第四の門
家具も石像もないがらんとした空間は広く、レオン達がいた部屋と同じように窓がない。明かりは壁に埋め込まれたライトのみで、シャンデリアや飾り照明すら置かれていなかった。
ぼんやりとした明るさは表情を曖昧にさせる。漂う空気はひんやりとしていた。
部屋には二人の男女が立っていた。セイントとルプスだ。
リーデハルトに期待された二人は黙って扉を見つめている。忠実な側近という立場が似合う二人は性格こそ違うものの、指向だけは同じだった。
主君に忠誠を尽くすこと。主人に仇なす存在を殲滅すること。
仕えるべき主として崇拝する青年が望むのであれば、期待以上の成果をあげてみせる。それは当然のことであり、もしも褒めて認めてくれたなら望外の喜びであった。
ルプスの狼耳がぴくぴくと動く。近付いてくる足音を聞き取ったのだろう。異常に短い尻尾がぴんと立っている。
鼻に皺を寄せ、牙を剥き出しにする。喉奥から唸る声が漏れ出ていた。
肩や背中が隠されていない薄い衣服は行動に制限を課することなく、しなやかで鍛え上げられた肉体を曝している。肘から手首までを飾るいくつもの金の腕輪がしゃらしゃらと音を立てた。
セイントがぱしんと両手を打ち付ける。宝神器であるグローブに魔力を流せば、軽く打ち合わせただけで鈍く重い音が響く。
修道女に似た衣服は動きやすいように改良されている。体型に合わせて作られたがために、はっきりと体のラインがわかった。
豊満な胸が強調されており、深いスリットから覗く太股が白く艶かしい。にも関わらず上品で優婉さを感じる姿は、生来の気質から来るのだろう。
両手の不釣り合いなグローブさえ除けば、まさしく聖母を思わせる姿だった。
部屋の前に人の気配を感じる。重々しい扉が開かれた瞬間、小柄な影が飛び出してきた。
振るわれた拳をルプスが難なく片手で受け止める。掌の衝撃を受け流せば、床に僅かなヒビが走った。
慣れた手つきで打ち付けられた拳を握り締めれば、軽々と鳩尾に膝を叩き込む。しかし相手も予測していたのだろう。反対の手で防御すると、牙を剥いてルプスの喉元に噛み付こうとした。
無造作に顔面を鷲掴む。体を反転させ投げ飛ばせば、壁に両足で着地された。ルプスが小さく舌打ちする。
相手は獣人の少女だった。ぴんと立てた耳は白く、オレンジの瞳は殺意にまみれている。手足は毛で覆われており、服装はルプスと似通っていた。しかし露出している部分の肌は見えず、ルプスと比べてより獣に近い姿をしている。
少女が着地した壁を蹴り、バネのように飛び出した。一瞬でルプスの背後に回り込み、鋭い爪で背を狙う。身を翻して避けるが、掠った爪が衣服を切り裂いた。
「避けるな卑怯者ッ!」
「何言ってんだテメェ」
憤怒を滲ませる少女にルプスが呆れた顔を向ける。さらに怒りを増した少女が縦横無尽に壁や天井を蹴り、ルプスに飛び掛かった。
武器はなく、己の爪と牙、高い身体能力のみで戦う姿はまさしく獣人の戦闘形式だと言えるだろう。
人間の目では追いきれない速さで床を蹴り、壁を飛ぶ。残像と砕け散る破片で元居た場所を知るしかないほど、二人の戦いは激化していく。
セイントは繰り広げられるそれらを無視し、黙って入り口を見つめていた。遅れて部屋へと入ってきた三人組。黒髪の少年と執事服の男。そして黒いローブを身にまとった男を見た瞬間、セイントの目が険しくなる。
ローブ姿の男がやおら前に進み出る。セイントと対峙する形で視線を合わせれば、頬に刻まれた大きな傷を指先でなぞった。
「……久し振りだな、邪教の悪魔よ。いいや、魔女と呼ぶべきか」
「黙りなさい。我が神の尊き休息を邪魔したこと、後悔なさい」
「神、か。まだ過ちを犯し続けるつもりか。哀れだな」
「わたくしを犯したあなたが言える言葉かしら」
「神のご意志は我が身にある。リーデハルトと言ったか? 六柱の女神の名を冠するなど、賤しく穢らわしい存在だろう。それに仕えるとは、何年経とうと貴様は救いようがないな」
セイントから表情が消える。
次の瞬間男の目の前に拳が迫った。僅かに背を逸らして避けるが、セイントの回し蹴りが顔面に決まった。床を跳ねて転がり、壁に激突して止まる。鼻の骨が折れたのだろう。だらだらと血が流れていた。
鼻を押さえる暇もなく横に飛ぶ。振り抜かれた拳が壁を抉った。欠片がばらばらと宙を舞い、それらが地に落ちる前にセイントが再び拳を振るう。
衝撃波で一直線に抉れた床の破片が、同じ部屋にいたルプス達を襲った。
「うおッ! テメェ、ふざけんな生臭女! こっちまで巻き込んでんじゃねェ!」
「これくらいで巻き込まれる愚鈍なあなたが悪いのではなくて?」
「言わせておけば……」
ルプスがさらに言い募ろうと息を吸い込むが、少女の蹴りが迫り中断する。
「どこを見ている卑怯者! 貴様に戦士の誇りはないのかッ!」
「俺ァ戦士になったつもりはねェよ」
「問答無用ッ!」
「おいおい……俺の周りは人の話を聞かねェ奴ばっかじゃねェか」
面倒そうにルプスが少女との戦闘に戻っていった。
セイントはルプスから視線を外すと、戦っていた男へ駆け寄った。止めを指すべくグローブを握り締める。
男は慌てた様子もなく、懐から何かを取り出した。それは細長いガラス瓶だった。中には青や紫に発光する液体が揺れている。
セイントの拳が男の頬を掠った。一筋の線が走り鮮血が飛び散る。
振り抜いた腕を戻す隙をついて、男がガラス瓶をセイントのグローブに叩き付けた。ガラスが割れ中身が飛び散る。
青や紫の光が瞬く間に赤く濁り、液体が蒸発し白い煙が上がった。
その瞬間、セイントの顔が苦痛に歪んだ。
地を蹴り男と距離を取るが、がくんと膝が折れてその場に崩れ落ちる。見開かれた瞳から大粒の涙が溢れ、ぼたぼたと頬を流れていく。
「ふ、ふはは、ふはははは! やった、やったぞ。これで貴様はもはや戦えまい!」
耳障りな男の高笑いが響いた。




