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「先王が玉座に着いた頃、この国は貴族の腐敗、国政の腐敗が進んでいました」
そう、先王が暴虐を働く前から、この国は沈みかけていた。
「陛下は、一言、兄さまは兄さまのままだった、とおっしゃいました。なので、この先は私の推測になりますが」
とクルムトは前置きする。
先王は王になってすぐはそれなりに国政を指揮していた。しかし、次第に周りには民を虐げ、私腹を肥やす貴族たちが集まってきていた。奸臣の言葉は王を次第に蝕んでいった、ように先王は見せかけた。心あるものが、妹姫を擁立し、自分ごと奸臣を一掃できるように。
そうして、耐えかねた貴族や、民を虐げる手先にされた兵士たちが手を結び、妹姫に決断を迫った。
妹姫も、尊敬する兄王がこれ以上堕ちていくのを見るのは耐えられなかった。
「私は、相談すらしていただけませんでしたけどね」
クルムトは悲しそうに笑った。
「じゃあ、父上はこの国を良くするために、わざと叔母上に殺されたと?」
「はい。それに、陛下が婚姻を結ばれなかったのは、殿下に国を渡すためです」
「え?」
「兄が国をきれいにしたのは、きれいな国を次代に受け継がせたかったからだろうから、とおっしゃっていました」
「父上、叔母上・・・・・・」
ソリアスは強く、拳を握りこむ。そこへ、焦ったように王宮の女官が駆け込んでくる。
「宰相閣下! 陛下が。陛下がお部屋にいらっしゃらないのです」
「!」
泣きそうな女官をひとまず宥め、王の部屋へ向かう。
静かに寝ていたはずの王の姿は、そこにはなかった。
ふと、暗い中で目が覚める。
窓の外に、なつかしい面影を見たような気がした。
ベッドから降り、テラスへ降りる。ここ数日で降り積もった雪で、きれいに手入れされた庭園はすっかり白に覆われていた。
ふらふらと、何かに誘われるように雪原となった庭園へ足を踏み出す。
そのまま、ぼんやりと歩を進めると、小さな廟にたどり着く。
「兄さま・・・・・・」
フォルティナは廟の中に据えられた墓石に手を乗せる。
ぺたん、とそのまま床に座り込む。
「兄さまは、ひどい」
ぽつりと、愚痴がこぼれる。墓石に額をつけて、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「私に、全部、押し付けて・・・・・・」
涙がこぼれる。
大好きな兄が堕ちていくことに耐えられなかった。
同じくらい、兄の命を奪う事なんてしたくなかった。
ああ、息が、うまく吸えない。
「私は、甥っ子に嫌われて」
ソリアスが生まれた時、自分の事のように嬉しかった。
可愛くて仕方がなかった。
側で、成長を見守りたかった。
「クルムトとは、結婚できなくて・・・・・・」
クルムトの隣なら幸せだっただろうと思ったのは本当。
体の不調を打ち明けた時の、髪をなでてくれるあの手はとても幸せだった。
「でも、国は、きれいに、なったでしょ? 私、頑張ったよ」
兄の願いを叶えようと、必死だった。
頑張って、ソリアスが成人するまでは王でいようと思った。
けれど、心が付いてきてくれなかった。
兄を貫いた時の手の感触は、ずっと残っていたはずだった。
なのに、もう、全身の感覚が無い。
「もう、いいかな、兄さま」
ゆっくりと視界が暗くなる。
「つか、れた・・・・・・」
クルムトは、王の行きそうな所を必死に考える。
ふと、冷たい風が窓の方から流れてくる。
よく見れば、ほんのわずか、閉じきっていない。
その方向を考え、心臓が嫌な音をたてる。
「まさか・・・・・・」
そのまま、テラスへ降り、雪の中を真っ直ぐ突き進んでいく。
「おい! 待て、クルムト!」
その後をソリアスが追いかける。
たどり着いた先王の廟。
墓石の側に探していた人の姿を見つける。
けれど、その小さな姿はぴくりとも動かない。
その体を、薄っすらと雪が覆っている。だから、クルムトはわずかな希望を失っていた。
そっと、冷え切った床に倒れる小さな体に手を伸ばす。
「陛下・・・・・・姫様」
クルムトは、フォルティナを抱きかかえ、胸元に引き寄せる。
「お疲れ様でした、姫様。ゆっくり、おやすみください・・・・・・」
クルムトは、静かに涙を流した。
その様子を、ソリアスは黙って見ていた。
暴君を倒し、若干十五歳で玉座に着いた王、フォルティナは、国を立て直し、その後の国の行く末を指示した聡明な王。
これからも国を導いていくと思われた若き王は、夭逝した。享年二十六歳。
その後、玉座は王太子ソリアスが継いだ。
王の執務室には大量の法の草案、フォルティナの考えをまとめた手稿が残されていたという。
暴虐を尽くした王の子、同じように暴君になるのではないかと、一部ささやかれていたが、ソリアス王は、先王フォルティナの遺志を継ぎ、善政を敷いた。
宰相クルムトは、その後も王の右腕として良く王を助けた。優秀な宰相には縁談がひっきりなしだったというが、その全てを断り続け、生涯独身だったという。
ソリアス王の即位から三十年後。アルトニクス王国は転機を迎える。
国民の義務教育は行き届き、優秀な人材はどのような職の家の子でも高等教育を受けられるようになっていた。
そして、王家は政治のほぼ全てを国民に受け渡した。議会と王家、双方が監視し合う、新しい政治制度が確立したのであった。
高等教育を受ける者が増えた事で、様々な技術開発や自然科学の研究が発展し、王国は飛びぬけた繁栄を手に入れた。
それをもたらした王家への敬意から、王制が形だけになった後もアルトニクス王国は王国を名乗り続けたのである。
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