7月
昼間の猛暑は夜になると共に落ち着き、風が私の体温を冷ましてくれています。
今日は金曜日。アネルさんはお友達と飲みに行ってしまっています。なので、家には私一人です。
いつもならこの時間帯は寝ていてるのですが、なかなか寝付けない私は薄暗い部屋で、映画の再放送をぼぅっと眺めていました。
『一方的な思いだってことはわかていたわ……』
映画のヒロインは、想い人が知らない女の子と一緒に歩いているところを物陰からこっそりと覗いてぼやきました。
この物語のストーリーは、どこにでもいるごく普通の女の子が、学園一の人気者の男の子にひょんな事から恋に落ちるというお話です。
私は映画に限らずラブストーリーに触れたことがありませんでした。なんだかとてもムズムズします。しかし、なんとなく目が離せないのです。
物語が終わりに差し掛かるころには脚をふたつに折り曲げ、ひざに顔を埋めながら見入っていました。
映画のヒロインはまるで自分みたいでした。
想い人と一緒に楽しい時間を過ごせば幸せそうに笑い、想い人を喜ばせるために頑張って、想い人が自分の為に何かしてくれたらそれは特別に感じたり。
きっと、これが"恋"というものなんでしょう。
じゃあ、私のこのアネルさんに対する気持ちも恋……なのでしょうか?
いいえ、断じて違います!!
確かに、アネルさんと一緒にいる時間はとても心地がよくて好きです。優しく接してくれるアネルさんの為に頑張りたいですし、アネルさんが淹れてくれる紅茶は特別だと感じます。
でも、映画のヒロインは他の女の子を歩いてるところを見ただけで悲しい思いをしていたのです。
私はアネルさんが他の人と幸せそうにしていても悲しまないと思います。恨んだり嫉んだりはもってのほかです。だから、恋ではないはずなのです。
でも、もし、私がその"他の人"の邪魔になるから、アネルさんと離れなければいけなくなったら?……それは、とても悲しいかもしれません。
『彼が私に優しくしてくれたのは、彼にとって当たり前のことだったのよ。それを勝手に私が勘違いしちゃっただけだわ』
映画のヒロインは自分を慰めるように彼女の友人に語ります。
全くその通りです。アネルさんはとても優しいから、勘違いしてしまうだけです。
それに、彼は軍事用のロボットで、私は普通の人間で、身分も種族も何もかも違うのに、恋だなんてありえません。
自分と彼はあまりにも違い過ぎる。そう考えれば考えるほど、じーんと鼻の奥が痺れてきて目に涙が溜まっていきました。
溜まった涙は静かに私の頬を伝って落ちていきます。一滴、二滴と。
本当に、私は一体どうしてしまったのでしょうか。
とりあえず、このぐしゃぐしゃになってしまった顔をどうにかしなければ……。
顔を洗う為に立ち上がると、視界は涙でぼやけていましたが、すぐに異変に気付きました。
赤いセンサをぼんやりと光らせながら、アネルさんがソファーのすぐ後ろに立っていたのでした。
「お、お帰りなさい」
アネルさんはずっとこちらを見たままです。
部屋の明りはTVの光だけですが、暗視カメラが搭載されているアネルさんには関係ありません。この泣き顔はバレているはずです。
「あ、あのこの映画、すごく感動しちゃって…えっと、それでこんなに泣いちゃいました。あはは…」
嘘です。アネルさんのことを考えていたせいで、映画の内容なんてこれっぽっちも入っていません。
嘘がばれてしまっているのでしょうか?アネルさんはびくとも動きません。
どうやら、見ているのは私ではなくテレビの画面のようです。
『愛してるよ』
男の人の甘い囁き声にびっくりして振り返ると、さっきまで感傷に浸っていたヒロインとその想い人がお互いを優しく包み合い、唇を重ねあっていました。
初めて見るキスシーンに私の涙は乾き、顔がどんどん熱くなっていくのがわかります。
どうしてこうもタイミングが悪いのでしょうか。映画の世界のロマンチックなムードとは裏腹に、こちらの世界ではなんとも言えない気まずい空気に覆われていました。
変な映画を夜中に見ていると思われたらどうしましょう?
でも、アネルさんはロボットです。多分、こういうものに対しては人間の文化だという認識しかないでしょう。
そうは分かっていても、変に意識してしまいます。
「シーナ」
名前を呼ぶと共に、肩にアネルさんの大きな手が優しく置かれました。
アネルさんの手は金属だけれど、とても暖かく、その熱がじんわりと薄着の上から広がっていくのがわかります。
見上げるととても近くにアネルさんの顔があり、恥ずかしさのあまり力いっぱい目を閉じてしまいました。
「……あまり夜遅くに起きていると体に悪いぞ」
そういって、アネルさんは手をぱっと離して寝室に行ってしまいました。
開放されたにも関わらず、心臓がバクバクと脈打っているのが止まりません。
なんだかよくわからない、嫌ではない緊張で満たされている不思議な気分です。
残された肩の熱が、これは恋だと認めざるを得ませんでした。