リーデハルトはただのギルド職員です
「そうですね。あなたの実力でしたら、Bランク依頼のはぐれオークの討伐などいかがてしょう」
活気に溢れ騒々しい冒険者ギルドに、穏やかな青年の声が発せられる。特別張り上げた訳でもないのによく通るその声に、依頼した冒険者は真剣な面持ちのまま一つ頷いた。
「ハルトさんのおすすめならそれ受けます。何か必要なもんとかないスか」
問われた青年はもう一度書類に視線を落とす。依頼されている討伐場所を確認した後、顔をあげ安心させるように微笑んだ。
「特に必要なものはありませんよ。そういえば、最近この辺りでゴブリンの姿を見かけた報告があります。中級ポーションや惑わし草は余分に持っていくと良いかもしれません」
惑わし草という単語に首を傾げた冒険者に、ギルド職員は「説明いたしましょうか」と声をかける。冒険者の男は必要ないと首を振った。
「惑わし草は知ってるし、この前採取したばっかなんで大丈夫っス。依頼の手続きを進めてください」
血の気が多い冒険者が、青年の言葉に素直に従う。疑問を挟むことなくこくこくと頷く姿は、とても高ランクの冒険者とは思えなかった。
受理された依頼票の片割れをしまって、ギルドから出ていこうとする冒険者の男へ、職員は優しげに微笑むと手を振りながら見送った。
「無事のお帰りと、またのご利用をお待ちしております」
彼の名はリーデハルト=グラジオラス。帝都冒険者ギルド本部に勤めている青年だ。
元冒険者である彼は問題が起きた時の鎮圧役として、また、過去の経験から的確なアドバイスが出来るとして、受付担当を勤めていた。
彼に助言をしてもらえれば必ず生きて帰れると噂になったのはいつ頃だったか。青年のアドバイスを貰うために、わざわざ高ランクの冒険者まで彼の受付に並ぶほど。その人気は数代前のギルド長時代から、衰えることを知らない。
それは冒険者だけでなく、他のギルド職員からも同様に。
「やっぱハルト先輩って凄いよなぁ」
「何代か前のギルド長に勧誘されて入ってきた時から、見た目変わってないらしいよ。希少種、しかも長命種みたい。すっごく綺麗だし、エルフとかじゃない?」
「エルフなら耳が長くて尖ってるだろ。ハルトさん別に耳長くないし」
「えー、何の種族なんだろ。聞いたら教えてくれるかな」
「俺前に聞いたらさ、『秘密』って言われたぜ。こんな感じで」
そう言いながら立てた人差し指を唇に当てる姿に、会話相手の職員二人が身悶える。
「あー、絶対ぇ似合う!」
「いいなー! わたしもその姿見たかったー!」
「何の話をしているんだい?」
カウンターの内側でひそひそと会話をしていた三人に、椅子に座ったまま振り返ったリーデハルトがにこりと笑いかけた。
穏やかで優しげで、高くも低くもない、耳に心地よい声音。首を傾げた拍子に流れた髪が、頬を擽る。柔らかく問いかけながら髪を耳にかける姿は、絵になるほど魅力的だった。
「いや、ハルト先輩ってもしかしてエルフかなーとか」
「長くここに勤めてるから、何歳なんだろうねって話してたんです!」
「そう。興味をもってくれるのは嬉しいけれど、内緒にしておこうかな。今、勤務中だからね?」
「ああ! すみません! すぐ戻ります!」
それぞれの担当に戻っていく姿を見送り、リーデハルトは受付を再開させた。
人並みは途切れることなく、果てがないように思われた。しかし正午を過ぎた辺りで疎らとなり、やがてギルド内の人数は数人程度まで落ち着いた。
残りは依頼を達成して帰ってきた冒険者と、鑑定待ちの冒険者くらいだろう。
休憩に入ろうと立ち上がった所で、出入口が開閉される音がした。瞬間ざわりと空気がさわめいた。
まっすぐこちらへ向かう足音は、聞き慣れた男のもの。
Sランク冒険者、アフトクラトルだ。
「おや、クラトル。依頼かな?」
「……」
無言で差し出された依頼票とギルドカードを受け取る。受理日を見てみれば昨日のもので、内容は渓谷にいるドラゴンの討伐。
ギルドカードを専用の魔道具に通せば、依頼の対象であるドラゴンが討伐記録に登録されていた。
「依頼達成の窓口は別だよ。まあ、今暇だから処理するけどね」
平然と担当業務から外れる職員に、誰も何も言わない。
それもそうだろう。冒険者ギルド一番の古株で、元Sランク冒険者で、災厄と呼ばれた彼等を現在制御できる唯一の存在。
清廉さと苛烈さを併せ持ち、優れた鑑定眼は他の追随を許さない。そしてその実力は未知数。
しかし穏やかで柔和な態度は親しみやすく、後進育成のための教育は懇切丁寧で分かりやすい。
見目麗しく謎多き姿は、他者の憧れを一身に受ける。
そんな存在ならば、すでにギルド長となってもおかしくはない。けれど、彼はギルド長ではなかった。
受け取ったギルドカードを返却して、リーデハルトはアフトクラトルへ手を伸ばす。両手で挟んだ頬を招くように撫でれば、無言で顔を寄せてくれる。
近付いた顔に微笑みを浮かべ、青年はとろりと甘い光を瞳に宿した。
「怪我はしていないかい?」
「……ああ」
「死ぬような怪我は?」
「……していない」
「ふふ、そっかぁ」
するりと頬を撫でていく手が、離れていく。三日月のように弧を描く瞳は、見るものを堕落させる力を持っていた。慈愛しか含まれない声が、酷く優しく男を縛る。
「死んじゃあ駄目だよ、私の、ますたぁ」
その瞳に映る姿は、目の前の男であって、彼ではない誰か。
それが誰か分からないほど、アフトクラトルはリーデハルトと短い付き合いではない。何せ、本来の寿命はとうに過ぎ、もはや人の枠組みから外れているのだから。
願いを込めた呪詛の言葉に、アフトクラトルは満足そうに頷いた。
今や冒険者ではなく、今もギルド長ではなく。
元の主人の言いつけ通り、ギルドを守り、ギルドに勤める人型の宝神器。
リーデハルトは、本人曰く、ただのギルド職員だ。
以上で完結です。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




