第三の門
部屋の中央でレオンが仁王立ちしていた。跳ねる金色の短髪がシャンデリアの光を弾き、つり目がちの瞳が太陽のようにきらきらと輝いている。
部屋の奥にある扉の前には椅子が置かれ、エフィメラが腰を下ろしていた。
「……遅い」
レオンが呟いた小声が部屋に落ちる。広い部屋の中に窓や家具の類いはなく、雰囲気のある石像が四方に置かれていた。
マルユノの塔は基本的に最上階付近しか使われていない。ただでさえ塔で過ごす使用人は少ない上に、出入りには各部屋に設置された転移魔法陣を使っているからだ。
塔の中央にある螺旋階段が各階を繋いでいるが、レオンらが魔物を倒すために出ていくときは窓のある部屋から飛び降りている。
正直に言えばエントランスさえいらないので、塔内には不要な階段や部屋がたくさんあった。
それなら何故塔を作ったのか。それは例え魔物が侵入しても、住む使用人達に被害を出さないためだ。飛行する魔物に対してあまり意味はないが、大抵の魔物は跳躍しても塔の三階くらいしか届かない。上階に住んでいれば安全なのだ。
塔が無駄に高い理由については、レオンが望んだからに過ぎない。馬鹿と煙は高いところが好きらしい。
エントランスを作った理由も特にない。何となく作ろうと思ったので、リーデハルトが設計した。
使われていないいくつかの部屋がどことなく怪しい雰囲気な理由も、レオンが好んでいた本を参考に何となくそれっぽく作ったからである。
特に理由のないそれっぽさが、塔の魔王城感を醸し出していた。
そんな特に理由のないそれっぽい石像の目が赤く光り、雰囲気のある重苦しい石扉が音をたてて開かれる。
現れた侵入者達は部屋の中央に立つレオンを見て、即座に武器を構えた。
「やっと魔王のお出ましか……」
黒髪の少年の言葉に、レオンの片眉がぴくりと動く。剣呑な目付きで睨み付ければ、軽装の兵士が前に出た。
「ここは俺に任せてください! 勇者様は後ろの魔王を!」
「いいや、皆で力を合わせよう! ここまで送り出してくれたハワード達のためにも、皆で一緒に帰るんだ!」
「―――おい」
呼び掛けと同時に振り抜かれた足が、兵士を壁に打ち付けた。
ぶつかった衝撃で壁がひび割れ砕け散る。蹴り抜かれた兵士の腹部が大きく凹み、口から大量の血液が吐き出された。漆喰だった壁の一面が真っ赤に染まる。
壁に埋まり崩れ落ちることも出来ないまま、オブジェのように飾られたそれをレオンが鼻で嗤った。
盛り上がっていた集団の空気が一瞬で冷えきり静まり返る。誰もが声も出せず呆然と壁を見つめる中、エフィメラが珍しそうに片目を見開いた。
「ほう、ほうほう、これは、良いのう、なぁ、小僧」
嗄れた声が呼び掛ける。笑い混じりの声が発される。誰から、誰に。エフィメラから、黒髪の少年の少年に。
帝都では、いいや、この世界では、珍しい漆黒の髪を持つ少年に。――勇者様と呼ばれた、黒髪の少年に。
にたりと嗤う唇が三日月のように吊り上げる。細められた目が爛々と金に輝いている。包帯の巻かれた顔は大部分が隠されているにも関わらず、隠しようのない笑みが刻まれていく。
「主、架橋御供か、のう。ヒヒ、ヒヒヒッ、それも、片道の。珍しい、のう。哀れよ、のう」
かつん、こつん。杖が床を叩く。エフィメラがやおら立ち上がる。ぬるりと足を滑らせて、レオンの傍へと立ち並ぶ。
横目でエフィメラを流し見たレオンが舌打ちした。面白くなさそうに渋面を作る男を無視し、老爺がぎょろりと集団を見回した。
「……吁、成程、なぁ………………ヒヒヒッ、佳い、良い」
「エフィメラ、邪魔をするな」
「ヒヒ、そう喚くでない。あれは御前に通すぞ、稚児よ」
「だから誰が稚児だ!」
声を荒らげて突っ掛かるレオンを無視し、エフィメラが嗄れた声で笑う。
「あれは御前の元に行かねばならぬ。邪魔するでない」
老爺が杖を床へと打ち付ければ、部屋全体を覆うように魔方陣が浮かび上がる。
ざわつく人々よりも騒がしい羽音がこだまする。低く唸るような、かさつく蠢きのような。数多の蟲がぞろりと湧き上がる。
奇っ怪な蟲が黒髪の少年に群れ集う。足先から足首へ、膝から腿へ。飛翔した蟲が黒髪の少年に群れ集う。頭から耳へ。頬から首へ。ささめきがこだまする。
生理的な嫌悪で声も出ない少年を連れていくように、蟲がぞろぞろと動き出す。
「勇者様……ッ! くそ、その方を離せ!」
鎧を着た兵士が剣を構えてエフィメラに突進する。床を覆い尽くす蟲を踏み砕き、緑の体液が飛び散った。きいきいと鳴き声が反響する。
踏み抜かれ、踏み砕かれた脚が床に散らばった。ぴくぴくと微かに動いている。
剣の切っ先がエフィメラの胸を貫く寸前で、ぴしりと刃にヒビが入る。一瞬で全体が崩れたかと思えば、柄まで脆く壊れ落ちた。
口を半開きにし声も出ない兵士が、床に叩き付けられる。骨が折れる音を掻き消すように、床が大きく抉れて礫が飛ぶ。
レオンの無造作な蹴りが、部屋と人ひとりを破壊した。そのまま足を落とし踵を捻るように踏み潰せば、肉と骨と石が混ざり合う。
誰かがひゅっと息を飲んだ。
「…………どいつも、こいつもよぉ……」
レオンの瞳がぎらりと輝く。歯が軋むほどに食い縛られた奥歯がみしりと音を立てた。
やおら向けられた視線はまるで悪に立ち向かう主人公のように強く、しかし物語の黒幕のように冷たく澱んでいた。
「この俺を、無視してんじゃねえぞゴラァアッ!!!!」
金髪が逆立ち、全身からばちばちと光が渦巻く。電気を帯びた咆哮が侵入者達を硬直させる。迸る雷撃が先頭にいた人間を焼き焦がし、真っ黒な炭となって転がった。
狭まった瞳孔が猫科の猛獣を思わせる。跳ねた金髪が帯電し煌めいていた。二つ名通りの、まるで獅子のような姿だった。
咆哮と共に放たれた雷が、天井に吊るされたシャンデリアに直撃する。ガラスが砕けて破片が降り注いだ。侵入者達が慌ててマントや腕で防御する。しかし意識を逸らした者から、レオンの攻撃が突き刺さって床に転がった。
「俺を見ろ! 俺を見ろッ! 俺を見ろッ!! 俺を、無視するなぁあッ!!!」
男の絶叫が部屋を揺るがせた。
レオンは物語の主人公に憧れていた。皆に慕われる存在に憧れていた。
仲間が欲しかった。ライバルが欲しかった。友達が欲しかった。自分を認めて見てくれる人が欲しかった。
金の瞳だっただけで疎まれた。捨てられた。嫌われた。避けられた。逃げられた。
金の瞳だっただけで、ずっと一人ぼっちだった。
誰かに認めてほしくて。誰かに見てほしくて。誰かに褒められたくて。誰でもいいから自分を見て欲しかった。
いまだに構われることには慣れないけれど、それでも。存在を無視されることだけは耐え難い苦痛であった。
壁が抉れる。床が砕ける。窓のない部屋はシャンデリアが破壊されたせいで、酷く暗い。
ただレオンの発する輝きだけが目を焼いて。その場にいる人間が見た最期の光となった。