3月
凍りづくような寒さは、道端の雪と共に消えつつありました。
しかし、春だと主張するにはまだ少し早い気もします。
買い物を終えた私はマフラーに顔を埋めながら、にぎやかな商店街を一人歩いていました。
買い物をするのも私の役目です。
アネルさんのお役に立てることならなんでもやりたいのですが、少し困ったことがあります。
食費はすべてアネルさん持ちです。そして、私はクレジットカードを渡されています。
ここまではいいのですが、どれほどを目安に使えばいいかと聞いても"自由に使って構わない"と彼は言うのです。
奮発していい食材を買って豪勢な料理を振舞った方がいいのか、財布もお腹も満足な節約料理を作った方がいいのか全く分かりません。
ですが、多額な金額を使うことに慣れていない私は、結局"お買い得"な食材を選ぶのでした。
今日は旬で新鮮なお魚が安く手に入れることができたので大満足です。
帰り道、上機嫌になり人に聞こえないような小さな鼻歌を歌っていると、小麦と砂糖の甘い香りが私の鼻を擽りました。
香りの元に目をやると、ケーキ屋さんがありました。
どうやら今日からオープンしたようで、小さな店でありながら沢山の人が集まっています。
匂いに誘われるがままに店の中に入ると、様々なケーキがショーケースの中に上品に並べられていました。
私が最後ケーキを食べたのは3才の頃です。
店長に引き取ってもらってからはケーキどころか、お菓子を一切食べさせてもらえませんでした。
そんな私にとって、目の前のショートケーキやチョコレートケーキはとても魅力的なもので、見ているだけで幸せな気分になれます。
きっと、アネルさんが淹れてくれる紅茶と一緒に食べたらおいしいんだろうな……
……って、だめです。
人様のお金を無駄遣いしてはいけません。
それに、なんでアネルさんが紅茶を淹れてくれる前提になっているんですか。
私は自分の痴がましさを感じながらも、初めてアネルさんが淹れてくれた紅茶の味を思い出してはついうっとりとしてしまいます。
アネルさんはどんなケーキが好きなんでしょうか?
ケーキを買ったら、アネルさんは喜んでくれるでしょうか??
でも、男の人は甘いものが苦手とよく聞きます。
いや、でも、アネルさんは毎回コーヒーに砂糖とミルクを欠かさず入れます。
彼に初めてコーヒーを淹れた時、念のために付けておいたミルクと砂糖を入れたので少し驚いたのを覚えていました。
それに、そもそもロボットに苦手な食べ物というものが存在するしょうか?
そういえば、アネルさんはトマトを食べるとき、ほんの数秒止まっていることがあります。
毎日残さず食べてくださるので、止まる食べ物があったら出さないようにしていました。
並んでいる人の邪魔にならないよう、少し離れてどうしようと悩みながらショーケースを眺めていると次々とケーキはなくなっていきます。
特に、真ん中にあるショートケーキは人気らしく残りあと二つとなってしまいました。
「す、すいません。ショートケーキふたつ…ください」
――――――――----・・・・・
「た、ただいま戻りました…」
結局、残り数の誘惑に負けてしまい買ってしまいました。
ケーキを隠すようにリビングに行くと、アネルさんは読んでいた本をばたんと閉じました。
「今日は遅かったな」
「え!?あ、はい……」
「何かあったのか」
流石はアネルさんです。もう見破られてしまいました。
もちろん最初から隠し通すつもりはこれっぽっちもありませんでしたが、自分から言い出すのと、言われてから言い出すのとではわけが違います。
私はおずおずとケーキの箱を差し出しました。
「あの、これ……」
「なんだ?」
「今日、新しくケーキ屋さんができたみたいで……お、おいしそうな匂いがしたのでつい、買ってしまいました」
「ケーキ?」
ああ、と彼は箱を受け取ると、黙ってキッチンにいってしまいました。
私が準備をします、と言っても彼はそこに座っていろと首でイスを指したので、私は大人しく座って待っていることにしました。
「待たせた」
かちゃり、と私の目の前に赤い紅茶とお皿に乗せられたショートケーキが置かれました。
先程の憂鬱はすっかり吹き飛び、思わず歓喜の声が漏れてしまいます。
ですが、不思議なことにショートケーキは一つのお皿に二つのせられていました。
彼はというと向かいの席に座り、また本を読む作業に戻っています。
どうしよう、とケーキとアネルさんを交互に見ていると、視線に気づいた彼は顔を上げました。
「なんだ、食べないのか」
「い、いえ!そうではなくて……これ、もう一つはアネルさんの分で買ってきたんです」
「俺の?」
彼はじぃっとフェイスパーツの中央にある大きなセンサでケーキを眺めます。
やっぱり、甘いものが苦手だったのでしょうか。
よかれと思ったことがあだになってしまいました。
いいえ、我が欲を正当化してしまった罰です。
「苦手でしたら私が食べますので…」
「いいや、いただく」
「ほ、本当ですか……?」
「二つ食べたくなったのか?」
「いいえ!今フォークとコーヒー持ってきますね」
アネルさんのフォークとケーキを用意すると、彼と向かい合って黙々とケーキを頬張りました。
口の中でとろける生クリームと、ふわふわとしたスポンジがたまりません。
そして、ケーキは彼が淹れてくれた紅茶のおいしさをより一層引き立てました。
あれ?逆でしょうか。とにかくどちらもとてもおいしいのです。
ケーキはあっという間になくなってしまい、夢のようなひと時でした。
しかし、いつまでも余韻に浸ってるわけにはいきません。
私は食べ終わったお皿を片付け、夕食の支度に取り掛かります。
「シーナ」
不意に呼ばれた名前に、私は振り返ります。
「うまかった。ありがとな」
彼は本と向き合いながらいいました。
「私も、アネルさんの淹れてくれた紅茶のお陰で何倍もおいしくいただけました。ありがとうございます」
「そうか」
アネルさんはページの隅を指先で折ったり伸ばしたりしていました。
アネルさんは軍のロボットだけあって外見は大きく、感情は顔にでません。
けれど、最近僅かな仕草で彼の考えていることが分かるようになってきた気がします。