01 変わらない朝
暗闇に輝く星たちはすっかりと姿を消し、東の空は白んできている。
人々が動き出す時間、世界の歯車が回りだす時間。そんな時間に少年――――白花椿はいつもの習慣を始めていた。
「さて、今日は何を作ろうか」
椿は着慣れた茶色のエプロンを締め、冷蔵庫の中身を確認する。そして一言「……よし」、と呟くと慣れた手つきで調理を始める。たちまちキッチンからは、味噌の豊かでコクのある匂いと焼き魚の香ばしい匂いが広がる。
椿が料理を始めて少しすると、匂いに釣られて一人の男が姿を現した。
少し下がったままの眼鏡に無精髭。着ている寝間着はよれよれである。
「おはよ~、椿くん。今日も早いねぇ。そして、むむむ。この匂いは……さんまかいっ! 何てこったい、僕の好物じゃないか! こりゃあ今日の朝ご飯も楽しみだなぁ」
「おはよう。叔父さんこそ、今日は早いじゃないか。まだ出来ないからゆっくりしてなよ」
「いや~そうかい? 僕にも何か手伝わせてくれよ。こう見えても料理は好きな方なんだぞっ!」
「い、いや大丈夫だよ! それに……」
「それに?」
「いや、なんでもない! もうすぐ出来るしさ、あの……ほら……テレビでも見てなよ」
「叔父さんが手伝うと逆に遅くなるしさ」という言葉がうっかり出そうになった椿は、慌てて誤魔化しながらリビングのほうへと叔父を誘導する。
叔父と呼ばれる男――――啓介は椿に無理やり押し込められる形でリビングのソファに腰掛ける。「いつも悪いねぇ」と呟きながら、テレビのリモコンを操作し、お決まりのニュース番組を視聴する。
ニュース番組は行方不明や警察沙汰の事件から芸能人のゴシップなど様々な報道をしている。椿は啓介が視聴しているニュース番組をラジオ代わりに聞きながら朝食を作るのが日課となっていた。
朝食を作り終えた椿がお皿の準備をしていると、最近多発している行方不明事件についてのニュースが報道されている。ここ半年で数千人程の人間が何の前兆もなく姿を消している。明らかに異常な数だ。その異常性に全国ニュースでも取り上げられ、ついには全国的に注意喚起が行われるまでとなった。
「また行方不明事件だって。怖いなぁ~、椿くんも気を付けるんだよ。特にバイト帰りの夜道とか。世の中にはいろんな人がいるからねぇ」
「叔父さんそのニュース見る度にそれ言ってるよ……気を付けるけどさ」
「いやいや、叔父さんは本気で心配なんだよ。だって…………たった二人だけの家族じゃないか」
食器同士が僅かに擦れあうカチャカチャという音だけが早朝のリビングに響く。
椿は両親を病気で亡くしており、身寄りの無くなったところを叔父である啓介が引き取ったのだ。椿がまだ4歳のころの話だった。
朝食を食卓に並べ終わり、沈黙のまま椿はエプロンを外す。沈黙が気まずい、と思っているものの次に続く言葉が思いつかないままであった。叔父さんがいるから大丈夫。そんな言葉だけが椿の頭にぐるぐると渦巻いては……消える。口に出しては軽くなってしまいそうで、でも何か言わなくて……と。
先に沈黙を破ったのは啓介のほうであった。
「ああーー! さんまを塩焼きにするとは! この子天才かっ! なぁ、もう食べようよ~。見た瞬間に食欲が頂点だよ、おなかと背中がくっつきそうだよ!」
「…………ふふっ、そうだね。食べよう!」
「いただきまーす!」、と朝食に食らいつく叔父の姿を見て椿は思わず頬が緩む。
――――口に出す必要なんてない。俺は……今が一番幸せだな。
再び食卓はカチャカチャという音だけになり、沈黙が訪れる。
しかし、先ほどの重苦しい雰囲気は既に無くなっており、ありふれた幸せがそこにはあった。
椿は、この後に啓介が食べ物を詰め込みすぎてムセるとを予想し、お茶を用意する。そして、椿の予想通りに啓介は盛大にムセて、椿が用意したお茶を一気に飲み干した。