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中編

 数日ののち、天狗と烏天狗が鬼の元へ様子伺いにやってくると、小屋にいたのは鬼一人だった。

「…どうしたらいい?」

 どうやら昨夜も枕を共にすることは叶わなかったらしく、真剣な表情で天狗に助けを求める。

「知るか」

 子供みたいに口を尖らす鬼を、天狗は呆れて見る。朝食は食べたというので、烏天狗がお茶を煎れて差し出した。

「姫は?」

「散歩したいって、出て行った」

 鬼は、天狗が持ってきた菓子をうまそうに頬張る。小屋の中はきれいに片付き、開け放した戸口から通る風が心地よい。

「お前を怖がってるわけじゃないだろう。むしろ仲良くなりたいだろうが…」

 天狗は、ちらと窓の外を見る。山の中には様々な妖怪や木々の精がおり、鬼は正体を知ってか知らずか、女に化けたものたちとしょっちゅう懇ろになっていたが、さすがに狐の末姫に惚れてからは、うかつなことはしなくなっている。

 そのはずだが、やはり山の空気はざわついているようだ。

「浮気したか?」

 ひらりと窓から舞い込む木の葉を手に取り、天狗は言う。

「するわけないだろ…。何回か何人か来たから、ちょっと話したりはしたけど…」

 何回、何人というのが鬼らしいなと思ったが、天狗はそこには突っ込まずに話を続けた。

「姫は、お前の昔の女にやきもち焼いてるんだろ?中途半端に良い顔をしてるんじゃないのか」

「そんなことは無いんだけど、なあ…」

 そこで鬼は、自分の赤い髪をかきむしった。

「今までこんな焦らされたことが無いからわかんねえんだよ…」

「…なるほど」

 天狗はとりあえず相づちは打ったが、助言のしようがない。確かに鬼のもとへは自分から誘わずとも次から次へと女がやってくる。しかも男慣れしたようなものばかりだ。

 そんな鬼が唯一執着を見せたのが、狐の末姫なのだ。友人には幸せになってほしいが、色恋沙汰に関しては無闇に外野がでしゃばるとろくな結果にならないのは、天狗も身の回りを見て実感している。


「そういえば、母ちゃん帰ってきたか?」

「いや、久しぶりだからもう少しかかると思う」

「そうか」

「そうだな」

 男二人は何かを思い起こしながら、のんびり話してるが、烏天狗にはさっぱりわからない。そうしているうちに末姫が帰ってきた。

「ただいま戻りました!」

 わあ、お姉さん!と笑顔で年上の友人の訪問を喜んでいる。なにやら手には籠を持っているので、皆が近寄り覗きこむと、中に大量の魚が入っている。

「川に降りて足を浸してたら、釣りをしてたおじいさんが、くれたんですよ」

 姫はにこにこしている。

「姫、そのじいちゃん水掻きなかったか?」

「え!どうしてわかるんですか?」

 やっぱりな、と末姫以外の三人は目配せした。川には河童がおり、昔からたまに顔を見せるのだが、可愛い狐の姫が山に嫁いできた話を聞いて、一目見ようと姿を現したんだろう。

 それにしても魚は大盤振る舞いで、末姫はいかにも重そうにしている。

 鬼が土間で籠を受け取ったが、よろよろと末姫は体勢を崩し、咄嗟に手を伸ばした天狗の胸元に飛び込んだ形になった。立ったまま、末姫はすっぽりと天狗の体に収まる。

「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます」

 二人は、親同士が旧知の仲であり、天狗は姫が生まれたときからよく知っていて、年の離れた兄妹のようなものだ。

 よいしょ、と子供がするようにゆっくり天狗の体から自分の体を起こした姫を、後ろから違う腕がさらった。

「…ひぇ!」

 なんとも間抜けな声をだした姫は、すぐに鬼に抱きすくめられる。天狗は思わず笑ってしまった。

「何もしないのになあ…」

「でも駄目だ」

 まるで子供みたいに口をへの字にしている鬼に、魚の籠を突然押し付けられ烏天狗は不機嫌そうな顔をしている。姫はというと、必死にもがいていたがやっとのことで鬼の腕から抜け出した時には、顔は真っ赤で今にも泣きそうだ。

「…え?ごめん。苦しかったか?」

「いえ、大丈夫です!」

 姫は顔を勢いよく左右に振る。狐の耳と尾が乱れるくらい頭を振り、上目遣いで、鬼を見た。

「…顔洗ってきます…」

 そう言うと、そのまま反対を向き、林のほうへ走っていってしまった。ちょこちょことした歩幅でたまにふらつきながら走る様子を、年長者3人は不安そうに見守る。

「おまえさ」

 天狗が横目で鬼を見下ろした。

「本当に何もしてないの?」

「してねえ!いや、したいけど!!」

 そんなやり取りをしてる間に、すでに姫の姿は林の奥へ消えていた。


 ::::::


 魚はひとまず甕に放し、烏天狗は数匹貰うことになった。紐で尾をくくり藁に包む。

「姫、遅いわね」

 飛び出した末姫を追いかけようとした鬼だが、天狗が探しにいくからと留守番を言いつけられてしまった。

 じきに日が暮れるだろうと、鬼も落ち着かない。

「ねえさん」

 なによ、と烏天狗は鬼を見る。

「俺、姫が可愛くてたまらないんだけど、何かやり方が違うのかなあ…」

「まだやってないんでしょ」

「そうなんだよ…ってさ。それだけじゃなくて」

 鬼は、わしわしと自分の頭を掻く。かすかに見え隠れする角は、小さい頃からほとんど大きさが変わらない気がする。これは一体何なのだろうかと、烏天狗は自分の羽根の感触を感じながら考えた。

「俺は姫と一緒にいるだけで楽しいのに、姫は違うのかなあ…」

 鬼は、姫が去っていった方ではなく、開けた視界の先にある空を見ながら呟く。

 そのきりっとした目元が、笑うととても優しい印象になるのは昔から変わらない。しかし、ここ数ヶ月で、さらに何か違うものを湛えるようになった。

「…あんたにとって、昔の女たちと姫と、何が違うの?」

「…そうだなあ」

 鬼の視線は、遠くを眺めたままだ。うん、とか、そうだな、と独り考えているなと烏天狗が見ていると、ああ、と不意に顔を上げた。


「そうだ、あれだ。うん、姫と会った時に思い出した言葉…」

「言葉?」

「うん、俺はあまり言葉を知らないから、昔はよくわからなかったけど、ああこれか、って思ったんだよな」

 そこで鬼は、さらに優しい表情になり、烏天狗はどきりとした。姫のことを考えているのだろう。こんなに恋人に想われたら幸せだろう、と烏天狗は思った。

「いとおしい、って思ったんだ」

 鬼は、微笑んだ。

 横顔は穏やかで、慈しむような柔らかさを感じる。すると鬼は振り向き、烏天狗を見つめた。恋人の幼なじみに見とれていた彼女は少し狼狽えたが、鬼はそんな烏天狗に笑いかけた。

「天狗がさ、ねえさんと一緒に暮らして少ししたとき、俺に言ったんだよ。ねえさんのことが、(いと)おしいって」

 雲が、ゆっくり流れているのが見える。

「幸せそうなあいつの顔を見て、ああやっぱり、ねえさんを一番好きなのはあいつなんだな、って思って。俺もその気持ちがわかる時が来るかなあって…」

 烏天狗は、黙ったままだ。

「でも、俺だけ幸せに感じてても駄目だから。姫が安心して俺のそばにいてくれるよう、何か足りないなら知りたいんだけどさ…。ねえさん?」

 隣にいる烏天狗から何も返事がないので鬼は顔を上げる。しかし、彼女は顔を逸らしており表情はみえない。

 覗きこもうとした鬼だが、烏天狗の蹴りが飛んできて慌てて飛び退いた。

「あ?な、なに?」

 何でもないわよ、と、向こうをむいた烏天狗の声に、いつもの迫力は無い。

「私に直接言ってくれたらいいのに」

 鬼は、口角を上げたまま頷く。

「男二人で何でも話して、そこで終わりにされてもわかんないわ」

「だから俺がこうして話してるんだろ?天狗が鈍いのは、ねえさんより俺の方がよくわかってる」

 くく、といたずらをした子どものように、鬼が笑う。

「…まったくもう。あんたたちは…」

 赤い顔が見えないようにあさっての方向を見ながら、烏天狗も苦笑している。

「仲が良すぎて、妬けるわ」


 :::::::


 天狗は、羽根を畳んだまま静かな林の中に佇んでいた。

「…見失った」

 姫は小柄で歩幅も違うし、すぐ追い付けると思ったのだ。しかし、途中で姫は狐に姿を変え、体の大きい天狗では通れない枝の間をすりぬけ、あっという間に視界から消えた。元々が小柄な狐なので、木のうろにでも入れば外からはわからない。

 天狗は赤くなった額をさする。張り出した枝にぶつけたのだ。目をこらすと小動物の影がちらちらと見えるが、動きが早くて追い付けないし、また頭をぶつけることは必至だ。

「まずは…3本尾を探そう、うん」

 九尾の父と、普通の狐の子である姫の尾は3本なので、遠目でもわかるだろうと天狗はゆっくり歩きだした。

 子供の頃は天狗もよく遊んでいた林だ。鬼が天狗のところに遊びにいく方が多かったが、静かなこの低山も居心地がよく、よく木にもたれ二人で昼寝もした。

 懐かしさを感じながら、ゆっくりと木立の間を歩く。

「おーい」

 呑気な声がするほうを見ると、鬼と烏天狗が連れだってやってきた。

「いたか?」

「いや…」

 そう言いながら額をさする天狗に、鬼も笑う。

「やるよな」

「だな」

 そうして、姫、と呼び掛けながら3人で歩いていく。烏天狗が途中途中で会う兎に、3本尾の狐は見なかったかと聞いても知らないという。

 場所を変えようか、と天狗が言った直後に、鬼が木の前で立ち止まった。子供のひと抱えほどの幹を見上げると、手が届かない高さの木の又に子狐が寝ていた。しかし、尾は1本である。

「おい」

 ほっとしたような表情で狐に向かって優しく声をかける鬼を、天狗たちは訝しげに見るが、鬼は意に介さない。

「おーい」

 なあ、と天狗が鬼に聞く。

「あれ、尾が1本だぞ」

「でも姫だ。綺麗な毛艶だろ?」

「俺にはわかんないがな…」

「姫は特別なんだ。俺にはわかる」

 そう言うと鬼は、ごめんな、と一言いって幹を掌底で突いた。力を入れたようには全く見えないが、どん、という低い音と共に幹はその場で一度揺れ、木のまたから狐を放り出した。

 宙を舞うその小さな獣の尾はやはり1本だが、鬼は両手で狐を抱き止めると、体と尾に顔を埋めて嬉しそうにしている。

「じゃ、帰るわ。ありがとうな」

「ああ…」

 大股で数歩進み、あ、と鬼は振り向いた。にやにやと笑いながら二人を交互に見る。

「ねえさんもたまには素直になれよ」

「なっ…!」

 鬼はすでにご機嫌で、鼻唄を歌いながら自分の住みかに向かっていった。取り残されたのは天狗たち。


「…えーと」

「なによ」

 天狗は彼女の顔を見ようとするが、横を向かれてそれきり黙られた。

「ねえさん」

 天狗は、しびれを切らし一気に喋りだす。

「何があった?最近おかしいだろ?普段自分から誘ったりしないのに押し倒してきたり、かと思えばなんか不機嫌そうな顔をしてるし」

 烏天狗は俯く。確かに、見た目よりはうぶで生真面目であり、幼い頃からよく知ってる天狗に性格は今更隠しようもない。大きなため息が聞こえ、烏天狗はもういたたまれなくなった。

「俺に何か落ち度があれば言ってくれないかなあ?」

 天狗の面倒そうな物言いを聞いて、烏天狗の目から大粒の涙がぼろぼろ溢れる。天狗は呆気にとられた。


「…なんで?なんで泣いてんの…?」

「だって…何だか100年位経った夫婦みたいで寂しいんだもの…姫たちはあんな…」

 しゃくりあげて上手く聞き取れず、天狗は烏天狗の目線に少し下がって顔を寄せる。あんなとは、鍋を食べさせあったりすることか、と手振りをすると烏天狗は頷いた。

「いや、俺ああいうのはしないし…」

「長だって奥様にするでしょ。お正月に見たことあるわ」

「ああ…あれはしないと母さんが後から怖いから…」

 息子の彼女とはいえ、部下に見せるには余りにも無防備な日常だが、女性にはむしろ好感のもてることらしい。しかし天狗には理解できない。

「それが原因か?」

 しかし烏天狗は首を振った。

「…あんたずっと…妬いたりしてくれないし…長が」

「え?また父さん?なんで?」

 ひくっ、と泣きながら烏天狗は続ける。

「私が長に触れられて動揺していても気にしないし…せめて鬼が姫にするみたいに、もっと妬いてくれても…」

「はあ?」

 なんだそれ、と天狗はあきれた声を出す。

「だって父さんだろ?」

「あんたと姫も兄妹みたいな感じでしょ。でもあんなに鬼は妬くじゃないの…」

「…妬かないことに、妬いてんの?」

 うん、と烏天狗は頷き、天狗は空を仰いだ。

「わからん…」


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