デートです
アフトクラトルとのイチャラブ回です。
薄暗い洞窟の中を二人の青年が進んでいた。
ぴちゃん、ぴちゃん。天井から染み出した水滴が落ちていく。壁や地面の至るところに、水晶に似た結晶が形成されていた。それらすべてがわずかな光を放っている。
戦闘用のブーツが湿気のある地面を踏みしめる度に、ぐずつく耳障りな音を立てた。
空気もまた湿っており、深く吸い込むと水の匂いがした。進む方向から吹く微風はひんやりとしていて、洞窟内の気温が低いせいで寒さを感じさせる。
青年はリーデハルトとアフトクラトルだった。
リーデハルトの月光を編んだ髪が、水晶の光をきらきらと反射する。
腰ほどもあるグレーのローブは一見重そうに見えるが、歩みに合わせてひらひらと風を纏う。
毒息竜の皮を鞣して作ったブーツは水を弾き、ぬかるんだ地面であろうと滑ることなく、踏み締めるのに適している。しかし華奢な印象を与える青年が身に付けるにしては、ごつごつしていて、いささか野暮ったい。
月の光を溶かした瞳が天井や床を見回しては、薄い唇に緩やかな弧を描く。
隣の青年を視界に収めつつ、アフトクラトルは無言で足を進める。途中でちらりと見上げてくる視線を無視。じいっと見つめてくる瞳を無視。手持ち無沙汰そうに腕をつついてくるが無視。
しまいにはぎゅっと腕に絡み付かれたが、ため息を飲み込んでひたすら無視し続ける。
リーデハルトが頬を膨らませ、絡めた腕をほどく。歩きやすくなったがそれさえ表に出さず、アフトクラトルは黙々と進んでいく。
「……クラトル」
唇を尖らせて名前を呼ぶリーデハルト。アフトクラトルは視線を向けず前だけを見ている。
「クラトル」
こてりと首を傾けたリーデハルト。月光の髪がさらりと流れ、水晶の光を映し込む。アフトクラトルは半目になったがまだ黙っている。
「くーらーとーるー」
声に不満を滲ませ名前を呼ぶリーデハルト。いつの間にか斜め前を歩いていた男の袖をそっと引っ張り、意識を向けさせようとする。アフトクラトルは何も反応を返さず、袖が伸びようがどうしようが歩き続けている。
「マスター」
ぴたり。アフトクラトルの足が止まった。眉間にシワを寄せて振り向いた男に、リーデハルトは100人中99人が見惚れるような笑みを浮かべた。
「何か面白い話して?」
アフトクラトルは鼻で笑ってさっさと歩き始めてしまった。彼は100人中1人の見惚れない側だった。
「ただの里帰りついでの見回りだし、ついてこなくて良かったのに」
洞窟の最深部のさらに奥まった場所で、リーデハルトが虚空を見詰めながらアフトクラトルに話しかける。
キュルキュルと歯車のような機械音が響いているが、どこから鳴っているのかはわからない。青年の白く長い指先が虚空を流れるように弾く度、青や緑の光が明滅した。
宝石を散りばめたような瞳が光を反射する。長い睫毛に縁取られたそれは、宝神器故の人ならざる美しさを感じさせた。
一際強い光がまたたく。空間がねじ曲がるような魔力の奔流がリーデハルトの前に集約する。真っ白な閃光が視界を貫き、聴覚はノイズで埋め尽くされた。
アフトクラトルは無意識に顔の前に手を翳す。金の瞳が呼応するように濃く染まるが、深いシワを眉間に刻んで瞼を閉じた。
浮遊感。一瞬後に重力がのし掛かる。砕けそうになる膝を耐え、なんとか体勢を整える。
乱れた思考を落ち着かせるために深呼吸すれば、先ほどまでしていた水の匂いがなくなっていた。水気を含んだ地面も、ひんやりとした風もなく、あれほど形成されていた水晶もない。
薫り高い大輪の花だけが咲き乱れていたそこは、リーデハルトの始まりの場所。彼とヘレンテが契約した地であった。
元々は「眠りの導き」の最深部にあったのだが、今では空間ごとねじくれている。リーデハルトが出ていってから、地形が変わり、ダンジョン自体が組み替えられたようだ。
「懐かしいなあ。ここでますたーと出会ったんだよ」
二人が今いるのは「眠りの導き」から町一つ離れた洞窟型ダンジョン、レベル5の「幻蓉の哀悼」から転移して初めて辿り着く場所であった。
「改装どころか空間まで変わってるけど、地脈も潤ってるし、攻略部分はレベル相当だし。問題なさそうだね」
〖そうでしょうね。僕が管理していますから、問題などありません〗
どこからともなく声が聞こえる。震えるような、反響するような、おおよそ人の声帯から出たとは思えない声。
青年が振り向いた先にあったのは黄金に輝く剣だった。その上に揺らめく金色の炎。熱はない。風もない。それにも関わらず揺らめく様は神秘的で、さながら神の息吹を思わせた。
「やあ、久し振り。そして初めまして『幻蓉の哀悼』」
〖ええ、初めまして。お久し振りです、兄上。いいえ、『リーデハルト』〗
人形と炎が相対する。
青年の穏やかな笑みが炎に照らされる。さらりと靡く月光の髪が煌めく。白金の瞳が炎を映す。
風もないのに燃える炎が剣に纏わる。渦を巻いて火花を散らす。
人でなし同士が会話する側。アフトクラトルは壁に持たれ、腕を組んで黙したまま成り行きを傍観していた。
炎が剣を一周した後、ふいに人のような形を作る。輪郭が千々に砕けて空に解けつつ、形を保とうと揺れ動く。目の前の人形を模したシルエットが剣の前に現れた。
〖それが新しい契約者ですか〗
二重に聞こえる声が響く。炎がふわりと大きくなり、また元の大きさに戻る。人を真似しつつも、ゆらゆら形を変えていく。
「そうだよ。可愛いだろう?」
「おい」
さすがに声が出た。
「クラトルはかわいいよ。だってほら、目が二つあるし」
「……」
「口と鼻もあるし」
「…………」
「しかも立って、歩いて、座れるもんね。すごいねクラトル、いい子だねえ」
「………………」
「あはは、すっごい嫌そうな顔してる」
にこにこと無邪気な顔で笑う人形に、アフトクラトルが射殺しそうな眼光を向ける。凭れたまま姿勢は変わらないが、眉間に跡が残りそうなほど深いシワを刻み、口許を歪めていた。
〖なるほど。『リーデハルト』は人の形をしていれば、すべて寵愛の対象だと〗
炎が輪郭を歪めながら声を発する。金から白へ、また金へと色を変えながら剣を廻る。
〖人間は弱く、脆く、欲深く、醜く、愚かしく、罪深く、他者を蹴落とし、死を忌み嫌い、僅かな救いにも縋り付く。我等はそれを理解して尚、人間に使われねばならない〗
リーデハルトが首を傾ける。その仕草を受け、まるで嘲笑するような声で炎が問い掛ける。
〖まさしく神の器に、我等が造られた意図に相応しい道具。誰もを愛し、誰でも愛する宝神器。貴方は僕と違って、契約者すら誰であろうと構わないのでしょうね。何しろ、先代が死んですぐ別の人間に乗り替えるのですから〗
瞬間、剣が踏み砕かれた。
実体がないはずの炎を踏みにじり、黄金の剣を地に踏みつける。大輪の花が弾みで乱れ舞い、淡く空気に溶けて消えた。
「お前、今、なんて言った?」
笑顔は変わらない。声も変わらない。ただ姿勢だけが変わった。剣に対して正面からではなく、上から対するように。剣を地に蹴倒し踏みにじる、見下ろし見下し見下げる姿に。
「人の為の道具が、人を嫌うのは別に良いよ。うん、どうでもいい。だけどさあ」
ブーツが剣の破片をさらに砕く。笑顔が深まる。口許が月のように弧を描く。眼差しは緩み、宿る光は凍えるほど冷たい。絵になる美しい笑顔で、リーデハルトは神の息吹に憎悪を向ける。
「仮初の意思しかない道具風情が、私の愛を語るなよ」
穏やかで優しげな声とは裏腹に、全体重をかけて剣を丁寧に地へと押し付けて擦り砕く。
思わず腰を浮かせたアフトクラトルに、リーデハルトはにこやかにお願いした。
「マスター、命じて? これを壊せ、と」
「人を嫌う道具なんているかい? いらないよね?」
「使えないよね? 使わないよね? 使わない道具なんて存在する意味ないよね?」
「マスター、早く言って? いらないって」
「早く、マスター、言って? ねえ? まだ? 早く」
「早く言えよ」
アフトクラトルの唇が震える。胸が締め付けられる。どくどくと血潮が沸騰するような錯覚。額の奥が脈打つように熱いのに、指先は痺れるように冷たい。
ぶわりと噴き出した汗が頬を流れ、髪を顔に首にと貼り付かせる。喉を無理やり動かして、引きつれた声を絞り出す。
「――それは、要らない」
リーデハルトがアフトクラトルへ振り向く。
「うん、分かった、マスター」
褒めるように、讃えるように。緩んだ瞳と甘い声が、アフトクラトルの中心に熱を灯す。
思わず背を曲げて俯く。体が小刻みに震える。顔が赤く染まる。めまいがする。息が切れる。意識して深く呼吸する。無意識に口を手で覆い、唇をぎゅっと引き結ぶ。全身へ広がるは歓喜と高揚。そして興奮。
期待に応え、期待に添う男へと。ただ一人に向けられたのは、花開くような笑みだった。
リーデハルトは既に半壊した剣へ向き直ると、優しげでありながら甘さを抜いた声で宣告する。
「他ならぬマスターがこう言ってる訳だから、役目を果たせない宝神器は新しいものと交換しようか」
〖あ、なた、が……うぐぁっ、が……〗
「何言ってるのか分からないな。そもそも道具が、必要もないのに無駄に喋るなよ」
すべて自分へと返ってくる言葉を吐きながら、青年がその手を剣に伸ばす。口内で呟いた言葉は声にならず、触れた指先から剣がぼろぼろと崩れていく。
炎が一際強く燃え上がり青年に襲いかかる。しかし青年を包む寸前で、蒸発するようにかき消えた。後に残されたのは金の灰のみ。
それは地面に吸収されると、周りと同じ大輪の花を咲かせた。
「人に害意を抱くなんて、困った宝神器だったね」
リーデハルトがころっと声音を変える。甘さと無邪気を交ぜ込んで、子どものようにきゃらきゃら笑う。
宝神器とは人にダンジョン内のモンスターを倒させるための道具である。そして神が人の役に立つために造った道具でもある。
その中でも『リーデハルト』は人の意思を受け、人を知り、人の願いを叶えるために造られた人形だ。その性格、行動は今までの経験から形成されたものと、契約者の願いを練り込んだ結果作られる。
先代のヘレンテは「人らしくあること」を望んだ結果、リーデハルトは災厄の中で唯一の良心と呼ばれる存在となった。
そして今、契約者はアフトクラトルである。男の願いは昔から変わらない。すなわち「己より強く、己より優れた、己が認めた相手に、人生をめちゃくちゃにしてほしい」
契約者に縋り、契約者を振り回す無邪気さを。契約者を従え、契約者に命ずる傲慢さを。人を人と思わぬ残酷さを。人を愛し慈しむ慈悲深さを。
「さあさ、終わったし、帰ろうか」
みんなにお土産買わないとね、そう言って青年は再び虚空へ指を滑らせる。
「リーデハルト=グラジオラス」
「なあに、クラトル?」
こてんと首を傾げる人形。さらりと流れる月光と、きらきら輝く宝石がアフトクラトルに向けられる。
「……貴様の契約者は誰だ」
大きな瞳がぱちぱちとまばたく。心底不思議そうな表情を浮かべ、窺うような光を宿す。しばらくじっとアフトクラトルの顔を見詰めていたが、やがて何かしら納得したのか二度ほど頷く。そして、満面の笑顔で言葉を紡ぐ。
「そんなの、ますたぁに決まってるだろう」
その「ますたぁ」が誰を指すのか。
男の歪んだ愉悦の笑みを見れば、誰であろうとわかるだろう。