プロローグ
昼休みは、俺にとって休憩にはならない。
耳を通り体全体に染み渡る鐘の音と、クラスメイト達が一斉に騒ぎ出す声や物音。
十年前から変わらず、この瞬間はいつも待ち遠しいものだ。
ふう、と深く息を吐き……とっさに教室のドアを振り返る。
よし、まだ来てないな。
机の上の教科書やノートを片付け始める。
肩の重荷が一気に崩れ落ちた感覚に押し潰されるように、机に倒れ込んだ。
よし、俺の思考回路の電源を切って存分に休もう。
昼食の時間だからな、脳に栄養を送ってやらないと。
すると、前の席の男友達が、教室のドア付近をちらりと見ながら話しかけてきた。
「なあなあ、一緒に飯食おうぜ!」
こう話しかけてくるということは、きっと彼女は今もここには来ていない、つまり邪魔が入らないということだ。
「ああ。今日はお前、弁当なんだな」
「そ。親が作ってあげたいって突然言ってきてさ」
「そりゃまた唐突だな。でも、久し振りの弁当なんだし、ちょっとは期待してたりして?」
「ま、まあそうかもな」
なんて言って、彼は目線を廊下側にずらし……そのまま硬直させた。
「どうした? ……あ、まさか」
「ああ、そのまさかだな」
はあ、と大きくため息をつき、がっくりと肩を落とした。
ここ最近、残念がるリアクションが多様になってきたのは、きっと彼女のせいだ。
地域では偏差値が高く、校則もかなり緩いこの高校で。
自由気ままな学校生活を送れると思っていた俺の想像に割り込んできて。
最近では勉学よりも懸念すべき事項となった、あの女子高校生。
入学式の日に知り合って、それ以来よく話すようになって、ある意味俺の高校生活のスパイスとなっている彼女。
「本日もお勤めご苦労様、だな」
「お勤めって言うなよ。俺は会社じゃないし、あいつは社員じゃない」
「あいつ、完全にお前に惚れてる目してるよな。少しだけ、羨ましいよ」
俺も彼の目線の先にいる彼女を横目に、呆れて言った。
「あいつは俺のストーカーだよ」
「うふふ……」
今日もあいつの艶めかしい表情が、俺の思考回路を再起動させた。
「出席番号25番の新山宥二さーん! お届け物でーす!」
「チッ……はーい」
がらがら。
がしっ。
「お届け物です! お届け物ですから! どうかお受け取りください! あと印鑑とサインと言質下さい!」
無言で扉を閉めようとしたが、片手でこじ開けられた。
そんな右手怪力ストーカーの名は如月花香。
俺はその可憐な名前と実際のたたずまいから清楚な女性を思い浮かべたが、蓋を開けてみるとこのザマだ。
ちなみに今は、日課と化してしまった花香の手作り弁当配達だ。
「あのなあ、今日俺は登校途中のコンビニでパンを買ってきてるんだ。お前の弁当なんて必要ないんだよ」
「そんな寂しいこと言わないでください! 今日も丹精と愛情を込めて作ってきたんですよ! そんなコンビニで買ってきたパンなんかよりも、私の弁当にしましょうよ!」
「そんなのコンビニと食べる奴の舌次第だろ。早く自分の席に戻って……くっ……戻ってろって言ってるだろうがっ……!」
と言ってドアを閉めようとするも、逆にギチギチと音を立てながらゆっくり開けられている。
そして結局諦めて、彼女に手を引かれて空いている他教室へ、というところも日課の内である。
それは今日も弁当の中身以外何も変わっておらず、誰もいない部屋で二人きり。
「何だかんだ言って付き合ってくれる宥二さん、優しいですね」
「うっ……そんな事言うなよ」
「あ、本日のお弁当です。どうぞ」
両手に包み込んでいた二つの弁当箱の青い包みの方を差し出してきた。
「お前、何でそこまでして俺と飯食いたいんだよ」
「ん? それは当たり前じゃないですか。私はあなたの事、何でもお見通しなんですよ」
「はあ……だから、そうやって」
「んふふ、入学式からずーっと見てきていますからね。今更それくらいお茶の子の魂百まで、ですよ」
……黙ってれば可愛いのに、こいつは。
「あっ、じゃあ黙りますね」
「心を読むんじゃない。というか、まず何でお前が読心術を」
「もちろん、もう私たちは以心伝心ですからね! 何がしたいかなんて手取り足取りわかりますよ!」
それを言うなら手に取るように、だ。
いい加減正しい慣用句とかの使い方を覚えてもらいたい。
一々ツッコんでやってる俺をこれ以上疲れさせるな。
一息ついて、彼女の弁当箱を開ける。
唐揚げやら、ミニトマトやら、卵焼きやらと、こいつが作ったというのにどれも美味いというのが癪に障る品々。
特に味わいもせずに次々と口に運びながら、横目で花香をチラ見する。
「……おっ、にひひ……はむっ、ん~……ん~っ♪ んふふ~……」
弁当箱を開けて、卵焼きを一つ食べて美味しそうに頬をゆるませる花香。
「…………」
「はむ、あむあむ……よいしょっ。んっ、んっ……ぷはぁ~」
箸を置き、水筒の中のお茶を飲み、大層な息をこぼす花香。
「…………」
「はぁ~…………すやぁ……」
完食して目を閉じ大きく息を吐き、そのまま意識を遠のかせる花香の脳天に一撃。
「寝るなっ!」
「痛あっ! え、あ、お、おはようございます! あれ、宥二さん……あ、あれ? えっ、さ、さっきまでお布団で一緒に寝てたはずなのに」
「落ち着け落ち着け。突然起こしたのは悪かったけど、飯食い終わった途端に寝るのはやめろ。あとその夢の事も忘れろ」
「ええっ!? せっかくあとちょっとで指輪があるかどうか確認できたのに!」
「お前って奴はなんて夢を……ま、まあ、お前の夢だし、俺が口を挟む余地はないよな。すまないな」
「いえいえ、いいんですよ。せきにん、とってもらえれば、それで」
「じゃあ許されなくていいや。ありがと、美味しかったよ」
最低限の挨拶をして空の弁当箱を返してその場を立ち去った。
花香は今頃頬を膨らませているんだろうな。
「んんー……ぷひゅー……」
「今日の授業はここまで。この辺りはこの先の単元との関わりが深いから、ちゃんと定着させておくように」
「起立! 気をつけ! ありがとうございました!」
『ありがとうございました』
「あざざざざー」
「新山さん!」
「……ありがとうございました」
ガタンバタゴトバタン。
「よっし、準備完了早く帰らせろ担任」
「なんでお前はその能力を体育で発揮しないんだ?」
「そりゃあ、何たって放課後だからさ! 放課後放課後放課後ッ! 授業からの解放ッ! 平日で最も気楽なひと時ッ!」
「……お前が嬉しそうで何よりだよ」
そんな事を考えている俺だが、今日は直帰せず寄り道して行く所がある。
それは、図書室である。
学校の中でも一番好きな場所である。
特に用事がないときは、適当な本を読んだり勉強という名の雑談をしたりする。
並んでいる本は普通とはいえ、面白いものだっていくつか取り揃えてある。
そんな特筆すべき点もない図書室だが、俺はここが大好きだ。
そういうわけで図書室に来たのだが。
「あら~! 宥二さんじゃないですか~! 偶然ですね~!」
いつもは家の用事だと言って早々に帰宅しているはずの彼女がいやがった。
「……家の用事は?」
「今日の占いで、好きな人の時間を増やしなさいっていう結果が出たので。それより、図書室の電気がついてませんね。いつもは開いてるのに」
「仕方ないな。勝手に入らせてもらうか」
鍵は閉まっていなかった。
ちなみに俺は開けた扉はちゃんと閉める人です。
「うーむ、これは図書室ですね。宥二さんがたまに来て本を読んだり勉強してたりする、放課後から学校の門が閉まるまで開いている相神高校の図書室ですね」
「逆にここを何だと思ってるんだよ」
「あ、そうそう、相神高校十三大都市伝説によると、書庫には禁書があるらしいですよ」
え、何それ、初耳なんだけど。
「というわけで、探求心旺盛な私は保管室を調べますので、宥二さんは見張りをお願いします!」
「いや勝手に入」
「見張り、お願いしますよっ!」
そろそろストーカーの頭にぴったりなネジを見つけるべきだろうか、最近悩んでいる。
もちろんそんな彼女の言うことには耳を貸さず、本棚から適当な本を探し始めた。
友達が持ってたやつとか、この前書店に並んでいたやつとか、『誰も知らない耳かき棒の新常識』とかいう本とか。
一冊持って机に戻ると、花香の手に俺のスマホが。
「……い、いや、もしかしたらロックを掛けていないかなと思っていて、私が設定してあげようと思ってまして……」
ばしっ。
「俺がそこまで抜けてるやつだと思うか?」
「さ、流石宥二さんですね! 日頃のセキュリティー管理がしっかりしてて真面目さがにじみ出てます! あっ、すみません、しょこの書庫に性懲りなく引きこもってこしょこしょしてますので……」
……ふう、一旦冷静になろう。
頭に血が昇ってしまい、思わずスマホの角で頭をぶん殴ってしまうところだった。
落ち着いて、この本を
『うおーっ! 宥二さーん! 緊急事態です、こっち来てくださーい!』
次で最後にしよう、あの馬鹿につき合ってやるのは。
深呼吸して頭を冷やし、叫び声のした部屋に押し入った。
「花香、次は何を……え?」
「ゆ、宥二さん、私も本気では信じていなかったんですけど……あの噂は本当だったのかもしれません……」
中にあったのは、二冊の白い本。
題名もなく、バーコードや保護フィルムすらもない。
一体なぜこんな本がここにあるのだろうか、そしてこの本は一体何なのだろうか。
「ひ、開いてみます?」
「あ、ああ。傷つけないようにな」
花香が手を伸ばし、表紙を開く。
書かれている文章は、こことは違う別の世界について。
読み進めてわかったのは、
異世界というだけあって魔法があり、
人間の国や魔物の国とかがあり、
そして、文明はあまり発達していないということだ。
そして、次のページをめくると、
「あれ? 白紙、ですね」
「白紙だな。何にも書いてない……」
突如、文章が途切れて、そこから先の全ページが白紙になってしまった。
最後の一行を読み上げた。
「「『世界は勇者を待っている。世界は解放を待っている。』……」」
次の瞬間。
「うわっ!」
「ま、眩しい!」
突如本の中から溢れ出てきた光に目を閉じ――