ってませーん! あれあれ~? 勘違いしてませんかあ~?」
腹が立つというより、昨日からキャラが変わりすぎな気がする。
花香はそんなに誰かを煽るような言動はしないはずなのに。
……でもそういう花香も、良いかもしれない。
ついつい強張らせていた顔が緩んでしまう。
「なるほど、こういう感じも好き、と」
「ちょ、そのメモ何だよ!」
花香の左手が持つ紙束を掴もうとして、椅子から立って手を伸ばした。
が、紙束に触れることはできず、勢いあまって……
バタン。
「「あっ……」」
「ご、ごめん花香! ついバランスを崩して……花香?」
「…………」
「おーい、花香? 気絶してるわけじゃないよな? 大丈夫か?」
がしっ、どさっ。
花香が手を振り払った直後、俺を逆に押し倒してきた。
「……宥二さん、そろそろマジのガチでやりますよ? されたくなかったら、二度とこんな事はしないようにして下さい。貴方自身のためにも、私のためにも」
「すみませんでした」
一瞬、花香からもミリアに似たオーラが見えた気がした。
何で俺だけ出せないんだろう、それとも自分では気づけないんだろうか。
押さえつけられていた手が放された。
「ふう、危ない危ない。もう少しで宥二さんの花びらが散るところでしたね」
「おいそれ何のメタファーだ。あ、答えなくていいからな」
「とにかく、今後は不用意に私に近づかないでくださいね。油断したら、やりますから。ちなみに私から近づくのは大丈夫です。夜目が覚めたら私がいるかもしれませんが、その時は大丈夫なので」
不公平だと言いたいんだが、それで被害を受けるのは自分なのだ。
こうなったら、できるだけ人前に出て、接触させないようにするしか
「花香さん宥二さん! お二人の時間が出来るかもしれません!」
……この世界は不公平だ。