めざめよ!スマイルクイーン!
仙道朱莉沙、彼女が生まれたのは福岡県みやこ町だ。
自然と歴史、また伝統が共存する地域がキャッチフレーズにもなっている。
朱莉沙はとてもおとなしい少女だった。農家を営む夫婦のもとで一人娘として育つ。父の大輝は若い父親で、母の嗣美はその父の6つ年上の姉さん女房だった。姉さん女房といっても、性格はおとなしい朱莉沙そのままだ。
農家は嗣美の両親から受け継いだものだ。山口にある農業学校にて二人は知り合い、交際し結婚する。長らく子宝には恵まれなかったが、嗣美の父母は急かすこともなく穏やかに彼らを迎えて見守り続けた。
結婚してから6年経って、ようやく生まれてきたのが朱莉沙だ。名前は近所の寺で命名して貰った。健康にスクスクと育った彼女だったが、ほとんど無口と言っていいほどシャイな性格は目に余った。
大輝はそんな彼女の為になると思って彼女と一緒に柔道教室へと通い始めた。教室があるのは街の方で週2回の稽古だ。彼には柔道の経験もなければ、センスの欠片もなかった――
「ヨッシャアアアアアアア!!」
「ダアアアアアアアアアア!!」
大輝は乱取りで組むたびに投げられ続けた。彼よりだいぶ歳を増した老人からだけでなく、彼よりもだいぶ歳下の児童に投げられる事すら度々。
しかし彼は笑っていた。どんなに格好悪く投げられても笑っていたのだ。
道場ではそんな彼をからかう輩も少なからずいたが、大半が彼を尊敬して慕うようになっていた。気が付けば道場にいる皆がそうなっていた。
弱いのは大輝だけでない。娘の朱莉沙も同じく。
「なぁ、パパ」
「ん?」
「なんでウチら道場にいくの?」
「行くのが嫌なんか?」
普段口を開かない朱莉沙がやっと口を開いたと思ったら、柔道をやめたいっていう本音がでてきた。電車が線路をゆく音がガタンゴトン……ガタンゴトンと耳に響く。
「ええよ、朱莉沙が辞めたかったら辞めてもええ。父さんが頑張るのをみとってよ」
「パパはいつも投げらればっかり……恥ずかしいよ……」
「でも、俺は楽しいで?」
「楽しい?」
「何でもなぁ、突き抜けたら楽しい。それを知って欲しい。それにな、俺、いまメッチャ嬉しいよ」
「何が?」
「朱莉沙とこうして喋れとんのがよ」
大輝はそう言って朱莉沙の頭を撫でる。彼の笑顔は誰の何よりも眩しかった。
朱莉沙は父と電車の中で本音をぶつけて以降、柔道に励むようになった。学校から帰ってくると、自らトレーニングをずっとし続けるほど。だが、おとなしい性格そのものはそれでもなかなか変わることはなかった。
ある時から大輝は激しく息切れをしてみせるようになった。仕事でも柔道でも。彼は病院にいき、そこで大病を患っていることがわかった。彼はそれでも治してみせると笑っていたが、3か月後には帰らぬ人となった――
朱莉沙は泣いた。泣き続けた。葬式の時も、その後も――
彼の農家は祖父母と嗣美とで大輝の意思を継ごうとした。朱莉沙もその後継を担うことを夢みた。しかし農家はいたたまれない現実に進路を阻まれて、結局は畳むこととなった。
そして一家は北九州市に引っ越した。
ワーキングプアで働く大人3人と中学生になる女子一人。狭いアパートの中で彼女たちは細々と生活を始めた。そんな折、朱莉沙に柔道道場から誘いがあった。かつて一緒に切磋琢磨した仲間のうちの一人が北九州にやってきたというのだ。
嗣美が「娘がそんなところに通う余裕なんてありません」と言った直後だった。
「私、やりたい」
朱莉沙が間髪入れずにそう言った。彼女の眼は真っすぐで真剣だった。
大輝が亡くなってからというもの、ずっと暗い顔を浮かべてばかりいた彼女がやっと顔をあげてくれた。そんな彼女の意思を潰すことなんて本当は断ちたいと思っている彼女にもできる筈がなかった。
朱莉沙はこの道場の一員となり、中学生の大会にエントリーした。
このときに彼女の進化が始まった。
試合場の畳の上に着く。一礼する。そして構えに入って相手と組むまでは何も変わりはなかった。練習でも投げられっぱなしの弱弱しい彼女のままだった。
相手と掴み合い、技をかけあう。緊張するその空間の中――
彼女はなぜかそこで笑っていた――
ここに至るまで色んな想いが彼女の脳裏をよぎっていた。農家の継続に失敗をしてしまった家族。若くして亡くなってしまった父。そして何よりそんな運命に翻弄されていた自分。全て脳裏に浮かぶ父の微笑みが払拭した――
『何でもなぁ、突き抜けたら楽しい。それを知って欲しい』
楽しい!! 柔道ってこんなにも楽しいのだ!!
彼女がそう心で叫んだ時に、彼女は綺麗な一本背負いを決めていた。
彼女はその勢いのまま、この大会で優勝を果たす。
大会後はこれまでと打って変わって興奮したままあれやこれやと喋っていた。まるで別人。しかしこの時にその後称される「スマイルクイーン」は覚醒したのだと、本人含めて誰もが語り継いでいる。
その後も貪欲に朱莉沙は稽古に励んだ。どんなに激しい練習でも自ら求め続け、常に笑顔を絶やさずに取り組み続けた。その躍進は柔道だけでなく、彼女の学校生活にも及んでいた。柔道教室の仲間は勿論、クラスでも人気者の女子になった。
そして遂に彼女は中学1年生にして階級別の全国大会優勝を果たす――
これには全国の女児柔道部の強豪校が黙ってなかった。しかしここで決定打を放ったのは岡山創芯学園の監督、松永智子であった。
彼女は道場でなく朱莉沙の住むアパートへやってきた。
チャイムを押す。そこで出てきたのは朱莉沙でなく嗣美だった。彼女は松永の顔をみるなり目を丸めて驚いてみせた。また青ざめてもいた。
「何十年振りかしら? 仙道さん、また会えて光栄です」
「何の運命かしらね……ここに来たのは娘が目当てね?」
「ええ、でも貴女にも話して欲しいことがある。朱莉沙さんの前で」
「何の真似? 私を傷つけに来たっていうの?」
「まさか。でも、朱莉沙さんの注目は今や全国規模。この家にやってきた人達も数知れないでしょう。だけど彼らと私じゃまるで意味が違う」
「じゃあ、尚更おひきとりを……見損なったわよ。町田さん」
嗣美がドアを締めようとした時に、朱莉沙が出てきて「ママ、誰?」と言って「町田智子!?」と反応を強めた。彼女はそこで運命に抗えないと観念した。
松永と朱莉沙、そして嗣美は小さな丸テーブルを囲んで話を交わした。真実を告げたのは意外にも嗣美だった。
「ママが柔道選手!?」
嗣美は中学3年生まで全国トップクラスの柔道選手であった。しかしその全国大会の決勝で当時町田だった松永と対峙、延長にもつれ込んだその試合で彼女は打ち身を失敗して脱臼してしまったのだ――
「私はそんな感じのライバルと2度も闘った稀な存在よね」
「自慢するなんて人が良くないわね?」
「え、でもママはパパの柔道には全然興味持ってなかった気が……」
「そりゃあそうよ、朱莉沙ちゃん。よく考えてみてよ? 自分が負けてしまったうえに大怪我を負ってしまったスポーツを実の娘にさせたいと思う?」
「いや、なんだろう私も頭の中がこんがらがってきちゃって……」
「いいわ。いつかわかる事かもしれなかったし、今更暴かれたってどうでもいい。それよりそんな人の機嫌を損ねる事を暴露させて娘をしょっぴくなんて……貴女の神経を疑うわよ!! 朱莉沙が良くても私が貴女を嫌悪します!!」
「じゃ、何で朱莉沙さんは今こんなにも柔道をしているのですか?」
「それは……」
「楽しいから!」
朱莉沙が間髪入れずに答えてみせた。
「そう! それよね!」
松永も微笑んで続ける。
「嗣美さん、私は朱莉沙さんだけに可能性があると思って話にきたのでないの。可能性は嗣美さん、貴女にもある。一人の柔道家が立派に育つうえで家族という存在は良くも悪くも強い影響を持つ。朱莉沙さんを日本一、世界一の柔道選手にする為に私が貴女から彼女を奪うのでなく、一緒に彼女を支えていきませんか!」
松永から差し伸べられた手を嗣美は断つ気が起きなかった。気が付けば彼女はかつての忌々しいライバルと握手を交わした。
「娘を大事にしてくれるなら」
彼女たちは真剣に見つめ合った。それは強固な同盟が結ばれた瞬間に他ならない。
朱莉沙の躍進は止まらない。世界カデに出場して初年度は銀メダルとなるも、それから2年間は金メダルに輝いた。中学生の全国大会も他を寄せ付けない強さなるものを見せつけて3連覇を果たす。そして岡山創芯学園への推薦入校が決定した。この頃にはニコニコした朱莉沙のキャラクターは確立されており、岡山へ一人巣立っても立派にやってのけていた。
しかし高校生の全国大会を目前にして面白いニュースが彼女の興味をそそる。
千葉の発足間もない私立高校女子柔道部が朱莉沙の階級で一人全国大会に進出、団体戦でも進出をしてきているのだ。
「朱莉沙~ここのところずっと携帯弄って何しているの?」
稽古のオフの間、朱莉沙はずっとスマホをみていた。
「う~ん、ずっとDM送っているのだけど、返信なくてねぇ」
「誰に?」
「服部碧さん」
「あの黒人の! SNSなんかやっているの!? ……って朱莉沙もやっているのかよ!?」
「こういうのって興味なかったけどね。やっぱ怪しまれるよね。直接会って確かめるしかないかぁ」
朱莉沙はそういって背伸びをした。そしてそのままスマホを投げて稽古を再開させた。
そして来たる全国大会、朱莉沙が決勝で碧に勝つ事となる――
大会後、国技館周囲を散策していた朱莉沙は服部碧と出くわす。
「碧チン!」
「アオイチン?」
振り向いた碧は試合時と違って、どこか柔和な雰囲気を醸し出していた。
「仙道さんか。誰かと思ったよ。何だよ? 碧チンって?」
「ドラキュラって美味しい血を飲んだ時に『ああ~おいちぃ』って言うらしいよ」
「くだらない。オヤジギャグかよ? 何しに来た?」
「この辺をスマホで撮ってまわっているの! 記念になると思って! 碧チンは何しとん?」
「私は散歩だよ。記念になると思って」
「ふうん、碧チンも私と同じ事をしているのかと思った。ねぇ! ちょっとお願いできる?」
「何?」
「記念に1枚撮ろうよ! 国技館をバックに!」
「え? ああ……ねぇ? 仙道さんって何かいつも楽しそうだね。何で?」
「パパがそういう人だったから……」
常時笑顔の朱莉沙が一瞬俯いて笑顔をひっこめたが、すぐにそれを戻した。
「パパ、病気で死んじゃってね。柔道をしていたのだけど、すごく弱くて。でも、いつも楽しそうにしていたの。私はそんなパパが好きでやっていたけど、こんな風に笑う事なんかできなかった。でもパパがいなくなって、私がパパの分も頑張ろうって思うと笑えるようになってね。そして強くもなった!」
「そっか、逞しい人だな。アンタの父さんもアンタも」
「でも貴女もそんな感じがしたよ! 写真やビデオで拝見した時からね!」
「ふふ、多かれ少なかれ外れはないかな」
「でもさ、何で私のDMを無視するの? 普通に凄く興味持ってしたのに」
「えっ? どんな練習しているか聞いてきたあのメールって」
「私だよ! フォローよろしく!」
「あっ、ああ、ははは。後でする」
「ほらほら! 写メ撮っとこう!」
2人はそれぞれのスマホで国技館をバックに記念撮影をした。
「朱莉沙! 出発するよ!」
創芯高校女子柔道部で時に仲良くしている暁美が朱莉沙に声をかける。
「じゃあね! 碧チン! また来年、金鷲旗とココでね! その先は大阪五輪とマルセイユ五輪…の椅子をかけて、またやろう!」
「大阪五輪……マルセイユ……おう! わかった! 今度は負けねぇよ!」
碧は精一杯手を振って仙道を見送った。
高校生となっても64kg級を高校卒業まで制覇し続けた仙道朱莉沙は世間でスマイルクイーンと呼ばれるようになる。彼女が日本代表を内定した大阪五輪は新型ウイルスの世界的蔓延により中止となった。
しかし、それでも彼女は笑って「次のマルセイユでみせてあげようじゃないか」と余裕のコメントを残す他、服部碧に対しては「私じゃない奴に負けたら許さないカンナ! はしもとカ~ンナ! プンプン!」とカメラ越しに挑発をしてみせた。
そしてこの2人はマルセイユ五輪を目前にして、女子64kg級代表決定戦を目前とすることになった。
服部碧は階級の変更も周囲から勧められたが、ライバルを倒すために頑なに階級を変えず試合に挑んでいる。事実、朱莉沙以外の選手には国際試合を含めて負けなしだ。
忍者黒帯とスマイルクイーン、その決闘に私は心を躍らせている――
松永智子
∀・)本日「スポーツの日」ということで思い切って『碧-aoi-』のスピンオフにあたる本作を投稿させて頂きました!!はい、あの物語のちょっと先も書きましたね(笑)スポ魂なろうフェス、碧、本当に温かい皆様のお蔭で思った以上の成績の残せております。本作もそうした跡が残せれば理想ですが、まぁ、スピンオフですからね(笑)あんまり期待はしないでおきます(笑)でもアレですね、この話を書いて余計に僕は仙道朱莉沙が好きになりました。マルセイユ五輪(笑)、日本代表が碧になるか朱莉沙になるか、皆で見守りましょう☆読了ありがとうございました☆